フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« College Football 2012 Spring is Open! | トップページ | 『股間若衆』ったって、そんなに見つめられちゃあ、硬くなっちゃいますよ。アソコが…… »

2012年4月24日 (火)

『妄想かもしれない日本の歴史』というけれども、「歴史」というものは基本的には妄想の賜物、「共同幻想」にすぎないのだ

 関西性欲研究会の井上章一氏の新著である。といっても刊行されたのは一年前。ウーム、知らなかったなあ。

『妄想かもしれない日本の歴史』(井上章一著/角川選書/2011年2月25日刊)

 しかし、基本的に「歴史」に「完璧な正史」なるものは存在しない。所詮、それは時の権力者が自分に都合の良いように、解釈、歪曲を重ねた「共同幻想」にすぎない以上、その反対側にこうしたロマンともいえる「妄想による歴史」があってもおかしくはないわけだ。ただし、それが過ぎて<世界の謎と不思議に挑戦する雑誌『ムー』>のようになってしまうと、「トンデモ話」になってしまうということであるけれども。

 本書で語られている、将門の首塚の話とか、義経北海道延命説は有名な話だし、公家の一条家土佐土着説はまだしも、西郷隆盛ロシア延命説、空海キリスト教帰依説、楊貴妃日本人説、淀君利根川入水説までいたってしまうと、ちょっとなあという感が強くなってくる。ただし、これも歴史の可能性という名のロマンとして受け止めるなら、それはそれでよい。つまり、正史じゃないからといって、それはトンデモ論であるという理由にはならないわけで、可能性として歴史をみることは充分ありうるわけだ。

 井上氏は言う、『古代などというはなやかな区分は、日本には似あわない。古代漢帝国の時代に日本は、まだ国らしい組織をととのえていなかった。都市もなければ、文字もない。くりかえすが、辺境の野蛮地である。古代とよべるような文明の時代をむかえていたとは、とうてい思えない。その点では、五世紀なかばまでのゲルマニアと同じである』として、ヨーロッパで、古代史があったと言ってもいいのは地中海世界のギリシア、イタリアであって、ドイツ、フランス、イギリスなんてのは五世紀の中世から浮かび上がる存在であって、それまでは辺境の野蛮地でしかなかったとする。

 たしかに、ゲルマン諸族が、西ローマ帝国の跡地に続々民族大移動でもって流れ込み、中世ヨーロッパ諸国の歴史を作ってきたように、大陸の東の果てでも同じように、それまで強大な力をもっていた古代漢帝国が三世紀に崩壊し、そこに鮮卑や匈奴が漢帝国の跡地に続々入り込み、魏・呉・蜀の三国時代、五胡十六国時代に突入した、その時代を持ってアジアの中世と名付け、そのころに卑弥呼の邪馬台国、初期大和政権が成立して日本の中世化が始まったとする井上説には納得できるものがある。

 ただし、日本史(正史)では、日本の歴史叙述を古代史から始めている。しかし、本当に日本という国がそんな古代から存在していたのだろうか、というのが井上氏の古代史観である。

 ただし、これをもって内田樹氏の『日本辺境論』を否定することはできないのではないか。井上氏は内田氏の『日本辺境論』は、辺境民族である日本人の描き方がマトモすぎるというのである。内田氏の『日本辺境論』で描かれる日本人の姿は、あくまでも辺境の民として慎ましやかである。しかし、本当の日本人はもっと図々しく、我が国の出自を偽って自己中心的に古代を作り上げているというのである。

 まあ、これはいささか感情的な書き方であって、畢竟、井上氏も内田氏も同じ事を言っているに過ぎない。

『古代漢帝国の辺境に位置し、古代などあったと思えない日本に、古代を幻視する。原のこしらえたそんな歴史は、民族のそれなりにおおせた。日本だけが、アジアにあって、ヨーロッパになっていく。そういう原の夢想が、民族的にわかちあえていたせいだろう。
 未来への思惑が、歴史へ投影された時、過去のあゆみはねじまげてえがかれる。専門の歴史研究者なら、誰もがそのことをわきまえているはずである。そして、今日の時代区分は、そういう幻想でゆがめられた事例のひとつにほかならない。
 私は、もういちど見なおされ、あらためられるべきだと思ってるが、どうだろう。』

 というのが本書の大テーマであるが、しかし、それは関東史観とかいう問題ではない。結局、日本人という民族は常にそうやって日本人にしか理解できない歴史を作ってきたのだ。

 まさしく、歴史観のガラパゴス化ですな。

S0010159_2

 高田馬場には中山(堀部)安兵衛の決闘で有名な「高田の馬場」はない。たまたま国鉄(現JR)の駅を高田馬場と名付けてしまったために、高田馬場が「高田の馬場」のように思われているだけで、実際の「高田の馬場」は現在の西早稲田にある。まあ、たとえばこんな形でも歴史は書き換えられてくるのである。

Fujifilm X10 @Tkadanobaba (c)tsunoken

« College Football 2012 Spring is Open! | トップページ | 『股間若衆』ったって、そんなに見つめられちゃあ、硬くなっちゃいますよ。アソコが…… »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/54541095

この記事へのトラックバック一覧です: 『妄想かもしれない日本の歴史』というけれども、「歴史」というものは基本的には妄想の賜物、「共同幻想」にすぎないのだ:

« College Football 2012 Spring is Open! | トップページ | 『股間若衆』ったって、そんなに見つめられちゃあ、硬くなっちゃいますよ。アソコが…… »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?