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2012年4月26日 (木)

『スカイラインを超えて』は幸せな時代の話。これからはもっとシビアに「スカイラインを超える」のだ

 ニッサン(元プリンス)の櫻井眞一郎氏と言えば、ホンダの中村良夫氏と並んで、日本のモータースポーツファンには懐かしい名前だ。

 そんな櫻井眞一郎氏の評伝である。

『スカイラインを超えて “伝説のクルマ屋”櫻井眞一郎の見た夢』(片岡英明著/PHP研究所/2012年3月19日刊)

 ホンダの中村良夫といえば世界標準であるフォーミュラ・ワンであり、そのエッセイの面白さでもって多くの著作もある人であるのに対し、プリンスの櫻井眞一郎といえばスカイラインGTとかR380~R383という国内専門のスポーツカー、スポーティーカーであり、大企業のエンジニアという立場からまったく著作はなく、PMC・S(プリンスモーターリストクラブ・オブ・スポーツ)のメンバー位しかその謦咳に接したことがないという、まさに同じくモータースポーツファンからは神格化された人物ではあるけれども、実に対照的な人物でもある。

 2代目(1963年)S5型、3代目(1968年)ハコスカ、4代目(1972年)ケンメリ、5代目(1977年)ジャパン、6代目(1981年)鉄仮面、7代目(1985年)7th、という6代の歴代スカイラインの設計主査(7代目は途中まで)であった櫻井氏にとってはスカイラインこそは、氏の30代から50代にかけての、自分の人生そのものということになるのだろう。だからこその、ニッサン→オーテック・ジャパンに次ぐ自分自身の会社の名前が「エス・アンド・エスエンジニアリング(櫻井&スカイライン・エンジニアリング)」なんだろうな。言ってみれば、実に幸せなエンジニア人生だったという他はない。

 幸せといえば、1965年の日産とプリンスの合併も櫻井氏には幸せなことだったのかも知れない。日産とプリンスの合併とは、日産によるプリンスの吸収合併であり、下手をすればプリンスの開発部門は閉鎖され、日産の開発部門の下に置かれていずれはなくなってもおかしくはないはずだ。しかし、モータースポーツに関して言えば、当時日産は1963年から参加しているサファリ・ラリーなどの国際ラリーに傾注しており、国内レース部門はすでにプリンスR380を持っていたプリンスにそのまま残されたのである。更に、そうしたレース活動を宣伝材料としてスカイラインは売れたので、ニッサンのラインナップの中での独自の地位を持ち続けたのである。実際、スカイラインは国内販売用車種としてその後も生き続けたのである。

 しかし、そんなスカイラインGT-Rも2007年には「スカイライン」の名前を外され、海外向けにも販売される「ニッサンGT-R」となってしまった。別にそれはそれで構わないけれども、本来のスカイラインの考え方「ベースになるセダン型があって、それの発展系としてのスポーティー車(GT)があって、更にその上の改造すればレースに出られるGT-Rがある」が全く無視され、最初からレース出場をイメージしたハイソカーとしてのニッサンGT-Rにはちょっとした違和感がある。

 とは言うものの、最初のスカイラインGT-Bだって似たようなものだったのかもしれない。もともと、第2回日本GPに間に合わせるためにギリギリの(当時の)GT基準100台を無理やり作り、そのスカイライン1500のシャーシーを伸ばしてグロリア2000の6気筒エンジンを無理やり載せて、ウェーバー2連キャブ3連装して、かなりバランスの悪い車を作って走らせたそのままの(ではないけれども)クルマをスカイラインGT-Bとして売ったのが、基本的にはスカイライン連想の始まりなのだから、まあ、何かいわんやというところである。とにかく超アンバランス・強アンダーステアのスカイライン2000GT-Bは、ちょっとスピードを出してコーナリングするとソーイングというテクニックが必要となるという、結構なトンデモ車だった。まあ、当時はそんなものまでドライバーにとっては楽しみでもあったりする時代ではあったのだが……。

 最終的に、電気自動車という究極のエコカー路線を目指すエス・アンド・エスエンジニアリングではあるが、結局スカイラインに戻ってくるのだな。3代目の再来といわれる8代目のスカイラインR32GT-Rをベースとした「スカイラインGT-R S&Sリミッテッドバージョン1」を2000年に発表した。R32の発売から10年以上経った時点での「中古改造車」であるにも関わらず、それは15分で完売してしまったそうだ。

 それだけ「櫻井眞一郎信者」が多いと言う事なのだろうけれども、同時にそれは最近しばしば言われる「日本のものづくり神話の崩壊」を恐れる人たちがいかに多いかということなのだろう。要は「開発コストのことなんて考えなくてもいい」「いいものさえ作っていれば商品は売れる」という神話である。

 しかし、そんな神話ももうなくなってしまった。「いいものさえ作っていれば商品は売れる」という時代ではなくなってしまった時代に生きている我々はどうすればいいのだろうか。要は、開発した商品が如何にユーザーフレンドリーなのかということなのだろう。ユーザーの立場に立って、ユーザーと同じ視線を持って開発した商品なのかが、売れるのか売れないのかの境目になっているのだろう。

 超ハイスペックなるが故のガラパゴス化という、携帯電話と同じ道を歩んでいたスカイライン。しかし、そんなスカイラインも国際化という波に飲み込まれなければ生きていけないのだ。そんな思いを強めさせる「ニッサンGT-R」であるが、自動車という基本的には国際商品では当たり前のことなのだろう。そういう意味では、そんな国際化時代を知らずに逝ってしまった櫻井眞一郎氏は、もうひとつの意味での「幸せ」な人生だったのかも知れない。

 日本の「ものづくり」を支えた人たちがだんだんと往ってしまって、寂しくなるのは仕方のないことだが、その後の新しい時代の「ものづくり」をする人たちが出てきているはずだ。そういう人たちは、もはや企業の中に埋没してしまってはいけない時代になっていることに気づいて欲しい。もっと自分の属する企業の外に出て、産業全体の役に立つ人材にならなければいけないのだ。

 それが、日本の産業の再生の契機だ。

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