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2012年7月 6日 (金)

『日本人は、なぜ世界一押しが弱いのか?』じゃなくて「世界一押しが弱いから日本人なのだ」

 アフリカで生まれた人類が東に行って、その押しの弱さから、どんどん東に追いやられ、ついにはアジア大陸の東にある細長い島にたどり着いて、もうこれ以上東にいけませんってなったのが日本人である、という考え方からすれば「日本人は、なぜ世界一押しが弱いのか?」という設問ではなくて、「世界一押しが弱いから、日本人になった」のだという設定になる。

『日本人は、なぜ世界一押しが弱いのか?』(齋藤孝著/祥伝社新書/2012年6月10日)

 そう齊藤氏の考え方の発想は逆なのだ。

 しかし、最近多い言論がこの「どうせ日本人は弱いんだから、弱いままでいいじゃない。このままガラパゴス化して、それこそ鎖国でも何でもしちゃえばいいんじゃない」という考え方と、「いやいやこれからの日本はどんどん開国して、グローバル化して外国にも出て行く、海外からも人を呼び込んでいくべき」という、攘夷と開国じゃないけれども、それに近い考え方だ。っていうか、何で今時また150年前の論争を繰りかえしているのだ。まったく進歩のない人たちだなあ、日本人って。

 で、齊藤氏のスタンスは鎖国ほど極論ではないけれども、、まあ元々押しの弱い日本人なんだから、あまり無理してアングロサクソンなんかと一緒になって戦おうとはせずに、その押しの弱さを生かして生きていきましょう、という発想である。

『日本民族としてのアイデンティティを捨てることで得られる利益を目指すのではなく、日本人として世界で勝負する道を目指すべきではないでしょうか。』として『ひたすらパスを回すサッカー』や、『美味しいものを求める進化の中で特筆すべきは、日本人の「やわらかいもの」を求める執念』、『小さいものの中に、いろいろな機能を詰め込む』という日本のお家芸、『日本人ならではの細やかさや工夫を重ねるまじめさが加わるという意味で、デザインという能力は、これから日本人が生き残っていくうえで、世界と互角に戦っていける数少ない分野』、『アメリカが押しが強いがゆえに築けないイスラム圏との良好な関係も、日本人の押しの弱さをもってすれば築ける』、『歴史的に見ても、はっきりした政治家ほど殺されやすい。大切なのは人も国も生き残ることです。直接の領土侵害は別として、世界一押しが弱い日本人が生き残るためには、イエス・ノーをはっきりさせず、「あの国はいつもオロオロしてはっきりしないな」といわれるポジションもいいのではないでしょうか』と結論付けるのである。

 たしかに、それは生き延びる方便としてはいいのかもしれない。しかし、それらは既に日本人がとっている政策・生き方なのである。そのような生き方をとっていても、なおかつ沈みゆく日本経済であり、自殺率の高さであり、政治の混迷なのであります。当然アングロサクソンと付き合っている以上は、押しの強い彼らのやり方をどこかで取り入れないとやっていけない。とするならば、むしろ日本のつき合い先をアングロサクソンからラテンあたりに変更したらどうだろうか。

 つまり、ギリシア、イタリア、スペイン、ポルトガルであり、そうしたラテン諸国の宗主的な立場にあるフランスである。フランスを除いて、それらラテン諸国はいまや経済が破綻寸前の状態にある。しかし、国民は国の経済が破綻しようが、国民は別とばかりに悠々と暮らしている。国が破綻したんならドイツかフランスの属国になっちゃえばいいんじゃない、俺らとはかんけいないもんね的な無責任な発想こそが、今の日本人に求められているのではないだろうか。そうすれば会社を潰したくらいで自殺なんかしなくてもいいようになる。同じ沈むのならアメリカ経済と一緒に沈むよりはギリシアやスペインあたりと一緒に沈むほうが楽しそうである。「日本もダメになっちゃったねえ」なんて言いながら、バルあたりでワインを飲んでいるほうが気楽でよさそうである。

 最後に、齊藤氏は「ゆとり教育」への批判を行う。『日本においては個性を最終地点に置いてはいけなかったのです。そんな「個性」という目指していけないものに振り回されてしまったというのが、日本のこの三〇年にわたる教育上の失策です』と。

 しかし、学生の学力低下はゆとり教育だけの問題ではないし、齊藤氏が問題視する『彼らはやる気がないわけでもないし、サボるということもしません。言われたkとはきちんとやろうとするのですが、やるのは最低限で、いわれたことしかしない子も多い』という現象もゆとり教育が原因ではない。『面白いから、好きだから、興味があるからということで、自分でどんどん仕事を増やしてしまい、やめようと思えば帰れるにもかかわらず、もうちょっと工夫したい、よくしたい、いいものを作りたいという人間が、結果的にいい仕事をする』というのは事実であるが、でも、そこまでやらずに適当に処理して家に帰ってしまうサラリーマンは、別にゆとり世代ではなくてもいたし、事実、おじさん世代でも多く見られる現象である。いわゆる「時間で働くサラリーマン」てね。

 だから、問題は「ゆとり教育」ではなくて、日本人の同質性・横並び意識に関するものなのである。あまり目立つことをやって周囲の人の妬みを買うのはいやだ、という意識。そんな意識がある以上は、ことさら頑張って自分の優秀性を人に見せることを嫌う一定の人たちは存在するのだ。勿論、そうじゃない人も一定程度には存在する。これらの人たちの存在率は別に「ゆとり教育」とは関係なく、多分昔から変わらないであろう。齊藤氏の一部の現象を捉えて全体に持ていってしまう言い方は、ちょっと変である。

 問題は「ゆとり教育」ではない。

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