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2012年8月 2日 (木)

渡邉恒雄氏が『反ポピュリズム論』について語るの愚

 大体、清武英利みたいなポピュリズムの権化みたいな奴の反乱を抑えられないような人が語る「ポピュリズム批判」なんて読んでらんないね。こういうのを「お臍で茶を沸かす」というのである。

『反ポピュリズム論』(渡邉恒雄著/新潮新書/2012年7月20日刊)

 だいたい、渡邉恒雄というジャーナリストとしての矜持も何もない人の政治論って何なんでしょうね。この本でも1983年の中曽根内閣、1998年の小渕内閣、2007年の福田内閣という3度の政権に関する連立構想とそれに奔走する自分の姿を得々と語っているのだが、そのこと自体が、自らがそうした権力とは一線を引いた態度で臨むというのが本来のジャーナリストのスタンスであるはずなのに。そんなに政局が好きならば自ら政治家になるべきであって、新聞という本来権力に対するウォッチャーがやるべきことではないだろう。

 そんな意味ではテレビ朝日の報道局長の椿貞良氏が民放連の会合で「55年体制を突き崩そう」と発言していたことをもって、テレビ朝日の政治的偏向を言うのならば、自らのこれまでやってきた所業をどのように解説するのだろうか。自らが自民党とベッタリやってきた過去については口をつぐんでしまい、一方、朝日系列の所業にだけは言上げをするというのは、片手落ちというしかない。

 だいたい、日本の新聞・テレビの政治記者というものほど、バカな人間はいない。というか、新聞・テレビの政治部記者というのは記者クラブ、ぶら下がり取材、夜討ち朝駆け取材などを通じて、自らの取材対象であるはずの政治家や政治家秘書とかなり近しい立場になってしまい、その政治家を批判しなくなる、というのはまだ可愛い方で、いつの間にか自分がその政治家のために動いていることを通じて、自分がその政治家を動かしているような気分になってしまい、政治家でもないのに政治家的な動きをしている人が多い。で、結局社会部的な視点から政権批判をするニュース・キャスターに対し『思い入れたっぷりの表情と視聴者の情に訴える口調で、ニュースの最後に左翼偏向的な一言を付け加える某民放キャスター』という言い方で、一刀両断した気分になっているだけの政権補完政治屋に自らがなっていることに全く気づいていないバカなのである。

 で、本書に書いてあることは、小泉純一郎批判であり、鳩山・菅体制批判であり、橋下批判なのである。それらがポピュリズムであるとして……。

 なんだ、要は渡邉氏が一脈を通じていない人たちは批判するんだ、という分かりやすい構図。

 渡邉氏にとっては、自民党の代議士で、官僚出身の政治家、あるいは官僚の使い方を心得ている(つまりそれは官僚に使われることに心得ている)政治家というのが、基本の付き合っている政治家のようで、それ以外の政治家が本書における「ポピュリスト政治家」ということになっているようだ。ということで、自民党でも主流派じゃなかった小泉純一郎や民主党に寝返った政治家、橋下のようなわけの分からないところから出てきた政治家はみな「ポピュリスト」ということで、批判の矢を射ろうとしているのだが、もうそんな矢を射てもそれは自らの陣営(自民党旧守派・官僚派)に当たるだけである。何故か。当然いまや選挙に勝つためには総ての候補者=政治家は、ポピュリストでなければならないからだ。

 問題は、その基本的な政治姿勢ではなく、当面の政策である。いわく「消費税をどうするのか」、いわく「原発をどうするのか」、いわく「社会保障(生活保護も含めて)をどうするのか」、いわく「……(各候補者によっての課題)」。

 本来は政治家の政治姿勢とか、政治にかくあるべしという思想とか、政治家としての生き方などを語るのが、政治であり選挙であるはずだ。それを短期的な「政策」や「政局」だけに絞ってしまったのが、日本の新聞メディアである。つまり、各政党の主張しているものを、「分かりやすく」図示したり、単純な色分けしたりしてきたのは、新聞メディアじゃないかよ。そう、これまでのメディアで一番最初に政治をポピュリズムの方向へ持っていったのは「新聞」である。言ってみれば、ラジオ(?)やテレビはそうした新聞が作ったポピュリズム路線を、もっと徹底的に、さらにメディアの特性を使って、もっとポピュリズムというかバカ化路線に持っていたのはテレビではありますがね。いまや、選挙特番自体がエンターテンメントになってしまった。

 まあ、讀賣系の日本テレビも含めて、いまやポピュリズム路線真っ只中のテレビ政論ではあるが、その大元が新聞にあることは理解されたとして、最後に結局、ナベツネさんは何を言いたいのかを理会したい。

 つまり、戦後最初期に日本共産党に入党した渡邉氏は、しかし『当時の共産党の綱領・政策に逸脱する社会民主主義的「東大新人会」を作ったところ、それが分派活動にあたるということで共産党を除名された』そうだ。とはいうものの、戦後期の日本共産党には同調していた訳であるから、なんとなく渡邉氏のスタンスとしては、基本的に「共産党の官僚が」社会を支配して、「共産党の官僚が」政治を動かして、というようなエリート官僚主義による政治・政策運営が一番いいという考え方なのだろう。そりゃあポピュリズムとは対極にある政治方法だ。つまり、中国や北朝鮮みたいな政治体制である。

 う~ん、そうかナベツネ氏としては中国や北朝鮮が魅力ある政治体制なんだな。まあ、確かに今の讀賣新聞の体制なんかは、権力批判を許さない、完全に北朝鮮だもんな。

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