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2012年6月

2012年6月30日 (土)

『なぜマッキンゼーの人は年俸1億円でも辞めるのか?』

 まあ、さすがのマッキンゼーでも年俸1億円を取っている人は少ないだろう。しかし、そこまでいってしまえば、要は、年俸の大きさじゃなくて仕事に対する本人のモチベーションなのだろう。「年俸1億円の保証」と「年間で1万円稼げないかもしれない恐怖」がバランスが取れたモチベーションになるのだ。

『なぜマッキンゼーの人は1億円でも辞めるのか?』(田中裕輔著/東洋経済新報社/2012年6月28日刊)

 なんでこんなタイトルがついたのかと言えば、『コンサルタントとして生きたいか、経営者として生きたいか。僕にとってはこの答えは明確で、間違いなく経営者である。僕はたとえプロ野球の超一流選手並みの給与をもらえるとしても、参謀として一生を終えたくない。実行の主体者となりたい。』という終わりの一文から取ったものだ。そこはさすがに編集者、いいタイトルとつけたもんだが、その言い訳を著者の「はじめに」で書かれるのはどうしたもんかな。

 それはいいとして、基本的にコンサルタントの仕事というのは、他人の会社の経営に口を挟むことのだが、しかし、自らその経営に携わるわけではない。つまり、そのコンサルと一緒に経営を立て直してうまく言っても、それは経営者の勝利ではあるけれども、コンサルの勝利としては、社会的に認識されない。いわば、経営者の黒子である、というのがコンサルタントの宿命なのである。そんな、黒子に徹することを是とする人々がいるとして、しかし、特に若い人たちは黒子に徹することに我慢がならない。ということで、コンサルタント出身の起業家が多いのも事実だ。特に若い企業家がね。

 しかしじゃあ、その若い起業家が皆成功しているか、他人の会社のコンサルタントをしている時のように、上手い具合に自分の会社を成功に導いているのか、といってしまえば必ずしもそうではないといのが事実である。

 それは何故か。つまり、昨日書いたワイキューブの社長の話ではないが、やはり「自分の会社」意識があるから、そこで目が曇ってしまうのだろう。だとすると田中氏が共同創業者として始めた株式会社ジェイドとそのWebサイト「ロコンド」も創業が2010年10月だから、まだ1年半くらいしか経っていない。今はまだ会社が出来たばっかりの伸張期である。いまのところ、多分顧客からもポジティブな反応ばかりが多いだろう。しかし、あと数年経ってみると、その逆にネガティブな反応が出始めて、多分会社は伸張のための大事なステップを踏まなければならない段階になるのではないか。

 その時に、初めて田中氏のコンサルタント経験が生かせるのではないのだろうか。ただし、自分が創った会社を第三者的に対象化できればの話ではあるのだけれども。そんな意味では、この本を出すのは時期尚早だったような気がしないでもない。

 もうちょっと時期が過ぎて、「ロコンド」の初期成功と中期停滞を見てから、第二期成功を見てからだっていいじゃないか。田中氏としては、「ロコンド」を成功させたいからと言う理由で、自らピエロになってまで「ロコンド」の名前を浸透させるためにこの本を書いたのだろうけれども、しかし、東洋経済新報社としては、別に田中氏のビジネスを応援する気はなく、単に、いま面白い「ロコンド」をブランド化しようとしている経営者がいるってことだけで、これはオモシロい本が出せそうだ。おまけに創業者はマッキンゼー出身者とボストン・コンサルティング・グループ出身者だ。コンサルティング・ファーム両巨頭の出身者が作った会社がどうなるかということは、経済関係出版社としては、当然、メチャクチャ面白いネタでっせ、てなワケなのだ。

「踊るアホウに踊らされるアホウ(あれっちょっと違うかな)」じゃないが、踊らされるアホウとしては、自らがそんなアホウにされていることを充分理解した上で踊っているはずなんだから、その踊りが3年後にまさに裸踊りになっていることも承知のうえなのであろう。それでも、今はいい、という判断でね。

 最後に、この本を読んでの純粋な感想を言わせてもらおう。

 田中氏の経験は他にもかけがえのないものだろう。それは事実だ。しかし、その程度の経験は、多分他の会社(コンサルタントじゃなくても)でも経験できるものだ。MBA留学なんて経験は無理かも知れないが、それに代わるくらいの経験をさせてくれるのが日本企業なのだ。入社して数年くらいの若手社員に数千万から数億円のプロジェクトをやらせることもある。ただし、その場合は上司が必ず付いてきて、その上司が責任をとるという形でね。つまり、外資だけが若手にプロジェクトを任せる形じゃなくて、日本企業だって若手に大いにプロジェクトは任せているのだ。上司は「いやあ、自分じゃこんな感覚は分からなくて」なんて言いながら若手に任せて、責任だけ上司が取るという形でね。

 そうやって日本企業はここまで伸びてきた。その位の強さは日本企業にもあったし、いまでもその企業風土はあるのだ。もし、その企業風土を壊したのは誰かと言えば、実に「団塊の世代」なのだろう。いまや定年で、年金だけを貪っている。

 とは言いながらも、まだまだ日本企業の健全性は残っているのだ。そんなに「じゅっぱひとからげ」に日本企業がダメになった訳ではない。まだまだ元気な日本企業は多いのだ。ま、就活生さんたち、そんなに気にしないで日本企業を目指してください。勿論、外資もOKですよ。ということで、選択肢が増えただけのことでしかないのである。

 株式会社ジェイドとロコンドの成功を祈りますがね……。

 

 

2012年6月29日 (金)

『たかが英語!』でしかないのだよ、実際。

 企業がグローバル化を目指したとき、まず最初に手がけるのは社内の公用語を英語化するというのは当たり前の話である。

 楽天だってアメリカや台湾、タイ、インドネシアを始め、いまやフランス、ドイツ、ブラジル、イギリス、カナダなどの国々でビジネスを展開しているのである。三木谷氏自身が書いているように『もし、楽天を創業の1日目から英語化していたら、今の楽天はどうなっていただろうか。そんな疑問が頭をよぎることがある。おそらく海外企業の買収は今よりももっと早く、もっとスムーズに進んでいただろう。グローバル化もずっと前に実現していたはずだ』ということなのだ。

『たかが英語!』(三木谷浩史著/講談社/2012年7月1日刊)

 今から20数年前、カンヌの映像マーケットに言った際に会った、オランダで番組販売会社を経営するフィンランド人を話をしているとき、ふと疑問に思ったことを彼に聞いてみた。"What is your official languege?"と、フィンランド語なのかオランダ語なのか。とすぐさま返ってきた返事は"English"ということだった。ただし、「ただし、スタッフに内緒のことはFinishでね」という言葉を添えてね。当然、日本語なんかよりずっとマイナーなフィンランド語をオランダ人に話せなんていったら、その会社に入るオランダ人なんかはいないはずだ。当然、マイナー言語のフィンランド語しか喋れないフィンランド人なんていない。基本的にフィンランド人は英語とフィンランド語のバイリンガルじゃないと生き延びることすらできない。

 あれだけ自尊心の強いフランス人も最近は英語を話すようになっている。グロービッシュ(Globish=Global English≒Broken English)を提唱したジャン=ポール・ネリエールもフランス人だ。このグロービッシュによれば、語彙数は1500を使用する「言語」ではなく「道具」としての英語である。つまりまさに「ツールとしての英語」であるにすぎない。文化としての言語ではなく、単なる道具としての英語。楽天で使われる英語もこのグロービッシュに加えて、それぞれのビジネスシーン(eコマース、マーケティング、M&A、テクニカルなどのそれぞれの人の専門分野)におけるそれぞれの専門用語が加わるだけである。となれば、こんなに楽な言葉はない。いわば、記号としての英語と言うものに過ぎない。

 もともと、日本語や中国語、フランス語やラテン系言語に比較してことさら記号化しているアメリカ英語である。そんなのはうまいへたなんかを気にしないで、どんどん喋ってしまったほうが勝ち、なのである。

 以前に書いたことがあるが、私の英語も基本的に赤坂のバーで覚えた「酔っ払い英語(Drunk English)」がベースになっている。いまから40年近く前、当時はまだまだアメリカが強くて日本は今まさに高度成長の真っ最中の時代である。赤坂あたりのバーでは、当時の最強国アメリカから東京に出張できたサラリーマンで近辺のホテルに宿泊していた男たちが、多くしょざいなさげに屯していた。そこに顔を出した頓馬な若い日本人のサラリーマンが私で、夜な夜なそんな寂しいアメリカ人の相手をしながら酒を飲んでいた。ところが、どうせイイカゲンな英語しか喋れない頓馬な若い日本人のサラリーマンの英語が、所詮、仕事に疲れた単なるオジサン相手には普通に通用するのである。まあ、その辺で私の英語コンプレックスは吹っ飛んだのであります。

 となれば変なもので、その後のアメリカでの映画の英語吹き替え作業やら、アメリカ人との映画の開発作業なんかもまったく不自由しないで行えるようになったのだった。まあ、慣れと度胸ですね。英語なんてものは。ただし、私のTOEICスコアは当時も今も、多分300点台くらいのものですがね。

 一方、『グロービッシュの提唱者であるジャン=ポール・ネリエールによると、グロービッシュを話すことは、英語による文化的な侵略から自分たちの言語や文化を守ることにもなるという。母語である日本語の修得も大事である。話す内容を持つことも大事である。同時に、今後否応なくさらされるであろうグローバル競争においては、ビジネスツールとしての英語力を持つこともやはり大事なのである』ということである。問題は、「英語」なのではなく「事業のグローバル展開」なのだ。そこで必要なのは、英語力だけではない、日本文化を海外へ開陳する英語力が必要なのだ。

 2010年には1億2800万人だった日本の人口は、2050年には9500万人になるという。そんな急激なマーケットの縮小の時代に、これから企業を伸張させようと思えば、それこそグローバル展開しか方法はない。ここでいうグローバル展開とは、日本から海外へ打って出ることだけではない。逆に、海外から人材を導入することも重要なことになる。その際に、「日本に来るんだったら日本語をマスターしろよな」なんて事を言ってしまったら、それこそ世界中の頭脳を集めて発展するシリコン・バレーに勝つことはできない。いまや、世界中のビジネスシーンでの基本用語は英語である。だとしたら、「いやいや英語で話ができればOKですよ」という態度でいなかったら、ますます日本は世界から取り残されてしまうのだ。

 とりあえず、ここは世界の趨勢にあわせて日本も英語化せざるを得ないのである。もはや、内需の国ではないのだからね。

 ということで、7月1日からは楽天は全ての社内の言葉が英語になる。そこで、どんな世界が展開されるのであろうか。

 楽しみである。期待も大きい。

2012年6月28日 (木)

『私、社長ではなくなりました。』って、当たり前でしょ。こんな惨状を作ったんだから

 って言うより、この人「会社ごっこ」「社長ごっこ」をやりたかだけじゃね? というのが最初の読後感である。だってさ……。

『私、社長ではなくなりました。 ワイキューブとの7435日』(安田佳生著/プレジデント社/2012年3月1日刊)

 だってさ、なんで『名古屋支社をニューヨーク風に、次に福岡支社をバリ風に、そして大阪支社をメキシコ風に』して、東京の本社オフィスを『入口を入ってすぐの場所にカフェスペースやワインセラーを設け、床面には大理石を敷き詰めた。一般の人がお店と間違えて足を踏み入れることもあった』なんてオフィスを作る必要があるんだろう。『社員のモチベーションを上げるための福利厚生の一環だった』というのはウソだね。まさにここに売上数十億円、社員一人当たりの売り上げがたかだか一億円程度の中小零細企業でしかなかったワイキューブを、数千億、数億の売り上げを持つ大企業であるように錯覚してしまった、安田氏の「素人経営者ぶり」が見事にあらわれているのではないか。

 そんな「贅沢」は、もっともっと売り上げが多く、社内留保の大きい会社がやることである。しかし、当時のワイキューブには「社内留保」なんてものはほとんどない状態で、そうした「贅沢」も結局は銀行からの借入金を費やしていたわけだ。こうしたオフィスの作り方で言えば、よく引き合いに出されるのがグーグルのオフィスであろう。たしかに、そこは遊園地かと見まごうグーグルのオフィスは、レストランなんかも普通のアメリカン・フードだけじゃなくて、オーガニック・フードや日本食まであって、それがすべて無料で供されるというので、日本企業もいろいろ見学にいっているようだが、しかし、それはグーグルの猛烈な働き方(働かせ方)との相関関係なのだ。つまり、家に帰って通常の家族と一緒のディナーをとる時間もないほどに働かされるグーグルである。その代わりグーグルは基本年俸制の会社だから、残業代なんてものはない。上から与えられた(あるいは上申した)ミッションを予定通りこなすためにはいくらでも会社にいたままで、残業代もないままに仕事をしなければならないのだ。で、そのための「福利厚生施設」ってわけなのですね。これはグーグルがお手本にしたアップルも同じ。つまり、福利厚生施設が充実しているというのは、その裏側にそれだけ沢山働かなければいけないという企業風土があるっていうことなのだ。

 まあ、そこからすれば日本の出版社なんかは福利厚生面では最低ですけれどもね。とはいうものの、日本の出版社員(典型的な中小企業従業員)は逆に、そんな会社の福利厚生施設なんかのお世話になるのはいやだってなもんで、皆外に行ってしまうから、まあいいのか。

 問題は、ワイキューブという会社がそれだけのアメリカの会社のような厳しさで経営をしていたのかどうかというところだけれども、どうもそれは本書を読んでいても感じられない。多分、経営的な面では日本風、福利厚生ではアメリカの一部会社風だったんじゃないかな。それでは、企業風土っていうものが作れない。

 安田氏はリクルートの出身だ。リクルートと言えば、東大新聞の広告部長をやっていた江副浩正氏が「売り手市場の東大生」をバックに、企業から募集広告を集めていて、それがきっかけでできた会社である。そこから「就職情報は金になる」と考えた江副氏が始めたリクルート。私が就活で行った時に感じた「なんか違う」感は安田氏の時にも変わっていないようで、基本的な「体育系体質」の会社であることは同じなようであるようだ。

 であるならば、そんなリクルートとは違う分野で起業すればよかったのに、結局、リクルートと同じ分野で起業してしまったところに、安田氏の敗北の原因があるのかもしれない。結局、リクルートのビジネスモデルを中小企業向けにリデザインするだけで立ち上げてしまったワイキューブなのである。それはあまりにも「安易」でしょ。それでいて、「大企業の真似」をしてしまった安田氏。これじゃあ、やっぱり「会社ごっこ」「社長ごっこ」と言われてもしかたがない。

 というか、こういう(超アマの)人でも社長になれるんだ、ということでは若い人には(俺も社長になれるかもしれない、ということで)希望の星なのだ(ってのは嘘々)。

 まあ、キャシュフロー経営ってのは、起業したての会社では仕方がない。しかし、同時に、ストックを順次考えていくのが普通の経営者である。とにかく、借金は投資に回すべきで、そこからなにものをも生み出さない福利厚生に回すのは、普通の経営者ではありえないことだ。福利厚生が社員に対する投資である、なんてことが書いてある経営学の教科書は、世界中を探したってある筈はないのだ。多分、社員自身がそんな会社の経理状態なんかはわかるわけはないから、福利厚生施設が会社の足を引っ張ることになるなんてことは考えていないはずだ。多分これは会社が儲かっているからやっていることなんだろうな、という風に理解する筈だ。とすると、この経営者は二重に社員を裏切っていることになりはしないか?

 というわけで、ワイキューブが倒産(民事再生)してしまったのも、やむを得ざることだと私なんかは思うのだが、じゃあ、さてそんな状況に陥らない方法はあったのだろうか。

 結局、やはり安田氏言うところの「福利厚生」に問題は集中してしまうのだけれども、それだけじゃない問題もありそうだ。

 要は、安田氏が「新しいビジネスモデル」を作っていなかったことなのだろう。結局、リクルートの後追いをしながら、社内的にはリクルート以上の環境を作っただろうが、ビジネス的にはリクルートを越えるビジネスモデルを作れなかったことが、基本的な問題なのである。

 じゃあどんなビジネスモデルがいいかって分かるかって? 分かってたら今頃は既に起業してるわぃ。

2012年6月27日 (水)

『Think Simple』ったって、それはジョブズだから通用した、中小企業の経営方法である

 ふうん、この人があの「iMac」というコンピュータの名付け親だったんだ。

『Think Simple アップルを生み出す熱狂的哲学』(ケン・シーガル著/高橋則明訳/林信行監修・解説/NHK出版/2012年5月25日刊)

 ということで、スティーブ・ジョブズがアップルに戻ってきて一番最初に手をつけたのは、製品ラインナップを「シンプル」にしたことだった。当時、Quadra、Performa、Macintosh LC、Powerbook、Power Macintoshなどのラインナップがあって、それらのどれがどんなユーザー向けの商品なのかが分かりづらかったアップルの商品群を、ノートとデスクトップをそれそれコンシューマ向けとプロ向けの4種類にして、ユーザーが自分が何を選べばいいのかをはっきりさせたことだろう。つまり、iMacとiBook、Power Mac G3とPower Book G3の4種類でなおかつ、製品名を聞くだけでコンシューマ・モデルなのかプロ・モデルなのかが分かる仕組みである。つまりそれがThink Minimalということであろう。さすがにそれはシンプルさの極みではある。

 いくつかこれはそうだよな、と思う点はあるものの;

『すばらしい会議の実践法
1.出席者は最小限にする。
2.三十分以上続くときは退席する。
3.会議で使った時間を埋めあわせるべく、その日に何か生産的なことをする。』

 というのは、しかし社長しか使えない手だし、

『プロジェクトの成果の質は、そこにかかわる人間の多さに反比例する

 プロジェクトの成果の質は、最終的な意思決定者がかかわる程度に比例する』

 というのも、その「最終決定者」が社長なら当たり前の話だ。

 アップルと同じコンピュータ・ジャイアントのデルとの比較も面白い。

『アップルは、一九九七年にブランド確立キャンペーンを作りはじめた。
 デルは、二〇〇八年にブランド確立キャンペーンを作りはじめた。

 アップルは、すぐにキャンペーンを始めたがった。
 デスは、数ヵ月間のスケジュールをじっくりと練った。

 アップルでプロジェクトチームを率いたのはCEOだった。
 デルでプロジェクトチームを率いたのは委員会だった。

 アップルは、有能な少人数のグループを信頼した。
 デルは、対立する人々が集まった小さなグループを信頼した。

 アップルは、自分が何者かわかっていた。
 デルは、まず自分が何者かを知る必要があった。

 スティーブ・ジョブズは積極的に関与した。
 マイケル・デルはプロジェクトが完成したときに見る予定だった。

 アップルのブランドチームは、CEOの承認を得るだけでよかった。
 デルのブランドチームは、各部門の承認を得なければならなかった。

 アップルは、一ヵ月でキャンペーンを考えて作りあげた。
 デルは、戦略を話しあうだけで一ヵ月かかった。

 アップルは、Think differentキャンペーンを完成させた。
 デルは、大量のプレゼン用のパネルを完成させたが、それらは暗いロッカーにきちんとしまわれた。』

 という比較は、だからアップルが優れていて、デルはダメなんだという証拠にはならない。勿論、その結果、アップルのブランドキャンペーンがデルよりも優れたものになったであろうこれども、だからといってそれがアップルのほうがデルよりも優れた会社であるということにはならないのだ。言ってみれば、それは企業風土の違いでしかない。

 一方、アップル社はいまや60,000人を超す従業員を抱える大企業である。最早中小企業ではないアップル社で、スティーブ・ジョブズのシンプルに考える方法がどこまで通用するのかという問題がある。ジョブズ自身もアップル社のトップ100人くらいしか付き合っていなかったというわけなので、その中ではシンプルさが通用するだろうが、結局全社でそれが通用するかどうかはわからない。さらに、いまやジョブズなきアップル社がどれほどシンプルさを実行できるかどうかは、もっとわからない。

 つまり、こうしたシンプルさで会社を運営できるのは、会社が小さなときか、あるいはリーダーの力が圧倒的に強く、なおかつそのリーダーが会社のいろいろな部分に首を突っ込める状態のときまでなのだ。

 では、今のアップル社はどうなっているのだろうか。ティム・クックのアップル社が今後どうなっていくのかは、いまだに見えない。クックがジョン・スカリーやマイク・スピンドラー、ギル・アメリオのようにならないという保証は、今のところ、ない。

 

2012年6月26日 (火)

ラクロスも春シーズン終了! 前期試験に突入だ!

 6月24日には大井第二球技場で全国ラクロスプレシーズントーナメントの決勝戦が行われた。

 プレシーズントーナメントというのは読んで字の如し、秋の学生選手権に向けた予備戦のようなもので、各大学とも3・2年生が中心の新人戦あるいは1.5軍戦のようなものと考えればよいだろう。第1戦目は女子の決勝戦が行われ、一橋大学が明治学院大学を8対4で破って優勝。第2戦の立教大学対日本体育大学の決勝戦が行われた。2012_06_24_248_2
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 コンタクトが禁じられている女子ラクロスとは違って、コンタクトOKの男子ラクロスはまさにチャンバラで、かなり激しい殴り合いが見られる。ヘルメットやプロテクターをつけているとはいえ、プロテクターのないところも殴ってOKなんだから、かなり痛いとは思うのだが、選手は平気なようである。まあ、若いから出来るスポーツですね。

 で、結局は立教大学が6対5と接戦を制して優勝。実行委員長が日体大の学生なので、日体大としては絶対優勝したいところだったのだろうけれども、惜しくも敗れるという結果になってしまった。

 この結果が秋の大学リーグ戦にどのような状況を呼ぶのだろうか。まだまだ、夏合宿があるので何とも言えないが、一昨年一部から二部へ降格、昨年は二部残留の立教大学にとっては、幸先の良いスタートになったのではないだろうか。

 ま、あとは前期試験ですね!
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Nikon D7000 AF-S Nikkor 70-300 @Ohi (c)tsunotomo

2012年6月25日 (月)

MOMAデザイン・ストアで「もじバケる」展

 原宿にあるMoMA DESIGN STOREで「超変換!! もじバケる」展を開催中だ。といったって、私も原宿にそんなショップがあることすら知らなかった。

 要は、ニューヨークのMoMA(ニューヨーク近代美術館)のスタッフが世界中を歩いて、そこで気になる「超高感度」の品物を売るお店、というもののようだ。したがって、そこで売られているものがMoMAの展示とは、必ずしも関連がない。2012_06_22_013_2

 で、今回の「超変換!! もじバケる」展は、今年5月にバンダイの食玩「もじバケる!」が、なんとMoMAの永久収蔵品になったのを記念して行われたものだ。「もじバケる!」はバンダイとメガハウスが開発した、漢字型の商品が、変形してその漢字の動物そのものの形になるという商品。「漢字を遊びながら覚えられる知育要素」というのはバンダイの自画自賛だが。まあ、取り敢えずはそれを受け容れておこう。

 多分、食玩がMoMAの公式収蔵品になったのは初めてじゃないだろうか。そのくらいニューヨーク近代美術館のユーモア感覚が優れているというべきものじゃないだろうか、というほうがバンダイより優れているんじゃないか。日本の美術館でこんなものの展示や収蔵を聞いたことなんかないもんな。
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 で、その「超変換!! もじバケる」は1~5期まで全126種類の展示と、今生きている商品の販売である。ここは「STORE」なのだから、販売が主目的であるのは当然のことで、十種類くらいの「超変換!! もじバケる」商品が販売されていた。

 勿論、私も買いましたって、それは当然「馬バケる」と「鹿バケる」と言いたかったんだけれども、残念、「馬」がなかったんだよね。残念! ま、おやじギャグにはならなかったけどね。
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 で、こんなトイカメラなんかもMoMAのキュレーターの目には引っかかったのかなあ。だとすると、日本にはもっともっと面白い商品がいっぱいある。今後MoMA DESIGN STOREで販売される商品はどんどん増えていくだろう。
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 で、「超変換!! もじバケる」展は7月11日まで開催中。

 MoMA DESIGN STOREは、原宿表参道のラルフ・ローレンの前。1階にブルガリとシャネルのあるビルの3階にある。
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Fujifilm X10 @Harajuku (c)tsunoken

2012年6月24日 (日)

『東大WARRIORS』春シーズンは終わったが、課題はひとつだけ

 昨日は、東京大学WARRIORS対防衛大学CADETSのアメフトの定期戦があり、2012年春の東京大学の試合予定はすべて終了。東京大が勝つには勝ったが、いろいろ課題の多い今年の春シーズンではあった。

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 基本的には27対9で勝ったんだけれども、本来であれば関東1部リーグ中位に属する東京大と2部リーグの防衛大である以上、ここは8タッチダウン位をとって50点ゲームくらいにしないといけないところだ。しかしその半分の27点しか獲得できなかったということは、オフェンス陣の大きな課題であろう。更に言ってしまえば、最初のタッチダウンは防衛大学のもの。つまり、東京大学はせっかくの試合開始レシーブを選択したにも関わらず、そのシリーズを1・2・3パントで終わられてしまい、その裏側で、防衛大に先制タッチダウンを許してしまったのだ。この、いつもの試合で見られる「立ち上がりの悪さ」がなかなか直らないというのが、今年の春シーズンの東京大学だ。この辺、先制タッチダウンを許しても、その後すぐにタッチダウンを奪うような立教大学あたりとの違いがある。

 多分、これはメンタル部分での問題なのだろう。どうも東京大学は先制タッチダウンをとられてしまうと「今日はダメかな」という気分がよぎってしまうのではないだろうか。それが、その裏ですぐにタッチダウンを奪えない原因のような気がしてならない。そう、東大生よお前らは考えすぎなのだと思う。もっと頭を単純にして「奪われたら奪い返す」という形で、すぐにタッチダウンを奪い返せばいいのだ。

 ごく普通の試合づくりをやればいいのだ。が、どうも東大生は物事を複雑に考えすぎる。たまたま、相手のチームの考えが当たってタッチダウンになったとしても、そんなことは1回だけのことなんだから、そんなことは気にしないで、その後は頭を切り替えてゼロから作戦を組み立てればいいのだろうけれども、どうも東大生にはそのことがトラウマのように残ってしまうのだろうか。まあ、その辺がいかにも東大生っていうか、日本の支配階層に属する官僚の発想というか、要は前例主義ってやつでしょ。

 そんな前例は無視して新しいビジネスを興そうって時に、いやいややはり前例でしょっていう東大生なのだ。バカですね。

 とにかく頭を如何に切り替えて、新しいビジネススタイルに持っていくか。如何にして、新しいビジネスモデルを見つけていくか。如何にして、今までにないスタイルのビジネスを起業していくのか。というもろもろのことが重要なのだ。

 まあ、昨日の相手は日本で一番アタマの固い防衛大学だから良かったが、秋にはそんな東大生よりもずっとアタマの軟らかい大学との試合が待ち構えている。

 この夏の、あるいは夏合宿のテーマは決まった。「柔らかアタマを作ろう」である。

 果たして「柔らかアタマ」はでできるんであろうか? 無理かな?

Nikon D7000 AF-S Nikkor 70-300 @Yokosuka (c)tsunotomo

2012年6月23日 (土)

『東京シャッターガール』でやっちゃいけないひとつのこと

 昨日は会社をサボって(と言っても休暇届けは出していますが)、一日中ノマドをしていた。な~んて言っても、別にノマドで仕事をしていたわけではない。単にわけあって一日中外にいて、コーヒーショップでパソコンを叩いていたにすぎない。まあ、気分だけのノマドね。

『東京シャッターガール』(桐木憲一著/にちぶんコミックス/2012年2月1日刊)

 最近はカメラ女子というのがはやりなのか、デジタル一眼もそうだが、アナログ一眼レフなんかを下げて街を歩いている女の子が目につく。この『東京シャッターガール』の主人公、夢路歩もそんな女子高校生である。ところが持っているカメラがシブい。最初はコンタックスⅢAあたりかなと思っていたら、コンタックスのコピー機であるキエフだそうな。最早、製造されてから60年以上経っているカメラである。オリジナルのコンタックスだろうが、コピー機のキエフだろうが経年変化は変わらず、どちらもいまだに壊れないでいる個体は珍しい。コンタックスの場合、その縦走り鎧戸型シャッターが大体壊れる筈なんだが、その辺どうなんだろう。第1話に露出計の扉を開けて撮影しているコマがあるが、多分この当時のセレン式露出計は既に動いていない筈なので、これは気分だけ。露出はヤマ勘でやっているのだろう。むむっ、お主、できるなっ!

 首から下げている皮ケースは、撮影時にはそこからカメラを取りだしているので、いわゆる速写ケースではない。

 ただし、そんなクラシック・カメラが登場する割には、この漫画はカメラについての「蘊蓄」は一切なしなのだ。むしろ、撮影する東京の様々な場所のほうが気になるのだ。

 撮影する場所は;

第1話 東京スカイツリー/第2話 築地・魚河岸/第3話 神田・万世橋界隈/第4話 田端文士村/第5話 等々力渓谷/第6話 本郷・樋口一葉住居/第7話 小名木川/第8話 椎名町・トキワ荘があった場所/第9話 江戸川乱歩旧宅跡/第10話 谷中・夕焼け段々/第11話 浅草羽子板市/第12話は高校の暗室なので撮影はなし/第13話 東京大神宮/第14話 吉野梅郷/第15話も卒業式の“銀塩流し”なのでここも撮影はなし/第16話 浅草流鏑馬/第17話 稲城・弁天洞窟/第18話 旧古河庭園/第19話 両国川開き/第20話 西荻窪・骨董街/第21話 都電荒川線・荒川車庫/第22話 城南島海浜公園/第23話 池袋モンパルナス/第24話 世田谷ボロ市/第25話 椎名町・東京写真工芸社

 という具合。何話かに1回は扉にクラシック・カメラが登場するのだが、お話はそのカメラにまつわる話ではなく、相変わらず女の子はキエフで撮影を続けている。

 等々力渓谷、吉野梅郷、世田谷ボロ市、稲城・弁天洞窟、西荻窪・骨董街の5ヵ所を除くと大体が東京の東側、下町が多い。それだけ撮影場所としては東京の東側、下町が撮影対象が豊富で写欲をそそるものがあるということなのだろう。西の方でも山の手や都心はなく、みな下町的なところか、町はずれ。つまり残念ながら、東京の山の手にはあまり写欲をそそるものがないということなんであろう。私も特に撮影テーマを決めないで撮影に行く場合、どうしても下町に行ってしまう。何故なのだろうか?

 多分、多くの東京人にとって、山の手、都心は仕事に行くところ、自分が住む所とは関係ないところ、というイメージが強いのであろう。山の手は昔侍の町だった。そんな侍・上流階級に対する嫌悪感もあるのだろう。そこへいくと、下町は我が住む街、人々が生き生きと働く町、もともと江戸の町を作ってきたのは下町に住んでいる、職人、大工である。侍ではない。ということで、写真職人たちは自分の好みの町としての下町に親しみを持つのである。

 そんな下町指向のこの漫画が、オヤジ向けの『週刊 漫画ゴラク』に連載されているというのもよくわからないが、こんな可愛い女子高校生がキエフなんてマニアなカメラを持って撮影行をしているなんて、最近のちょっとレトロな銀塩写真ブームがかなり本物になってきているような気もするのだ。

 さて、私も久しぶりにライカを持ち出して写真を撮りに行こうかしら。ただし、あの36カット撮ったらフィルムを入れ替えなければならないという、写真の儀式がどうにも億劫になってきているのも事実である。人間ラクに慣れるのは早いもので、何100カットも一遍に撮れてしまうデジタル・カメラの便利さにくらべるとねえ。

 さて、この漫画の面白さを取り上げるのはいいが、ひとつだけ気になることがある。第15話の「銀塩流し」である。当然これは、テレビドラマにもなった岐阜県高山市の斐太高校の「白線流し」に材をとったものであることはよくわかるのだが。しかし、その年に撮ったネガ一枚をハンカチに包んで川に流すというものだが、川に化学処理をしたフィルムを流しちゃダメでしょう。河川の汚染を肯定するようなこのエピソードだけはいただけないな。

 他は楽しいお話ばかりなんだけれどもなあ。ひとつだけ、残念なエピソードだ。

 

 

 

2012年6月22日 (金)

『高城剛と未来を創る10人』よりも、高城剛の生き方なんだ

 ところで、高城剛さんって「ハイパーメディアクリエイター」って肩書きを辞めたのかしら。この本では「映像作家・DJ・文筆家」という、ごく当たり前の肩書きになっている。

『高城剛と未来を創る10人 対話から見えた、その先の世界』(高城剛著/アスキー新書/2011年12月10日刊)

 そんな高城剛氏と対談した10人というのは、テレビ・ディレクター兼プロデューサーのテリー伊藤氏、ギャル革命の藤田志穂氏、CG漫画家の寺沢武一氏、武道家の三枝龍生氏、慶大教授の金子勝氏、ミュージシャンの中田ヤスタカ氏、カシオのG-SHOCK開発者の伊部菊雄氏、編集者の筈がいつの間にかフォトグラファーになってしまった米原康生氏、元AV女優で今は一般社団法人つけなアカンプロジェクト代表の紅音ほたる氏、書評家兼インタビュアーの吉田豪氏の10人。

 それぞれ、今までの基準で言ってしまうと「何が本当の職業かわからない」人たちなのだ。やっている仕事の境界線がきわめて曖昧、きわめてボーダレス、アマチュアなのかプロフェッショナルなのかの決め手もきわめて曖昧な人たちである。つまり、それがこれからの時代の本線の生き方になるであろうということ。「〇○やって、ん十年」なんていう昔風のプロフェッショナルの作り方からはまったく自由に、ある日気がついたら「そのこと」をやっていたり、「いつのまにか」「なんとなく」そのことで稼いでいたりする人たちなのだ。これが21世紀風のプロフェッショナリズムのあり方なのかも知れない、っていうかプロフェショナリズム自体がだんだん薄れてきて、以前はプロフェショナルでなかったあり方が、現在では「それでもプロフェッショナル」になりうる時代なのかもしれない。

 この対談は基本的に高城氏のインタビューという形式なんだけれども、実際には高城氏の「自分なりの世界観の提示」なのである。つまり『二十世紀前半、第二次世界大戦までは、「大衆の時代」と言われていました。王侯貴族が支配した十九世紀から、民主化運動を経て、その時代は大衆のものだったと思います。その後、第二次世界大戦を経て二十世紀後半は、「企業の時代」だと思います。そして、これからの二十一世紀前半は、「個の時代」であり、多くの社会問題は「企業の時代」から「個の時代」への移り変わりに伴う軋轢によるものだと思います』という世界観だ。

 そんな「個の時代」における生活観として高城氏が推奨するのが、南ヨーロッパでの生活なのだ。南ヨーロッパ、つまりギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルという、いまや国家経済が破綻寸前というか、実は既に破綻しているんじゃないか、それを実体化したくないので、単に「破綻の先延ばし」をしているだけじゃないのか、という国々での生活である。何故か。それは、それぞれの国々では、「国の経済は破綻しているかもしれないが、国民はそんな国に暮らしていても充分幸せを感じている」ということなのだ。

 日本では、日本経済の失速状態とともに国民自身の考え方が次第に閉塞状態になってしまい、自殺率も上がるし、うつ病にかかる人もうなぎ上りに増えている。日本では、戦後の高度成長期の考え方が今でも生きているために、「お金がないことが不幸せになる」という考え方が支配しているが、南ヨーロッパの国々では「お金がないこと」と「不幸せ」が結びついていないのである。この「お金がないと不幸せになる」という日本の考え方と、「お金がなくても幸せ」という南ヨーロッパの考え方の違いを知り、なぜそうなのかを知るために、高城氏はスペインに住んでいるのか。ただし、お金を稼いでいるのは、基本的に円高の日本であるのだから、これは最強の組み合わせですね。

 そうか、「日本で稼いで、南ヨーロッパで暮らす」というのが、いまや最強の「個の生き方」であるならば、じゃあ皆そうやって生きればいいじゃないかよ、ってそうはいかないから皆困っているのである。日本で稼いだ分は日本で消費しなければいけない、というのが大半の日本人の生き方である。

 ただし、ひとつだけそんな日本にいながら「個の時代」を生きる方法がある。

 つまり、それは自分で起業してしまうという生き方である。二十一世紀が「企業の時代」ではないと考えるなら、あとはその中で生き抜こうと考えたら、個人で起業するという方法論が一番なのであろう。最早、大企業に就職したって、その会社が30年後にどうなっているかは予想できない時代である。年功序列賃金制度だって、いまはほとんどの企業で実質なくなってしまっている状態だ。

 そんな状態の中で、学生が就活することが実はリスクを背負い込むことなのだ、ということを教える大学のキャリアセンターなんてないのは不思議だ。むしろ大学キャリアセンターは起業をこそ学生に薦めるべきで、大企業に就職することはかえってリスクテイクなのだということを教えるべきではないのか。能力のある人には起業を、ない人にはしょうがないから就職を、というのが現在の本来のキャリアセンターのあり方である。親も、大学の就職率なんかをみて自分の子どもの大学選びなんてやめた方がいい。

 むしろ、才能のある子は「旅をさせよ」である。

 なあんてことを、37年も企業に勤め、もうすぐ定年の男が書いているわけだ。矛盾だなあ。しかし、37年前ではまだ「就職」が普通だったんだよな。しかし、今の時代では、「起業」の方が正解だと思うのだ。

 ゴメンなさい。

2012年6月21日 (木)

『バカヤロー市議会議員』と言っても変わらない地方議員はヤメろ

 本当にこんな市議会議員ばっかりだったら、それこそ「バカヤロー市議会議員」なんだが、実態はかなりそれに近いようだ。

『バカヤロー市議会議員 アナタの町にもいる妖怪政治屋!』(川名雄児著/晋遊舎新書/2012年5月10日刊)

 著者の川名雄児氏はフリーランス・ライターである。ということで「プロの市議会議員(って、そんなのいるのかね)」ではないということもあって、割と好きなことを言っている&やっている、という感じだ。

 しかし、議員の仕事は次の選挙で当選することだというのは、国会議員から末端の地方議員まですべて同じというのが、基本的におかしいのだなあ。国会議員の場合は、議会や予算委員会なんかはテレビ中継があるから、そこで活躍したというのが次の選挙で有利に働くわけなので、それなりに「国政に一生懸命になる(という姿勢だけでも見せる)」ということなのだろう。しかし、地方議員の場合は議会がテレビ中継されるなんてのは都議会くらいのもので(MXテレビでやってます)、それ以下の地方議会なんかはテレビでの中継なんかはないから、実際にはかなりいい加減な態度で議会に臨んでも、そんなことは自分の支持者には分からない。ということで『議会は「八百長」と「学芸会」』『討論という名の「いうだけ番長」』『そもそも議会は議論をすることを考えていない』『議員の賛否はわからない』『市民の話に耳を貸さない議会』というテイタラクになってしまうのだろう。

 そこで、北海道の栗山町というところで議会基本条例というものが2006年に施行されたという。この「栗山町議会基本条例」の全文を読んでみたのだが、なんともはやという感じなのである。ここでは川名氏のまとめを本書から引用する。

・議会は公正で透明性と信頼性を重んじる
・議員同士で議論をする
・町民の課題意識を把握する
・個別利益を求めるだけでなく町民全体の利益になるように行動し、説明責任を果たすのが議会である。

 というものである。

 なんだこりゃと思った方は普通の感覚を持った方である。だって、こんなことは当たり前でしょ。ところが、こんな当たり前のことを再度確認しなきゃならない地方公共団体、つまり各地方での議会基本条例を施行したところが、県で9か所、政令指定都市1市、市町村で59か所もあるのだ。これじゃ子供の学級会だ。まったく議員諸氏って議会が何のためにあるんだってことが分かっていないようだ。こんな条例を定めないと議会が活性化しないような状態で、なんで地方分権なんてことが言えるのだろか。

 それでなくとも、東京都を除けば地方公共団体の予算は減ってきているわけで、そんな状況のなかで市民に気持ちよくなるような施策は減らさなければならなくなってきている。道路だって新しく作るわけにはいかないし、施設だって既存のものを流用して作るようなことになるだろう。いずれにせよ公共事業予算が減ってきている中での新規事業ということになれば、厳しさは増してくるわけで、そんな厳しさをもって地方議員は活動しなければならないわけだ。日々接する支持者との間でそんな厳しさを持って付き合っていかなければならない。そんな厳しさをイイカゲンな地方議員が実施できるのであろうか。まあ、多分この稿の前半で言ったような地方議員では無理だろう。要は、彼らは議員という場所に安住して「何もしていない」のだからね。このブログを読んでいる皆さんも、一度でもいいから市議会、区議会なんてものを傍聴してみればいいと思う。その「ヌルさ」加減は半端じゃないのである。本当にこんな奴らに地方自治(ってものがあればいいのだが、実際にはまったくないに等しい)を任せていいのか? ってなもんだ。

 本当の地方分権をするならば、その厳しさを持って活動してはじめて地方分権が可能となるのであり、国の改革が可能となるのである。でなければ、地方は地方のまま中央の言うことだけを聞いている「地方分権」にしかからないのだ。ただし、おおかたの地方議員はその方が自分にとってラクだと考えていることも事実である。問題はそこなんだけれどもね。

 川名氏は最後に書く;

『地方議会の実態は、制度的な課題や選挙制度など、いろいろな要素があって現状のようになってしまっている。だがそのような言い訳はせず、実態に気づき、地方議会や議員の仕事を変えようと議会改革を始めている議会は少数派だが増えてきている。この流れが全国の地方議会に広がれば、これまでの地方議会とはまったく変わることになる。
 議会と議員が本来の仕事をすることで必要と認められるようになれば、議会こそが住民の代表になる可能性が大きいと私は考えている。国の政治不信を吹き飛ばすのは身近な地方議員であり、身近な自治体から政治を変えることが十分可能だと私は信じている。このことが、地方議会の生き残る道であり、ほかにはない。
 そして、日本が萎縮し続けるなか、今、このときに動くか動かないか、これで地方の、ひいては日本の未来は決まるであろうことは断言できる。また、地方議員が自ら動き出すためにも、住民も地方議会の真実を見ることが重要だ。
 その行き先は明確には分からない。だが、大阪における橋下徹氏を中心とした動きは、まさしく、今、動くしかないこの国の真実を反映しているのだと思う。』

 と。しかし、これは大きすぎる課題のような気もする。今の、地方議員にはね。

 とはいうものの、常に、今が動くとき、なのだ。

2012年6月20日 (水)

『事業計画書」のつくり方』を読んでも事業計画書は作れません。何でかって? それはあなたに問題があるのです

 確かにこの本を読んで、事業計画書のフォーマットやその他の書類のフォーマットをダウンロードして、それを上手く利用すれば事業計画書は出来そうであるが……。

51の質問に答えるだけですぐできる「事業計画書」のつくり方』(原尚美著/日本実業出版社/2011年12月1日刊)

 51の質問とは<質問1 あなたが喜ばせたい人は誰か?/質問2 なぜ、その人は喜んでくれるのか?/質問3 なぜ、あなたから買いたくなるのか?/質問4 なぜ、あなたは喜ばせることができるのか?/質問5 その事業の5年後の姿は?/質問6 5年後、どのくらいの数字を出しているか?/質問7 お客さまはどんなタイプの人か?/質問8 顧客に提供できる本質的な価値は?/質問9 どんな経営資源を持っているか?/質問10 市場での立ち位置をどこにするか?/質問11 物理的な事業エリアは?/質問12 事業を取りとりまく政治情勢は?/質問13 事業をとりまく経済環境は?/質問14 事業をとりまく社会情勢は?/質問15 事業をとりまく技術革新の状況は?/質問16 市場規模はどの程度か?/質問17 競合他社を3社あげてみる/質問18 競合他社の強みは何か?/質問19 顧客にとっての価値は何か?/質問20 顧客の負担感はどの程度か?/質問21 顧客にとっての利便性はあるか?/質問22 顧客とのコミュニケーションの方法は?/質問23 顧客に求められる独自の強みは何か?/質問24 他社と比較したときの自社の強みは何か?/質問25 商品の本当の価値は何か?/質問26 商品のネーミングは?/質問27 対象顧客に合った売れ筋商品を揃えたか?/質問28 商品の価格はいくらにするか?/質問29 流通チャネルは?/質問30 プロモーションとその目的は?/質問31 ITをどう使うか?/質問32 ビジネスモデルをストーリーで語る/質問33 事業が続けられる理由は何か?/質問34 利益を生み出すポイントはどこか?/質問35 基本的な組織の形態は?/質問36 意思決定の流れと役割分担は?/質問37-1 見込み客を5社あげてみよう/質問37-2 見込み客はどれだけか?(小売店や飲食店の場合)/質問38 商品ごとの販売数は?/質問39-1 製品1つあたりの原価は?(製品を自分でつくる場合)/質問39-2 製品ごとの予定仕入価格は?(仕入販売の場合)/質問39-3 原価に入れる項目は?(サービス業の場合)/質問40 採用計画はどうなっているか?/質問41 資産を4つに分けてみよう/質問42 販売費と管理費はどのくらいになるか?/質問43 融資の利息はどれくらいか?/質問44 税金はいくらになるか/質問45 一言で商品の本質を表現する/質問46 他社に負けない強みを短い言葉で表す/質問47 他社がマネできない独自の戦略は何か?/質問48 強みを維持する仕組みはどこか?/質問49 事業を裏付けるプロフィールは?/質問50 読み手として見たとき、見やすい目次か?/質問51 めくってみたいと思わせる表紙か?>という51の質問である。

 それを、北海道で取れる「トヨムスメ」というショ糖含有率が飛びぬけて高い大豆原料を使った、健康的なマヨネーズ(と言ってはいけないそうであるが)「ソイ・マヨ」をこれから商品化するベジタブル・マヨネーズ社という架空の会社を例にとって説明していく方法は、なかなか優れている。私のような起業素人でも読んでればなんとかなりそうである。もっとも、私が今そんな事業計画を持っているような状況ではないので、実際には事業計画書は書けないが。

 確かに、この51の質問に明確な答えを持っている人がいて、それを事業計画書のフォーマット(パワーポイント形式)と計算書(エクセル形式)に落とし込めば、そのまま事業計画書になってしまうという、スグレモノの本である。それっ、一気に起業だっ、資金集めだっ、融資だっ、と行きそうである。

 がしかし、それをこの本を読んだ人のどれほどがそれを実行できるだろうか。実は、世の中のほとんどの人は「自分のことをよく分かっていない」人たちなのである。他人から見ればそれなりに「モノ」を持っているように見える人であっても、意外と自分では自分が見えていないのが人間である。当然、何か新しい事業を考え出してそれなりに成功策が見えているようであっても、しかし、それを客観的に見ることは自分では出来ないものだ。

 で、この本を読んで、フムフムなるほどなあ、と考えて事業計画書をダウンロードして作ってみるのだが、なんか腑に落ちない…………で、結局なんだ「原&アカウンティング・パートナズ」に行き、そこで相談しながら事業計画書を作ってもらうことになるのだ。

 そう、それは自分で自分の事を客観的に見られることの出来ない人には、この本を読んで事業計画書を書くことは出来ないのだ。というよりも、それが普通。当たり前である。

 しかし、そうやって事業計画者を客観的に見られる事業計画書でないと人は説得できない。出資も融資も頼めることは出来ない。

 ということで、実は、この本は、この本の著者・原尚美さん主宰する「原&アカウンティング・パートナーズ」の販促資料、セールス・ツールなのでありました。

 ウ~ム、販促ツールを1600円(税別)で売ってしまうという、ビジネスモデルではあったのであります。

 美人はトクだなあ……。

2012年6月19日 (火)

『りっぱな兵士になりたかった男の話』は「考えない男はむなしい」って話なんだよな

 なるほど兵士としては立派なのかも知れないが、人間としてはサイテーな人生を送ることになってしまった男の話なのだった。

『りっぱな兵士になりたかった男の話』<グイード・スガルドリ著/杉本あかり訳/講談社/2011年6月20日刊)

『りっぱな兵士は、いつでも次の決まりを忘れてはならない。

一 どんなときでも命令第一
二 けっして上官に口ごたえしてはならない
三 「はい!」の返事を心がけること
四 軍服のボタンとブーツを、いつでもピカピカにみがいておくこと
五 疑問をもってはならない
六 盗み聞きをしてはならない
七 祖国を愛すること
八 勇気と犠牲の精神をもって、どんな困難な状況にも立ち向かうこと
九 いつでも銃の手入れをかかさないこと』

 という九則を『りっぱな兵士養成所』でクルップ軍曹から教わったカスパール新兵は、クルド大佐から『風の山』山頂の風車小屋の監視を命令される。『次の命令を下すまで、山の上で監視を続けてくれ』というのがクルド大佐の命令である。当然、『はい、大佐! 次の命令が届くまで、山を下りたりはしません、大佐!』と答え、山頂へ向かうのであった。

 カスパールが山頂に赴いて1週間ぐらい経った頃であろうか、敵機の空襲に襲われた街はことごとく破壊されてしまい、その2週間ほど後、戦車部隊に襲われた町は完璧に破壊され、敵に降伏してしまう。しかし、カスパールは大佐からの新しい命令が来ない以上は山頂から下りるわけには行かない、それはそうだ、しかしクルド大佐は最初の夜の爆撃の際に死んでしまったのだ。

 で、結局カスパールは2年とちょっとすぎた頃に、命令を破って、『りっぱな兵士であるための九か条』を破いて、山を下りるのだった。そう、『りっぱな兵士であるための九か条』は「立派な大人になるための何か条」ではないことが分かったからなのだった。

 こんな兵士の話といえば、日本では横井庄一氏と小野田寛郎氏の話が有名だが、将校でいろいろ情報を得ていて日本の敗戦も知っていた小野田氏に比較して、下士官で敗戦を知らなかった横井氏に近いものがある。

 本の惹句では「ユーモアをまじえて描く、戦争のむなしさ」と書くが、むしろそうではなく、「戦争のむなしさ」なんてものを描くのは当たり前であって、そおいうことじゃなくて「モノを考えない人間の愚かさ」こそがポイントなのだ。この辺、ちょっと編集者の意識の低下が感じられる。お前らバカじゃねえの! ってね。

 戦争、あるいは軍隊というものは基本的に「上官の言うことはきけ」ということなのだ。それは帝国主義軍隊だろうが、民主主義軍隊だろうが、共産主義軍隊(革命軍)だろうが皆同じだ。だって、戦争状態になったときに、軍規を犯すような奴の存在を許したら「敵に負ける」という単純な図式があるからだ。それは上から目線で見た問題なんだからしょうがない。しかし、そんな命令を下された「兵」だって人間である。当然そこには人間としての状況評価があるはずであり、それは「上官の命令」とは相容れない。それはそれで、キチンと評価するべきなのである。まあ、評価するのは上官ではなくて部下たる「自分」だけどね。

 ということで、『どんなときでも命令第一』ということで、上官の命令だけを信じて、それ以外の一切の情報に対して耳を塞いでしまうという状態は、決して戦争中の出来事や軍隊だけの問題ではない。通常の戦争がない状態でも、それこそ民間の会社だって「上司の言うことは絶対」みたいな発想法はあるのだ。じゃあ、本当に上司の言うことを絶対正しいと考えて仕事をして、結果としてそれが間違ったとしても、しかし、それは誰も助けてはくれない。上司は勝手に処分でもされてしまったり、異動になったりしてしまうだけだ。結局、最後は自分で考えて物事を決めなければならないのだ。だとしたら、「上司の言うことは聞くけど、でも、絶対正しいというわけではないよな」というような、言っていれば批判的合意というスタイルで進んでいくしか部下の立場はないだろう。当然それは上司との軋轢になる。しかし、その軋轢を忌避してしまっては、部下としての明日はない。

 いい会社というものは、この軋轢を歓迎する会社である。上司の言うことを、部下が自分の責任回避のために、単純に受け容れるような会社は、多分、早晩ダメになるだろう。むしろ、上司の言うことに一言一句反反撥するような部下がいて、上司と部下との論戦があるような会社の方が、その後の展開が面白くなりそうである。

 本来、日本企業はそんな活性的な会社であったはずである。戦後の高度成長期にはそんな会社が一杯あったはずである。それが、今、停滞期になって、それこそ「上司が言ったからさ」という発言が出てきてしまうような企業が沢山出てきたら、最早、日本経済は終わりだ。

 なんか、最近はそんな企業が多くなっているような感じがあるのだが……。

 

2012年6月18日 (月)

立教大学が強いのか、都市大が弱いのか

 昨日のアミノバイタルフィールドは、隣の味の素スタジアムでベルディ戦をやっていてうるさかったが、それなりの熱戦ではあった。

 第1試合の関東1部リーグBブロック6位関東学院大対Aブロック6位一橋大は、まあ今勢いづいている関東学院が50対21で勝ち、第2試合の関東1部リーグAブロック2位明治大対Bブロック3位の早稲田大は、最後まで13対13という息詰まる展開だったが、最後の最後、試合終了2秒前で40ヤードのフィールドゴールを決めて16対13で早稲田大学の勝ち、という今後の関東大学1部リーグABブロックの軽重をなんか予想させる展開ではあった。

 で、昨日の一番の見所は第3試合、関東1部リーグAブロック5位立教大学対関東Bブロック7位東京都市大学戦なのである。

 何故なのだろうか。つまり、関東1部リーグ下位が決定的な立教大と、昨年12月11日の対拓殖大学入替戦で勝利して1部リーグに這い上がってきた東京都市大学の勢いの差がどう出るかという試合なのだ。

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 双方、フィールドゴールを決めて3対3になった後の、QB(18)山本が自分で走ってタッチダウンをしたはいけれども、その結果、ケガをしてしまい、その後の試合は欠場することになってしまう。立教ピンチである。

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 ところが、二番手QBとして出てきたQB(35)荒川翔太が大活躍。パスも上手いし、ラン攻撃もうまくこなす。さすがに立教新座高校ラッシャーズ出身である。まだ1年生ですよ。でも、都市大レベルだとそれでも通じてしまうのか。とにかく、この荒川は投げてよし、ピッチ、トスも使えるし、自ら走ることも出来るという三拍子揃った選手である。今後が楽しみな選手である。

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 で、第4クォーターになってしまえば立教大も余裕である。2年生の高校時代は野球をやっていたQB(16)瀬本とかWR(89)佐久間なんかを起用していわば「お試し出場」みたいなもんだ。でも、これが大事。

 で結局は52対17で立教大学の勝ち。まあ、それは予想通りではあるのだけれども、それ以上に、立教大学の新星を見られたことが昨日の収穫ではないだろうか。多分、各大学からきているアナライジングスタッフも、昨日は収穫が多かったんじゃないかと思うのだ。

 1.2年生が活躍するというのは、大学スポーツでは大事なことだ。つまり、それは2~3年後の黄金時代を予測させるからだ。

 立教大アメフトがここしばらくななかった「黄金時代」というものを、実は期待させる2012年・2013年なのだが……どうだろうか。

 まあ、そうやって時代の変遷というものが行われるんでしょうけれどもね。


2012年6月17日 (日)

『土井英司の「超」ビジネス書講義』の正しい読み方

 しかし凄いなこのヒト、年間1,000冊のビジネス書(ばかりでないようだが)を読んでいるそうな。考えてみれば、私が読んでいるのも新書が多いわけで、ということは今の新書のトレンドは「ビジネス新書」なわけだし、つまり私の読んでいる本も広義のビジネス書がそのほとんどということになる。

 ということで、私も頑張らなくっちゃ。

『土井英司の「超」ビジネス書講義』(土井英司著/ディスカバー携書/2012年5月30日刊)

 しかし、その言い方は明確である。

『すべてのビジネス書は陳腐化します。
 時間の経過とともに、あっさりと劣化します。』

 というのである。

 そりゃ確かに、新しいビジネス・モデルが出たって、5~6年もすれば陳腐化してしまうし、10年も過ぎればもはやオールド・ビジネスである。旧体制であり抵抗勢力になってしまう。そのようなビジネスについて語った本があっても、それはたちまち陳腐化してしまうのは当然である。それはやむをえない。唯一、古く残るのは松下幸之助や本多静六などが書いた「経営の哲学」について書いた本だけだ。哲学は陳腐化しないからね。

 ついでに言ってしまうと、「いずれ陳腐化してしまのではなく、初めから腐っているビジネス書」というものも、残念ながらある。つまりそれはビジネスの本質を捉えていない、にもかかわらず一見ビジネスについて語っているような「ハウトゥ本」だ。「こういう時代だから、この本を読んだ貴方はこうしなさい」と書くやつである。あるいは「私はこうして儲けた」的な「ハウトゥ本」である。確かに、その本の著者はそうやって儲けたのかも知れない。しかし、その後に書いた本である。つまり、そのビジネス・モデルは既にオワコン化してしまっているというわけで、その本を読んで書いてある通りのことをやった人は、必ず損をするというわけなのである。更に言ってしまうと、その損に乗じて儲けるのが、その本を書いた人だったりするわけなのだ。それってほとんど詐欺じゃん、とも思えるのであるが、詐欺ってのは要はダマされたほうが悪いのであって、ダマしたほうはそんなに罪を問われない犯罪である。欲の皮の突っ張ったダマされたほうがいけないっていうね。

 そうではなく、すぐれたビジネス書っていうのは、新しいビジネスについての「考え方」を書いた本だ。具体的なビジネスのやり方ではなくて、その基本になる「考え方」である。そこで、「ええっ、具体的なビジネスのやり方が書いてないじゃないかよ」って怒った貴方、そんな「具体的なビジネスのやり方」が分かっていたら、その著者は書く前に自分で起業するんじゃないの? つまり、そこに書かれているのは、今までのビジネスの考え方はこうだったけれども、それがいまや難しくなってしまったから、新しいやり方を考えなければいけない。では、こんな考え方で始めたらどうだろうかという提案が書かれているのだ。それが新しいビジネス書なのだ。そう「考え方」について書かれた本が正しい意味でのビジネス書である。

 そんな良い意味でのビジネス書について語った本なのであるが。問題は、土井氏自身も書いている通り、「ビジネス書は陳腐化する」ということなのだ。つまり、そんな「陳腐化するビジネス書」を紹介する本書は、書かれているビジネス書以上の速さで「陳腐化」するんだよな。もう今更勝間和代『インディでいこう!』『無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法』でもないし、『世界No.2セールスウーマンの「売れる営業」に変わる本』なんてもはやAmazonでないと買えない。

 ことほど左様にビジネス書の新陳代謝は激しいものがある。つまり、実は土井氏のこの本も買ってもあまり意味はない、というかこの本を読んで「なるほどこういう本があるのか」と思って書店に走っても、最早、その時点で完全に乗り遅れているのだ。そう、その意味では本書『ビジネス書講義』は「なるほどそういうビジネス書があったのね。死屍累々だわ。」という感覚で読むべきなのだ。勿論、中には「死屍」じゃない本もありますけどね。

 したがってこの本の正しい読み方は、いろいろ土井氏が紹介する本のタイトルを見て、「あああこれ俺読んだことがある」といって喜ぶ本なのである。なんか、ビジネス書読みの土井氏から認められた気がするでしょ。それでいいのである。

 別に、この本で紹介されているビジネス書を読んでいるからといって、別に貴方がビジネスで成功することは保証されませんからね。

 で、こんなことを書いているうちに、本書で土井氏が薦めている本のうち、『51の質問に答えるだかですぐできる「事業計画書」のつくり方』と『ビジネスモデル・ジェネレーション』がAmazonから届いてしまった。さあ、次はこれらを読むぞ……、と言いたいところだが、その前に既に読み始めて本があるし、なあ。どうしよ。

 

2012年6月16日 (土)

むしろ「日本支配層の大罪」というべき『経営者の大罪』

 別に精神科医が経済について語っちゃいけないという気はさらさらないけれども、それを本で出すんなら、もうちょっとちゃんと経済をお勉強してからにしてほしい、と思うのだが。最終結論はまあいいのだが、そこにいたる問題設定がね……。

『経営者の大罪――なぜ日本経済が活性化しないのか』(和田秀樹著/祥伝社新書/2012年6月10日刊)

 しかし、和田秀樹氏はなんでこんな本を出す気になったのだろうか。『ビートたけしのTVタックル』なんかに出て、三宅久之氏や森永卓郎氏なんかと話をしているうちに、なんか勘違いをして自分も経済について語れると思ってしまったのかもしれない。というくらい、乱暴な論である。

 たしかに、国を発展させるのに国民の中流化と内需が大事だというのはその通りである。とはいうものの、いまだに日本は内需中心なのである。対外貿易に頼らなければ経済が成り立たない韓国とは大違いで、いまだに1億人を超える人口を抱えている日本はまだまだ内需中心なのであるが、むしろこれから先の人口縮小のことを考えて、外需、特に中国、インドを視野に置いた経済に変えなければということで、しかし、そうなると中国、インドという人件費の低い国との戦いになるから、苦しんでいるのである。

 また、日本のブランドイメージを凋落させた経営者という問題設定をしているが、よく考えてほしい、メイド・イン・ジャパンである必要のある日本製品はいまだにメイド・イン・ジャパンである。たとえばニコンなんかも「Dヒトケタ代」の高級カメラは日本製で「D3ケタ~4ケタ代」はタイ製とかに分けて作っている。メイド・イン・チャイナやメイド・イン・マレーシアである日本製品は、基本的にコモディティ商品であり、それが中国製やマレーシア製であってもなんの問題もない商品なのである。消費者は「それがどこの国で作られたか」で買うのではなく、そのブランドがどの国のブランドなのかということで選ぶのである。

『たとえばドイツのメルセデス・ベンツは、これだけ円高が進んでいるにもかかわらず「円高還元セール」をやりません』といって、メルセデス・ベンツのブランドを高く評価するけれども、それは正しいとしても、今やメルセデスのCシリーズはすべて南アフリカ製であることはご存知ないのだろうか。また、ライカやカール・ツァイスのレンズが日本の長野県産であるから価値が低いなんてことを考えている人は誰もいない。どこ産だろうが、メルセデスはメルセデスであり、ライカはライカなのだ。

 唯一、精神科医らしい記述といえば、「第3章 社員を死に追いやる経営者」で自殺率の高さやうつになる中高年に対する企業の冷たさという部分ぐらいだろう。

 勿論、高所得者にたいする累進税率をもっと上げよとか、円高を利用して、経営者はもっと外国企業買収に積極的になれという部分は私も同意見だし、経営者の「徳」のなさを嘆くのもわからないではない。しかし、なぜそのように積極的に攻める経営ができないのかとか、なぜ「徳」がないのかという部分には踏み込まないのでは、論も中途半端になる。「日本をダメにした最大の戦犯は、経営者である!」と帯に書いているが、問題はなぜそのようなダメな経営者ばかりになってしまったのか、なのである。

 結局、日本の大企業経営者はごく一部をのぞいて皆サラリーマン上がりなのである。問題はそこにあるだろう。つまり、プロの経営者ではなく、ひとつの会社に長いこと勤め上げ、その結果としての双六の「上がり」が社長あるいはCEOという立場なのである。ひとつの会社に長いこと勤めた結果、周りの社会が見えなくなってしまい、自分の会社の常識がそのまま社会の常識だと思ってしまっている経営者が多すぎるのである。会社の経営というものを、外部からみてこれが一番の方法であるという風に考えなくて、社内の波風を立てない方法ばかりを考えて経営している。さらに経営のプロではないために、外圧に弱く、例えばアメリカから「こしろ」と言われると、そのまま戦いもせずに言いなりになってしまう。そんな経営者が多すぎるからこその、今の日本経済のテイタラクなのではないだろうか。ニッサンを立て直したカルロス・ゴーンのようなプロの経営者の出現が待たれるといったところだろう。

 それは経営者ばかりではない。政治家もやはりアマチュアの政治家ばかりになっていて、日本の大計を考えずに自分の次の選挙のことしか考えていない。目先の政局ばかり考えて行動・発言する政治家ばかりになってしまっていて、結局は官僚主導になってしまっている。官僚というのは基本的に保守であるから、民主党も政権を握ると途端に保守になってしまって、あれだけ声高に唱えたマニフェストを自ら否定することばっかりやっているわけだ。本来はプロの政治家を育てようということで始めた松下政経塾であるけれども、結局、日本の風土なのかもしれないがプロの政治家は育たず、アマチュアの政治家ばかりになってしまったようだ。

 アマチュアの経営者が経済を動かし、アマチュアの政治家が政治を動かしている日本が、いまやどんどん世界の中心から外れてきて、存在感を失ってきているのは事実だし、それはそんな政治家と経営者ばかりでは、やむをえないことことなのだろう。それでいて、国連の安全保障理事会の常任理事国を狙っているんだから、それこそ笑止千万というところですね。

 まあ、そんなわけでもはや大企業や政治家に頼れなくなっているわが国であります。最早、みんなスモール・ビジネスで自分が生きていくことを考えた方が良いようです。

2012年6月15日 (金)

ランス・アームストロング氏のドーピング違反の正式判定

 結局、ランス・アームストロングは最終的に「クロ」ということになってしまったようだ。

「アームストロング氏にドーピング違反の正式判定」(ウォール・ストリート・ジャーナル)
<http://jp.wsj.com/Life-Style/node_460408?mod=SlideshowRelatedLink>

 もともと、今回のドーピング疑惑は、2010年に元USポスタルでのチームメイトのフロイド・ランディスの告発がきっかけだった。当時のUSポスタルの監督のヨハン・ブリュイネールとランスからドーピングを進められたことと、スペイン、ジローナにあるランスのマンションに行ったときに冷蔵庫の中にランスとジョージ・ヒンカピーのEPO血液が保管されているのを見たという証言から発したものだ。

 このランディスの訴えによって捜査を開始したアメリカ連邦捜査局による捜査は、2012年2月に違法性はないということになって、その捜査資料を全米アンチドーピング機関(USADA)に引き継がれていたものが、USADAが正式にドーピング違反の判定を下した、というもの。『ラフ・ライド』を書いたポール・キメイジなんかは前からランスはドーピングをしているに決まっているという発言をしていたのだが、結局、それが正しいということになってしまうのだろうか。

 ランスは「判定は根拠がない。悪意によるものだ」と反論しているが、今後はUCI(国際自転車連合)に舞台が移されて争われるのだろうが、UCIがランスの1999年から7年続いたツール・ド・フランスの総合優勝記録は剥奪されることになるのだろう。全部なのか、年によってということなのかは分からないが。

 21日間をかけて3,000km以上を走る三大ツールの競技としての厳しさはよく知られている通り。そんな競技のさなか、蓄積する疲れからクスリに手を出したくなる気持ちはよく分かる。ましてや、優勝だけが価値を持つという欧米式の考え方である。2位や3位では意味がない以上、勝ちにこだわって、それこそ「分かんなきゃ何やってもいいんだぜ」とばかりにドーピングに走るのであろう。

 もともと、ランスのドーピング疑惑はその「癌からの生還者」という出自から来ていたのだった。それまではワンデイ・レーサーだったランスが、癌から生還してからは完全にステージ・レーサーに変身したというのは、本人に言わせれば闘病生活のおかげでトライアスロンでついた上半身の余計な筋肉が落ちて体が軽くなって登坂能力が上がったからだ、というのだが、しかし、癌で既に転移までしていたという重病から帰ってきた選手が、自転車レース、それも三大ツールのような過酷なレースで勝てるということのほうが不思議なわけで、そこは勝てない選手の嫉妬も含まれて、ドーピング疑惑を持たれても仕方がないことだ。

 まあ、ランスがアメリカ選手だということも、そして経済でも政治でも優位に立つアメリカが、スポーツの世界でも、それも欧州に発するスポーツで優位に立ってしまったということが、欧州の国々では嫌われる原因でもあったわけで、それはやむをえない。むしろ、ランスが疑惑を喧伝されるたびに、それを否定はするが証明をしてこなかったことのほうが、問題を長引かせてしまったことにもなるのではないだろうか。

 まあ、積極的に証明をしてこなかったランスに問題ありとする見方をすることが、当面正しい方法だとは思うが、いずれにせよ、引退した選手のドーピング疑惑なんて今から調べようもない事柄なんだから、できれば現役のうちに決めて欲しかった。

 とはいうものの、ヤン・ウルリヒやマルコ・パンターニとの死闘は今でも記憶にある。モン・バントゥでのパンターニとの死闘は今でも記憶に新しい。その記憶がドーピングの結果だからということでなくなってしまうわけではない。別にそれでランスの栄光の自転車人生が否定されるわけではないのだから、疑惑を認めなくてもいいけれども、でも、虚しい抵抗だけはしないで欲しいものだ。

『ラフ・ライド アベレージレーサーのツール・ド・フランス』(ポール・キメイジ著/大坪真子訳/未知谷/1999年5月刊)

2012年6月14日 (木)

『ノマドワーカーという生き方』

 ノマドワークというよりは、フリーランスとしての生き方を書いた本なのだけれども、ブログをスタートにしてフリーランス化し、結局どこにいても仕事ができるということで、「ノマド」なのだなあ。

『ノマドワーカーという生き方』(立花岳志著/東洋経済新報社/2012年6月14日刊)

 で、本書を読んで一番最初に気づくことは、6月11日に『フリーで働く! と決めたら読む本』で中山マコト氏が書いていたことと同じことがやはり書いてあったということ。つまり、それはタイムマネージメントとタスクマネージメントをセルフマネージメントとしてやりこなすということなのだ。

 例えば、タイムマネージメントに関して言えば、『Chapter 1 これがフリーブロガーの1日だ!』に書いてあるが、毎朝午前4時30分に起きて、食事の前に健康管理、執筆を行い、朝食後再び原稿執筆、午後は友人とランチをしたり仕事の打ち合わせとランニング、夜はコミュニケーションとリラックスの時間。ということで中山氏の午前中はOUTPUT、午後はINPUT、夜はRESETという一日の時間の使い分けとほとんど同じような時間の使い分けをしている。それも、ほとんど毎日同じような時間分けのようである。この判で押したような決まりきった毎日って、それがフリーってことなのとも思うが、しかし、会社で決められた出勤時間や就業時間というものがないフリーの仕事ってことになると、かえって自分でそのような判で押したような生活を決めていかないと、ダラダラと毎日を過ごしてしまう結果になるのであろう。

 そういえば、私の友人で早期退職をきめ、今は毎日が日曜日状態の男がいるのだが、彼の生活も、毎日午前中はジムに行き、午後は買い物やたまに大学野球観戦、そして夜はビデオを見たり本を読んだりという、それも判で押したような毎日を過ごしている。う~む、サラリーマンの生活もフリーランスの生活も、結局は同じ人間である以上は似たような一日になってしまうのだな。ただし、フリーランスの方が外部からの規制がない以上、むしろ自ら律するというような形で規制していかないといけない、ということでサラリーマン以上の規制の仕方を自分からやらなければいけないということなのだろう。

 同じことがタスクマネージメントにも言えて、それは『Chapter 4 フリーブロガーの「デジタル・セルフマネジメント」ノマド&クラウド徹底活用』に詳しい。つまり、まず最初に「5ヶ年計画」を立て、その5ヶ年計画に沿って年間計画を作る。5ヶ年計画では「本を30冊出版して累計部数が300万部を超えている」とか「ブログの月間PV数が500万を超えている」「雑誌(紙・ネット合計)10誌に連載コラムを持っている」という殆ど「夢」のようなものだったものを、年間計画では具体的な目標に持ってくる。次にはそれを4半期ごとの目標設定にし、月次計画にし、毎週日曜日には更に週次計画にし、毎朝日次計画に落とし込むのである。勿論、その結果をレビューしなければ計画は意味を持たないわけだから、それもキチっとやっていくわけだ。って、それってまるでサラリーマンと同じ生活じゃないかよ、と思った貴方、問題はその計画を自分で立てるフリーランスと会社が作るサラリーマンとの違いが大きいんだってことに気づかないとダメですね。

 企業はそんな形で運営されているのである。当然、中期経営計画があって計画の見直しをし、それをもとに年間経営計画をたてて見直しをし、半年か4半期ごとの計画と見直しをするという風に行なわれている。そうしていかないと、企業がどこに行ってしまうのかが見えなくなってしまうからだ。勿論、中期経営計画は経営トップが行わなければならない作業であり、年間計画、半期計画と計画期が短くなればなるほど、下に降りて計画は練られるわけであり、月次計画になると殆ど現場、週・日になれば従業員個人の問題となるわけである。

 フリーランスというのは独立自営業者であるから、当然そこには企業経営と同じ部分があって、それで安定した経営が成り立つわけである。つまり、タイムだけでなく、タスクも自ら律していかなければならないということで、結構フリーランスをやっていくのも大変なわけだ。ま、問題はそれが出来るのがプロフェッショナルフリーランスであり、出来ないのがなんちゃってフリーランスということ。実際には、出版社なんかのマスコミ企業の周辺にいるフリーなんて実はほとんど、ここにいうなんちゃってフリーランスという、自分の人生設計や時間設計を自分で作れない人たちばっかりなんだけれどもね。

 ということは、中山氏といい、立花氏といい、成功しているフリーランスの人たちのタイムマネージメント、タスクマネージメントというものはたいしたもので、さすがにこれだけのことをキチンとこなす人は成功するんだなと、感心する次第。

 それにしても、「職業はブロガー」という立花氏。ブログを始めた当初から「1日3回更新」を心がけていたということだ。これはスゴい! 私は「1日1冊、毎日更新、1記事2000字」と決めて書いているのだが、そんなことを毎日3回更新していたら、それこそ一日中ブログを書いていないとできない相談だ。サラリーマンをやりながらそれは無理なので、とりあえず毎日更新ということだけを目標にしているのだが、それでも結構大変である。基本は毎日夜、会社から戻ってからが基本の執筆時間。それと会社での仕事の合間にも、暇ができると執筆したりしているが、そのためには本も読まなければいけないし、会社人間としてのタイムマネージメントと個人のタイムメンージメントの両方をこなすのも、なかなかにねえ。

 ということで、今後もこのブログ、続けていきます。10月になったら、1日数回の更新もあるかもね……なんて、言ってしまったりして。

 取り敢えず、応援を……。

2012年6月13日 (水)

『映画は父を殺すためにある』だけじゃない、すべての若者は父親を殺すために存在するのだ

「映画は父を殺すためにある」なんて物騒なタイトルがついているが、「通過儀礼という観点から映画を見ると」ということであるのなら、やはりそれは「父親殺し」ということになるのだろう。

『映画は父を殺すためにある 通過儀礼という見方』(島田浩巳著/ちくま文庫/2012年5月10日刊)

「父親殺し」というテーマでいえばそれはやはりアメリカ映画だろう。ということで、どんな「父親殺し映画」が選ばれているのかといえば、『スタンド・バイ・ミー』『ザ・プレイヤー』『フィールド・オブ・ドリームス』『スター・ウォーズ』『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』『愛と青春の旅立ち』『エデンの東』『理由なき反抗』といったところだ。うーむ、まさに父親殺しの映画たちばっかりだ。

 基本的にその映画が「青春時代」を描くものであるのなら、基本的にそれは通過儀礼を描くものになるだろうというのはよくわかる。しかし、その時に、なぜアメリカ映画は父親殺し、父親との相克を描かれることが多く、日本映画では少ないのか。

 島田氏は『アメリカの社会において、息子と父親、弟と兄の葛藤が重要な意味を持ち、若者にはその葛藤をのりこえて自立していくことが求められているからこそ、そういった現実が映画に投影される。そのように考えなければ、ダース・ベイダーがなぜルークの父親でなければならないのかはわからない。あるいは『フィールド・オブ・ドリームズ』の不思議な声の彼が、主人公の父親でなければならないのか、それも謎のままに終わってしまうのである』というが、むしろ、解説を書いた町山智浩氏の方がわかりやすくその理由を書いていてくれている。

『父との相克をアメリカ映画が繰り返し描く理由には、大きく二つあると考えられる。ひとつはユダヤ・キリスト教の伝統。本文中でも『エデンの東』と旧約聖書の関係が論じられているように、聖書は「神」を父、キリストをその息子、というイメージで描いており、その父子関係が世界理解の基本になっている。もうひとつはアメリカという国独自の歴史。イギリスに対して反抗して独立したアメリカという国は、常に自分を父と戦った息子としてイメージせざるを得なかったのだ。』という、さすがにアメリカ在住何年にも亘る町山氏だけのことはある。

 そして、その逆になぜ日本では父親と息子の相克というのはあまり描かれないのであろうか、ということなのだが。

 多分、それは戦後の日本についてのことではないのだろうか。つまり、戦前の家父長制の中での父親と息子の葛藤というものは、現代以上にあったのではないだろうか。詳しくは知らないが、戦前の日本では食事の際に、父親と長兄がそれぞれの膳に食事を盛られ、それ以外の家族は一緒の膳に食事を盛られたそうである。勿論、おかずの数や内容なんかも異なったものだったそうだ。その位、父親と長兄が家の中心にいて家族を支配していたのである。そんな時代の若者の通過儀礼としては「父親殺し」というのは十分にあったと思われる。つまり父親を頂点とした権力構造があったというわけでね。勿論、そんな形の食事の風景は武士の家、武士の家系だけだったのかもしれない。だとすると、武士の家系での父親殺しは当然あったはずであり、武士の時代の親子の対立というよくある例は、まるで不思議ではない。農民は若衆宿なんかに入って通過儀礼をおこなっていたそうなので、それは父親とは離れた場所での通過儀礼だったのかもしれないが。

 それが、戦後なくなってしまったというのは、やはり日本の敗戦というものが大きくのしかかっているように思われる。1945年8月15日をさかいに、それまでの天皇を頂点にした日本の家父長制、父親(あるいは日本国民のすべての父親)が絶対に正しいという価値観は破れ去ってしまった。昨日まで威張りくさっていた家の中での父親や長兄という存在や、やっていることが、敗戦によってすべて間違っていた、すべて正しくなかったという価値観に反転して、その日をさかいにまるで無価値のものになったしまったのだ。父親の言っていることの無価値性、父親の存在の無価値性が戦後社会に生きる我々にとっては自明のものとなり、そのような父親との相克なんてものはあり得ないものとなってしまったのだ。父親なんてはじめから相手にせずに、馬鹿にするものとしてしかあり得ない。父親の方も、それまでの自らの価値観がゼロに帰してしまった現実から、自らの存在をもゼロにしたい、自らの発言にも責任を持たない、自らの行動も息子たちの規範にはしたくない、という具合に。

 そんな「父親なき時代」の若者の反乱が1960年から70年にかけての学園闘争だったと考えれば、理解できることがある。つまり、それは父なき世代の「なにものか」に向けた反乱だったのだ。その「なにものか」が人によって異なり、自民党政治だったり、アメリカ帝国主義だったり、スターリン主義だったり、共産党だったり、中国だったり(右翼の場合)、公害企業だったり、とにかくそれらすべての「なにものか」。それこそ、反乱している本人たちですら分かっていない「なにものか」というものがあったのだ。とにかく「何か」に向かって反乱したい、反抗したい。とにかく、その反乱の対象が強固なエスタブリッシュメントであればあるほど、反乱の質が高まると考えた若者たち。

 言ってみれば、マルクス・レーニン主義なんてものは、反乱の理由づけに使っていただけで、とにかく反乱の材料になるものさえ手に入れられればいいという考え方。

 そういう意味では、まさしく1960年代の若者たちは「父なき時代の父親殺し」を演じていたといえるのではないだろうか。それぞれがそれぞれに、勝手に自分の父親を設定して、それと戦っていた時代。そして、その自分の戦っていた相手がすべて幻想だったことに気付いた時、若者は宗教に走ったと考えると、なぜかオウム真理教というものが理解できるのだ。

 さて、次なる時代の父親はいかなるものとして、若者の前に登場するのであろうか。最早、若者の時代をとうに過ぎた老人としては予想もつかない。

 グローバリズムなのかテロリズムなのか、あるいは、「勝ち逃げ」を決め込んだ「団塊の世代」なのか……。

 まあ、最後のやつだと考えるのが、一番妥当だろうな。ヘッヘッヘ……。

2012年6月12日 (火)

『ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか』って、当たり前ジャンかよと思っていたら

 そりゃあ、グランド・デザインを受け持った人が「生き物に似せよう」と考えて、その作業を行ったからでしょう。と素人考えで思ったら、そうではなくそこには「似ざるを得ない理由」があったのだ。

『ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか 工学に立ちはだかる「究極の力学構造」』(鈴森康一著/講談社ブルーバックス/2012年4月20日刊)

 つまり、『ロボットのかただも、生き物のからだも、ロボット機構学の立場から見れば、所詮物体でる。ロボットと生き物の動きを支配する「力学法則」が、両者の逃れがたい類似性を生み出している』ということなのだが、そこには「力学法則」ばかりでなく、『だが、「ロボットも生き物も逃れることができない」法則は他にもある。「幾何学」だ。
 ロボットの設計や制御において、幾何学が果たす役割は重要だ。たとえば、アームの先端を望みどおりの位置にもってゆくひは、各関節の角度をどうすべきか。まさに立体幾何学の応用問題である。ロボット設計者は、このような立体幾何学の問題をリアルタイムで解く制御プログラムを作っているのだ。』

 つまり、こうやってやっていけば、二足歩行ロボットはどんどんヒトに、四足歩行ロボットは四足の哺乳類に、六足歩行ロボットは昆虫に、もっともっと多い足のロボットはムカデに似てきてしまうのだ。なるほど、38億年前に誕生した生物からホモサピエンスが生まれた30万年前という、約40億年かかって進化してきた地球上の生き物は、当然、幾何学と、地球の重力という力学の法則から離れられずに進化してきたわけだ。今から160年前頃に発明された電動機と、70年くらい前に発明されたデジタルコンピュータのおかげで急速に進歩してきたロボット工学だが、それは生物の進化の歴史から見れば、ホンのわずかな歴史でしかないロボットの歴史が、「今のところ」地球上の生物に似てしまうのは、当たり前のことなのだ。

 勿論、デジタル技術と思想の発展スピードは目覚しい速さで進展している。その速さが、どこかで地球上の生物進化のスピードに追いつく時が来るかもしれない。そのときこそ、鈴森氏言うところの『ロボット版「カンブリア大爆発」』が起きるかも知れない。『生き物は、5億4200万年前から5億3000年前にかけてのカンブリア紀に、突如として爆発的な多様化の時期を迎えた。いわゆる「カンブリア大爆発」である。この時代には、現在では異形とも思えるようなさまざまな形態の生き物たちが誕生し、地球上を跋扈していた』という。その頃の生き物について詳しいスティーブン・ジェイ・グールドによって「奇妙奇天烈動物」と名付けられたカンブリア紀の生き物は原生動物のようなものではなく、多細胞動物であったそうな。ただし、その後の地球環境の変化に耐えられなかったのか、なんらかの力が働いて、現代の生物に繋がる連鎖がなくなってしまったようなのだ。

 そんな「カンブリア紀のロマン」を信じる鈴森氏である。『ひょっとしたら近い将来、ロボット工学も一挙に“カンブリア紀”に突入するかもしれない。そのときは、現時点では思いもつかない奇想天外なデザインのロボットたちが多数出現するだろう。もしかしたら、いまは絶滅したカンブリア紀の生き物になぜか「似てしまう」ロボットも出現するのではないか』というのは、ロボット工学者のロマンとして読んでおこう。

 だって、いま生きている地球上の生き物たちは、地球上の力学・幾何学法則から自由になれないがゆえに、今いる生き物に似てしまうのであるから、それが過去に遡って過去の地球の力学法則・環境法則にならったロボットが、現在のテクノロジーで作れるのであろうか。う~ん、私のような浅学菲才の身では理解できない(想像の外な)ことなのである。

 しかし結局、ロボット工学者が見る夢というものは、決して「人間みたいなロボットを作ろう」ということでもないし、「馬みたいなロボットを作ろう」ということでもないし、「カブトムシみたいなロボットを作ろう」ということではないことはわかった。それは「結果」でしかないのだ。人間のようにいろいろな状況で動けるロボットを作ろうとすると「人間みたいなロボット」になってしまうのだし、馬のように速く走れるロボットを作ろうとすると「馬みたいなロボット」になってしまうのだし、カブトムシみたいな力持ちのロボットを作ろうとすると「カブトムシみたいなロボット」になってしまうのだな。

 つまり、それは今地球で生きとし生けるものは、今の地球で最も優れたの生き物であるということなのだろう。ロボットは、開発者としては、そうはしたくないのかも知れないが、結局、その生き物を真似するしか解決方法がないという適者生存の法則なのだ。

 そう、ロボットも生物の生き方からは離れなれない、というのはロボット工学者からは残念なことかも知れないが、大方の人間からすれば、そのほうが安心できるという常識って、何なんでしょうね。

 それを覆す「カンブリア爆発的ロボット」って、本当にあるんでしょうかね……あれば、面白いけど。

 

2012年6月11日 (月)

『フリーで働く!と決めたら読む本』なんだけど、問題はフリーになる前なんだよな

「フリーで働く! と決めたら読む本」というタイトリングはまさしく「ハウ・ツー」本のタイトリングであるが、しかし、この本はそれを超えた「ノウ・ハウ」本でもある。いわば「ノウ・ハウ・ツー」本なんつって。

『フリーで働く! と決めたら読む本』(中山マコト/日本経済新聞社/2012年5月25日刊)

 面白いのは『フリーランスの成否は、サラリーマン時代の生き方で決まる』として、『まずは、名物社員を目指せ!』『一目置かれるサラリーマンになれ!』と発破をかけ、最後は『「辞めさせてもらえなくなった時が辞め時」の法則』と結論付けているところだ。

 確かに、サラリーマンから独立すると言ったって、それまでのサラリーマン時代の仕事から完全に離れて、例えば電鉄会社勤務から小説家になるとでも言うのじゃない限り、なんらかの形でそれまでの仕事の延長線上にある仕事をすることになるのだろうから、それまでサラリーマンという安定した職業の中で「如何によい仕事をしたのか」がメルクマールになる。当然、彼が所属していた会社がクライアントになる場合だってあるだろう。その場合、彼がその会社の中で如何に突出した才能を見せていたのか、如何に優秀な社員であったのか、ということはその会社が彼をフリーとして使う場合の重要な要素となるはずだ。

 更に、彼がその会社の中で欠かせない存在になった時に、まさに辞職を言いだせば、会社としては辞めてもらっては困るわけで、一生懸命思いとどまらせようとするだろう。それでも、彼の意思が固いとなれば、じゃあ会社辞めてもいいけど、仕事だけはそのまま継続してやってもらえないかなあ、という形になって、見事フリー化第一号の仕事を取ることも可能である。おまけに、そういう形で請けた仕事ならギャラだって低く抑える必要はなくなって、有利な条件で仕事を請けることが可能である。

 とまあ、いいことづくめの、まさに中山マコト氏言うところの「プロフェッショナルフリーランス」の誕生というわけなのだが、しかし、それはあくまでもスタート時点でのはなし。そんないい話は当然ずっとあるわけではない。長いフリーランス生活だって山あり谷ありなわけだが、その時にそなえて、まずスタートダッシュのために中山氏が言っていること。『借金をするな!』『極力、オフィスは持つな!』『通勤をしない』『スタッフを抱えない』『リースを組まない』『広告宣伝をしない』という形でリスクヘッジをしてフリーランス生活をスタートさせる。さらに、フリーランス生活を如何に生き延びるかということでの『フリーランスの掟』という形で、『差別化をするな! 尖鋭化せよ!』『仕事はもらわない』『仕事を選ぶ』『コンパクトに生きる』『お客様を徹底して選ぶ』『柱になるクライアントをつくらない』『長期契約はするな!』『ガイドラインを徹底する』という8つの掟を課するのだ。

 そうしておいて、多分これがフリーランスになると一番厳しいことなんだろけれども、「タイムマネージメント」の大事さを訴えるのだ。中山氏は「三つのT」として;

『私は基本的に午前中しか、考える仕事、書く仕事はやりません。もちろんごくまれに例外はありますが、ほぼそのとおり実行しています。
 これを「アウトプット(OUTPUT)」と呼び、一つ目のTと位置づけています。
 次に、午後になると、食事も兼ねて出かけます。
 人と会ったり、いろいろな店、施設を見たり、本を読んだり、映画を見たり、街を歩いたり、打ち合わせをしたりします。
 これが、「インプット(INPUT)」の時間です。二つ目のTです。
 そして、夕方の6時半を過ぎると、一切の仕事、打ち合わせはしません。仲のよい友人や行きつけのお店の人と、最高の時間を過ごします。
 仕事モードになったアタマを、プライベートモードに戻す時間です。
 つまり、「リセット(RESET)」の時間です。これが三つ目のTです。』

 という具合に時間を使い分けているそうだ。

 確かにこうした時間の使い分けは、精神的にはよさそうだ。こうやってはっきりと使い分けができれば、それなりにリフレッシュできて、それぞれが有効な時間として帰ってくるだろう。が、大半のフリーランスはそれができない。何故なら、大半のフリーランスは中山氏言うところの「なんちゃってフリーランス」なのだ。

 フリーランスとは名ばかり、実は会社には所属していないものの、所属している以上に会社の時間に囚われている人が多いのだ。出版社にいるとそんなフリーばっかりだ。結局、会社からいつでも切ることができる、自由な労働力として使われているフリー。いくら残業をしても残業代が払われないフリー。金曜日に打ち合わせをして、「じゃあ、月曜アサイチで原稿上げてね」なんて社員編集者から言われても、それを断れないフリー。なんか、残念ですね。

 でも、彼らは「いつかは俺だって編集者から〈先生〉なんて呼ばれるフリーになるんだ」と考えて頑張っているのだが、しかし、大半はそうなれずに消えていく存在である。まさしく、そんな「なんちゃってフリー」に支えられている出版業界にいると、そう簡単にフリーにはなりたくないな。なんてことも考えてしまうのだ。

 とは言っても、今年の10月には私もフリーランスになってしまう。まあ、定年退職なわけだが、それでもその立場で仕事をすればフリーであることには変わりはない。

 はてさて、どんなフリーランスになるのだろうか。楽しみではあるが……。

2012年6月10日 (日)

東京のインド人社会というものがある

 都営地下鉄新宿線船堀駅のそばにそれはあった。

「イスコン・ニューガヤ・ジャパン」という名の、ヒンズー教寺院なのである。外見は普通の小さな建物にしか見えないが、近寄れば礼拝の時間なんかが書いてあって、なるほどここが寺院であることはわかる。

 昨日は土曜日であったので、礼拝堂の扉は開いていなかったが、毎週日曜日には礼拝堂が開いているようだ。

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 隣が「野菜でつくるインド料理の店 ゴヴィンダンス」である。

 もともと、江戸川区にインド人が増えたというのは江戸川インド人会というのがあって、その会長を務める在日歴34年のジャブモハン・チャンドラニさんという人の存在が大きかったようだ。

 結局、西葛西に住むチャンドラニさんからインド人コミュニティが出発して、いまや西葛西に住むインド人は約2,000人。日本におけるインド国籍の外国人登録者は約2万2,000人なので、そに1割近くが江戸川区西葛西周辺に住んでいるようなのだ。

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 そのインド人たちが多く住んでいるのが、ここ江戸川球場脇にあるUR賃貸住宅のマンション街。確かに、礼金無し、契約更新料なしというUR住宅の条件は魅力的だ。おまけに、東京メトロ東西線の西葛西駅からは大手町まででも10数分でいけてしまう。IT関係の企業に勤務しているインド人たちにとっては職住接近の程よい場所の住み家なのである。

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 ただし、そこに行っても特別インド人が目立つわけではない。まあ、確かに、インド人らしき浅黒い親子たちはいるのだが、特別そんなに多いわけではなく、普段東京で見かけるインド人達とはそんなに頻度としては変わらない。多少、多いかなという感じではあるけれども。とにかく銀座通りで大声で喋っている中国人、インド人ほどには日本人とは見分けが難しい中国人とは、ちょっと違うようだ。

 問題は、このインド人たちが日本に定住することなく、2~3年でインドに帰ってしまう、あるいは別のところに移ってしまうということなのだ。

 つまり日本に来ているインド人は、その殆どがインド系企業か外資系の企業に勤めている人たちなのである。日系企業に勤務していればもうちょっと長く住み続けるのだろうが、残念ながら日本企業が外国人をそんなに尊重して使う例はあまり見られない。

 切り捨て可能な派遣労働者か(外国企業が企業買収の結果として送り込んできた)経営者だけである。まあ、インド企業がこれから力をつけてきて、日本に進出してきて、日本企業を買収して、そのトップにインド人が就くということは、これからはあるかもしれないな。

 そのころ、ここ西葛西とか、船堀とかの「古き頃からのインド人街」はどのように変貌するのだろか。池袋北口みたいになるのか、あるいは新大久保駅周辺みたいになるのか。

 多分、理性的なインド人はそれらとはまた別のインド人街を作るのか、あるいは、そうはせずに、東京のいろいろな場所にインド人の痕跡を残しつつ、しかし、マッスとしてのインド人街は作らないのか、といえば、多分、後者の方だろう。それが、インド人らしい処し方である。ロンドンでもそうだし。

 それでも、外国人が日本に来ても、スムーズに仕事や、学校に通えるようにしたいと考える、というかそうしないと日本が先進国であるという表明は出来ないんじゃないか、と考えるのだが……。

『移住者が暮らしやすい社会に変えていく30の方法』(移住労働者と連帯する全国ネットワーク編/合同出版/2012年3月15日刊)

2012年6月 9日 (土)

『ロボット』

 世界で初めてのロボットものSFのロボットは、機械工業製品ではなくて、バイオテクノロジカルな 生成物なのであった。「そんなの当たり前じゃん」というSFファンには叱られそうだが、初めて『ロボット』を読んだ驚きは、実はそんなところであったのだ。

『ロボット(R.U.R.)』(カレル・チャペック著/千野栄一訳/岩波文庫/1989年4月17日刊)

 しかしながら、この作品が発表された1920年というのは完全に「機械工業の時代」である。まだバイオテクノロジーなんて言葉はない。しかし、何故かバイオロイド。多分、そこには『フランケンシュタイン』(フランケンシュタイン博士が人の死体を継ぎ合わせて作った)という先行例があってのことなのかもしれない。更に、「人間の手によって作られ、やがて反旗を翻す」という点も、もしかするとチャペックの『ロボット』の先行例なのかもしれない。

 この辺は『オズの魔法使い』の「心のないブリキの木こり」とは全く反対の存在で、「人に対して反乱を起こす」というヨーロッパ型のロボット像である。対して、『オズ』の方は理屈っぽくてお喋りだが、融通が利かないという、これは『スターウォーズ』のR2-D2やC3POなんかの先行例である。いわば、人間のお友だちロボットという位置づけ。日本では『鉄腕アトム』や『ドラえもん』のような人から愛されるロボットが多く、どちらかといえば『オズ』型のロボットなのかもしれない。

 このように、ヨーロッパ型ロボットはどちらかといえば、人間に作られその後人間に反乱をするというロボットなのであるが、それはもしかすると神によって創造された人間が、その後、神をも恐れぬ存在になっていったような、キリスト教的な発想があるのかもしれない。対して、アメリカや日本のロボットは単純にテクノロジー礼賛の発想だ。

 とは言うものの、『ターミネーター』なんかはどちらかといえば、ヨーロッパ型に近いか。『メトロポリス』のマリアなんかは、あわれ人間に逆にいたぶられるアンドロイドである。『ブレードランナー』のレプリカントは完全にチャペック『ロボット』型のロボットだが、一方『ロボコップ』なんかは「人間の頭脳」をもったロボットだ。

 ということは、アメリカや日本のロボットはいろいろな多様性があるのだが、ヨーロッパではなんか皆暗くなってしまうというのは、どちらかというと基本的なヨーロッパ人の根暗さに起因しているのかもしれない。

 しかし、発想として面白いのは;

『例えば労働者がロボットに対して暴動をおこして、ロボットを壊し、そして人間がロボットたちに武器を与えて蜂起した人たちに向かわせ、ロボットがたくさんの人を殺したら……そしてそのあと、いくつもの政府がロボットを兵隊にして、とってもたくさん戦争があって、これでおしまいよ』

『これからはもう単一の工場ではなくなる。もうロボットもユニバーサル・ロボットではなくなるんだ。一つ一つの国、一つ一つの国家に工場を作り、その新工場が作り出すのは、もう何だか分かったろう? 民族固有のロボットさ』

 ということなんだけれども、どうなんだろう。「いくつもの政府がロボットを兵隊にして、とってもたくさん戦争があって」というのは、なんかとってもリアルであるけれども、しかし「これでおしまい」にはならないだろう。だって、本当の人間が死ぬから反戦運動なんかも起きたり、政治家もあまり若者が死ぬことに対する恐怖があるから、適当な時期に戦争を終わらせたりするわけだが、ロボット同士が戦う戦争になってしまえば、いくら兵士が死んだところでそれに対する倫理的な問題は起こりそうもない。だったら、その当事国は予算が続く限り戦争をやめることはしないだろうし、国内でも予算の濫費に対する反対運動は若干起こったとしても、逆に戦争によって国内需要は大きくなるだろうから、景気はよくなり、その点からの反対運動はあまり起こらないかもしれない。

 だとしたら、ロボットの存在とは何なのだろうか。

 最早、人のいうことだけを聞いて、その通りに動くことだけがロボットの存在意義なのではないことになる。現状では、それでは人が見える部分でしか操縦できないものにしか過ぎない。人が入り込めない部分、人が見えない部分にも入り込んで活動するロボットが出来たとしたらどうなのだろうか。それは、多分、彼らの人工知能によって動くロボットになるだろう。そのうちに、自分で学習機能を持ったロボットを、ロボット自身が作れるようになったら……と考えると、これはすごいことになる。

 もう人権とかの話ではなくなる。「人=ロボット」権の問題になるのだ。う~ん、これは面白い。

 要は、人がやりたがらない仕事をロボットに任せようというのがカレル・チャペック以来の対ロボット発想なんだから、そんな仕事ばっかりをやらされているロボットが(知能を持ったら)「これは我々だけがやらなければいけない仕事ではないでしょう」という反乱を起こすことは必定である。

 まあ、人は自ら作った物によって裏切られ続ける、という基本がここにもあった、ということですね。

2012年6月 8日 (金)

『セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱』

 しかし、難しいんだよな、こうした「性の問題」を「個人の問題」として語るのじゃなくて「社会的な言葉」で語るっていうのは……。

『セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱』(坂爪真吾著/小学館101新書/2012年6月6日刊)

 しかし、古市憲寿氏といい、この本の著者、坂爪真吾氏といい、彼らを生みだした東大の上野千鶴子ゼミって、どんな事を教えているんだろう。と読み進めていくと、要は「問題設定そのものを疑え」「外在的批判と内在的批判を区別せよ」「先行研究を徹底的に調べよ」っていう、ごく当たり前のことでしかない。なんだ、そんなの当たり前じゃんとは思うのだが、多分、それは今私が出版社という多少は特殊な業界にいるからなのかもしれない。常に自己否定をして新しい企画を考えださなければいけない、というのが永遠の中小企業である出版という仕事のサガであるから、先人の知恵に学ぶことこそが第一というような大メーカーのようなところとは違う発想法が求められているのだ。ただし、現在はそんな大メーカーであっても先人の知恵に学ぶだけではだめで、自己否定の後に新しいビジネスを考えださないといけない時代にはなっているのだけれども。

 で、そんな上野ゼミに学んだ坂爪氏が研究発表のテーマに選んだのが「機械仕掛けの『歌舞伎町の女王』」というものだそうだ。そうヴァギナへのペニスの挿入を伴わない性風俗の世界である。そのでの発見が4つ。『発見① 性風俗サービス=「ジャンクフード」である』『発見② 『「本来、働くべき人ではない人が、働いている世界」である』『発見③ 「本来、利用するべきでない人が、利用している世界」である』『発見④ 「美女のインフレが吹き荒れる世界である』ということで、結局「関わった人全体がもれなく不幸になるシステム」ということを発見したのが、一番の収穫なのだろう。つまり、その後の彼の人生を決めた発見なのである。

 そんな坂爪氏が現在行っているのが、「自力での射精行為が物理的に困難な男性身体障害者に対して、本人の性に関する尊厳と自立の保護、そして性機能の健康管理を目的として、介護用手袋を着用したスタッフの手を用いて、射精の介助を行うサービス」をひとつのサービスとする一般社団法人ホワイトハンズの運営である。何だ、そのサービスってわけがわからんぞ、という人に対して分かりやすく言うと、男性身体障害者のオナニーを代わりに女性(じゃなくてもいいそうだが)が男性のところに赴いてやってあげるサービスだ。なんだ、それじゃデリヘルじゃん。というあなた、それが違うんですよ。デリヘルの場合は、単にオナニーをやってあげるだけじゃなくて、女性が裸になったりして、疑似の(ウソの)ラブやエロスがあるわけである。まあ、デリヘルはそれが「売り」なわけですけれども、しかし、それはあくまでも疑似(ウソ)なわけですね。でも、全国のモテない男に対してそんな幻想(ウソ)を売るのがデリヘル&性風俗や売春事業なわけだ。それとは一線を画した「性介助」という仕事が坂爪氏の仕事である。

 ところが、行政にこの法人がNPO申請をすると、とたんに拒否されるわけだ。つまり、デリヘルと坂爪氏の事業の違いが分からない、というよりも前例がない事業であるから、それを今まである事業に分類しようとするとデリヘルになってしまう。デリヘルになってしまうと、風俗営業法の対象業者になって所轄の警察署に届け出が必要になる。しかし、風俗営業法の対象業種だといろいろな規制がかかって自由な営業ができない。というよりも、要は警察が自らの恣意的な判断で営業中にも踏み込める、という勝手し放題を目的とした仕組みであり、結局そこからのお目こぼしを狙うために警察OBを自らの商売に引きずり込もうという、態のいい天下り先の確保でしかない。まったく、役人天国め、と怒ることは勝手だが、そんな社会を作ったのは我々自身だということも自覚する必要があるだろう。

 で、結局、坂爪氏は一般社団法人として勝手に事業を始めてしまったというわけなのである。NPOの壁を超えることはすぐには難しいかもしれないけれども、とにかくこうして実績を作ってしまえば、いずれは行政も認めざるを得ないだろう。つまり坂爪氏の事業が「前例」になるわけなのだから。しかし、こうした行政の、官僚の「前例主義」って、それこそ坂爪氏の同級生である東大卒の連中が「何か間違ったことを行ってはいけない」という安全弁として作ったものなのだけれどもなあ。

『現行のNPO制度の最大の矛盾点は、「行政の無理解によって生じる社会問題の解決を、行政に代わって行うためのNPO法人設立に、行政の理解=認証が必要という点です』と書くのもわかるけれども、だったらまず東大生の(文化1類か)のアタマの中身を作りかえることから始めなければならないのではないか? 自らと同じ東大卒の官僚に繋がる連中に対して文句を言う前に、自らの同級生に対して働きかけるべきではないのだろうか。

 それこそが、国の税金を使って勉強・研究を進めている東大生、東大卒の役割ではないのか。自らと同じ東大卒の官僚のアタマの硬さを嘆く前に、坂爪氏もその東大卒という他から比べたらとてつもなく有利な立場から、東大卒官僚を動かすことを願いたい。

 そんなこと言ったって、全部が全部の東大卒を知ってるわけじゃないし、というのは言い訳だ。非東大卒からすれば圧倒的に有利な場所にいるじゃん、という気がするのだ。事実、同級生3,000人の中には見知っている人もいるでしょう。なんで、そこから始めないのという気がする。

 糸はメチャクチャ細いかもしれないが、でも「まったくない」よりは、つながりはあるのだからね。

 

2012年6月 7日 (木)

『東京番外地』で一番気になった番外地とは?

 森達也氏とは以前一度会ったことがある。森氏がドキュメンタリー「A」を制作していた時期である。当時は共同テレビに勤務していたのか、既にフリーになっていたのかは覚えていない。いずれにせよ共同テレビからの出資や資金援助がない形でドキュメンタリーを作っていた森氏は制作費を私が所属する会社に出資してもらえないだろうか、という相談で私のところに来たのだった。

 企画には私自身かなり興味があったのだけれども、当時は外部からの持ち込み企画には出資をやめてしまった私の所属会社なので、残念ながら出資案件にはお断りをすることになってしまった。それでもなんとか完成した作品を見たとき、何故か敗北感に囚われた私なのであった。何故、出資のために奔走できなかったのだろう。

 まあ、当時の私と上司の関係論では、仮に奔走したところで、GOサインが出る可能性は極めて低かったのだけれども……。

『東京番外地』(森達也著/新潮文庫/2009年8月1日刊)

 そのドキュメンタリスト森達也が文章を書くに至った道程は本書に記されている。要は新潮社の編集者・黒づくめの土屋がインタビューを途中で打ち切って、森氏に自分で書くことを勧めたのだという。ま、面倒くさくなっちゃったんだな、土屋は。

 そしてその土屋を同行して、森氏が訪れて「番外地」とされた東京(東京都ではない)の15か所は以下の通り。

第一弾 要塞へと変貌する「終末の小部屋」→東京拘置所
第二弾 「眠らない街」は時代の波にたゆたう→新宿歌舞伎町とストリップ小屋
第三弾 異国で繰り返される「静謐な祈り」→東京ジャーミィ(モスク)
第四弾 「縁のない骸」が永劫の記憶を発する→浅草寺、観音前交番身元不明相談所
第五弾 彼らとを隔てる「存在しない一線」→東京都立松沢病院
第六弾 「微笑む家族」が暮らす一一五㎡の森→皇居
第七弾 隣人の劣情をも断じる「大真面目な舞台」→東京地裁
第八弾 「荒くれたち」は明日も路上でまどろむ→山谷
第九弾 「世界一の鉄塔」が威容の元に放つもの→東京タワー
第十弾 十万人の呻きは「六十一年目」に何を伝えた→墨田区横網公園、東京都慰霊堂
第十一弾 桜花舞い「生けるもの」の宴は続く→上野恩賜公園
第十二弾 高層ビルに取り囲まれる「広大な市場」→東京都中央卸売市場食肉市場(芝浦と場)
第十三弾 「異邦人たち」は集い関わり散ってゆく→東京入国管理局
第十四弾 私たちは生きていく、「夥しい死」の先を→多磨霊園
番外編   日常から遊離した「夢と理想の国」→東京ディズニーランド

「番外地」というのは「無番地」「無地番地」というのが正しい言い方で、要は地番、地名のない国有地や埋立地などでまだ地番が決まっていない場所のことだ。有名なのは網走番外地で正しい住所の呼び方は「網走市字三眺官有無番地」というのだそうだが、現在は地番があるようである。ただし、上記の15か所は総て地番・住所があり番外地ではない。

 とはいうものの、ここで番外地というのは、やはり東映映画『網走番外地』なのである。日本で一番脱獄の困難な刑務所といわれ、凶悪犯と政治犯が収容され、強制労働に就かされていたという、東映映画の『網走番外地』。

 しかし、ここでの番外地は簡単に「普通の社会」から赴くことができ、そして「外からその番外地に赴いた人は」簡単にそこから出てゆくことができる。そう、土屋と森氏も別にアポイントもとらず、何気なく訪れて、何気なくそこから立ち去り、居酒屋でいっぱい飲んでから家に帰るのである。そこには桎梏はない。

 ところが実は一番「桎梏」となるのは『第六弾 「微笑む家族」が暮らす一一五㎡の森』に住む「家族」だろう。憲法によって「象徴」とされてしまった家族。そう人間ですらない、象徴という存在。かつてロラン・バルトによって『いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である』と書かれた「番外地」。

 しかし、そこにも住所はあって「東京都千代田区一番地一号」だそうで、別にそこに住んでいなくても本籍地登録はできるので、そこに本籍地登録をする人は多いようだ。ま、別に千代田区役所に戸籍謄本の申請をするだけだから、どうでも良い話。

 問題は、彼らがその聖域から出ることはない、というか出られることもない。常に周辺には従者がいて、自由のひとかけらもない生活が死ぬまで続くのだ。それに比較すれば、我々の自由な生活ってなんだろう。法に触れさえしなかったら、何をしようと自由だ。どこに出かけようと、どんな服装をしようと、自由である。その自由を完全に放棄したからこそ得られる、安全で、安逸で、そして(見た目は)少しは贅沢な(本当はかなり贅沢な)生活。しかし、それは自ら選ぶことの出来ない人生の運命なのだ。

 がしかし、そんな生活を見て同情する国民もほとんどいないだろう。つまり、それは「国民統合の象徴」という存在なのだから仕方がないでしょう、という考え方。でも、それでいいのか? 日本国民でありながら、象徴であるから日本国民でないという存在を認めている日本国民って一体なんなのだろう。いやいや、そんなことを考え始めてしまったら収拾がつかなくなってしまうから、考えないことにしようってのが日本国民の考え方なのか。それが「国民統合の象徴」っていう存在に対する国民の考え方なのだったら、まことに残念な発想法である。「考えないことにするという考え方」なんてね。如何にも思考停止状態の日本人らしい考え方だ。つまり普天間基地の辺野古移転を、すでに「既決」のものとして扱っている民主党、自民党と同じ発想だ。それ以外の選択肢はないのか?

 いやいやいくらでもある筈なのだ。

 しかし、それをどこかで思考停止してしまい、その段階での考え方を一切変えようとしない固定的な考え方がこの国を覆い尽くしている感がある。そうじゃないんだ。いくらでも別の発想法があるでしょ。ということを考えなければいけない。

 そうしないと、日本という国もなくなっちゃうぞ。

 ま、別に私はそれでもいいけどね。

 

2012年6月 6日 (水)

『自分がやった方が早い病』でもいいじゃないかよ

 そんなことは言われなくてもわかっているのだ。30~40代の私が「自分がやった方が早い病」に罹っていたってことぐらいは……。

『自分がやった方が早い病』(小倉広著/星海社新書/2011年5月20日刊)

 でもやむなかったんだよな。なにしろ「作家第一」という出版社にいて、小うるさい漫画家という人種を相手にしながら、彼らの気に入らないこともあるアニメーション制作という仕事をしながら、現場スタッフとうまくやっていくなんてことは、編集者出身のプロデューサーには重荷で、営業出身の私が双方をなんとか誤魔化しながらやっていくのが一番いい方法であり、基本的にトラブル処理が多かった私が、なかなか会社の契約プロデューサーに任せることは出来なかったんだ、という言い訳をしているのである。

 当然、ひとりで仕事を抱えちゃうと疲れるし、その報いとして「出世」なんてことにはとんと縁がなく、っていうかハナから出世なんてことには興味がなかったので、別にサラリーマンとして出世できなくてもまったく気にはしていない。いくつかの気に入った映像作品のプロデューサーがやれたってことで満足しているんだから、それでいいじゃないか。

 勿論、それなりの立場になったほうが高次の決定権をもって仕事が出来たであろうことは事実である。しかし、映像制作については素人集団の出版社である。平社員の私の決定事が、予算からスケジュールから配給会社との交渉から何から何まで、そのまま採用されてしまったということで満足しちゃったんである。

 その結果、ほぼ平社員のままでリタイヤということが決定的な状態になっているが、まあ、それも人生あれも人生ってことで、私自身は満足している。家族はどうかは知らないが、少なくとも私はこれで満足。

 なんて、最後まで居直っている私なのであった。グスン。

 まあ、確かに「先発完投」の自己完結型の仕事のやり方は、いまや好まれないのは事実だけれどもね。

 オシマイ

2012年6月 5日 (火)

『スティーブ・ジョブズの真実』では見えてこないものもある

 5月15日のエントリーで書いた『バトル・オブ・シリコンバレー』は、スティーブ・ジョブズとビル・ゲイツの確執を描いたドラマだったが、今回は完全なドキュメンタリー。それも、マイケル・ムーア式の「初めっから方向が見えているドキュメンタリー」じゃない、普通の事実を追っただけのドキュメンタリーが、今でもアメリカにあったんだという、ある種新鮮な、しかしある種古めかしい、ドキュメンタリーなのだった。

『スティーブ・ジョブズの真実』(タラ・パーニア監督/パトリシア・K・スモール脚本/スタックス・エンターテインメント製作/日本での発売元:ラインコミュニケーション/2012年5月20日)

 まあ、つまりスティーブ・ジョブズの生涯を、基本的にはアップル社に即して描いているドキュメントなのであるが、まあ、それだけと言ってしまえば、それだけ。何か、アップルやジョブズについての作者としてのコメントがあるわけでもない。もしかすると、これはテレビ番組として作られたドキュメンタリーをそのままDVD化しただけなのかな、なんてことを考えてしまうような、まさしく不偏不党のドキュメンタリーなのであった。いまどきNHKだってこんなドキュメンタリーは作らないぞ、っていう感じのドキュメンタリーなのでありました。まあ、それはそれで見るべきものがないわけではない。ウォルター・アイザックソンの評伝「上・下」を読んで、途中で挫折してしまった人あたり(というのも信じられない)が、なんとかジョブズの生涯に触れたいと考えるなら、まあ、取り敢えずは見ておくべきDVDかな、って言う感じの作品ではあります。ジョブズの“Stay Hungry, Stay Foolish”の演説シーンがそのまま収められているしね。

 コメントを寄せている人は以下の通り;

ヒルダ・ベイカー アップルの関係者らしいがよく分からない人
リーアンダー・ケイニー 「スティーブ・ジョブズの流儀」著者
ジョナサン・リップマン パブリシスト
アラン・シュガー
ジョン・スカリー アップル社元CEO
マーティン・ディーソン スクエア・マイル・マガジン編集長
マッド・アイザックス エッセンス社共同設立者
アラン・デウッチマン ネバダ州立大学リノ校教授
アンディ・ハーツフェルド 1979-1984までアップル社員
ジョナサン・アイブ アップル社員

 というところ。

 最初のヒルダ・ベイカーって何者じゃとも思うのだが、アメリカでは有名人なのだろうか、日本人の私にはさっぱり分かりません。というか、この人アップル製品ってもしかするとiPodあたりから後の商品しか知らないんじゃないかという感じで、別にそれでもいいんだけれども、しかし、アップルについて語るならやはりアップルⅡCとまでは行かなくても、せめてマッキントッシュかパワーブック位は知っていて欲しいんだけれども、どうもそうでもないらしい。なんか、普通のアップル好きのねーちゃんという感じだ。

 それからすると、やはりマーティン・ディーソン氏なんかはよく分かる。つまり、彼の周辺のクリエイター諸氏あたりはやっぱりMac派が多いということなのだな。確かに、デザイナーやイラストレーター、音響関係者や映像関係者なんかは皆Mac派だ。まあ、それだけMacとAppleは映像や音響、グラフィックに傾注したコンピュータであることは確かである。

 ただし、それはアメリカでのことである。日本では「文頭一字下げ」が当たり前なんだけれども、iPadではそれができない、っていうか、できるんだけれども面倒くさいのだ。だったら、Tabにしちゃえよってなもんです。

 まあ、それは日米の文化の違いだからしょうがないんだけれども、その文化の違いが「アメリカではパーソナル・コンピュータができた」けれども「日本ではパーソナル・コンピュータはできなかった」という違いになってしまったのは大きかった。何故なのだろうと考えると自然と分かってくるのだろうけれども、要は、ソフトウェアについての考え方なのだろう。

 日本は基本的に「モノづくり」の国らしいから、パソコンのハードウェアを作るのはいいけれども、ソフトウェアを作ることが出来なかった、というよりソフトを作るのは大会社ではなく小さな会社の小さなチームが作るというのが分かっていなかったんだろうな。で、結局、日本のパソコン業界はマイクロソフトの牙城に屈するこになり、一方ではAppleからも挟撃されることになってしまった。

 最近はパソコンを持っていない人が多いそうだ。私なんか家用、会社用、モバイル用の三台も使っているのに。いまや普通にiPhoneでパソコンに近い業務は行えてしまっているし、あとは会社のパソコンで仕事をすればいいわってなもんで、パソコンを持っていない……、昔(といっても20年位前ですが)には考えられなかった状況。

 そうか、時代はパソコンじゃなくて、もはやモバイルの時代なのね。でも基本的なことを言ってしまえば「モバイル」の後に繋がるのは「パソコン」じゃないかよ。それがパソコンでも、iPadでもいいのである。

 で、結局はノマドですね。なんて、勝手に自分の結論に繋げたりしてね。

2012年6月 4日 (月)

アメフト・カワサキシリーズ終了

 春のカレッジアメリカンフットボールは関東学生連盟が主催しアミノバイタルフィールドで開催されるK-WARSと、川崎市アメリカンフットボール協会が主催し川崎球場で行われる川崎アメリカンフットボールシリーズ、とそれぞれの大学が主催する大学グラウンドで行われるゲームがある。勿論、順位付けはない。というか、NCAAだって順位付けはやってなく、各カンファレンスごとの順位付けだけをして、そこから先の試合は勝手に主催者で決めてくださいという格好なのだ。

 2012年川崎アメリカンフットボールシリーズも、4月22日の川崎フェスタ“法政vs.関西、青山vs.明学”、5月6日の川崎クラシック“慶應vs.青山、明治vs.専修、法政vs.神奈川”、5月20日の川崎ボウル“専修vs.東北、東京vs.関東学院、法政vs.一橋”、6月3日の川崎インビテーション“関東学院vs.東農大、東京vs.専修、法政vs.立教”という具合に展開されてきたがそれも昨日最後を迎えた。

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 昨日の最終戦は、第1試合、関東学院大学対東京農業大学、第2試合、東京大学対専修大学、第3試合、法政大学対立教大学の3戦が行われた。

 特に第2試合と第3試合は関東1部リーグ校同士の(ブロックは別)戦いということで、関心が高い試合だ。

 しかし、先々週の川崎ボウルで東北大学を55対0で破って意気軒昂の専修大学と、同じく川崎ボウルで格下の関東学院大学に34対25で敗れた東京大学の試合である。なんか、そのままの関係論が持ち越されたしまったような試合展開ではあった。前半は0対0で折り返し、双方それなりの反省点があった前半戦だったと思うけれども、後半に入って専修大学がタッチダウンを決めた後の東大の攻撃がなんかすべてチグハグで、結局、東大ディフェンスチームが相手の攻撃をツブして得たセイフティのみの得点で、17対2という散々な結果に終わってしまった。

 特に、専修大学(1部Bブロック5位)、関東学院大学(1部Bブロック6位)という、本来格下の(東大は1部Aブロック3位)チームに負けたのが大きい、このままでは、秋のリーグ戦で立教や一橋に負けるということなのだ。

 来週の中央大戦もそうだし、秋のリーグ戦に向けて、オフェンス陣の体力的・精神的強化と、デフェンス陣のテクニック的な強化が、東大夏合宿のテーマになるだろう。

2012_06_03_402_2_5東大唯一の得点セーフティの瞬間

 法政大対立教大は、まあ幕下立教大が幕内法政大の胸を借りた試合というようなもので、それは仕方ないんだけれども、何と67対0という負け方。普通、競っている試合だったらここはフィールドゴールでしょというシーンでも、なんとかタッチダウンをということで、攻めて結局は相手ボールになってしまうシーンもあった。

 同じ1部リーグでもA、B、両ブロックの上位4~5チーム(法政、早稲田、日大、中央or明治)と、それ以外ではかなりの力の差がある。それをどう縮めるかが、今後の各大学の課題だ。

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2012年6月 3日 (日)

ハイスクール・アメリカンフットボール

 昨日はアミノバイタル・フィールドにて春季高校フットボール関東大会第3回戦を観戦。

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 対戦は、神奈川県第1位の慶応義塾高校ユニコーンズと、東京都第3位の日本大学付属鶴ヶ丘高校シルバー・クレーンズ。塾高のユニコーンズは兄貴分の慶応大学と同じニックネーム。日大鶴ヶ丘は、日大の付属には大抵アメフト部があるので、全部が全部フェニックスというわけにはいかないので、鶴のクレーンか。だったら、クレーン・ヒルズとかにすればいいのに、なんてことを考えているうちに試合開始。

 先にレシーブをとった日大鶴ヶ丘がまず先制タッチダウンを決め、その後も試合をリードして進める形になった。どうも、慶応大学とか立教大学は先制されてそれを追い上げる形になるとあまり上手くいかず、先攻逃げ切り型の試合だと強いという性格があるようだ。

 キックオフ・リターン・タッチダウンという大技を決めたり、トライ・フォー・ポイントの2ポイント・コンバージョンなんかを決めていい調子になり、第3クォーターあたりで一時28対21と先行するタイミングもあったのだが、結局、35対28となり、残り40秒ほどで日大ボール、時間切れとなり、試合は日大鶴ヶ丘のものになった。

 こうなると、この日の第二試合は佼成学園(東京都2位)対清水国際(静岡県1位)は49対26で佼成学園の勝ち、本日の足立学園(東京都4位)対埼玉栄(埼玉・茨城・千葉1位)、早稲田高等学院(東京都1位)対神奈川県立横浜南陵(神奈川県2位)の総て東京都が勝って、結局、東京都大会と同じ展開になってしまうのは火を見るより明らか。そんな意味では慶応義塾高校には頑張ってもらいたかったのだがなあ。

 しかし、日大鶴ヶ丘のライン陣の強さと、21番、26番の両ランニングバックの強さはたいしたもので、こうした高校アメフト選手がいくつもの付属から上がってきて、熾烈なレギュラー争いをする日本大学が強くなるのは当たり前みたいな気がする。高校のアメフトは大学ほどにはプロテインと筋肉トレーニングで無理やり身体を大きくするということはないので、それなりに当たりは柔らかいが、それでも日大鶴ヶ丘の当たりの強さには見るべきものがある。

 う~む、日大鶴ヶ丘の特進コースあたりから、アメフト選手が東大あたりに来てくれないだろうか。

 ま、無理かな。

2012年6月 2日 (土)

『MY HOUSE』が何故、名古屋で撮影されたのかということについて

 坂口恭平氏の『TOKYO 0円ハウス 0円生活』も『隅田川のエジソン』も舞台は東京である。というよりも、坂口氏のフィールドワーク先そのものが隅田川の河川敷だったり多摩川の河川敷なんだから、本来は東京で撮影を行ったほうが、スタッフワークも含めてやりやすかったはずである。

 それを何故、名古屋でロケを行ったのか。単に堤幸彦が名古屋出身だからというだけではない理由があるはずである。

『MY HOUSE』(坂口恭平:原作/堤幸彦:企画・監督・脚本協力/佃典彦:脚本/オフィスクレッシェンド・アルケミープロダクションズ:制作/2011年製作)

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(c)2011「MY HOUSE」製作委員会

 つまり、それは堤が東京や大阪にはない「人工物性」を名古屋に感じたからなのではないだろうか。

 名古屋を象徴するもののひとつに「100メートル道路」がある。この100メートル道路、第二次世界大戦での敗戦後、空襲によって被災した日本各都市の復興のために戦災復興院が立案し、1945年に閣議決定された「戦災復興計画基本方針」のなかで計画されたものである。つまり、幅員100mある道路を作って、その上下線の間に火災予防のための緑地帯を作るという考え方なのであるが、結局、占領軍によって「そんなものはいらない」ということになり、結局出来たのは名古屋と広島だけになってしまった。それは将来のモータリゼーションに備えるという理由もあったんだけれども、結果として、愛知県、広島県という二つの自動車工業地域が出来る助けにはなったわけであるけれども、その分、人が勝手に住み着いて街を作っていくというダイナミズムは生まれなかったわけだ。

 一方、同じく空襲にあった東京、大阪はそんな占領政策の中で、勝手に元住民が住み着いて闇市やらドヤ街が出来上がってきて、結局、戦前の町並みのままに狭い道を挟んで人が住み着くという人工的でない街が出来上がってきたのだ。東京、大阪なんかは都市計画なんてものがない、人の営みのままの街が出来上がってきてしまい、その後の都市計画では非常に苦労する原因となった。一方、名古屋はそうした100m道路の実施とともに、まず都市の道路計画を最初につくり、その結果としての街づくりを行ってきた。その辺が、名古屋という大都市でありながら京都や札幌のような碁盤の目のような街ができた理由なのである。多分、その意味でも平城京とか平安京といった計画都市は住みにくかったんだろうな。

 確かに、それは名古屋という街のモータリゼーションの発達には尽くしただろう。しかし、その一方で「人が何となく住み着いてしまう街」にはなっていないという残念な結果にもなってしまったのだ。

 街というものは、本来は人が勝手に住み着いて、その人たちが使い勝手がいいように作って行き、その結果、道路ができて、店が出来てという風に出来上がっていくのが、住む人にとっては住みやすい町になっていくはずのものである。それが、行政がまず道路を作って、それにしたがって住む場所、商業地域、オフィス街なんてものを作っていっても、それは住民にとっては決して住みやすい場所にはならないのである。

 そういう意味では、人口600万という愛知県、200万という名古屋市は都市の規模としては理想的であるにもかかわらず、何故か住みにくい街になっているのではないだろうか。そんな住み難さを堤は感じたからこそ、この映画を(多少無理がある)名古屋で撮ろうという気になったのではないか。

 つまり、それこそが名古屋という街の住みづらさを、鈴本さんというホームレス(という言い方は本来おかしい、彼らには住むべき「ハウス=ホーム」があるのだから)の存在として描いたのではないだろうか。エリートコースを目指すショータの家の人嫌いで潔癖症の主婦・トモコ(しかし、その潔癖症ならではのゴミ出し癖が、ホームレスにはいいのかも知れない)やその夫の医者らしい人物。彼らが忌み嫌う「ホームレス」という存在は、出来れば街からいなくなってしまって欲しいという存在なのである。

 しかし、彼らホームレスは別に街にストレスを与える存在ではない。人々が「廃品」として捨てているものを拾って生活しているだけなのである。空き缶、鍋、釜、テレビ、バッテリー、ブルーシート、廃材や折れた釘、パソコン、タバコ、酒……。そうした都市住民が「いらないもの」として捨ててきたものを拾って生活する人々。

 しかし、そうした人々を「不可触賎民」として街から排除しようとする都市住民。しかし、インドだって不可触賎民の職業はあるのだ。ホームレスを街から排除しようとする考え方では、街の浄化なんてものはできない。むしろ、そうしたホームレスをも含んで街の住人として受け容れるくらいの度量を以って、初めて街は街として成立するのではないだろうか。

 もしかすると、彼らホームレスは実は一番街の街らしさを知っている存在なのかもしれない。だって、この街ではどんなものが「いらないもの」として捨てられているかを一番知っているわけなのだから。そこから調べてみる、街の現象学というのもあるかもしれない。

 最後に、鈴本さんの話を聞いているうちに、そんな生活もいいかもしれないと、会社が倒産したら仲間に入れて欲しいというラブホテルの経営者・板尾創路の存在が面白かったのと、さすがにスミちゃん役の石田えりだけは、唯一、周りから浮いて「女優」していたことを付け加えておく。しかし、最後に金属バットで殴られて死んじゃう演技のことを考えると、ここはプロの女優じゃないとダメなのかな。

映画『MY HOUSE』の公式サイトはコチラ→ http://myhouse-movie.com/

2012年6月 1日 (金)

『勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド』で「なるほど」なこと、残念なこと

 本書は勝間和代氏の2006年の処女出版『インディでいこう!』を改題したもので、その後の勝間自己啓発書の出発点となったものだ。

『勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド』(勝間和代著/ディスカバー携書/2008年3月1日刊)

 しかしまあ、この6年間、勝間氏の言っていることはまったく変わっていないのね。それも当たり前といてしまえば当たり前なのだが、このブレのなさというか、変わりようのなさというのが勝間氏の魅力なんだろうか。あるいは、社会がまったく変わっていないことの証左なんだろうか。

 インディペンデント、つまり自立した女性になりましょうという勝間氏の提案はなかなかいい。しかしそのインディペンデントな女性の生き方を具体的に上げているのだが;

1 年収を600万円以上稼ぎ
2 いいパートナーがいて
3 年をとるほど、すてきになっていく

 そして、その2のいいパートナーの条件とは;

1 年収1千万円以上を余裕を持って稼げる男であること
2 インディの価値を認められる男であること
3 インディと一緒に、年齢とともに成長していく男であること

 と、なかなかに厳しいのである。

 女性で600万円以上の年収があるのが、働く女性の中の10%。男で年収1千万円以上もやはり働く男の中の10%程度ということは、しかし、かなり厳しい条件になってしまうのではないか。まず、20代で1千万円以上の年収があるのはごく少数の割合でしかいない筈で、30代だって結構少ない筈だ。40代、50代になってしまえば、それなりにいるかもしれないが、しかしそれではおじさんばっかりが、結婚対象になってしまうではないか。

 出来れば20代、あるいは30代前半までに結婚したいと願う女性の結婚相手が40代、50代では哀しいですよね。女性だって600万円以上の年収を稼ぐためには20代では無理ということになってしまえば、世の中おじさんとおばさんのカップルばっかりになってしまう。そんなことを言っているから、女性の初婚年齢がどんどん上がってしまって、初産の年齢もどんどん上がってしまって、それこそ少子高齢化社会に拍車がかかってしまうのではないだろうか。

 むしろ、とりあえずは年収条件は取っ払っておいたほうがよい。勝間氏が言うように『男選びは最初の一回で成功することはまずない』というのだから、まず年収条件は取っ払ってパートナーを選んで、いずれ年収が上がれば万万歳だし、年収が上がらなければ、その時はその時で考えればよろしい。むしろ、夫婦二人で年収1千万円ちょっとあれば、それはそれでいい暮らしは出来る筈だから、その位で考える方が現実的な選択になる筈である。

 それ以外の部分では、かなりいいことを言っているのだ。

 例えば、『仕事の場の外で学び続ける 英語』の方法論や、『仕事の場の外で学び続ける 読書』、『仕事の場の外で学び続ける 「ながら学習」』などは傾注に値する考え方だ。特に、『読書』の部分での発言『資本主義では、情報はお金そのもの』という言い方はまさに当を得た言い方である。ただし、その中で『インディなら、少なくとも次の量ぐらいはこなしているものです』という言い方で;

・毎日、新聞の見出しにざっと目を通す
・書籍は一週間に0.5冊~一冊
・雑誌は専門分野を一カ月に一冊

 って、随分少ないでしょう。新聞の見出しまではいいとして、書籍を一週間に一冊って、雑誌を一カ月に一冊ってあまりにも情報の量としては少なすぎる。この程度の情報収集量では、とてもじゃないが男には太刀打ちできません。少なくともこの3~5倍くらいの情報収集量がないと「インディとしてやっていく」のは無理じゃないかな。だって、勝間氏自身はひと月に100冊位は本を読むそうだ。私だって週5冊、月に20~30冊位は読んでいる。まあ雑読ですけれどもね。それでもこのテイタラクなのである。インディを目指す女性だったら月に20~30冊位は本を読みましょう。その位読んで、はじめて「情報はお金そのもの」と言えるのである。

 そのほかの「ながら学習」なんてものは「ワールドビジネスサテライト」を見るとかCNNやBloombergを見ましょうというのは、英語に慣れるという効果もあっていいかもしれない。

 ということで、かえすがえすも年収600万円、1千万円というのが可能性としては低すぎて残念だ。

 もしかして、二度も離婚をした原因がそこにあるのかもなんてことを邪推してしまう一冊ではありました。

 

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