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2012年5月

2012年5月31日 (木)

『東京人のしきたり』じゃなくて、これは日本人のしきたりなのである

 別に書かれていることは「東京人だけ」の生き方ではないような気がするのだけれども……。

『東京人のしきたり そのスカシっぷりにはけっこう笑えるね!』(大野益弘著/KAWADE夢文庫/2008年4月1日刊)

 まえがきに書かれている東京人の定義によれば;

【東京人】東京都内に住民登録し、勤務先や学校が都内にある人。または東京近郊に住み都内に勤務先や学校がある人。あるいは東京都内に住みながら東京近郊の勤務先や学校に通っている人。もしくは数年前まで都内で暮らしていた人のこと。
【追補】東京人は江戸っ子にあらず。したがって三代続かなくてもよいものとるす。
【再追補】前述した「東京人」のうち、東京マインドを持ち、東京に慣れ親しみ、東京生活をエンジョイしている人のこと。必ずしも、東京に対する郷土愛がなくてもいいが、東京のリズムにのりながら、押し寄せる人や物、情報の波をかき分け、けっこうこの生活も悪くないじゃん、と思っている人を指す。

 ということであれば、かなりの人が東京人ということになってしまう。

 ま、それはそれで構わないんだけれども、だって、東京人って、江戸っ子もそうだけれども、所詮田舎者の集まりだからなのである。実際に、先祖から何十代も東京(江戸)在住だなんて人はまずいないんじゃないか。

 本書は

其の一 意外にカワイらしい東京人の【ホンネ】

其の二 摩訶フシギな東京人の【生活】

其の三 ビミョウに可笑しい東京人の【文化】

其の四 けっこう笑える東京人の【住む街】

其の五 自由自在、でもない東京人の【交通】

其の六 なんだかヘンな東京人の【地方観】

 というテーマに分けて「東京人のおかしさ」について書かれているのだが、しかし、それは結局「日本人のおかしさ」に繋がるものであって、別に東京人だけがおかしいのではないことに気づく。例えば「大声をはり上げるのは苦手」「値切らない」「面倒なことにはかかわりたくない」「人がいっぱいいるところは嫌い」「手順を踏まないと他人と親しくなれない」「貸し借りはつくらない」などという、冒頭のいくつかのテーマを見ても、それは東京人だけの特色ではなく、やはり日本人全体の特色でもあるわけで、もしこれが東京人の特色だというならば、それはやはり東京が日本中から人が集まって出来上がった街だからそうなる、ということの結果に他ならない。

 ひとつだけ、ああやっぱりこの人はこんな時間にテレビを見ていないんだな、というのが『東京人なら知っている「数字クイズ」』という部分。まあよくある「1・□・4・6・8・10・12」の□の中に入る数字はなんでしょう、という東京のテレビ局の問題なのだが、『東京にも東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)というUHFのテレビ局ができたのですが、テレビショッピングや都議会と東京FCばかりでいまひとつ面白くない』と書いてあるのだが、やっぱり大野氏はTOKYO MXの看板番組「5時に夢中!」を知らないんだな。

「5時に夢中!」は毎週月~金の帯で放送されている情報番組なんだが、実はこの番組の日替わりコメンテーターが凄い事になっている。つまり、月:マツコ・デラックス、火:岡本夏生と北斗晶、水:中村うさぎ、木:岩井志麻子、金:中尾ミエと上杉隆という、超危険なコメンテーターで、勿論お約束通り過激な発言は飛び交うわ、放送禁止用語なんかも平気で話しちゃうような人たちなのだ。VHF局の番組では見られないお下品さがウリのこの番組は、やはりUHFというマイナーな存在を逆手に取った発想法なのだろう。う~ん、私もリタイヤしたら毎日見ちゃうかもね。

 こういう番組の存在を許すだけ、都民のバランス感覚が優れているということなんだろうし、この辺だけは石原慎太郎もさすがに言論の人なのかもしれない。

 と珍しく石原慎太郎を褒めたところで、今日はオシマイ。

2012年5月30日 (水)

『「有名人になる」ということ』じゃなくて有名人だと自分が思うことのほうが需要だ

 問題は「勝間和代はオワコン(終ったコンテンツ)なのか?」 ということなのである。つまり、「勝間和代はそこまで大きなコンテンツになってしまったのか」ということなのだ。

『「有名人になる」ということ』(勝間和代著/ディスカバー携書/2012年4月30日)

 確かに、一時期「勝間和代」という名前は世間に広まった。書店に「勝間和代コーナー」ができたところもある。ただし、それは勝間氏自身が望むような「ビジネス書」「経営書」コーナーじゃなくて、どちらかというと女性向けの「自己啓発書」のコーナーだったのだ。

 しかしそこには、秋元康が言う『勝間和代は、勝間和代の考え方がウケてると思っているが、それは誤解である。勝間和代というキャラクターそのものがウケているのだ』という卓見がある以上、それ以外の言は要しない。要は、まさしく勝間和代氏としては「自分の言説が生きている」と思ったのが、実は「自分の存在だけ」が生きているということなのだ。

 うーん、これじゃあ勝間氏が言う「有名人になる五つのステップ」も、ちょっと怪しいかな。

ステップ1 自分の商品性を把握し、顧客やパートナー、競争相手を特定する
ステップ2 自分がターゲットとする市場について、セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニングを行う
ステップ3 自分を売り込むためのサービスを開発し、そのサービスの提供プロセスを管理する
ステップ4 自分がつくったサービスを普及させるための適切なチャネルを見つける
ステップ5 自分のサービスに適切な価格をつけ、品質を保証する

 という、まさしくマーケティングに関するステップを踏んでいるし、本人としてはそのようなステップを踏んで「有名人」になるステップを踏んだのだというつのりかも知れないんだけれども、でも結局は秋元康氏が言うとおり、「考え方じゃなくて、キャラなんだよな」と言われてしまうのだ。

 つまり、それは勝間氏が「マスコミにおける有名人」を目指してしまったからしょうがないのだ。マスコミにおける有名人とは、つまりマスコミ(ここでは主にテレビ)においての有名人とは、たとえその人が「文化人ジャンル」の人であろうが、要はタレントとして短い時間の中で「調度いいコメント」を言える人でしかない。要は、この辺テレビ人間(テレビを作っているテレビ会社の人間という意味です)からしてみれば、「テレビを見る奴は一番の大馬鹿」「テレビに出るやつは馬鹿」「テレビをつくっているわれわれだけがマトモ」という、テレビの世界観の中で考えてみれば当然のことなのである。つまり、「テレビにでる勝間和代は馬鹿」という認識が大方のテレビ人のなかで普通にいきわたってしまえば、それで終わりである。勝間和代はそんな使い勝手のいいタレントである、ということで。

 そう、テレビ側は「早めに使い勝手のいいタレント」を求め、そのタレントがその後どうなるかなんてことには一切気にしないメディアでもあるのだ。そんな、即効性のメディアであることを知っていてメディアと付き合うか、あるいはそれを知らずに付き合うかの違いは大きい。もしすると、勝間氏はそんなメディア特性を知らずにテレビと付き合ってしまったのかな。だからこそ、今自分を「オワコン」なんて言うのだ。

 しかし、勝間氏自身はいまだに「オワコン」ではないのだ。というか、最大限にメディアに露出している時期にだって、「勝間和代って誰よ」という人が多かったということは知っていて欲しい。つまりテレビっていうのはそんなメディア。「勝間和代」というのが何かのアイコンにでもなってしまえば別だがそうじゃない以上、普通の「テレビに出ている勝間和代さん」でしかないのだ。

 それでいいのである。そんな「普通の勝間和代」がテレビにたまたま出ていた、というだけのことであり、そのときに特別「勝間和代というコンテンツ」が世界にデビューしたわけではない。たかだか、日本のテレビ界で出たというだけでね。

 ということで、勝間和代氏は別に「オワコン」でもないし、「オワコン」を自称できるほどのコンテンツでもなかったんだよ。たしかに、その華麗なる19歳の会計士の時代から勝間和代氏のコンテンンツ時代は始まったわけだけれども、別にそれがマスコミ(特にテレビ)に載ったからといって特別に変わったわけではない。

 まあ、だから別に勝間氏が自分のことを「オワコン」という必要もないし、これからも本を出し続ければいいのだ。そう、出版の世界だけはオワコンだろうがなんだろが、少なくとも10万人程度にはまだまだ影響力はあるんだから、まだまだ頑張って欲しいとは思うのだ。

 ただし、はっきりいって、自転車はやめたほうがいいかもね(あ、乗るほうはOKです)。その程度の自転車知識は自転車野郎は皆持ってる。

 ま、それ以外は、っていうよりもやはり勝間氏の場合はファイナンス関係だろう。その分野でもっていい提言を、どんどんして欲しい。これからの勝間氏に求められるのは、そういった方向だろう。

 面白いのは、西原理恵子の漫画「あんた有名じゃないって。」「勝間がまた嫌われそうな本出してる。」というイタズラ描きなのがちょっと皮肉?

2012年5月29日 (火)

『ノマドライフ』は「ノマドワーク」とは違うんだな

 5月17日のエントリー『つながりの仕事術』の関連で買ってみた本なのだけれでども。イメージで言ってしまうけれども、要は、我々が考えている「ノマドワーク」と、本田氏のいう「ノマドライフ」はちょっと違うんだな。というか、行き着く先は同じなんだけれども、それまでの過程というか、ええ、本田氏の言うのはいてみれば「広義のノマド」であり、私なんかが考えていたのは「狭義のノマド」であるっていうことなんだ。

『ノマドライフ』(本田直之著/朝日新聞出版/2012年3月30日刊)

 つまり、私の「狭義のノマド」は単なる仕事のやり方にすぎないわけで、本田氏の「広義のノマド」は生き方そのものということなのだ。

「6対4対2」という比率は本田氏が2011年にどこで生活したかの割合で、6割はハワイ、4割は日本、2割はその他の国・地域だということだ。国でいえば12カ国を移動しながら、本田氏は会社を経営し、ベンチャー企業への投資育成に携わり執筆活動を行い、大学などで講演し、ワインの講座を持ち、トライアスロンやサーフィンなどの趣味を行っている。まさにハイパーノマドと言っていいくらいの生活を行っているわけだ。

「オフィスを持たずに、いろいろなところで仕事をする」「インターネットを活用し、モバイルを駆使した働きかた」というノマドワークから、ライフスタイル全体をノマドしているわけなのである。右肩上がりの経済成長はもはやありえず、今までのライフスタイル=生涯をひとつの仕事(あるいは会社)に捧げる生活が実はとても危険性にあふれたライフスタイルになっている現在、こうした様々な仕事を同時にこなしながら、それらから上がる少しずつの収益を足して豊かな生活を行うというのは、現在一番理想的なライフスタイルかもしれない。

『そもそも、会社であれば、取引先が一つというのは危険きわまりない状態です』という通り、サラリーマンが一つの会社の社員として働くというのはこれと同じ状態。いくら高給を保障されているからといって、ある日会社から突然「倒産したから雇用契約はなし」と言われたり、「会社が儲かっていないから、給料を下げます」という提案がなされたら、労働組合に加入していても、そんな私を守ってはくれないわけだ。

 だとすると、そのような危険性を減じるためには、結局いくつかの取引先を作らなければならないし、会社側も従業員の兼業禁止なんてことも言っていられなくなるのではないか。もし、会社が兼業禁止を解除したら、積極的に別の仕事を取りに行かないと、それこそ汽車に乗り遅れてしまう状態になる。その時に備えてのノマドワークだし、その行き着く先はノマドライフということになる。

 そんな時に備えての「ノマドライフまでの6つのフェーズ」というものを、本田氏は提案する;

第1フェーズ ベース構築期(5年)
 仕事、営業、海外生活のノウハウ蓄積
第2フェーズ 方向性の模索期(3年)
 悩み、いろいろ模索。ビジネスの種を蒔く
 =未来のベーシックインカムをつくっていく
第3フェーズ 未来につながる実績を残す時期(5年)
 ノウハウ完成、成果を上げる
 =一番ハード。濃密に働いて経営能力を磨く
第4フェーズ 転換期(2年)
 デュアルライフのリサーチ&ベース構築、人脈づくり
 =ライフスタイルのブラッシュアップ
第5フェーズ 実践期(5年)
 デュアルライフ実践・ノウハウ完成
第6フェーズ シェアの時期
 ノウハウを伝えて、仲間を増やす

 ということは、少なくともノマドライフの実施までは少なくとも15年はかかるのか。ということは、最早私にはノマドはできないということなのだなあ、残念。とはいうものの、それはノマドライフの実践の話。ノマドワークなら今すぐできるわけで、それを実施しながらゆくゆくはノマドライフに近づくことぐらいはできそうだ。

 私自身は、今でも半分リタイア状態なわけで、その間にノマドワークを少しずつ実践し始めている。『週1回「会社に行かない日」をつくる』『机の引き出しにものを入れない』『デスクトップPCはいらない』『“ガラケー”をやめる』というのは、かなりの段階で実施しているし、『セルフメディアを持つ』というのも、このブログで少しは実践しているつもりだ。

 で、ノマドになってどうするのよということなのだが、まあ、他人の起業のお手伝いでもやれればいいなというところでしかない。とりあえず、私自身の生活は年金でなんとかなりそうだから、その分、他人の手助けができればいいな……と。

 とまあ、ささやかなもんです。

 
 

2012年5月28日 (月)

ツアー・オブ・ジャパン終了、愛三西谷勝利!

 ジロ・デ・イタリアも昨日最終日を迎え、このブログを書いている時点ではまだ終わっていないが、多分ホアキン・ロドリゲスが2位に31秒差をつけているので、そのまま優勝だろう。

 一方、地球の反対側でも小さなステージレースが最終日を迎えた。ツアー・オブ・ジャパンである。5月20日の堺ステージから始まって、美濃、南信州、富士山、伊豆と巡ってきて、昨日が最終の東京ステージであった。殆どが平坦な東京ステージであるから、山岳賞は既に決まっていてジュリアン・アッレドンド・モレノ(チームNIPPO)、あとは総合時間とポイント賞だが、これまた平坦ステージの東京の場合、殆どスプリント勝負になるからこのステージで大きく順位が変わることはない、ということで総合順位はフォルテュナート・バリアーニ(チームNIPPO)でほぼ決定。あとは、ポイント賞とステージ優勝の行方がどうなるか、という東京ステージであった。

 東京ステージは日比谷シティ前をスタートし、日比谷通りを南下して、芝から旧海岸通りを進行して、東京の競技派サイクリストの練習場である大井埠頭に入り、そこで1周7kmの周回コース(練習コースは1周約10kmだから違うコース)を14周するという全長112.7kmのステージレースとしては短い部類に入るレースだ。で、先ほど述べたようにスプリント勝負の僅差で争われるレースとなる。

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 スタート時点での総合1位と山岳賞。中央のグリーンジャージがバリアーニで、その左のレッドジャージがモレノのNIPPOコンビである。

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 ということで、NIPPO応援団は力が入りますね。

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 いつもの年は途中1~2分の逃げが入り、集団もそれを許す雰囲気があるのだが、今年はなんかそういう雰囲気はなく、逃げてもせいぜいこんな感じで、数秒というところ。こんな感じの逃げが周回のたびに現れるのだが、その度にツブされて最後のスプリントはより熾烈になることが予想される。逃げの力がないのか、集団のプレッシャーが強いのか。

 一方、総合と山岳の二つ(チーム賞も入れると三つ)のジャージを持っているチームNIPPOは、リーダージャージを守るためにヘタな逃げは一切打たない。ということで、多少はイライラしたレース展開が進む。

 全体的なレース展開は多少遅めというか、とにかく逃げを許さない展開で、どうしてもレース展開は遅くなってしまう。

 ジリジリ、イライラした展開だ。

 で、結局、最終周までレースは持ち越し、最後のスプリント勝負に持ち込まれることになってしまった。

 ということで、ジリジリした最後のスプリントを制したのは、愛三工業レーシングの西谷泰治だった。

 これで西谷はゴールポイントも含めて獲得ポイント69でポイント賞も獲得。今年のツアー・オブ・ジャパンの唯一の日本人ステージ優勝者とダブルの殊勲になった。

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 西谷ガッツポーズ。実は万歳ゴールも撮ったんだけれども、手前に警備員がいてちゃんとした写真になっておらず、残念!

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 オレ、1位だよねという確認のポーズ。

 ともあれ、優勝したのはNIPPOという日系チームではあるが、選手はイタリア人だから、せめて日本人がステージ優勝できただけでも嬉しい。

 さあ、これからジロのTV中継だ。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 70-300mm @Hibiya & Ooi (c)tsunoken

 なんてことを書いていたら、ジロ・デ・イタリアは最終日のタイムトライアルでカナダのライダー・ヘシェダルが47秒差でロドリゲスを逆転。カナダ人始めてのグランツール総合優勝者となった。

2012年5月27日 (日)

駒込の富士山、登頂!

「駒込は一富士、二鷹、三茄子」で有名な駒込富士に言ってきた。4月8日の『六義園の枝垂れ桜(2)』のついでに行けば行けたんだけれども、その日は時間がなかったんだよな。

 ということで、昨日登山に挑戦! 

 ついでに言ってしまうと、「二鷹」は現在の都立駒込病院のあたりにあった鷹匠屋敷、「三茄子」はこの富士神社の裏あたりが茄子の産地として有名で、本駒込一丁目の天栄寺には駒込土物店跡があって、要はそこが昔の野菜市場だったわけだ。江戸の縁起物が何でみんな駒込なのかということについては、諸説ある。それはいずれ。
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「富士山」と「浅間神社」の碑。その他にも石碑が沢山ある。多分、いろいろな人が奉納した石碑なんだろう。
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 山頂にある富士神社。結構広い山頂であり、それこそ噴火口があってもいいくらい。

 この富士山自体の対地面高さは7メートルくらいだが、なにしろ東京都23区で一番標高の高い場所にある富士山だ。多分、東京23区のなかで一番標高の高い富士山だろう。確かに山頂では酸素の薄さを感じさせる息苦しさがある……わけないよね。
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 下山の途中にある「小御嶽神社」(の碑)。富士塚の神社なんてこんなもんです。2012_05_26_021_2

 で、無事下山。ったって登り1分、下り1分ってなもんです。お手軽な富士登山でした。ハイ、スミマセン。

2012年5月26日 (土)

『計画と無計画のあいだ』もいいけど、やっぱり「無法者」社員だよな

『生物と無生物のあいだ』のパクリか、と思ったら三島氏自身が「あとがき」でパクリであることを認めつつ、福岡伸一氏からは了解をとった旨書いている。う~ん、『生物と無生物』」くらいのベストセラーになればよいけれどもね。

『計画と無計画のあいだ 「自由が丘のほがらかな出版社」の話』(三島邦弘著/河出書房新社/2011年10月30日刊)

 ミシマ社は社長を含めて従業員6名の、多分日本で一番小さな部類の出版社である。しかし、その出版物と言えば、内田樹『街場の中国論』『街場の教育論』、平川克美『小商いのすすめ』、小田嶋隆『小田嶋隆のコラム道』などなど、いろいろ話題作には事欠かないし、2006年設立というからまだ6年しか経っていない出版社としては、そのベストセラーの多さには「立派」としか言いようはない。

 何故そんなにベストセラーが出るのか。つまり、それは三島氏自身が書くように「この無法者たち!」のおかげなんだと思う。ミシマ社の社員がどう「無法者」(というよりも「規格外の社員」なんだと思うけれども)なのかは本書を読んでいただくとして、そんな「無法者」が生きていける空間がミシマ社にはあり、それは限りなく「普通の会社」になってしまっている大手出版社にはない空間なのだ。

 もともと、出版社なんてのは出自は無法者の集団であった筈だ。だって、教科書出版以外の出版業なんてものは海のものか山のものかも分からないベンチャー企業だったわけで、そんな会社にマトモな人間が来るわけはないでしょ。でも、そんな無法者集団が面白いことをやるから、出版社は面白いのだ。しかし、大手出版社になってしまうと、そこそこ普通の人ばかりを採用してしまうので、だんだんつまらない普通の会社、つまりルーティン・ワークの中で、ベストセラーを出さなくても会社が回ってくれればいいやという発想の会社になってしまうのだ。ま、各編集部単位になってしまうとそれこそ零細企業なので無法者もたまにはいますけれどもね。

 多分そんな無法者意識が、ゲバラ風の可愛い似顔絵の島氏自身にあるんだろう。それが、2回目に入ったNTT出版では上司と上手くやれなかった理由なんだと思う。結局、NTT出版はNTTの子会社であり、親会社のNTTは元々電電公社、つまりお役所である。その辺は大学を出て、最初に入ったPHP研究所とは違うところで、PHPもパナソニックの子会社であるけれども、親会社はあの松下幸之助氏の意向がまだ少しは残っている会社なのだ。カリスマの片鱗がまだ残っているパナソニックと、顔が見えないお役所のNTTという対比は面白いけれども、言っておくと三島氏は両極端を行ってしまったんですな。

 で、結局自分で出版社を興してしまった。これは正しい選択であり、その後の無法者ばかりを何故か入社させてしまった経過も、結局は正解だったわけだ。その結果、出版業界でも注目の出版社に、いまやなっているのであるから。

「原点回帰の出版社」というのがミシマ社のモットーであるようだ。まあ、しかしそのモットーがどこまで生きるかは、今後の三島氏次第だろう。あの講談社だって「三大社是」なんていって、創業者・野間清治の言葉が社員手帳(最近はみんなシステム手帳になってしまって、使っている人は少ないが)にも「面白くてためになる」なんて言葉とか、「雨の日風の日訪問日和」なんてのが印刷されている。まあ、ミシマ社がそんな「創業者の言葉」を社員手帳に印刷されない会社になって欲しいと思うのだが、どうだろうか。三島氏はミシマ社を100年続く会社にしたいという。ということは100年後に三島氏が生きていることは有り得ないので、それは三島氏の遺志を継いだ人たちが何をミシマ社に受け継いでいくかということであろう。それが、無法者を抱えて生きるということなのか、切り捨てるのかということでもあるのだ。

 結局、三島氏の発想は『結局のところ、「一冊入魂」以外にとりうるやり方はない。この一冊が売れないことには、次の一冊を出すことはできない』というところに行き着くだろう。まさに、零細出版社の基本である。いやいや、零細じゃなくて「出版社の基本」である。大きくてもその基本にはのっていなければならないのである。

 だからこそ、三島氏は言うのだ。

『いま目を向けるべきは、幻想の方ではなく、その産業のより「原点」の方であろう。
 そしてより「原点」、つまり原初的な喜びは何かといえば、一人の人がその本を手にとって喜んでくれることであろう。その手放しの喜びを知り、さらにいいものをつくりたいと思うことではないだろうか』

 つまり、それは出版業界にいる人間が、皆持っていなければならないはずの「思い」でなければならない。

 しかし、何で三島氏はミシマ社じゃなくて河出書房新社から自らの本を出したのだろうか。なーんてことを考えなくても、幻冬舎の見城徹氏が講談社から本を出すようなもんだろう。要は、売れなかったら自分の会社に迷惑をかけてしまうという深謀遠慮なんだろうな。社員に「社長の本を売れ!」なんてハッパをかけるのも嫌だろうし……、ね。

 
2012_05_25_001_2

『OZ Magazine』6月号にミシマ社が載っているのを発見。左下の写真が三島氏である。なかなか男前じゃないか。

Fujifilm X10 (c)tsunoken

2012年5月25日 (金)

『小田嶋隆のコラム道』で見えてきたことはやっぱりね

「コラム道」なんてものがあるんだろうか。華道とか茶道みたいに。でも、もしあるとするなら、小田嶋氏はその宗匠であり、免許皆伝を与える人になるわけだ。

『小田嶋隆のコラム道』(小田嶋隆著/ミシマ社/2012年6月3日刊)

 私は『日経ビジネスオンライン』で毎週金曜日にUPされている小田嶋氏のコラム『ア・ピース・オブ・警句』の愛読者(なのか嫌読者なのか分からなくなるときがあるが)であり、それをまとめた『地雷を踏む勇気』『その「正義」があぶない』も読みました。で、その結論「名コラムニストだからって、いつも面白いとは限らない」っていう当たり前のこと。

 で、その「面白くないコラム」の集大成が、実はこの『小田嶋隆のコラム道』なのでありました。

 だって、当たり前でしょ。コラムニストの宗匠が「こうやってコラムを書けば皆に大うけ」なんて秘密を明らかにするわけはない。だって、免許皆伝されるにはそれなりに師匠のところに長年通って、弟子入りし、玄関や廊下の掃除から始まって、師匠の着付けの手伝いから、師匠の家に赤ちゃんでもいればその赤ちゃんをあやしオムツを替え、おカミさんの買い物の手伝いとか、その間に師匠から口伝でものを教わって、そんなことを10年くらいやってやっと二つ目というのが噺家の常識である。って、いつの間にか噺家の話になってしまったが、つまり小田嶋氏のコラムっていうのがこうなんだよな。

『ア・ピース・オブ・警句』の書き方はまさにこれである。「テーマA」についての書き出しがまずあって、しかし、いつの間にか「テーマB」に行ってしまって、どこまで読んだら元に戻るんだ、と思いながら読み進んでいくと、普通は90%くらい読んだところで、再び{テーマA」に戻ってオチにいたるんだけど、たま(本当にたまにですが)に戻らないで「オチ」に行ってしまうこともある。あるいは、最初のテーマからどんどん外れていって、おいおいどこまで行くんだよ、なんて読んでいたら、突然テーマが戻って、一瞬「オチ」なんてね。

 つまり、コラムに「正しいあり方」なんてのはないというのが正解。まず『書き出しはどうであってもたいした問題ではないのだ』に始まって、『その末尾の一行が、独立したワンフレーズとして読んでも鑑賞に耐えるものであれば良い』というのが結語についての話だし、文体とは主語の使い方だという、でもその主語だって「I, MY, ME」の英語ではない、「私」「俺」「僕」の他にも「おいら」「オデ」「おれっち」「ボキ」「わたくし」「女王様」「矢沢」などもあるそうで、それによって文体が変わるというだけのことだ。あっ、最後の「矢沢」はある人しか使えない「主語」ですけれどもね。

 ということで、コラムには「道」なんてものはないというのが正解なんだけれども、それでも基本はある。それはコラムの長さである。本書には800字、1000字、1200字、1600字、2000字位のそれぞれの見本が掲載されている(う~ん、これを「見本」といっていいのかな)が、確かにそれはそれとしてキチンと読めば勉強にはなる。

 つまり800字のコラムはワンテーマで押し進めなければならない。というより他のテーマにそんな短文で移ってしまったら、多分、結論にたどり着けないだろう。「tsunokenの昔の映画評」の中の『キネマ旬報』の「読者の映画評」の原稿がこの800字という制限があった。『小さな巨人』についての評論が採用されて舞い上がった私は、それから見る映画見る映画について800字評論を送りまくった。多分、それは年間で200本以上はあったのではないか。採用され掲載されたのは、そのホンの一部にすぎないんだけれども、でもそのときの「文章を書く修業」というのが、その後の生活でも(仕事でも、このブログでも)役立っているというわけだ。

 で、この「tsunokekのブログ」なんだけれども、大体1000字から2000字で書いている。別に、そういう長さを決めたわけではないのだけれども、基本的なワンテーマで1000字、プラス「書評」としての原本からの引用を入れて、それに論評を加えるという形式をとると2000字という感じである。で、多分、読者も2000字が読んで限界だろう。それ以上長い文章は、多分パソコンやスマホの読者は読んでくれないのだ。多分、それがデジタル読書の限界かな。

 ということで、携帯小説なんかを目指している人に言っときます。1回の配信は800字まで。それ以上書いたって読んでくれないよ。まあ、それくらいにスマホの読者は我がままなんです。なんでかって? それは彼らは金を払っていないから。ネットでは(多分、普通の世界でも)無料の読者(ユーザー)が世間では一番我がままなのです。

 有料の人たちが我がままなのは分かる、しかし、無料の人たちが我がままだというのが分からない、という人たち。そうじゃないんだよな。つまり、金を払った人たちは、自分の払ったお金の分だけ自由が買えればいいという発想なんだ。しかし、無料の人たちの発想は、金を払わないのは「金を払わなくてもいいよ」って言われたから自分たちは金を払わないだけのことであり、つまりこれは「金を払わなくてもいい人」たちの権利だっていう発想があるかならのだ

 つまり、そうやってサプライサイドの「善意」や「好意」はユーザーによって裏切られるわけなのです。

 まるで『小田島隆のコラム道』で、読者をちゃんと裏切る著者の反対だな。

 これでオチはついたのかな。

 

2012年5月24日 (木)

『インクジェット時代がきた!』というのは、実は社会変動の時が来たということなのだ

「インクジェット・プリンター」といえばいつもパソコンと一緒に使っているヤツだ。でも、「プリンター=印刷機」という意味で考える年寄りには「大量生産機械」というイメージなのだが、実はそうじゃなかったのだな。

『インクジェット時代がきた! 液晶テレビも骨も作れる驚異の技術』(山口修一・山路達也著/光文社新書/2011年5月20日刊)

 どうも「年賀状を大量に作る機械」というイメージなのだが、実はそうじゃなくて1枚1枚を違った内容で印刷できるという風に考えれば、つまり「オンデマンド」で印刷できる極小印刷機なのである。というところに目をつければ、まったく別の事業展開が見えてくるわけだ。

 つまり「版」を作ってそこにインクを付けて直接対象物に押しつける「印刷」と違って、直接対象物に触れずにプリントするインクジェットであれば、立体物にも印刷できるわけで、そこから次の商品展開が見えてくる。

 さらに、平面印刷であっても、アパレル業界では「デジタル捺染」という方法で、多品種少量生産が可能となって、消費者が他人と同じものを身につけなくてもよくなる可能性が圧倒的に増えてくる。また、建築業界でも壁材をインクジェットで作れば、多品種少量生産が可能であるし、データを保存しておけば生産ロットによって壁材のイメージが変わるということもなくなる。

 さらにラピッドプロトタイピングという技術を使えば、コンピュータの3Dデータからそのまま立体の模型が作れるのだ。なんか2Dの印刷という感覚のプリンターも、レイヤーを重ねることによって3D化することができる。言われてみればその通りなんだけれども、そうか、そういう方法もあったのか、と蒙を啓いてくれるのであった。

 その技術を使えば、一品生産のフィギュアなんかも作れるし、3D写真データからは本物とまったく変わらないジオラマなんかもできてしまう。3D CAD上での鋳物の砂型をつくるための原型を作るのであれば、じゃあ、直接砂型を作ることもできるんじゃないか、というのが積層工法の考え方だ。半導体の製造なんかも、これまでのクリーンルームや真空装置が必要な大がかりな設備が必要だったのが、インクジェットで半導体がプリントするようにできてしまえば、中小規模のメーカーがコンピュータとインクジェット・プリンターがあればトランジスターの開発なんかもできるようになる。

 医療分野では、DNAチップをインクジェットで作れるようになれば、患者ひとりひとりの異なった医療情報が分かるようになって、医者にとっては患者ひとりひとりに微妙に異なった治療ができるようになる、ということだ。しかし、これは当然患者ひとりひとりの医療情報がすべてデータ化されて、電子カルテに掲載されるようになれば、このビッグデータが誰かに握られてしまうという危険性も出てくる。

 こうしてみると、インクジェットによって知識集約型の産業が盛んになれば、そこで日本の産業が復活するのか、ということになるのだが、しかし、ことはそう簡単にはいかないようだ。

『リソース最適化によって、アトム=モノがビット=情報に近づき、ものづくりもこれまで以上に知識集約型が進むでしょう。円高不況などの理由により、日本国内における製造業の空洞化が懸念されていますが、リソース最適化が日本でのものづくりを復活させる可能性があります。
 ただし、これによって日本経済が復活し、私たちの暮らしが豊かになるかといえば一概にそうとはいいきれないように思います。
   <中略>
 リソース最適化されたものづくりは、まさに知価創造的な産業であるといえます。そして、そうであるがゆえに、製造業分野の雇用を増やすわけではないという点に注意が必要でしょう。
 原材料の使用量が減るということは、原材料の供給や輸送に携わる人の数が減るということでもあります。製造プロセスが簡素化され、オンデマンドの生産が可能になれば、やはり仕事は削減されることになります。
 知識集約型になったものづくりに携われるのは、ユニークなデザインやビジネスモデルを発案できる、新しい素子を設計できる、そんな人材に限られるかもしれません。』

 ということだし、更には。

『今は工場でモノをつくりそれを配送することが当たり前に行われていますが、そういう常識すら変わっていくことになるかも知れません。ものづくりの材料は消費者自身の手元にあり、それをつくるためのデータを消費者自身がダウンロードして、3Dプリンターのような機器を使って出力するようになることだってありえます。
 こうした社会では、得られる収入も二極化が進むことでしょう。知識集約型の仕事に従事していても、高収入を得られる人とそうでない人に分かれることになります。知識集約型産業にはそうした不安定さがあるのです。』

 ということである。

 つまり、今、美しい写真を印刷しているあのプリンターが、社会のありかた、仕事のありかた、暮らしのありかたすら変えてしまうかもしれないのだ。

 いずれにせよ、20世紀型の「大量生産・大量消費」型の経済はもはや終わっているわけで、いまや「多品種少量生産(その極端な例が「オンデマンド)・選択消費」の時代になっているのだ。出版社なんかはまさしくこの「大量生産・大量消費」型業界だ。ということは、もはや出版社の時代は終わったということなのだろうか。

 しかし、光文社新書でもこんな講談社ブルーバックスみたいな理系新書を出すんだな。

 

2012年5月23日 (水)

『社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!』なあんてことを考えていたら……

 普通、旅をするというのは仕事でもない限り何らかの知的好奇心から発するものとばかり思っていたのだが、どうもそうでもないらしい。

『社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!」(ちきりん著/大和書房/2012年5月30日刊)

『一方、カリブ海クルーズでは、寄港する街の観光より、ダンス、音楽、パーティーなど船内イベントのほうがより楽しまれているように感じます。これはエーゲ海クルーズの客が純粋な観光客であるのにたいして、カリブ海クルーズ船には「アメリカの裕福な退職者」が多く乗り込んでいるからです。彼らは「食べて、飲んで、話して、ダンスする」ことが大好きで、「開放的な船の上で、たくさんの人と気軽に知り合いになれる」クルーズ旅行を選んでおり、最初から観光ではなく“ソーシャル”な楽しみを期待しているというわけです』という観光客がいるそうなのだ。うーむそうか、だからアメリカ人は団体旅行が好きなのか。何も言葉だけの問題じゃないのね。

 しかし、ちきりんさんって凄いんだな、約50ヵ国も旅をしているのか。私なんか、欧米のみ6ヵ国のみだもんな。

 とはいうものの、50ヵ国旅をしているちきりんさんも、6ヵ国だけの私も、あまり変わりはない。別に『何かを学ぶため、視野を広げるため、成長するため、強くなるため』に旅をするわけではないが、しかし、外国(国内でも)の文化なんかに触れて、我々の国とは違うものを見て何かを考えたいのじゃないだろうか。何らかの知的好奇心というものがあって、それを満足させるために旅に出るっていうのが普通だと思うのだが。

 それにしても、面白いのは南欧についての記述である。

『ユーロ危機で取りざたされる国には、ギリシャ、ポルトガル、スペインなど南欧の国が多いのですが、実はこういった国々は、すばらしく豊かな国ばかりです。まずは、どこも食事がすばらしいです。欧州でも北欧やドイツなど北に位置する寒い地域の料理には、保存の利く塩漬けや酢料理、根菜類が多くなります。
   <中略>
 また、太陽の光の量の違いも圧倒的です。<中略>ポルトガル、スペイン、ギリシャや南イタリアの陽差しは、おどろくほど明るくて暖かく、ひなたぼっこをしているだけでリラックスできます。
 加えて、みんなペースがゆっくりでセコセコしていません。』

 しかし、そんな国だから財政が破綻しても国民はのんびりしていて、それこそ緊縮財政を進める与党は選挙に負けてしまったりするんだな。まあ、国が破綻したって俺たち食うに困らないもんね、ってな具合なのだろう。そんな南の国を脇に見て、一生懸命働いているドイツの人たちって何なのだろう。

 これまでEUをマーケットにしてさんざっぱら稼いできたドイツとフランスである。その罪滅ぼしって訳ではないのだろうが、いまやドイツが「なまけもの」の南欧諸国を潰さないように働いている図というのは、イソップ童話『アリとキリギリス』のラストシーンが逆になったようだ。結局、アリはアリのままで、死ぬまで一生懸命働いているし、キリギリスもキリギリスのまま、歌って暮らしましたとさ、っていうお話。う~ん、何かこの方がリアリティのある話だなあ。

 大体、そういう地だからこそ古代から中世にかけて文明が発達し、ヨーロッパの中心になった来たのだろう。ギリシャ文明やローマ帝国の時代はドイツ、フランス、イギリス、北欧なんかは辺境の蛮族の地だったわけで、それが中世になってハプスブルグ家の神聖ローマ帝国の時代から、少しずつ開拓されて、そんな人が住みづらいところだからこそ、人々は生き延びる方法を研究し、食料を改善し、着るものを改善し、ついでにテクノロジーを発展させ、活版印刷術を発明し、結果として宗教改革まで実現させてしまった。人間は必要がなければ「怠け者」になるし、必要に迫られれば「働き者」になる、という典型例ですね。

 そして、結局は「働き者」は生涯「怠け者」のために働き続けるという社会構造になっていくんだろうな。

 万国の怠け者諸君、もっともっと怠けよう! 怠け者諸国、万歳!

 その他、シンガポール航空が何故世界で一番評価が高い航空会社なのかと言う事も面白かったけど、それはいずれ別の機会に……。

 ついでに言っちゃうと、ちきりんさんの「素顔の写真」が載っています。小さいけどね。

 なあんてこと考えながら家に帰ってきたら(21時30分)、なんと今日の午前中にAmazonに発注したミシマ社の本が、もう我が家に届いていた。つまり、珍しくAmazonのrecommendが私の趣向にヒットしたんだよな。当然、発送料はタダである。

 これじゃあ、リアル書店は太刀打ちできんな。あとは、いかに衝動買いができるような品揃えをするだけだ。つまり、それだけがネット書店で出来ないことだからね。

2012年5月22日 (火)

『独立国家のつくりかた』はなかなか素敵な提案だ

「0円ハウス」の坂口恭平氏の最新著である。

 早稲田大学理工学部建築学科卒の坂口氏の職業は、(0円ハウスばっかり提案している)建築家、(小説を1作だけ書いた)作家、(これが一番の稼ぎ頭かな)絵描き、(これはよく分からない)踊り手、(路上の)歌い手、で更にそこに新政府の初代内閣総理大臣という肩書きがつく。

『独立国家のつくりかた』(坂口恭平著/講談社現代新書/2012年5月20日刊)

 まあ、要はアーチストという名の何でも屋さんなのだけれども、それはそれでこの『独立国家のつくりかた』という発想は面白い。我々の世代だと、今の政府に問題がある考えたら、それは反政府運動を起こし、今の政府を変えようという方法論しかないという発想法だったわけなのだが、そうじゃなくて、今の日本経済のなかで、「別の経済」を流通させてしまい、それをもって「独立国家」という発想の中で実現させようとするのだ。

 坂口氏はそれを「態度経済」という。別にどんな言い方をしてもいいけれども、それは一種の「贈与経済」である、ということだけは言っておこう。実は「贈与経済学」という発想でモノを書いている人はいっぱいいるのだ。そこには「貨幣経済」では有り得ない経済融通の方法があるのだ。

『冷静に考えたら、土地はもともと誰のものでもないはずなのに……、と子どもみたいなことを考える』というのだが、別にそれは子どもの考え方ではない。もともと天与のものである「土地」を所有するということは有り得ないのだ。ところがその「有り得ない」ことを何故実施しているのかと言えば、それは単純に「税金」を国家が欲しがるからなのである。国は国民から税金を巻き上げる方法をいろいろ考えることで成り立っている。現在の消費増税もそうだし、所得税もそうだし、ということで固定資産税なんかも作られたのである。

 明治以前の時代には、勿論こんな制度はなかった。農民は田畑や自分の家なんかの土地を自分で持っているという認識はなかったから、当然税金なんてものは払わない。とにかく年貢米だけを納めていればよかったのである。というか、この時代までの日本は貨幣経済ですら都会の一部だけで通用していた経済なのである。国民の殆ど、それは農民なんだけれども、貨幣なんてものとは関係ない生活を送っていたのだ。

 ところが明治政府はそれまでの封建時代の政府(幕府と朝廷)に比較してとてつもなく「大きな政府」になってしまった。それは「富国強兵」という掛け声とともに、それまでは各藩ごとに勝手に「武士という暴力装置」を作っていたのを、国が「暴力装置」を作らなければいけない。鉄道や道路、電気などのインフラも国がやらなければいけない。それまでの江戸時代の政府(幕府と朝廷)は、言ってみれば徳川藩だけの経済でよかったのだが、明治政府ではそうはいかなくなってしまった。

 ということで、所得税なんかと一緒に、土地の私有制を進めて、そこから税収を得ようとしたのだ。しかしまあ、この辺からおかしくなってるんでしょうね。所得税は当然貨幣で納めることになるわけだが、併せて固定資産税もそこから何らかの作物ができるわけではないから、貨幣で納めることになる。ということで、明治政府以降、日本の経済は一気に貨幣経済への道をたどるのだ。

 で、貨幣ってなんなの? という疑問には、答えるのが難しい問題が多い。しかし、簡単に言ってしまえば「モノやコトに対する価値を表した尺度」なのだ。しかし、そこには「属人性による差異」は認められないという問題がある。つまり、ある人にとっては100万円払ってもOKというようなプラモが、他の人にとっては1000円でも高い、というようなね。まあ、プラモなら買わなきゃいいってもんだけれども、たとえば「家」だったらそうは行かないでしょ。お米だってそうは行かないよね。でも、貨幣経済というものはそういう一定の尺度をつけるものだ。

 その貨幣経済が「モノやコトに対する価値を表した尺度」である時代はまだ多少健全だった。ところが、その貨幣経済が「貨幣そのものに対する価値を表した尺度」に変貌したここ20年間の経済社会の変化が大きな問題となってしまった。まあ、結局は貨幣経済の行き着く先が今の状況なんだけれども、実はこうした大きな政府にたいする批判から「規制緩和」と、企業の要請からくる「グローバリズム」による、一般大衆に対する「貨幣経済の弊害」は、すでに1916年にレーニンが『帝国主義論』のなかで書いていることなんだけれどもなあ。

 といううことで、坂口氏の論点も、結局は昔レーニンが言っていたことの焼き直しなのだけれども、多分、マルクス&レーニンなんか読んだこともないだろう坂口氏が、結局はレーニンの発想法に近づいたと言うことは、言ってみれば歴史的な邂逅ということなのだろう。

 結局は、40年前の学生が言っていたことも、今、坂口氏が言っていることも、結局は「この国には革命が必要だ」ということなのだ。ただし、その方法論はまったく異なっている。別に声高に「革命だっ」なんて叫ばない。しなやかに、勝手に独立国家成立を宣言してしまう(それも小声で)。ただし、今の日本政府にも税金を払いながらね。

 態度として「楽しそう」だ。40年前の「自己否定」なんていらない。自らの躁鬱症なんかも気にしない。多分、この人は躁鬱症(躁期+欝期)があるからこうした考え方をできるようになったんだと思うが、それは北杜夫氏と同じようなものだろう。

 要は、「欝期」をどう過ごすかということでね。

 ああ、躁鬱症でもないじじいの私としては、こうした若者(まだ30代前半ですよ)に、無理やりついていくだけなのかもね。

 

 

2012年5月21日 (月)

川崎球場脇の奇妙なオブジェ

 川崎球場までアメリカンフットボールを観戦してきた。

 現在、川崎球場はスタンドの改修工事中である。つまり、これまではもともと野球のライトとレフトの位置に架設型のスタンドがあったのだが、その架設スタンドをなくして、そこに鉄筋コンクリート4階建てのスタンドを、2014年10月完成予定で作ろうというのだ。つまり、これで川崎球場は野球もできる球場から、完全にアメリカンフットボールやラグビー、サッカー、ラクロスなどの長方形球場になってしまうのだ。もはや、ロッテ・オリオンズの面影はない、アサヒビール・シルバースターズのホーム・グラウンドになるということなのだな。

 こうやって、アメリカンフットボールも少しずつメジャーになるのだろうか(なってくれるんだろうか)。

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 が、今日のテーマは球場ではなくて、その球場脇にある不思議なオブジェについてなのだ。

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 なんか、蒸気機関車か潜水艦が半分地面に埋め込まれたような不思議なオブジェ。

 川崎らしい、なにか工場で使われていた機械かタンクをかたどったオブジェかと思ったのだが、まあ、わけのわからないオブジェといえば、浅草吾妻橋脇のアサヒビールの「うんこオブジェ」なんかが有名だが、それに比べればこの何とも川崎らしい「黒い鉄」のオブジェではある。

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 近寄ってみる。

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 で、ぐるりと周りを回ってみたら、『私は[防火水槽]です』という断り書きが……。

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 なんだ、そうかとは思ったのだが、だけど、こんなに変な格好で地中に埋めなくてもいいでしょう。やっぱり、作った人のオブジェ志向が多分にあるはずだ。

 今度は、それを調べてみよう。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 70-300 @Kawasaki (c)tsunotomo / Fujifilm X10 @Kawasaki (c)tsunoken

2012年5月20日 (日)

立教大学なう

 久しぶりの立教大学だ。

 息子が付属高校に通っていた頃は、野球部の父母会なんかでよく行っていたのだが、大学に入ってからは、ほとんど行かなくなってしまった。

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 裏にそれこそ裏立教通りみたいな広い道ができていたり、大学・高校ともそこここで工事をしていたり、うむ、立教大学は経営が健全なのだな、ということがよく分かる。

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 東京芸術劇場が改修中だったり、池袋ジャズフェスティバルが開催中だったり、最早、初夏の様相の池袋ではあった。

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Fujifilm X10 @Ikebukuro (c)tsunoken

2012年5月19日 (土)

いつの間にか20万PV

 気がついたら、今日の段階でいつの間にか20万PVを超えていた。

 ご愛読、ありがとうございます。

『ロンドンで学んだ女性の向上心』以上に強力な日本のおばさん

 別に女性が向上心を学ぶためにはロンドンまで行く必要はない。フランスだってドイツだってロシアだって、ということは、この日本にいたって向上心を学び、得ることはできるのだ。たまたま、井形慶子氏が行ったのがロンドンであり、そのあこがれの地、ロンドンでいろいろ学ぶことが多かったというだけのこと。

『ロンドンで学んだ女性の向上心』(井形慶子著/朝日文庫/2012年5月30日刊)

 ということなので、この本には特別なことが書いてあるわけではない。

 例えば『「新入社員で伸びる人と伸びない人はどんな違いがありますか」と聞かれることがあります。私の経験上、決定的なのは、ありきたりの回答になるかもしれませんが、「素直さと真面目さ」があるかどうかです。』というクダリ。『では、「できない人」がどんな人かといえば、何か問題が起きたときに、まず最初にできない理由をいう人です。つまりできない理由をさがす人。「できる人」は、どうしたらできるかを考えて、対策を提案してきます。相手がたとえ新入社員でも、1カ月目ぐらいで顕著に表れてきますので、大きな特徴だと思いました。
「スタッフが足りないから、あなた一人でイギリスに取材に行ってください」と業務命令を出したとします。できない人は、「いやあ、とんでもない。私は英語ができませんから会社に迷惑をかけてしまいます」と答えます。できる人は、「はい、しかし私でいいのでしょうか。英語が話せませんが、いろいろ教えていただければ」と前向きな返事をします。』というクダリなんかは、別にロンドンとは何の関係もない。というかまさに「ありきたり」の回答であって、ロンドン経験がないとこんなことも分からないようでは、最早、人生失格だ。

 つまり『本書のタイトルを「ロンドンで学んだ女性の向上心」としたのも、本書でご紹介した通り、有名無名、会ったことのない人からでさえ、自分が奮起し続ける力を十代からロンドンは与えてくれたと思うからです』という、井形氏自身の特殊な経験から、によるものだということが分かる。

 むしろ『本を書いたり、会社を起こしたり、仕事をいろいろなパターンでやってきて、その中で思うのは、第三者の客観的な目の必要性です。見えないところを指摘できる第三者の目。それが自分を天狗にせず、過ちを犯させないストッパーの役目を果たしていることです』とか、『人生は本当に計画通りにはいかないということです。向上し、キャリアが円熟し、肩書きがついてくると、人との関わりも増え、自分の時間も持てなくなり、予期せぬ差し障りさえ出てきます。向上すればするほどその先を目指すことが、時にしんどくなり、最後は何をすべきか見えなくなってしまいがちです。だからこそ、二十代、三十代では多少無理をしても経験をつむべきです』なんてことは、日本にいても十分すぎるほど、分かることなのである。

 むしろ、面白いのは『日本社会の中で強いのは、「おばさん、おじさん、若い女、若い男」の順番ですよということです。おばさんが最強と思うのは、実は日本が誇るかかあ天下の投影を日々感じるからです。ビジネスをしていて私はおばさんがこの世で一番強いのではないかと思うことが多いのです』という部分を読むと、「何やこのおばはん、典型的なにほんのおばはんやないけ」と思うのだ。

 そう、日本のおばさんはもしかすると世界最強のおばさんなのかもしれない。女王をいただき、女性首相を生んだ、男女平等が世界で一番進んでいると思われるイギリス社会だって、実は女性の平均的地位はそんなに高くない。むしろ、女性主導の米騒動があった日本の方が、むしろ女性は強いかもしれないのだ。

 ううむ、侮れないぞ、日本のおばさん。

 国王に即位した頃のエリザベス2世の写真がカバーに使われていて(う~む、典型的なアングロ・サクソン顔だな)、なんかその話も出てくるかと期待して読んだのだが、残念ながらその話は出てこない。

 残念!

2012年5月18日 (金)

『僕がアップルで学んだこと』よりもティム・クックが何を出してくるのかが待ち遠しい

 昔、マイクロソフトと組んでいたことのあるアスキーが、いまやアップルの関連本を出す時代になったのだな……と、遠い目をして言ってしまう私は、古い人間なんでしょうか。だって今やアップルとマイクロソフトが組んじゃう時代なんだからなあ……。

『ぼくがアップルで学んだこと 環境を変えれば人が変わる、組織が変わる』(松井博著/アスキー新書/2012年4月10日刊)

 しかし、独裁者=スティーブ・ジョブズを追い出した後の、ジョン・スカリーやマイケル・スピンドラーがCEOを務めていた第二次アップルはこんな状態だったのか。

『社内のコミュニケーションの質は本当に笑えるレベルにまで低下しました。社内にどんなプロジェクトが走っているのかすらも定かではないのです。それでいて会社の機密事項は常に漏れっぱなしで、自分が関わっていない別のプロジェクトを知ろうと思ったらマック専門誌を買って読んだ方が正しい情報が得られるくらいでした。そんなわけでマック専門誌はまるで社内報のように重宝がられていました。私も欠かさず目を通していたものです。

 社員のモラルは落ちるところまで落ちていました。職場も散らかっている部署は本当に散らかっていました。試作機がなくなってしまうなどということさえしばしばあったほどです。昼まで会社にこない人が少なからずいたり、朝から来ている人がいるかと思えばひどい二日酔いだったり……。会社の中に何も生産していない人が多数いて、残りの真面目な人たちが一生懸命働いてそれらの人を養っているような状態でした。本社では社内にペットを持ち込むことも容認されており、中には犬と遊んでいるのか仕事をしているのか分からない人もいましたし、鳥を連れてくる人までいました。毎週金曜日にはBeer Bashと称して社内でパーティーがあり、みんな早くからビールを飲んでいてあまり仕事になりませんでした。さらに5年働くと1カ月の休暇がもらえたので、これに有給を付け足して2カ月ぐらい休みを取り、その間に就職活動をして会社を辞めてしまう人がたくさんました。そのため自分が担当しているプロジェクトのコンタクト先が、何の前触れもなく引き継ぎもせずに辞めてしまうということがしばしばありました。そして次の担当者が決まるまで何日も空白期間ができてしまうのです。会社への忠誠心など誰も持っておらず、会社をうまく利用することばかり考えており、最低限の義務さえ果たしていない人が大勢いました。』

 これはダメ会社の典型ですよね。

 で、マイケル・スピンドラーの後にCEOになってギルバート・アメリオ時代の第三次アップルになってやっと大鉈を振い大リストラ、その後、アメリオを追放して独裁者が復活した第四次アップルの恐怖政治によるリストラは更に続き、昨年、ジョブズの死によってティム・クックCEOの第五次アップルの時代を迎えているわけだが、さて今後のアップルはどうなっていくんだろう。

 基本的には、アップル社というのはスティーブ・ジョブズの会社であり、スティーブ・ジョブズの思想の体現であり、要は、スティーブ・ジョブズそのものであるわけなのだ。創業者というものはそういうものである。

 フォードのフォード社しかり、エジソンのゼネラル・エレクトリック社しかり、そして野間清治の講談社しかりである。問題は、その創業者亡きあとに創業者の意思・文化を誰が継ぎ、何を残すのかということであろう。アップル社がアップル社であり続けるためには、ティム・クックでろうが誰であろうが、やはりスティーブ・ジョブズの恐怖政治を引き継がなければならないのである。

 多分、そうしないとアップル社がアップル社らしいイノベーティブな商品開発をこれからも続けることはできないだろう。問題は、じゃあ誰がスティーブ・ジョブズのような「こだわり」をもって、商品開発に首を突っ込んで恐怖政治を貫いていくのだろうか、ということである。ティム・クックは元々セールス&マーケティングの人であり、商品企画や開発の人ではない。勿論、マーケッターだって商品に対するこだわりはあってしかるべきである。スティーブ・ジョブズだってプログラマーやコンピュータの開発の人間ではないし(そういう意味では、アップルはスティーブ・ウォズニアック以上の開発者はいないと考えられるのだが)、商品を使う側からのアプローチで、その「美しさ」や「使い勝手」にこだわり続けたわけである。

 しかしながら、スティーブ・ジョブズのような「現実歪曲フィールド」なんぞは持ち合わせないだろうティム・クックである。それはティム・クックが創業者=スティーブ・ジョブズでない以上、やむを得ないことではあるだろう。しかし、トップがそのような「変な男」でない以上、それを見ている部下はトップをなめるようになる。トップをなめ始めると、それは第二次アップルのような無政府状態になってしまうのである。

 ティム・クックがどのような形で「恐怖政治」を保つのか、あるいは保てるのか、それがこれからのアップルの方向性を決めることになるだろう。

 今のところ、まだティム・クックが指示して始められた開発商品は出ていない。問題はそれがどのような形をもって商品として体現されるのか、ということであり、その商品のイノベーティブ性でもって、今後のアップル社の道筋が見えてきそうな気がする。

 果たして、ティム・クックCEOはどんな新商品を発表するのだろうか。楽しみである。

2012年5月17日 (木)

つながりの仕事術

 定年になったらノマドワーカーになろうと考えていたのだが、そうかコワーキングって手もあったのか。

『つながりの仕事術 「コワーキング」を始めよう』(佐谷恭・中谷健一・藤木穣著/洋泉社新書Y/2012年5月25日刊)

 レンタルオフィスとかシェアオフィスというのは知っていたが、それらはあくまでもオフィスという「場所」を提供するもので、使用料も結構高い。月数万円というお金を払うのなら、じゃあアパート借りちゃったほうがオトクかってなもんで、ちょっと二の足を踏んでしまう。しかし、コワーキングスペースならフルタイムで使っても月1万円くらいからあるので、これならブログを書くだけの為に使ってもいいかなという感じである。こちとら、別にブログを書くくらいで生産的なことをやるつもりはない。だったら、安けりゃ安いほどいいってもんで、しかし、あまり家にばっかりいるとカミさんの目もありますのでだんだん居づらくなってくるだろう。ということで、コワーキングスペースを普段の居場所にして、そこからどこかに打って出るというやり方もありだなと思うのだ。

 さらに、そこで誰かの仕事の手伝いも出来ること、だれかの起業のお手伝い、なんかもあったら、それもうれしい。

 そう、『コワーキングスペースの定義は「コミュニティが中心にある」ということになるでしょう。従来のシェアオフィスやレンタルオフィスが施設ありきなのに対して、人の参加を軸に運営されるのがコワーキングスペースなのです』というように、そこに行っても一人で仕事をするのでなく、大勢の人と一緒になってワイワイガヤガヤ仕事をするのは楽しいだろう。一人で仕事をするのであれば、それはノマドでも同じだ。この大勢でワイガヤしながら仕事をするというのが、コワーキングの基本である。

 そこで、コワーキングに向く人、向かない人を挙げているのだが;

『[こんなタイプの人はコワーキングに向いている!]
 ・見知らぬ人とでもすぐ仲良くなれる。アイデアを交わすのが好き
 ・新しいものやイノベーティブなものが好き
 ・前人未踏のこと、人の役に立つことを成し遂げたいと企てている
 ・人の話を聞くことが好きで、自分の話をするのも好き
 ・グループやチームでの仕事が好き。喜びを分かち合える仲間が大切
 ・グループやチームを盛り上げるために献身的な作業をするのは厭わない
 ・多少ざわついた環境で仕事をするほうが気分がのる』

 というのは、さもありなん。

『[こんなタイプのひとはコワーキングに向いてないかも…]
 ・見知らぬ人に話をしたり、自己紹介をするのがものすごく苦手
 ・とにかく「自社や自分の技術・製品・サービスの売り込み」をしたい
 ・なにより「人脈の拡大」が目的
 ・人の話を聞くのは好きじゃない。自分の話をするのが好き
 ・自分に任された仕事は、やり遂げるまで誰にも干渉されたくない
 ・直接お金儲けにならない仕事や活動はしたくない
 ・音のない静かな場所でないと仕事ができない』

 っていうことになるのだけれども、それは当前だ。

 以前に書いたことだけれども、これからの日本は、小さな仕事、小さな会社、小さな事業でもって進んでいくのだろう。だとすると、こうしたコワーキングのシステムはますます多くなってくるだろう。そうなると、こうしたコワーキングでなされる仕事がどんどん増えてくるはずだ。

 しかし本書の中で、松田顕氏が言っているように;

『松田 いまの日本の社会は、完全に硬直化してしまったと感じています。これまでは、トヨタやソニーといった大企業が頑張って日本経済が発展してきたのが次第にうまくいかなくなってきて、じゃあこれからどうするのかというときに、あまり明確なアイデアが見受けられない。だからこそ、いろいろなトライをしていかなくちゃと思っているんですけど。その一方で、ネットとかの通信の発達があって、個人ができることの幅がすごく広がってきたので、個人のアイデアを実現することが昔に比べて比較的容易になったという背景があります。その中で、コワーキングというのは、誰かと誰かのアイデアを結び付けて発展させるのには非常に適した環境です。ゆえに、逆にコワーキングが根付いて広がっていかないと、なかなかいまの閉塞感を打ち破ることが難しいのではないかというのが、以前から感じていることです。』

 ところが;

『藤木 日本の企業でも、若い社員さんなんかは、コワーキング的なことを取り入れてみたいと思っていても、会社としてコンプライアンス的にグレーなところがあると、リスクが取れないからダメという話を聞きました。』

 という具合に、どんどんダメになっていく日本企業なのだ。基本的にはリスク・テイキングができない企業はどんどん遅れていくということなのだ。

 とはいうものの、まだまだこうしたコワーキングスペースは少ない。レンタルオフィスやシェアオフィスはかなり増えてきている気はするのだが、しかし、コワーキングスペースは、この東京だってまだ20ほどしかないようなのだ。

 あ、そうか、だったら自分でコワーキングスペースを運営しちゃえばいいのかもしれない。場所とWi-Fi環境と、パソコン・プリンタあたりがあればいいのなら、今からでも始められそうである。そして、そんなコワーキングスペースから起業していく人が出てくれば、それはそれで幸せだ。

 うむ、定年後はノマドじゃなくてコワーキングだな。

2012年5月16日 (水)

『危ない私立大学 残る私立大学』と言ったって、危ない私立大学を実名で書いて欲しかったな

 前著『消える大学 生き残る大学』をさらに進めた著作、つまり、もっとその論考を進めて、実際に「危ない私立大学」を具体的に示してくれるのかと思ったのだが、やはり今回もそれは具体的に示されることはなく、いい方の大学だけは実名で、ってことはやはり今後の取材のことを考えたんだろうな。

『危ない私立大学 残る私立大学』(木村誠著/朝日新書/2012年5月30日刊)

『10年後には100校以上の私立大学が破綻し、消滅している――。』

 というのが本書の書き出しである。

 しかし、そんなことは当然であろう。1990年代後半から、18歳人口が減っているのである。大学入学人口が減っているにもかかわらず、大学の数が増えているというのは、基本的にいってマーケティングの法則からは間違っているわけである。勿論、ユニークな学部・学科を作って新たな創造と需要を作り出す大学もないではない。しかし、大半の新設大学はそんなことはなく、大半が他の大学でもやっとぃる学部・学科のモノマネでしかない。そんなところが生きぬけることはないというのがマーケットでの鉄則なのだが、それが分からない大学経営者がいっぱいいるってことでしかないのだろう。

 取り敢えず、目次から拾って生き残る大学を見ると;

第2章 東京ビッグ6の飽くなき膨張戦略
 慶應大学
 日本大学
 明治大学
 中央大学
 早稲田大学
 法政大学

第3章 地盤変動が進行する関西の私立大学
 同志社大学
 立命館大学
 関西大学
 近畿大学
 関西外国語大学

第4章 校風を生かしたミッションスクールが上昇
 上智大学
 青山学院大学
 立教大学
 東北学院大学
 南山大学
 関西学院大学
 西南学院大学

第5章 地方の元気印大学、危ない大学
 北海道医療大学
 千歳科学技術大学
 東北福祉大学
 東北芸術工科大学
 金沢工業大学
 金沢星陵大学
 松本大学
 岐阜聖徳学園大学
 広島経済大学
 松山大学
 崇城大学

 第2章、3章、4章までは昔からある伝統校である。こうした伝統校が潰れるということは、あまり考えづらい。まあ、結局は入学志望者が多いから、ということで生き残れるのであろう。

 問題は、それ以外の大学、特に「新設大学」でしょう。第5章に載っている大学はみな新設校である。その新設校の中の元気のある大学が上記の11校なのだが、それでもその中には経営的に厳しいところもある。それでも消滅する100校に入っていないのだから、立派である。この中で私が知っているのは、漆塗りの工芸を伝えることが当初の設立目的だった金沢工業大学と、民俗学者の赤坂憲男元学長や根岸吉太郎教授がいる東北芸術工科大学と、野球で有名な東北福祉大学くらいかな。それらの大学は、それなりの大学経営者のマーケット感覚が優れていたからなのであろう。

 最近では、東京女学館大学の閉校の話題が大きいが、それだって「何で町田なんて田舎に大学を?」というのが問題だったのだ。広尾にある女学館高校・中学は超人気校で、何の問題もないはずなのだけれども、結局「何で田舎に大学を」という問題なのだ。だって、広尾でお勉強してきた女学館の生徒が「町田みたいな田舎の大学」に行くわけないでしょ。慶應とか青学とか立教とか、やはり都会の大学に行くよね。

 大学経営者のマーケット感覚なのだ。もともとマーケティング・センスなんてものは持ち合わせていない、地方自治体関係者が大学があれば若者が町に残ってくれるかもしれない、という淡い希望で土地や施設を提供し、これまたマーケティング・センスと縁のない大学経営者が無責任に運営をすれば、そりゃ潰れて当たり前。だいたい、企業が進出しないような場所に、大学だって進出出来ない筈だ。

 企業経営だって、大学経営だって基本は同じである。マーケットの発見と、あるいは創出なのだろうけれども、そうした観点のない大学が多すぎるのである。

 つまり自業自得ってやつですね。残念!

2012年5月15日 (火)

『バトル・オブ・シコンバレー』はバトルというより盗みあいだ

 友人のY川氏から教えてもらった『バトル・オブ・シリコンバレー』(マーティン・バーク監督・脚本/1999年製作)をAmazonで購入して観た。

 原題は"PIRATES OF SILICON VALLEY"で、つまりアップルとマイクロソフトの「闘い」というよりも「盗みあい」を描いたという印象だ。

 お話は、アップル側をスティーブ・ウォズニアック、マイクロソフト側をスティーブ・バルマーが語るという形で進められ、それぞれがそれぞれの技術を盗みあって共存する姿を描いて、少なくとも我々が知っている事実で構成されるので、この作品を観て初めて知ったというような点は殆どないが、それはそれで楽しめた。

 最初は1984年のスーパーボウルの中継で放送する、IBMのビッグ・ブラザーを女の子が破壊するという例のテレビCMをリドリー・スコットが製作しているシーンから始まり、1997年のマックワールドでスティーブ・ジョブズがステージ上のスクリーンにビル・ゲイツを呼び出す有名なシーンへと続く。

 しかしながら、描かれている「盗みあい」はそれよりももっと前から始まっていて、最初はIBMに対してパーソナル・コンピュータのオペレーティング・ソフトを売り込むゲイツのシーンが最初だ。しかし、この時点でマイクロソフトはパソコン用のOSは持っておらず、IBMに対するゲイツの売り込みはよく言えば弁慶の勧進帳、悪く言えば詐欺であった。しかしながらIBMはマイクロソフトにOS開発の契約を発注したために、慌ててポール・アレンがシアトル・コンピュータ・プロダクツからOSを50,000ドルで買ってきて、PC-DOSとしてIBMに売り込むわけだ。

 このPC-DOSがMS-DOSとして、その後のWindowsにつながるマイクロソフトの最大のビジネスになるわけだ。

 次が、有名なゼロックスのパロアルト研究所の持つ、マウスとGUIでパソコンを動かすシステムである。結局、ゼロックス首脳としてはパソコンは普及しないと考えたために、この画期的な発明に興味を示さず、アップル・コンピュータというわけの分からない若者会社にその技術を見せてしまい、アップルに盗まれるのだ。

 そして一番の見どころが、Windows OSによるマウスとGUIの採用だろう。ジョブズが「ウチの社員が日本で買ってきたコンピュータ」というのは、多分NECのPC9801 VX/WINという1986年12月に発売されたコンピュータで、世界で初めてWindows 1.0が搭載されているマシンである。しかし、このWindows 1.0はあまり上手くできたOSではなくて、ジョブズは多少ホッとしたと思うのだが。しかし、激怒するジョブズに対して、ゲイツは有名な台詞を吐くのだった。

『なんと言うか、スティーブ、この件にはいろいろな見方があると思います。我々の近所にゼロックスというお金持ちが住んでいて、そこのテレビを盗もうと私が忍び込んだらあなたが盗んだあとだった――むしろそういう話なのではないでしょうか』

 同じ1955年生まれのジョブズとゲイツだが、これほど対照的な人物というのも珍しいだろう。

 シアトルの有名弁護士の父と市民運動のリーダーの母親の子どもとして生まれたゲイツは、コンピュータ・プログラムができるハーバード大生で、したがってまず最初にアルテア用のソフトを開発し売り込んだ後はIBMへ行くのだった。一方ジョブズは、高校中退の自動車修理工の許で養子として育ち、ヒッピーで、プログラミングはできないが、デザインセンスがありインターフェイスを使いやすくすることには優れている。

『どちらも、「頭は自分のほうがいい」と思っていましたが、美的感覚やスタイルを中心にスティーブがビルを若干、下に扱うことが多かったと思います。逆にビルは、プログラミングができないことからスティーブを格下に見ていました』

『個性や人格の違いから、ふたりは、デジタル時代を二分するラインの両側に分かれた。ジョブズは完璧主義者ですべてをコントロールしたいと強く望み、アーティストのように一徹な気性で突き進んだ。その結果、ジョブズとアップルはハードウェアとソフトウェアとコンテンツを、シームレスなパッケージにしっかりと統合するタイプのデジタル戦略を代表する存在となった。これに対してゲイツは頭がよくて計算高く、ビジネスと技術について現実的な分析をおこなう。だから、さまざまなメーカーに対し、マイクロソフトのオペレーティングシステムやソフトウェアのライセンスを供与する。』

 ところが、この二人が『優れた芸術家は真似る、偉大な芸術家は盗む』というピカソの言葉を好んで使ったというあたりが面白い。もっとも、ゲイツのほうは『ゴッホか誰かの言葉』といういい加減な覚え方だったが。

 しかし、ジョブズ役のノア・ワイリーといい、ゲイツ役のアンソニー・マイケル・ホールといい、なんか本人そっくりなところはたいしたもんだ。この辺はキャスティング・ディレクターの勝利だな。

 上記の引用は、すべて『スティーブ・ジョブズ』より。

2012年5月14日 (月)

国宝「松本城」にまつわる様々な想い

 妙高高原に泊まった次の日、松本市に行って松本城を見てきた。

 実は松本市には40年くらいまでに行ったことはあったんだけれども、松本城には行ったことがなかった。つまり、40年来の思いが叶って松本城に行ったわけなのだが、さすがにいいお城ではあった。名古屋城みたいにエレベーターで天守に上がるのではなくて、ヒーコラ言いながら階段で(というか殆ど梯子状態)上がる天守というのもいいのじゃないでしょうか。

 昔の人はそうやって天守まで上がっていたのだから。

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 松本城は現存する数少ない昔からの構造をとどめている城のひとつである。建造されたのは、「天正3年(1593年)説」「文禄3年(1593年)説」「慶長2年(1597年)説」「慶長5年・6年(1600年・1601年)説」「慶長20年(1615年)説」という5説あって、どれが本当か分からないが、一番古い1593年説であっても、1600年の関が原の戦いや1614年・1615年の大阪冬の陣、夏の陣の関係からみると、この松本城が戦乱に巻き込まれたことは考えられない。

 であるからこそ、現在までその昔のままでの姿をとどめているのだろう。明治時代になって天守が傾いてしまったことがあるそうだが、それは戦乱とは関係がない地盤の軟らかさによるものだった。

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 天守から見た松本の町。なるほど、かなり遠くまで見渡すことができる。とは言うものの、平城である以上、このくらいの高さがあって、遠くまで見渡せないと、城=砦としての機能は果たせないだろう。

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 この時代は、もはや弓矢や刀による白兵戦ではなく、鉄砲や大砲(大筒)による機動戦の時代になっている。なので、城には沢山の鉄砲狭間という小さな窓が作られていて、なるほどこの時代は既に飛び道具の時代なのだと思わせる、松本城ではあった。城の中には沢山の火縄銃や大筒が展示されている。でも、この城で戦うようになってしまっては、結局戦は負けということでしょう。白兵戦じゃなくて機動戦の時代になってしまっていては、もはや籠城戦で勝てる時代ではない。ということで、まさしく松本城は戦を戦っていない城なのである。

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 お濠に住んでいる体長1メートルを超す鯉。そういえば、鯉こく、蜂の子、馬肉が信州人の数少ない蛋白源なのだった。でも、この鯉は、デカすぎてあまり美味そうじゃないなあ。

Fujifilm X10 @Matsumoto (c)tsunoken

2012年5月13日 (日)

「妙高市」ということで新井市と妙高高原町が合併したのだが……

 先週の京都といい、ここのところ旅行づいており、一昨日はちょっとワケありの用件で新潟県の妙高市に行ってきた。

 妙高市というのは、2005年に新井市と妙高高原町、妙高村が合併してできた市で、当時の新井市役所がそのまま妙高市役所になっている。つまり、新井の町が妙高市の中心と言うわけなのだが……。

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 妙高市の中心街、新井の駅なんですが、なんか寂しい駅前ですね。確かに、高崎―横川間と違って、長野―直江津間は単線運行で、新井駅も1時間に1本か2本しか走っていないわけで、タクシーの運転手さんもヒマそうにしている。Dscf4071_2

 新井の唯一の大企業が新井信用金庫であります。それ以外では君の井酒造あたりが多少知られている会社かな。でも、君の井は30人くらいしか従業員がいない典型的な中小企業の造り酒屋でしかない。

 産業としては、化学工業のダイセル新井工場とかパナソニックの工場がある位。信越線のお隣の駅、二本木駅はもともと日本曹達二本木工場のために作られた駅で、スイッチバックがある駅で鉄道オタクには有名な駅であるが、いまや一時期は1万人の従業員がいた日本曹達二本木工場はなくなってしまった。結局、ダイセルとパナソニックだけが地元の人を沢山雇用している外部資本という、典型的な田舎町ではあります。。

 あとは「笹ずし」と「かんずり」くらいが名物である。ま、典型的な田舎町なのである。スキー場も潰れてしまったし。
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 で、新井の町をクルマで走っていると、まだまだ残雪が残っているような状態だったのだが……。
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 宿泊先の妙高高原は、まだまだ雪がたくさん残っていて、まだ冬だった。

 なんかこうして見ると、新井と妙高高原が同じ市という感覚はあまりないなあ。なんか、別の町という印象なのだった。

Fujifilm X10 @Myoukou City (c)tsunoken

2012年5月12日 (土)

『バカで野蛮なアメリカ経済』というタイトルよりも「日本は“野蛮な経済”にどこまで付き合うべきなのか?」という腰巻の方が気になる

 そんなこと、いちいち言われなくても分かっていますよというような論考ではあるけれども、今更ながらに言われてしまうと「やっぱりそうですか」ってなもんですね。

 だって、オバマの変心なんて超有名な話だもんね。その辺、日本の民主党の政権とってからの変心と同じかも知れない。

『バカで野蛮なアメリカ経済』(藤井厳喜著/扶桑社新書/2012年3月1日刊)

 基本的に、官僚の仕事のやり方は「保守」である。要は、「前例」のないことに対しては「前例通りやれよ」としてしか動けないのが官僚の仕事のやり方なんである。それは日米どちらも同じであろう。それは世界共通の「官僚の動き方」なのである。したがって、官僚の仕事のやり方はなかなか変化が起きない。そんな変化のなさの中で共和党から民主党に変わったアメリカ、自民党から民主党に変わった日本の双方で旧来のやり方から頑固に仕事を変えない官僚に妥協したのが、双方の政治家だったということなのだろう。

 更に、規制緩和というのは官僚にとっては命取りである。規制があるからこそ、官僚の手腕が問われるわけで、規制緩和されてしまったら官僚はいらないということになってしまう。したがって、官僚は基本的には規制緩和には反対の立場なのである。

 ところが、その官僚も強力な力を持った政治家が登場すると変わらざるを得ない。その最初がレーガン政権下の規制緩和だったというのは、基本的にレーガン自身の政治力がそれほど大きくなかったことを考えると、誰か力を発揮した政治家か、とんでもない官僚が登場したということだろう。ということで、それが誰かといえば、ドナルド・リーガン財務長官だったようなのだ。このドナルド・リーガンは元メリル・リンチ会長だった人。つまりそれは;

『レーガンがメリル・リンチ会長を財務長官に就任させたのは、日本でいえば野村証券の社長を財務大臣に任命するようなものである。しかし、よく言われることだが、共和党の大統領が当選した場合、その選挙資金集めに最も功績があったウォール・ストリートの大物が財務長官に就くのが、アメリカ政治におけるひとつの暗黙の了解なのだ。』

 ということ。さらに言ってしまえばFRB議長を長年務めたアラン・グリーンスパンも、レーガン政権下でFRB議長に指名され、その後19年間もその職に就いていたリバタリアンの一人である。

 つまり、アメリカの規制緩和の動きはレーガン政権下でスタートし、クリントンの時代に完成されたようだ。それを完成させたのはロバート・ルービン国家経済会議の議長であるが、そのルービンの前職はゴールドマン・サックスである。

 もはやアメリカ経済はズブズブのリバタリアン国家なのだな。しかし、だからこそのティーパーティー運動なのかも知れない。つまり、ティーパーティーの考え方は、どうせ規制緩和するのなら徹底的に、国家は外交と国防だけをやって、それ以外は何にもするなというものである。オキュパイ・ウォール・ストリートとは正反対の運動ではあるが、それはそれでアメリカの伝統の上に立った運動なのである。結果として、1パーセントの超富裕層と、99パーセントの貧困層が出てもよいというティーパーティー運動のバックボーンには、基本的なアメリカ国家の姿勢がある。

 そして、同時にこの規制緩和がうまく働いたのがIT産業であろう。基本的にITは国とか、地方公共団体とかの境を取り払いたいと考える業界である。つまり、いろいろな障壁を取り去ることによって伸びる産業なのである。

 こうして、金融に関する規制緩和と、ITに関する障壁撤廃がアメリカの基本政策なのだろう。で、問題はそうしたアメリカの動向にどうやって日本が付き合うのかということである。

 野田、前原のアメリカン・ズブズブの松下政経塾は、とにかくアメリカという飼い主の前で腹を見せてゴロニャンする猫や犬みたいにやってれば、アメリカは可愛がってくれるだろうという発想なのだけれども、しかし、当のアメリカは既に日本を見限っているというのが残念なところだ。

 アメリカの見る方向は、いまや喫緊の問題となっている対中国関係である。もはや日本を飛び越して中国との関係をどうするのかという問題に、基本的な国のテーマを置き換えている。もはや日本などかまっている場合じゃないのだ。ということなので、アメリカ側も沖縄の海兵隊をグァム移転を真剣に考えている状態だ。

 そんな時に、今更アメリカじゃないでしょう。アメリカだって日本が国連中心主義になってくれればラクになるのではないか。今、アメリカの指向は対日本じゃなくて、対中・韓・日と多面的になってきている。それを捉えてこそ、いまや日本は政治的には国連中心主義。経済的にはTPP積極参加にいくべきではないだろうか。

 ということで、結局は日本民主党は小沢一郎待ちになるのか? というところである。小沢氏がITについてどれほど知識があるのかどうかは知らないが(まあ、多分ITを「イット」といった森喜朗程度だろう)、まあ、すくなくとも「国連中心主義」という言い方に対しては、実はアメリカは文句は言えないのだ。なぜかと言えば国連はアメリカが作ったものだからである。いわば、アメリカに対する「正論」が「国連中心主義」なのだ。これを前面に押し出されてしまうと、アメリカは文句を言えない。

 で、まあ小沢氏は控訴されてけれども、それは気にしないで9月の民主党代表選には出てほしい。当然、そこでは選ばれることになるだろうから、彼が民主党代表になって、つまり首相になってから、われわれは文句を言えばいいのである。

 そのほうが、文句を言いやすいでしょ。

 というのが、今日のオチ。

 

2012年5月11日 (金)

『天職は寝て待て』って言われても、そうはいかないから、みんな困ってるんでしょ

 要するに、自分が天職と思えるような仕事に就ける可能性の80%は偶然だというのだ。

『スタンフォード大学の教育学・心理学のの教授であるジョン・クランボルツは、米国のビジネスマン数百人を対象に調査を行い。キャリア形成のきっかけは、80%が「偶然」であるということを明らかにしました。彼はこの調査結果をもとに、キャリアは偶発的に生成される以上、中長期的なゴールを設定して頑張るのはナンセンスであり、努力はむしろ「いい偶然」を引き寄せるための計画と習慣にこそ向けられるべきだと主張し、それらの論考を「計画された偶発性=ぶらんド・ハプスタンス・セオリー」という理論にまとめました。
 クランボルツはこのハプスタンス・セオリーにおいて、「いい偶然」は単に待っているだけでは起こらず、招き寄せるための日々の習慣が重要である、と指摘しています。』

 それは分からないでもないけれども、でも結局は「偶然」であるのだったら、そこに向けてどんな努力をしなければいけないのかということも分からないし、それこそ何にもしないで「寝て待て」ということなのかなあ。

『天職は寝て待て 新しい転職・就活・キャリア論』(山口周著/光文社新書/2012年4月20日刊)

 とは言っても、最初の就職で「ありゃ、間違っちゃたかな」と考えている人にとっては、転職というのは喫緊の問題である。しかし、本来であれば積極的な転職を進める立場の山口氏はこう言うのだ。

『喉元過ぎれば熱さを忘れる、ではないですが、会社全体の社風と自分のパーソナリティが完全に合っていないといった、どうやっても改善できない問題でない限り、じっと待ってみる、というのも有効な戦略の一つだと思います。』

 という具合にね。

 要は、本当に自分が得意とする仕事、自分の能力が充分生かせる仕事、自分が本当にやりたい仕事、といったものが自ら満足できる収入とともにあるのかといえば、なかなかそうはいえないというのも事実なのだ。だから、そうした条件を考えて転職しなさいよ、というのが本書の目的なのだ。でも、山口氏自身、電通、ネット系ベンチャー、ブーズ・アンド・ハミルトン、ボストン・コンサルティング・グループ、A.T.カーニーと転職をくりかえしてきた人物なのである。

 問題は、そこで山口氏自身がどんな「リスク・テイク」を行ってきたのかということである。そう、山口氏自身がその転職に際して、どのようなリスクを負って転職してきたのかという実例を読者としては見てみたいのだろう。でも、そんなことには応えない。まあ、それがライターとして長生きできる方法論なのだということは分かってはいるが、しかしねえ。この本だけを読んだ読者からしてみれば、ちょっとサービス不足かな。

 ひとつだけ言ってしまうと、転職で天職に会える確率はかなり低いと考えた方が良いだろう。現在の職業に就いている最中に「これは天職だ」というものを見つけて、じゃあそっちに転職したとしても、結局は実際にその職業に就いてみると、就いていなかった時には見えない部分が見えてきて、「やっぱりこれは天職じゃない」なんてことになることは多い。だから、「転職は慎重に」というのがこれまでの価値観だった。まあ、あまり早まりなさんなよということだ。

 しかし、だからと言って現在勤務している企業がこれから先、自らの職業がこれから先、未来永劫について確実かという保証はなにもない時代になってしまうと、常に転職の可能性を考えて生きていかなければならない時代には、確実になっているということなのだろう。

 問題は転職に関する「リスク」の問題なのだ。今、在職している企業にそのままいれば「ノンリスク」であるが、その会社が潰れてしまう「リスク」がある。会社を変えればその分の「リスクテイク」はあるが、うまくすればそのリスクを変えてしまうこともあるのだ。しかし、問題は「リスク」の反対語はなにかあるのかといえば、実はないのだ。つまり「リスク」は「危険」ではあるけれども、それを乗り越えてしまえば「安全」になってしまうのだ。要は、それだけのこと。

 そこで、問題は自分が「リスクテイク」をできるのかどうか、ということ。現職のやわらかい誘惑を捨てて「リスクをとる」ことができるのかどうかが、貴方の未来を決めるという社会に、いまやなってしまったんだな。

 そこで何が重要かといえば、結局は本人の意思なのだ。上にあげた「天職に会える可能性の低さ」にもかかわらずそこに賭けるか、あるいはそんな可能性をあきらめて今の職業にそのまま就き続けるか(会社がなくなっちゃうというリスクも含めて)、ということである。

 大変ですね、これからビジネスマンになる人たちは。って、これは家の息子どもに言ってるんだが、まあ、それはそれでいろいろ考えていることもあるようだ。

 本当に、日本という国はどうなって行っちゃうんでしょうね。アメリカの金融グローバリズムにまんま巻き込まれちゃうのか、あるいはアジアに軸足を変えて、アメリカ支配から逃れるのか、それによって多分、日本のビジネスマンの働き方も変わるんだろうな。

 頑張れ、日本のビジネスマン?

 

 

2012年5月10日 (木)

『東大卒でスミマセン』って謝られてもなあ、別に東大卒を特別視していないしなあ

「「東大卒でスミマセン」なんて謝られてもなあ、別に謝るようなことでもないし、「普通でしょ」と言えば言えちゃうのだ。それを「学歴ありすぎコンプレックス」という言い方をすること自体が、筆者の「田舎のネズミ」コンプレックスの表出でしょと言わざるを得ないのだ。東大卒や東大院卒がゴロゴロいる会社にいて、なおかつそいつらの凡庸さに辟易しているわが身としては、東大卒ってそんなに偉いのかよ! ってなもんですな。

『東大卒でスミマセン 「学歴ありすぎコンプレックス」という病』(中本千晶著/中公新書ラクレ/2012年4月10日刊)

 とにかく「受験技術のうまい使い手でしょ」というのが、東京における東大生に対する評価である。大学受験なんてのは、どこの大学を受けるにせよ、所詮「受験技術」である。勿論、その技術を可能にするためのいろいろな(東大の場合は、東大の試験に落ちる人間では不可能な)関門はある。とは言うものの、それは技術である以上、何かを犠牲にすれば殆どの人が獲得できる筈の技術でもある。ただし、それを獲得するためには犠牲にするものが多すぎるというのが、おおかたの人たちが東大に行かない(行けない?)理由なのだ。

 従って、東大卒と言われても、普通の人たちは「ああ、そうですか」ってなもんで、社会に出てしまえば東大も東洋大(両方とも文京区にある「東大」です)も横一線なんだから気にしない、という風に東京では考えるのだ。

 それを何か「東大生は特別な存在だ」と考える文化がおかしいのだ。この本を書いた中本氏も「東大卒女子」という、まあ、東大生としてはマイナーな存在だったから注目されたのかも知れないが、でも、そんな東大卒を特別視する環境(しかし、中本氏が最初に勤務したリクルートを始めたのは江副さんっていう「東大新聞」の人なのになあ)でお仕事をはじめた環境を恨むのですな。まさしく『「学歴ありすぎコンプレックス」という病』に勝手に罹っていたのが中本氏なのだった。

 つまり何だろう、中本さんの発想ってのは、『週刊現代』風に言ってしまうと、「東大までの人・東大からの人」の中の「東大までの人」的な発想なのだ。もともと「地アタマ」というのがある。「地アタマ」のいい人は東大に入ってもそこからグングン力を伸ばす人である。「地アタマ」の悪い人は、結局、東大に入ったことでそれでおしまい。「受験技術」を身につけるところまではいいのだが、そこから先には行けない人が、頑張ったとしてもそこまでの人であり、そこから先の人生は東洋大学卒と競わなければならない人なのであろう。

 多分、今、中本氏はフリーライターになってそれを感じていることだろう。フリーライターの世界は、それこそ中卒から大学院卒までそろっていて、そんな学歴じゃない世界で皆が競っている世界である。まあ、競っているのは週刊誌のライター同士であって、そうじゃない人はあまり関係がない。そんな世界で東大卒なんて肩書きが通用しないのは当たり前。

 要は、「東大卒」と言うものが、どこか他の大学卒というものと「違う」という発想が間違っているのだ。別に東大だろうが東洋大だろうが、同じ大卒でしょ、じゃあ出発点は同じじゃないですか、というのが普通の発想である。

 そう、中本氏のこの『東大卒でスミマセン』を読むと、なんか逆に「東大卒」を認めて欲しいという気分があからさまに出てくるのだ。そんなもん、認めませんよ。個人の実力だけでしょ。

 ということで、中本千晶さんは、やっぱり東大卒を特別視してもらいたいのだろうか。だって、こんなに入学するのに苦労したんだから、その苦労を認めてよ、という訳である。

 ああ、残念!

 閑話休題、一昨日のブログ『京都の不思議な長屋建築』に対して、「さすらい日乗」さんという読者の方から「これは、関西によくある「二戸一」(にこいち)という建て方だと思います。」というコメントをいただいた。「ニコイチ」というと、例えば同型の事故車二台を買ってきて、一台に仕立て上げちゃうようなイメージでとらえていたのだけれども、そうかこういう使い方もあるのだな。つまり、二戸の住宅を一つの建物のように作って安く上げるという方法なんだろう。

 フムフム、勉強になったワイ。ブログも便利じゃなあ。

 しかし、二戸のうち、片方だけが立て替えを考えた時なんかどうするのだろう。壁を壊しちゃう訳にはいかないだろうからなあ……。と、また疑問が湧いてくるのだった。

2012年5月 9日 (水)

就職先はブラック企業

 結局、自分が勤めている企業がブラックかブラックじゃないかを決めるのは、その人が、その勤務内容や所得に納得していないか納得しているかの違いでしかない。誰の目から見てもブラックというのはないわけで、だってその会社を経営している人にしてみれば、自分の会社がブラックだなんて考えるわけはないじゃないか。

『就職先はブラック企業 18人のサラリーマン残酷物語』(恵比須半蔵著/彩図社/2012年4月5日刊)

 ということで、本書が取り上げている「ブラック企業」は以下のとおり。

第1章 悪魔の新卒入社編 「机の下に潜り込んで電話掛け」の【先物取引会社】/「部長の口癖は、ぶっ殺す!」の【リゾート物件販売】/「過酷な労働環境で鬱病に」の【バス運行会社】/「張り込みや尾行も仕事の1つ」の【事業者金融】/「生徒と社員からも金をむしり取る」【パソコン教室】/「女だからの一言で片付けられて」の【電機メーカー】

第2章 地獄の中途採用編 「悪徳商法の殿堂」の【シロアリ駆除会社】/「社員になったら給料がさがる」【零細出版社】/「人が変わってしまった社長」の【広告代理店】/「良心の呵責に耐えられない!」【催眠商法会社】/「パート社員は使い捨て」の【大手ファストフード店】/「「顧問」という名のヤクザがいる」【浄水器の訪問販売】/「外国人と日本人では雲泥の差」の【英会話学校】

第3章 拷問の就業中編 「土下座するのは慣れました」の【印刷会社】/「別名は、強制収容所」の【自動車メーカー】/「3種類の名刺を使い分けれる」【IT企業】/「やりがいのあるいい職場?」の【製薬会社】/「必要悪だという割り切り」の【メガバンク】

 という18種の企業。

 しかし、その中でも見るからにブラックというのは、【先物取引会社】【事業者金融】【パソコン教室】【シロアリ駆除会社】【催眠商法会社】【浄水器の訪問販売】【英会話学校】と、今話題になっている【バス運行会社】の8社くらい? 【リゾート物件販売】【広告代理店】【自動車メーカー】の3社は、会社の問題というよりは、その上司個人に発する問題があるというものだし、【電機メーカー】なんかは、単に会社の体質が古いだけだし、それ以外の6社は、まあそれが業界の体質なんだから、それを批判しても始まらない。

 ネット・メインの情報で企業に就職し、その結果「思っていた会社とまるで違っていて、もう最悪です」なんていって入社して1ヶ月で辞めちゃったり、「給料が安すぎて生活できない」とか、「職場で陰湿なイジメがある」とか、「上司からセクハラを受ける」とかとか。でも、そんなのは会社に入って最初から仕事が自分のイメージ通りの会社なんてありえないし、給料が安すぎてなんて言っても、じゃあ先輩社員も皆生活できていないのか、と言えばそんなことなくちゃんと結婚して家庭を持っている人だっているでしょうし、イジメやセクハラなんてのも意外と本人の気持ちのもちようだって話もある。

 銀行に入社したって、幹部候補生として入社したのと、兵隊で入社したのでは、会社の扱いはまったくことなり、一方では「この会社もしかしたらブラック?」なんて考えているのが、もう一方では「いやあこの会社、日本を動かしている超優良企業じゃん」なんて考えていたりするのだ。

 更に、【先物取引会社】だって、いい物件を紹介してもらって感謝しているユーザーがいるかもしれないし、【事業者金融】だって、銀行なんかよりよっぽど信用している中小零細企業経営者がいるかもしれないのだ。まあ、【パソコン教室】とか【英会話教室】なんて学校商売をしているところは、「学校」の美名に隠れて悪さするところは多いだろうし、【シロアリ駆除会社】なんてのは自らシロアリを撒いているという噂があったり、【催眠商法会社】や【浄水器の訪問販売】なども、結局年寄りターゲットの、いわば「弱者」を陥れることによって成立する企業なんだから、初めからそんなところに入らなければいいのである。いわば、リテール営業で成り立っている会社は、見方によってはかなりブラックの状況に近いといって間違いないだろう。しかし、そんな会社だって、ごく普通に営業を行って、立派に生きている人たちもいることはお忘れないように。

 所詮、そんなものは気持ちの持ちようだってこと。それ次第では、ブラックにもなるし、クリーンにだってなるのである。その会社がブラックであるかどうかを決めるのはあなた次第でしかないということ。あなたがブラックだと思っちゃったら、その会社はブラックなんだろうし、でも世の中では正業として認定されているかも知れない。ブラックだと思っているのはあなただけ?

 ま、あとは事前にどれだけ、ちゃんとした情報を集めているかどうかでしょう。

 そんなもんです。だって、ブラックかどうかなんて話が盛り上がっているのは、2チャンネルなんかのサイトでもって「ブラック企業に勤めていたけど、今は辞めた人」たちの書き込みでしょう。

 それだけ。

2012年5月 8日 (火)

京都の不思議な長屋建築

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 一昨日の東大vs.京大戦を見た後は京都泊。

 で、泊まったホテルの関係で京都八条あたりを朝散策した。八条・九条と言えば東寺のあるあたりであり、昔の京都で言えば最早郊外と言う感じなのであろうか。四条・五条あたりの賑やかさはない地区である。賑やかなのはDX東寺というストリップ劇場くらいなものである。

 その町を歩いていると目に付くのが長屋建築である。

 上の写真の長屋はいかにも長屋という感じで、棟も全部つながっている感じである。入っている店はかなり変わっているのだろうけれども。

 不思議なのは下の写真のほうだ。棟はつながっておらず、一軒一軒別の家のように見える。ところが近寄って見ると、それぞれの家の壁と壁がくっついているのである。多分、一軒ごとに別の建て方でもって作られているはずなんだけれども、結果として壁ごとにはつながっているという建て方になっているわけだ。

 たとえば、「京都町屋あじき路地」なんかの四条・五条の都心部なんかの建て方だと、初めから長屋形式で建てられており、それはそれで統一感のある建て方になっていて、昔の棟割長屋の形式なんだろう。まあ、これが長屋建築の正統派というなら、九条あたりの「変な」長屋建築はどう言えばいいのだろうか。

 町の人に尋ねようと思ったのだが、まるで人通りのない道で、誰にも尋ねるわけにはいかない。

 そこでここでは勝手な憶測。昔の家は間口の大きさで税金(今の固定資産税みたいなものか)が決められていた。そこで、現在でも地方都市の中心部、商業地域に行くと間口は一間か二間しかないのに、奥行きだけはやたら長いそれこそ「鰻の寝床」みたいな家が多い。そこで、その様子を見ると、皆、同じような間口で同じような奥行きの家なのだ。多分、昔の分譲地(って、昔はなんて言ったのかな)の形なんだろうな、これは。

 で、当然それぞれの家々で別に建てるんだけれども、どうせ同じ奥行きなんだし、家と家の間に隙間を作らなければいけない(いまの消防法ではそうなっている)法律なんかなかった時代なら、敷地目いっぱい建てて、隣の家とくっついたら、壁の費用なんかも半分ですむしラッキーってなもんで、隣の家と相談して長屋風に作ってしまった。しかし、長屋じゃないんだから、片方の家だけが建て替えなんかもできるし……。

 という解釈を勝手にしたのだが、どうだろうか。

 もしかして、この京都の「長屋風の建築」について知っている人がいたら、教えてください。


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 いいよなあ、猫は自由で、というのが普通の感覚。飼い猫でもこうなんだものなあ。実は、飼い猫であっても猫自身は飼われているという意識はないのかもしれない。単なる、餌をくれる便利な人くらいにしか飼い主のことなんかを見ていないのかもしれない。

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2012年5月 7日 (月)

東大vs.京大戦にはちょっと期待はしたんだけれどもなあ

 ということで、怒涛の三日間の最後は、京都宝ヶ池球技場での東京大学ウォリアーズ対京都大学ギャングスターズの定期戦である。

 ここのところ、ずっと京都大学に負け続けている東大としては、なんとか一矢報いたい一戦であるが……。

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 出だしは東大もそんなに悪くはなかったのである。

 QBサックをしたり、ディフェンス陣が頑張って第一クォーターなんかは、もしかするとこのまま、東大が勝てるかななんて甘い思いを持ってしまったのだけれどもあるけれど……。

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 おまけに第2クォーターではディフェンスチームが、パスインターセプトから、直接タッチダウンを奪うというのを見てからは、なんかこのまま行っちゃうんじゃないかという気分にもさせた。
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 が、結局は京都大学の地力が出たんだろうな、後半に入っては、東大のオフェンスが全くファーストダウンがとれずに、4thダウン・パントでディフェンス・チームの出番になるというていたらくであり、本当にディフェンス・チームご苦労さんなゲームであった。
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 で、最後は京大のタッチダウンを次々許すような展開になってしまい、試合結果としては、42対13という最悪の結果となってしまった。

 要は、オフェンス・チームが全然前に進めなかったのが敗戦の最大原因。とにかく、1回の攻撃で10ヤード進めないのでは、全くお話にならない。オフェンスが前に行けなかったら、あまりにも意味がないですね。ということで、今日は東大最悪の日でしたね。

 昨日の立教対同志社戦で多少の希望を持ったのだが、やはり関西の壁は関東にはなかなか破れない。基本的なフィジカルの差かな、ということを感じた昨日の一戦ではあった。

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Nikon D7000 Nikkor 70-300 @Takaragaike, Kyoto (c)tsunotomo
 

 ということで、これでゴールデンウィーク後半の怒涛の3日間は終わり。本日、帰京し明日からは普通の作業日であります。

 以上、報告終わり。

2012年5月 6日 (日)

「春の椿事」という言い方だけで解説できない東西学生アメフト事情

 アメリカンフットボールは秋から冬にかけてのスポーツ。ということなので、春シーズンは定期戦などの所属するリーグの順位とは関係のないゲームが組まれる。

 ということで、昨日はアミノバイタルフィールドで行われた立教大学対同志社大学、日本大学対関西学院大学という、関西、関東両リーグの1部リーグ所属チーム、二つの定期戦を見に行った。

 まず第一試合の立教大学対同志社大学であるが、昨年の両校の対決では3対2という超ロースコアで立教が勝っている。3対2ということは、フィールドゴール1個の3点とセイフティ1個の2点ということで、さぞや見ている人たちは「両チーム打てなくて結果として投手戦になった野球の試合」みたいにイライラしたゲームだったに違いない。別にピッチャ-が良かったわけではないのに、投手戦になっちゃうというヤツ。

 で、今年の立教対同志社戦はどうなったかと言えば、出だし調子良かった立教なんだけれども、なんかイマイチ詰めが足りない、といういつもの立教調が出てきてしまい、なんかなあというところであった。

Dsc_9764_2立教の先制タッチダウン。

 先制タッチダウンは立教のもの。ゴール前数ヤードから押し込んだ形のタッチダウンで、おっ今日はいけるんじゃない? と思ったのだが……。
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 どうも、今日の立教キッカーは調子が出ていないようで、2回あった4thダウンのシーンで、ここはフィールドゴールでしょう、というシーンでも4thダウンギャンブルを選択しなければならない立教ラッシャーズであった。
Dsc_9936_2ああ、痛恨のフィールドゴール・ミス。

 で、結局14対14で残り40秒ほどあったところをチームタイムアウトなどをうまく使って、残り3秒まで持っていって、あとは約10ヤードほどの短いフィールドゴールを決めれば勝利という、基本的には勝利のためのタクティクス、というというところでお約束のように外してしまい、結局、引き分けのままで終わってしまった。試合は基本的に立教が押してきて進んでいたので、これは立教の勝ちパターンであるはずなのに、こんな簡単なフィールドゴールを外しちゃうんじゃな、といういつもの立教調が出ていたゲームであった。

 続く第二試合、日本大学対関西学院大学のゲームといえば、昨年12月18日の甲子園ボウルでは24対3という完敗を喫した日大である。まあ、これは嫌でも関学の勝ちでしょう、という予想を裏切る日大大活躍のゲームであった。

 基本的に、日大と言えばショットガンフォーメーションからのパス攻撃、というイメージがあるが、それは日大黄金時代の篠竹監督時代の話。今の日大は結構ランオフェンスもありなのだ。

 そんな日大のランオフェンス、特にランニングバックの中央突破が多く見られ、これは行けるかもね、という予想を裏切らないいい状況変化である。
2012_05_05_054_2日大の先制タッチダウンに喜ぶクルーだが。
 ということで、日本大学対関西学院大学戦は24対10で日大の快勝という結果に終わった。しかし、昨年も、この定期戦段階では23対7で日大が勝っている。でも半年後の甲子園ボウルの結果を見るとね、そう、今の実力は実力じゃない、特に関西は……というところが正解なんだろうな。

 第三試合は、関東学生アメリカンフットボール連盟医科歯科リーグオールスター戦、というやつ。

 関東学生連盟には、1部リーグから3部リーグ、エリアリーグという縦割りのリーグ構成とは別に、医学部、歯学部だけのリーグがあり、それはそれでアメリカンフットボールを楽しんでいるのである。勿論、その中で物足りなくなって1~3部の縦割りリーグに行く奴もいるが、ほとんどは医科歯科リーグで楽しんでいるというのが実態であり、しかし、上の縦割りリーグのアメフト選手だって、実は殆どが卒業すると、別にXリーグに行かずに、普通のサラリーマン生活を送っているのを見ると、実は大学の専攻が違うだけで、医科歯科リーグも普通の縦割りリーグもそんなに変わらないのかも知れない。要は、練習日・練習時間の多い少ないというだけで。
2012_05_05_206_2これもA選抜の先制タッチダウン。

 とりあえず、医科歯科リーグオールスター戦のA選抜の先制タッチダウンだけを写真で報告します。試合結果は35対0で、A選抜の勝ち。

 まあ、いろいろな学生さんがアメリカンフットボールを楽しんでいるということなんです。つまり、野球と違ってアメフトの場合は学生スポーツの先には「プロ」という世界はないからね。

 ということで、そんな春の定期戦のひとつである「東大vs.京大」戦の観戦にいまから京都まで行きます。

 久々の京都だな……。

Nikon D7000 Nikkor 70-300 @Chofu (c)tsunotomo

2012年5月 5日 (土)

山古志 牛の角突き 平成24年 初場所

 ということで、ゴールデンウィーク後半3日間、怒涛のスポーツ観戦3連荘の1日目は、新潟県長岡市山古志の牛の角突き初場所である。

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 実は私、この初場所観戦にこだわった理由がひとつあって、昨年5月23日のブログ『2011年始めての「牛の角突き」』で書いた内容について『山古志・牛の角突きブログ』の管理人の方から「お叱り」を受けたのだ。ブログのコメント欄だけのやり取りだったので、相手が誰かは分からず。しかし、どこかでこれはご挨拶をしなければ、と思っていたのだが、それは意外と早く、昨年9月11日の「第14回全国闘牛サミットin小千谷」で、ああ多分この人だろうな、と言うところに行き当たったのだった。というか、まあ、いつもよく見ていて知っている人だったんだけれどもな。

 ところが、その日には彼に声をかけられずにいるうちに終了してしまい、その後の闘牛もいろいろ日程の関係で行けず、結局、昨日が最初の日程OKの日であったのだった。
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 で、昨日は長岡地方雨の予報にもかかわらず、例の大学時代の友人、Y川氏とH坂氏夫妻と一緒に行ってきたというわけだ。しかし、このH坂氏夫妻はフィールド・アーチェリーで結ばれて、双方温泉好きという趣味の一致もあって、いいですね。我が家なんてカミサンと私の趣味がまったく違うんで……。スミマセン、余計な愚痴を言ってしまって。しかし、私はH坂夫のフィールド・アーチェリーにはその他の党派的政治的目的があるような気がしてならないのだが。

 まあ、それは良い。

 で、とりあえず「山古志・牛の角突きブログ」の管理人さんには挨拶ができ、「変な事を書いて済みません」という挨拶に「いやいや、どんどん見に来てください」という温かい言葉をいただいたようなわけだ。
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 昨年のブログで紹介した、「東日本 天の風街道」(山古志から北相馬市及び東北地方に送った牛、ということでこの名前がついているが、実際は山古志で生活している牛だ)も立派に出場しているし、今日来ていた北相馬市の人たちも、日ごろの憂さを一時晴らす日に(雨だけど)なったのではないか。
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 で、本日一番の取り組みは、結びの一番のひとつ手前、「山古志・牛の角突きブログ」の管理人さんの牛「虫亀 文平(8歳)と、横綱「大久保 角蔵号」(11歳)の初顔合わせであった。

 結果は、下の写真の通り、やはり初顔合わせでは横綱を張る角蔵号の「貫禄勝ち」かなというところだった。う~ん、やっぱり大相撲でも牛の角突きでも「相撲の格」ってものがあるうだろうな。牛同士だって「お前は俺に勝つつもりできているのか? 単にチョッカイ出しにきているのか?」という、我々の眼には見えない語りかけがあるんだろうな。

 何度も、この牛の角突きを見ていると、やはり取り組みの勝ち負け(牛同士は分からないけれども、人間ならわかる微妙な強弱)は、何となく分かるもんだ。勢子もその辺を見極めて綱を入れるんだろうな。

 う~む、この牛の角突きってやつは、見れば見るほど奥深くなっていくようだ。ようし、会社を引退したら、最初は沖縄あたりの「ガチンコ闘牛」を一回見てみようかな。
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 かなり残酷なことを予想される南国の闘牛である。

 でも、一回見ないことには語れないということで……。うん、これでリタイヤ後の仕事(?)がひとつできたぞ。

Nikon D100 Nikkor 70-200mm/Nikon D50 Nikkor 18-105 @Yamakoshi, Nagaoka (c)tsunoken

 ということで、今日はちょっとラク。なんせ近所の、調布のアミノバイタル・フィールドだからね。

 では、今から、行ってまいります。3試合全部についてコメントするかどうかは別。カミサンは3試合全部見るつもりらしいけれども……。

2012年5月 4日 (金)

若くない『芸術家の肖像』だな。これは

 JR三鷹駅の南口にネオシティ三鷹というビルがあって、その1階から5階までが三鷹CORALという商業施設が入っている。

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 その5階にあるのが三鷹市美術ギャラリー。で、ここで今『芸術家の肖像』という写真展が開催されている。
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 つまり、フランスの19世紀から20世紀初頭にかけての芸術家、ロマン派から印象派あたりまでの画家や彫刻家たちの肖像写真を集めた写真展というわけだ。

 さて、ここで困ってしまうのは、はっきり言って、この写真展は通常の写真展とは異なり、「写真家の写真展」ではなく、「被写体たる芸術家たちの写真展」だということなのである。普通、写真展といえば、それは写真家によって編纂され展示されるのが当たり前である。しかし、この写真展の場合、余りにも多い「撮影者未詳」という表示なのだ。要は「誰が写したのか」ではなく「誰が写されているのか」がメインテーマなのである。

 確かに、19世紀初めのころから写真術というものが一般化されてきて、それまで肖像画というものは貴族などの上流階級だけのものだったのが、肖像写真という方法論が出てきて、「肖像」というものを広くブルジョワジーにまで普及させることになった時代である。当時、雑誌などのジャーナリズムでカリカチュア(風刺画家)として活躍していた多くの画家が、自ら写真術に手を染め、その多くが肖像写真を手がけていたことは想像に難くない。なにしろ、当時一番ブルジョワジーから求められていたのが、自らの肖像写真を写真館で撮ることだったのである。取り敢えず手っ取り早く写真で稼ぐ方法は肖像写真を撮ることであり、それが一番クライアントに応える方法だったのだ。

 で、面白いのが、当時、貴族の肖像画を手がけていたロマン派の画家が、多く肖像写真の被写体になっていたということだ。つまり、自分が描くのはお金になる貴族の肖像画だが、自分は肖像画にならずに肖像写真ですませるという発想だ。お金にならない事には、あまり無駄な出費はしないというフランス人らしい合理性。

 その写真も、初めのころのロマン派画家の場合は、いかにも肖像画の感覚で撮られた写真なのであるが、後期になって、印象派の画家になると、外に出たり、部屋の中でも画家以外のいろいろなものと一緒になって撮影されるという、現代のポートレイトに近いものになっていくということである。その辺、やはり写される人のセンスの問題もあるのだろうな。

 一方、この時代には既にウジェーヌ・アジェあたりがパリの風景写真を沢山撮っていたという事実も忘れることはできない。既に、この頃からポートレイト派、風景写真派というものが分かれていたということだ。ただし、まだスナップ写真派はいない。それはライカやローライフレックスなどの小型(ローライは小型とはいえないが)写真機が出てきてからのことである。

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 さすがに「太宰の三鷹」なんだな。
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 それにしても、『AKIRA』を作っていた頃の三鷹とは大分様子が異なる。街のつくり、道路のあり方なんかは変わっていないが、店の様相なんかがまったく異なっている。まさしく、24年の歳月を感じさせる風景だ。

 駅前から下連雀方面を望む。正面の突き当たりを右へ折れて、少し行ったところが「アキラ・スタジオ」だった。

『芸術家の肖像』は6月24日まで開催中。サイトはコチラ→ http://mitaka.jpn.org/ticket/120414g/

 ということで、山古志まで行ってきます。

Fujifilm X10 @Mitaka (c)tsunoken

2012年5月 3日 (木)

『世界で勝負する仕事術』は貴重な体験談なのだが……

 東大大学院工学系研究科物理工学専攻修士課程を終了後、東芝へ入社しフラッシュメモリの開発に携わり、その後、スタンフォード大学ビジネススクールでMBAを取得し、一度東芝に戻った後、東大工学部の準教授になったという、「超スーパーエリート」(ご本人はそんなものじゃないと謙遜されるが)による「技術」と「ビジネス」を如何に繋げるかという本である。

『世界で勝負する仕事術 最先端ITに挑むエンジニアの激走記』(竹内健著/幻冬舎新書/2012年1月30日刊)

 なぜ、エンジニアとして東芝に入社したにも関わらず、経営学なのかというところに秘密があるようだ。つまり;

『2000年代の初頭、私が留学する前後のことです。悲しい事態が起きていました。
 東芝の主力事業だったDRAMは韓国の三星電子などに圧倒され、大赤字を出しました。持ちこたえられず、東芝はDRAMからの撤退を決めました。
 DRAM事業の撤退により、フラッシュメモリがDRAM部門を吸収しました。そして、DRAMを担当していた年配の、肩書きが上の人たちがフラッシュメモリの部門に横滑りしてきたのです。
 私たちのような、以前からフラッシュメモリを開発していたメンバーは、会社のなかではまだ若手でした。スキルや過去の実績などを考慮せずに、年功序列の人事制度をそのまま適用した結果、DRAMから移ってきた人たちが、フラッシュメモリの専門家よりも上の役職につくという人事になりました。
  <中略>
 DRAMから移ってきた人たちはフラッシュメモリのプロではないので、技術は分からない。開発に関しても冒険せずに、安全第一、他社と横並び、という判断になります。
 フラッシュメモリの開発当初のように、私たちが最短距離を走ろうとすると、組織内で軋轢を生じてしまう。以前のように全力で走っていたら、周りとうまく仕事を進めることができない。そうした状況に嫌気がさした、フラッシュメモリ立ち上げの功労者である先輩や仲間たちが、一人、また一人と東芝を去り、外国の半導体メーカーなどに引き抜かれていきました。』

 ということなのだ。

 竹内氏としては、こうした東芝の大企業病のような部分に気づいて、これからは技術だけじゃだめだ、技術を経営に生かす方法を考えなければ、というところで経営学修士(MBA)なわけだし、MOT(Management of Technology)なのだろう。

 本来であれば、大赤字を出して撤退した東芝のDRAM部門のメンバーは、基本的には格下げとなって、斬首とまでは行かなくても、他の部門の上司になるということはあり得ないはずだ。出版社なんかは基本的に中小企業なので、そんなことをしていたら企業の存立基盤があやしくなってしまうので、失敗した企画や雑誌の編集長なんかは、完全に格下げになる。そこがそうはいかないところに、大企業ならではの悩ましいところがあるのだろう。

 カネボウやJALが破綻したのもその辺の、時代の変化に対応できない大企業病の結果である。そして、現在は世界のトップを進んでいる日本の、あるいは東芝のフラッシュメモリ事業も、近い将来、韓国や台湾のメーカーに追いつかれ、追い越されていくのだろう。その頃に、その時点で時代の変化に対応できるような態勢を、日本企業は、あるいは東芝はとっていけるのだろうか。既に、次世代メモリ研究に関しては日本の大学を圧倒する韓国・台湾という状況も生じているということだ。

 いまやエンジニアばかりでなく、文系の世界も「グローバリズム」と「変化」の真っ只中にいる。

『日本だけに目を向けていたら、社会は閉塞しているように思えるけれども、世界を自分のフィールドだと考えれば、このようにチャンスはまだまだたくさんあります。』

 ということなのだ。

 私には最早あまりチャンスはないかもしれないが、若い人にはもっともっとチャンスを広げて欲しいものだ。

 で、ここで話は変わるが、予告です。

 明日から怒涛の連休後半三日間に突入する。5月4日は新潟県長岡市山古志まで「牛の角突き」初場所を見に行って、その次の5日は調布はアミノバイタルフィールドで立教vs.同志社大定期戦と日大vs.関学大定期戦、医科歯科リーグ戦(まあ、こっちはどうでもいいんだけれども)のアメフト三昧の一日があって、そして5月6日はいよいよ京都、宝ヶ池球技場でもって東大vs.京大のアメフト定期戦なのだ。

 まあ、当ブログでもその日は他に書くこともないので、その三日間(の次の日は)はそのスポーツ記事になるんだろうな。興味のない方は、この日(というか次の日)は当ブログを読まなくてもいいです。ただし、その中に少しは「読んどきゃよかった」ネタを仕込むこともあり。まあ、その辺は書き手と読み手の丁々発止のやり取りなんであります。

2012年5月 2日 (水)

可愛い! 応援団長

 神宮球場へ東都大学野球、中央大対青山学院大戦を見に行った。

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 先発の鍵谷はちょっと苦戦。

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 試合は中大が1回裏で早くも先制点を奪う快調な出だしであったが、そのすぐ後、2回表に即逆転されて2対1。4回表の青学の攻撃の際にはキャッチャーの走塁妨害がとられてちょっと秋田監督が抗議も認められず4対1に引き離される。ところがその裏、中大の攻撃の際に今度は青学のキャッチャーの走塁妨害で、青学の川原井監督が執拗な抗議。数十分にも亘る抗議に観客席から「いいかげんにしろっ!」という罵声を浴びる。当然、そんな抗議は受け容れるような審判じゃないから、選手もちょっとやる気が削がれてしまったのか、4回裏の中大の攻撃は見事に決まって5点をとり、この回、6対4の逆転。

 しかし、あんなにキャッチャーの走塁妨害をとる審判が出てきてしまうと、キャッチャーの本塁ブロックなんてみんなできなくなってしまうのではないだろうか。そこが、ちょっと心配だ。

 4回裏の攻撃で中大に流れが出てきたと思ったら、5回表に1点、7回表にも3点とられて、青山学院8点対中央大6点と再度逆転される。8回裏に1点返したものの、攻撃はそこまで。

 ということで試合は8対7で青山学院の勝利に。

 ところで、中央大学の女子応援団員の話は以前ちょっと書いたが、その応援団員が遂に応援団長になってしまっている。

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 美しい! 平成24年度応援団長、府木真衣さん、埼玉県開智高校出身、文学部人文社会学科4年。
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 可愛らしい応援団員。本城亜利架さん。神奈川県レイモンド学園高校出身、経済学部国際経済学科3年。来年は、応援団長か?
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Nikon D100 Tamron 200-500 @Jingu (c)tsunoken

2012年5月 1日 (火)

『鉄道と国家』というか、もうとにかくズブズブの関係だったんだろうな、国鉄時代は

「我田引鉄」と言えば、すぐに思いつくのは、「田中角栄と上越新幹線」だし、「大野伴睦と東海道新幹線岐阜羽島駅」だし、「荒船清十郎と上越線深谷駅への急行停車」というあたりが、三大政治路線(駅)なんだろうけれども、しかし、それには意味があったのだな。

『鉄道と国家 「我田引鉄」の近現代史』(小牟田哲彦著/講談社現代新書/2012年4月20日刊)

 つまり、「まえがき」に著者自ら書くように;

『特に、公共事業と言えば道路やダム建設といった大規模事業が他にもある現代と異なり、航空機が発達しておらず、自動車社会でもなかった時代においては、鉄道の持つ社会的意義は今日に比べて遥かに大きかった。ゆえに明治以来、我が国では鉄道の敷設事業はインフラ整備の筆頭格であり、経済事業ではなく社会政策的事業として政治と密接に関連し続けてきた。そのような鉄道と政治との結び付きについて、鉄道史と紐解き大小のエピソードを拾いながら考えてみようというのが本書の着想である。
 もっとも、政治家が鉄道政策に介入してその実現に助力したり政策変更に影響を与えたりしたとき、往々にしてその路線は「政治路線」などと揶揄されるが、本書はそうした見方には与しない。詳しくは本文に譲るが、日本の鉄道は成立当初から政治的要素を強く帯びており、広義ではほとんどが「政治路線」と言っても過言ではない。中央政府的視点と当該沿線地域からの視点が対立する場合に、どちらの見解が正しいのかを客観的に確定するのはほぼ不可能であろう。』

 と言う部分が、まず最大部分での実態である。つまり、日本の鉄道がまず最初に国営鉄道で始まった以上、それはすべて「政治路線」であるということなんだな。

 だとするのならば、上記3氏と鉄道の関係だけでなく、大船渡線の「ナベヅル路線」(JR大船渡線の陸中門崎~千厩間の北へ大きく迂回してる部分)や、中央線の「大八廻り」(JR中央線が岡谷~塩尻間で大きく辰野へ迂回している部分)なんかも、そうした政治路線であり、それは当然のことだったのである。もっとも、JR中央線の「大八廻り」は1983年の塩嶺トンネル開通を岡谷~塩尻間は直接つながるようになって、辰野はいまや単なるJR飯田線のローカル駅となってしまった。

 まあ、大体我が国の鉄道が世界でも少ない狭軌を採用していることからしても、狭軌がいいのか標準軌がいいのかの基本的な論議もなく、『何か人を驚かすに足るべき新事業を起こし。文明の例証を示し、以って天下の人心を一変して新政に向かはしむる必要がある。夫れには鉄道を創設するが最上策と云ふ事になったのである。要するに我国の鉄道は交通上の必要よりは新政施行のを図る手段として始められたのであると云ふことを私は承って居ります』(帝国鉄道協会副会長・原口要工学博士による大隈重信新会長就任歓迎の挨拶より:漢字表記は引用者によって改められている)というのだから、まったく何をかいわんやというところである。当時、民部大輔と大蔵大輔を兼任していた大隈重信と、民部少輔と大蔵少輔を兼任していた伊藤博文の二人が、政府内部でも鉄道建設事業推進積極派だったとのことだが、その大隈、伊藤は、鉄道建設のためのいわゆる「お雇い外国人」であるイギリス人顧問技師長エドモンド・モレルの進めに従って狭軌を採用することにしたのだが、その当時、大隈も伊藤も鉄道システムについての知識は殆どゼロであり、そんな大隈や伊藤にとっては狭軌も標準軌も関係ない、要は、何か大きいことをやって人心を驚かせて、国民の目をを政府のほうに向けさせようという、政治的意図のほうが大きかったわけである。

 で、結局我国の鉄道は「狭軌」「左側通行」という世界的に見ても「変な」交通システムとしてガラパゴス化を果たしたのである。

 つまり、日本という国は何でもガラパゴスにしちゃうのはいいのだけれども、それがグローバル化した現代世界では、システムとして輸出する際の足かせになるということには、当時気づかなかったとしても、それはやむを得なかったのだろう。まあ、とにかく欧米に追いつけ、脱亜入欧の時代である、その後の展開がどうなるなんてことには気は回らなかったんだろうな。ただし、そうであるなら、もっと単純に世界標準のままを受け容れて日本標準にすればよかったのにね。つまり「右側通行」「標準軌」である。だとしたら、新幹線規格の輸出なんかも、もっとやりやすかったかも知れない。と言ってみても、所詮あと付けの知識だからしょうがないけれどもね。

 それにしても、駅前にはいまだに駐車場と倉庫しかない東海道新幹線・岐阜羽島駅前の大野伴睦夫妻の銅像とか、バッジテストを受けるための講習用ゲレンデしかない上越新幹線・浦佐駅前の田中角栄氏の銅像とか、あんなの作って本人たちは恥ずかしくなかったのかしら。とは思うが、まあ、そういうモンタリティの持ち主だったら政治家なんかにはならなかった、というものかもしれない。

 まあ、大隈重信やら伊藤博文よりは罪は軽いというところなんでしょうね。たかだか、一路線のひと駅だけだもんね。日本鉄道百年の大計を誤ったなんてのに比べればね。そりゃあ、大したことやってないわけである。

 ということで罪一等を免れた田中角栄氏と大野伴睦氏ではありました。

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