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2012年6月 7日 (木)

『東京番外地』で一番気になった番外地とは?

 森達也氏とは以前一度会ったことがある。森氏がドキュメンタリー「A」を制作していた時期である。当時は共同テレビに勤務していたのか、既にフリーになっていたのかは覚えていない。いずれにせよ共同テレビからの出資や資金援助がない形でドキュメンタリーを作っていた森氏は制作費を私が所属する会社に出資してもらえないだろうか、という相談で私のところに来たのだった。

 企画には私自身かなり興味があったのだけれども、当時は外部からの持ち込み企画には出資をやめてしまった私の所属会社なので、残念ながら出資案件にはお断りをすることになってしまった。それでもなんとか完成した作品を見たとき、何故か敗北感に囚われた私なのであった。何故、出資のために奔走できなかったのだろう。

 まあ、当時の私と上司の関係論では、仮に奔走したところで、GOサインが出る可能性は極めて低かったのだけれども……。

『東京番外地』(森達也著/新潮文庫/2009年8月1日刊)

 そのドキュメンタリスト森達也が文章を書くに至った道程は本書に記されている。要は新潮社の編集者・黒づくめの土屋がインタビューを途中で打ち切って、森氏に自分で書くことを勧めたのだという。ま、面倒くさくなっちゃったんだな、土屋は。

 そしてその土屋を同行して、森氏が訪れて「番外地」とされた東京(東京都ではない)の15か所は以下の通り。

第一弾 要塞へと変貌する「終末の小部屋」→東京拘置所
第二弾 「眠らない街」は時代の波にたゆたう→新宿歌舞伎町とストリップ小屋
第三弾 異国で繰り返される「静謐な祈り」→東京ジャーミィ(モスク)
第四弾 「縁のない骸」が永劫の記憶を発する→浅草寺、観音前交番身元不明相談所
第五弾 彼らとを隔てる「存在しない一線」→東京都立松沢病院
第六弾 「微笑む家族」が暮らす一一五㎡の森→皇居
第七弾 隣人の劣情をも断じる「大真面目な舞台」→東京地裁
第八弾 「荒くれたち」は明日も路上でまどろむ→山谷
第九弾 「世界一の鉄塔」が威容の元に放つもの→東京タワー
第十弾 十万人の呻きは「六十一年目」に何を伝えた→墨田区横網公園、東京都慰霊堂
第十一弾 桜花舞い「生けるもの」の宴は続く→上野恩賜公園
第十二弾 高層ビルに取り囲まれる「広大な市場」→東京都中央卸売市場食肉市場(芝浦と場)
第十三弾 「異邦人たち」は集い関わり散ってゆく→東京入国管理局
第十四弾 私たちは生きていく、「夥しい死」の先を→多磨霊園
番外編   日常から遊離した「夢と理想の国」→東京ディズニーランド

「番外地」というのは「無番地」「無地番地」というのが正しい言い方で、要は地番、地名のない国有地や埋立地などでまだ地番が決まっていない場所のことだ。有名なのは網走番外地で正しい住所の呼び方は「網走市字三眺官有無番地」というのだそうだが、現在は地番があるようである。ただし、上記の15か所は総て地番・住所があり番外地ではない。

 とはいうものの、ここで番外地というのは、やはり東映映画『網走番外地』なのである。日本で一番脱獄の困難な刑務所といわれ、凶悪犯と政治犯が収容され、強制労働に就かされていたという、東映映画の『網走番外地』。

 しかし、ここでの番外地は簡単に「普通の社会」から赴くことができ、そして「外からその番外地に赴いた人は」簡単にそこから出てゆくことができる。そう、土屋と森氏も別にアポイントもとらず、何気なく訪れて、何気なくそこから立ち去り、居酒屋でいっぱい飲んでから家に帰るのである。そこには桎梏はない。

 ところが実は一番「桎梏」となるのは『第六弾 「微笑む家族」が暮らす一一五㎡の森』に住む「家族」だろう。憲法によって「象徴」とされてしまった家族。そう人間ですらない、象徴という存在。かつてロラン・バルトによって『いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である』と書かれた「番外地」。

 しかし、そこにも住所はあって「東京都千代田区一番地一号」だそうで、別にそこに住んでいなくても本籍地登録はできるので、そこに本籍地登録をする人は多いようだ。ま、別に千代田区役所に戸籍謄本の申請をするだけだから、どうでも良い話。

 問題は、彼らがその聖域から出ることはない、というか出られることもない。常に周辺には従者がいて、自由のひとかけらもない生活が死ぬまで続くのだ。それに比較すれば、我々の自由な生活ってなんだろう。法に触れさえしなかったら、何をしようと自由だ。どこに出かけようと、どんな服装をしようと、自由である。その自由を完全に放棄したからこそ得られる、安全で、安逸で、そして(見た目は)少しは贅沢な(本当はかなり贅沢な)生活。しかし、それは自ら選ぶことの出来ない人生の運命なのだ。

 がしかし、そんな生活を見て同情する国民もほとんどいないだろう。つまり、それは「国民統合の象徴」という存在なのだから仕方がないでしょう、という考え方。でも、それでいいのか? 日本国民でありながら、象徴であるから日本国民でないという存在を認めている日本国民って一体なんなのだろう。いやいや、そんなことを考え始めてしまったら収拾がつかなくなってしまうから、考えないことにしようってのが日本国民の考え方なのか。それが「国民統合の象徴」っていう存在に対する国民の考え方なのだったら、まことに残念な発想法である。「考えないことにするという考え方」なんてね。如何にも思考停止状態の日本人らしい考え方だ。つまり普天間基地の辺野古移転を、すでに「既決」のものとして扱っている民主党、自民党と同じ発想だ。それ以外の選択肢はないのか?

 いやいやいくらでもある筈なのだ。

 しかし、それをどこかで思考停止してしまい、その段階での考え方を一切変えようとしない固定的な考え方がこの国を覆い尽くしている感がある。そうじゃないんだ。いくらでも別の発想法があるでしょ。ということを考えなければいけない。

 そうしないと、日本という国もなくなっちゃうぞ。

 ま、別に私はそれでもいいけどね。

 

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