フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 「妙高市」ということで新井市と妙高高原町が合併したのだが…… | トップページ | 『バトル・オブ・シコンバレー』はバトルというより盗みあいだ »

2012年5月14日 (月)

国宝「松本城」にまつわる様々な想い

 妙高高原に泊まった次の日、松本市に行って松本城を見てきた。

 実は松本市には40年くらいまでに行ったことはあったんだけれども、松本城には行ったことがなかった。つまり、40年来の思いが叶って松本城に行ったわけなのだが、さすがにいいお城ではあった。名古屋城みたいにエレベーターで天守に上がるのではなくて、ヒーコラ言いながら階段で(というか殆ど梯子状態)上がる天守というのもいいのじゃないでしょうか。

 昔の人はそうやって天守まで上がっていたのだから。

Dscf4108_2

Dscf4158_2

 松本城は現存する数少ない昔からの構造をとどめている城のひとつである。建造されたのは、「天正3年(1593年)説」「文禄3年(1593年)説」「慶長2年(1597年)説」「慶長5年・6年(1600年・1601年)説」「慶長20年(1615年)説」という5説あって、どれが本当か分からないが、一番古い1593年説であっても、1600年の関が原の戦いや1614年・1615年の大阪冬の陣、夏の陣の関係からみると、この松本城が戦乱に巻き込まれたことは考えられない。

 であるからこそ、現在までその昔のままでの姿をとどめているのだろう。明治時代になって天守が傾いてしまったことがあるそうだが、それは戦乱とは関係がない地盤の軟らかさによるものだった。

Dscf4152_2

 天守から見た松本の町。なるほど、かなり遠くまで見渡すことができる。とは言うものの、平城である以上、このくらいの高さがあって、遠くまで見渡せないと、城=砦としての機能は果たせないだろう。

Dscf4142_2

 この時代は、もはや弓矢や刀による白兵戦ではなく、鉄砲や大砲(大筒)による機動戦の時代になっている。なので、城には沢山の鉄砲狭間という小さな窓が作られていて、なるほどこの時代は既に飛び道具の時代なのだと思わせる、松本城ではあった。城の中には沢山の火縄銃や大筒が展示されている。でも、この城で戦うようになってしまっては、結局戦は負けということでしょう。白兵戦じゃなくて機動戦の時代になってしまっていては、もはや籠城戦で勝てる時代ではない。ということで、まさしく松本城は戦を戦っていない城なのである。

Dscf4114_2

 お濠に住んでいる体長1メートルを超す鯉。そういえば、鯉こく、蜂の子、馬肉が信州人の数少ない蛋白源なのだった。でも、この鯉は、デカすぎてあまり美味そうじゃないなあ。

Fujifilm X10 @Matsumoto (c)tsunoken

« 「妙高市」ということで新井市と妙高高原町が合併したのだが…… | トップページ | 『バトル・オブ・シコンバレー』はバトルというより盗みあいだ »

カメラ・写真」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/54703316

この記事へのトラックバック一覧です: 国宝「松本城」にまつわる様々な想い:

« 「妙高市」ということで新井市と妙高高原町が合併したのだが…… | トップページ | 『バトル・オブ・シコンバレー』はバトルというより盗みあいだ »

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?