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2012年5月22日 (火)

『独立国家のつくりかた』はなかなか素敵な提案だ

「0円ハウス」の坂口恭平氏の最新著である。

 早稲田大学理工学部建築学科卒の坂口氏の職業は、(0円ハウスばっかり提案している)建築家、(小説を1作だけ書いた)作家、(これが一番の稼ぎ頭かな)絵描き、(これはよく分からない)踊り手、(路上の)歌い手、で更にそこに新政府の初代内閣総理大臣という肩書きがつく。

『独立国家のつくりかた』(坂口恭平著/講談社現代新書/2012年5月20日刊)

 まあ、要はアーチストという名の何でも屋さんなのだけれども、それはそれでこの『独立国家のつくりかた』という発想は面白い。我々の世代だと、今の政府に問題がある考えたら、それは反政府運動を起こし、今の政府を変えようという方法論しかないという発想法だったわけなのだが、そうじゃなくて、今の日本経済のなかで、「別の経済」を流通させてしまい、それをもって「独立国家」という発想の中で実現させようとするのだ。

 坂口氏はそれを「態度経済」という。別にどんな言い方をしてもいいけれども、それは一種の「贈与経済」である、ということだけは言っておこう。実は「贈与経済学」という発想でモノを書いている人はいっぱいいるのだ。そこには「貨幣経済」では有り得ない経済融通の方法があるのだ。

『冷静に考えたら、土地はもともと誰のものでもないはずなのに……、と子どもみたいなことを考える』というのだが、別にそれは子どもの考え方ではない。もともと天与のものである「土地」を所有するということは有り得ないのだ。ところがその「有り得ない」ことを何故実施しているのかと言えば、それは単純に「税金」を国家が欲しがるからなのである。国は国民から税金を巻き上げる方法をいろいろ考えることで成り立っている。現在の消費増税もそうだし、所得税もそうだし、ということで固定資産税なんかも作られたのである。

 明治以前の時代には、勿論こんな制度はなかった。農民は田畑や自分の家なんかの土地を自分で持っているという認識はなかったから、当然税金なんてものは払わない。とにかく年貢米だけを納めていればよかったのである。というか、この時代までの日本は貨幣経済ですら都会の一部だけで通用していた経済なのである。国民の殆ど、それは農民なんだけれども、貨幣なんてものとは関係ない生活を送っていたのだ。

 ところが明治政府はそれまでの封建時代の政府(幕府と朝廷)に比較してとてつもなく「大きな政府」になってしまった。それは「富国強兵」という掛け声とともに、それまでは各藩ごとに勝手に「武士という暴力装置」を作っていたのを、国が「暴力装置」を作らなければいけない。鉄道や道路、電気などのインフラも国がやらなければいけない。それまでの江戸時代の政府(幕府と朝廷)は、言ってみれば徳川藩だけの経済でよかったのだが、明治政府ではそうはいかなくなってしまった。

 ということで、所得税なんかと一緒に、土地の私有制を進めて、そこから税収を得ようとしたのだ。しかしまあ、この辺からおかしくなってるんでしょうね。所得税は当然貨幣で納めることになるわけだが、併せて固定資産税もそこから何らかの作物ができるわけではないから、貨幣で納めることになる。ということで、明治政府以降、日本の経済は一気に貨幣経済への道をたどるのだ。

 で、貨幣ってなんなの? という疑問には、答えるのが難しい問題が多い。しかし、簡単に言ってしまえば「モノやコトに対する価値を表した尺度」なのだ。しかし、そこには「属人性による差異」は認められないという問題がある。つまり、ある人にとっては100万円払ってもOKというようなプラモが、他の人にとっては1000円でも高い、というようなね。まあ、プラモなら買わなきゃいいってもんだけれども、たとえば「家」だったらそうは行かないでしょ。お米だってそうは行かないよね。でも、貨幣経済というものはそういう一定の尺度をつけるものだ。

 その貨幣経済が「モノやコトに対する価値を表した尺度」である時代はまだ多少健全だった。ところが、その貨幣経済が「貨幣そのものに対する価値を表した尺度」に変貌したここ20年間の経済社会の変化が大きな問題となってしまった。まあ、結局は貨幣経済の行き着く先が今の状況なんだけれども、実はこうした大きな政府にたいする批判から「規制緩和」と、企業の要請からくる「グローバリズム」による、一般大衆に対する「貨幣経済の弊害」は、すでに1916年にレーニンが『帝国主義論』のなかで書いていることなんだけれどもなあ。

 といううことで、坂口氏の論点も、結局は昔レーニンが言っていたことの焼き直しなのだけれども、多分、マルクス&レーニンなんか読んだこともないだろう坂口氏が、結局はレーニンの発想法に近づいたと言うことは、言ってみれば歴史的な邂逅ということなのだろう。

 結局は、40年前の学生が言っていたことも、今、坂口氏が言っていることも、結局は「この国には革命が必要だ」ということなのだ。ただし、その方法論はまったく異なっている。別に声高に「革命だっ」なんて叫ばない。しなやかに、勝手に独立国家成立を宣言してしまう(それも小声で)。ただし、今の日本政府にも税金を払いながらね。

 態度として「楽しそう」だ。40年前の「自己否定」なんていらない。自らの躁鬱症なんかも気にしない。多分、この人は躁鬱症(躁期+欝期)があるからこうした考え方をできるようになったんだと思うが、それは北杜夫氏と同じようなものだろう。

 要は、「欝期」をどう過ごすかということでね。

 ああ、躁鬱症でもないじじいの私としては、こうした若者(まだ30代前半ですよ)に、無理やりついていくだけなのかもね。

 

 

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