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2012年5月 1日 (火)

『鉄道と国家』というか、もうとにかくズブズブの関係だったんだろうな、国鉄時代は

「我田引鉄」と言えば、すぐに思いつくのは、「田中角栄と上越新幹線」だし、「大野伴睦と東海道新幹線岐阜羽島駅」だし、「荒船清十郎と上越線深谷駅への急行停車」というあたりが、三大政治路線(駅)なんだろうけれども、しかし、それには意味があったのだな。

『鉄道と国家 「我田引鉄」の近現代史』(小牟田哲彦著/講談社現代新書/2012年4月20日刊)

 つまり、「まえがき」に著者自ら書くように;

『特に、公共事業と言えば道路やダム建設といった大規模事業が他にもある現代と異なり、航空機が発達しておらず、自動車社会でもなかった時代においては、鉄道の持つ社会的意義は今日に比べて遥かに大きかった。ゆえに明治以来、我が国では鉄道の敷設事業はインフラ整備の筆頭格であり、経済事業ではなく社会政策的事業として政治と密接に関連し続けてきた。そのような鉄道と政治との結び付きについて、鉄道史と紐解き大小のエピソードを拾いながら考えてみようというのが本書の着想である。
 もっとも、政治家が鉄道政策に介入してその実現に助力したり政策変更に影響を与えたりしたとき、往々にしてその路線は「政治路線」などと揶揄されるが、本書はそうした見方には与しない。詳しくは本文に譲るが、日本の鉄道は成立当初から政治的要素を強く帯びており、広義ではほとんどが「政治路線」と言っても過言ではない。中央政府的視点と当該沿線地域からの視点が対立する場合に、どちらの見解が正しいのかを客観的に確定するのはほぼ不可能であろう。』

 と言う部分が、まず最大部分での実態である。つまり、日本の鉄道がまず最初に国営鉄道で始まった以上、それはすべて「政治路線」であるということなんだな。

 だとするのならば、上記3氏と鉄道の関係だけでなく、大船渡線の「ナベヅル路線」(JR大船渡線の陸中門崎~千厩間の北へ大きく迂回してる部分)や、中央線の「大八廻り」(JR中央線が岡谷~塩尻間で大きく辰野へ迂回している部分)なんかも、そうした政治路線であり、それは当然のことだったのである。もっとも、JR中央線の「大八廻り」は1983年の塩嶺トンネル開通を岡谷~塩尻間は直接つながるようになって、辰野はいまや単なるJR飯田線のローカル駅となってしまった。

 まあ、大体我が国の鉄道が世界でも少ない狭軌を採用していることからしても、狭軌がいいのか標準軌がいいのかの基本的な論議もなく、『何か人を驚かすに足るべき新事業を起こし。文明の例証を示し、以って天下の人心を一変して新政に向かはしむる必要がある。夫れには鉄道を創設するが最上策と云ふ事になったのである。要するに我国の鉄道は交通上の必要よりは新政施行のを図る手段として始められたのであると云ふことを私は承って居ります』(帝国鉄道協会副会長・原口要工学博士による大隈重信新会長就任歓迎の挨拶より:漢字表記は引用者によって改められている)というのだから、まったく何をかいわんやというところである。当時、民部大輔と大蔵大輔を兼任していた大隈重信と、民部少輔と大蔵少輔を兼任していた伊藤博文の二人が、政府内部でも鉄道建設事業推進積極派だったとのことだが、その大隈、伊藤は、鉄道建設のためのいわゆる「お雇い外国人」であるイギリス人顧問技師長エドモンド・モレルの進めに従って狭軌を採用することにしたのだが、その当時、大隈も伊藤も鉄道システムについての知識は殆どゼロであり、そんな大隈や伊藤にとっては狭軌も標準軌も関係ない、要は、何か大きいことをやって人心を驚かせて、国民の目をを政府のほうに向けさせようという、政治的意図のほうが大きかったわけである。

 で、結局我国の鉄道は「狭軌」「左側通行」という世界的に見ても「変な」交通システムとしてガラパゴス化を果たしたのである。

 つまり、日本という国は何でもガラパゴスにしちゃうのはいいのだけれども、それがグローバル化した現代世界では、システムとして輸出する際の足かせになるということには、当時気づかなかったとしても、それはやむを得なかったのだろう。まあ、とにかく欧米に追いつけ、脱亜入欧の時代である、その後の展開がどうなるなんてことには気は回らなかったんだろうな。ただし、そうであるなら、もっと単純に世界標準のままを受け容れて日本標準にすればよかったのにね。つまり「右側通行」「標準軌」である。だとしたら、新幹線規格の輸出なんかも、もっとやりやすかったかも知れない。と言ってみても、所詮あと付けの知識だからしょうがないけれどもね。

 それにしても、駅前にはいまだに駐車場と倉庫しかない東海道新幹線・岐阜羽島駅前の大野伴睦夫妻の銅像とか、バッジテストを受けるための講習用ゲレンデしかない上越新幹線・浦佐駅前の田中角栄氏の銅像とか、あんなの作って本人たちは恥ずかしくなかったのかしら。とは思うが、まあ、そういうモンタリティの持ち主だったら政治家なんかにはならなかった、というものかもしれない。

 まあ、大隈重信やら伊藤博文よりは罪は軽いというところなんでしょうね。たかだか、一路線のひと駅だけだもんね。日本鉄道百年の大計を誤ったなんてのに比べればね。そりゃあ、大したことやってないわけである。

 ということで罪一等を免れた田中角栄氏と大野伴睦氏ではありました。

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