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2012年8月 4日 (土)

周防・長門紀行①徳山コンビナート

 周防・長門の旅の出発点は周防・徳山である。

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Dscf4581_2_10 徳山といえば徳山コンビナートである。現在は徳山市が周辺の町を併合して周南市になったしまったので、現在は周南コンビナートというそうだ。

 徳山コンビナートと言えば、その昔、徳山海軍補給廠があったところで、沖縄特攻に行った戦艦大和が最後に燃料を半分だけ補給したところである。戦後、その徳山海軍補給廠を出光興産が払い下げを受けて、石油化学コンビナートを作ったわけである。その出光徳山コンビナート建設が、戦後の出光の勃興を支えたのはよくわかるが、しかし、どうみてもこの瀬戸内の小さな港がそんなに大きなタンカーを入港させたことがよくわからない。横須賀や品川・横浜・千葉のような大きな湾の中の水深も深い港ではないようだ。しかし、そこが逆に出光興産の挑戦部分だったんだろうな。つまり、挑戦なきところに勝者なし、というわけなのだ。

 当時は、まだまだ日本も成長途上の時期である。徳山海軍補給廠のタンク底払いを行った出光興産が徳山にこだわったのは分からないではないが、だからといって徳山がそんなに石油基地としては有利な場所にあるとも思えない。とは言うものの、出光興産としては、それだけ徳山という地にはこだわりがあったのであろう。

 現在は出光だけでなく、帝人とか、東ソー、日本ゼオンなんてところが、石化コンビナートを作っているが、しかし、それだけ。それだけの町にはそれだけの存在感しかなく、そんなコンビナートの姿を「工場萌え」の連中に売り込もうともしない。

 ということで、観光という視点を全く欠いたままの都市設計は、訪れる人にはなんの魅力もない街になってしまったのである。でも、結構「工場萌え」の男子連中には受けそうな街ではある。そういう方向で観光都市を目指せばいいのになあ。

 ちょっと残念ではある。

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