フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 押井守『コミュニケーションは、要らない』に見る反語(アイロニー) | トップページ | 『鈴木宗男が考える日本』は、実は佐藤優の本? »

2012年4月 6日 (金)

『米国キャンパス「拝金」報告』は日本のロールモデルになるのか? なりそうだな

 ポイントはアメリカの大学の報告ではない。むしろサブタイトルの方であろう。『これは日本のモデルなのか?』ということ。

『米国キャンパス「拝金」報告 これは日本のモデルなのか?』(宮田由紀夫著/中公新書ラクレ/2012年3月10日刊)

 まず、目次からポイント拝見;

第1章 州立大学vs.私立大学―「民営化」する州立大学
第2章 ランキング狂想曲―名声をめぐる「軍拡競争」
第3章 入学生獲得競争―エリートの道もカネ次第?
第4章 アメリカ版高学歴ワーキングプア―大学教員市場の政治経済学
第5章 産学連携幻想曲―研究成果の商業化
第6章 腐敗する大学スポーツ―誰が誰を「搾取」しているのか
第7章 キャンパスの商業化―営利大学からの挑戦

 以上である。

 まず押さえてなければいけないのは、日米の大学に対する考え方の違いなのだ。

 つまり日本では明治時代にドイツ流の考え方で、国立大学をまず開学したということで、これらの国立大学(つまり旧帝国大学)を頂点とした大学ヒエラルキーがあって、その下にに一流私立大学が位置し、中堅国立大学(その殆どが元教員養成大学)と中堅私立大学があって、以下は有象無象の私立大学が割拠するという日本の大学のあり方がある。

 一方、アメリカではキリスト教(基本的にはプロテスタント)の牧師養成のためのエリート大学としての私立大学がまずあって、それに付随する形で新興私立大学が出来て、その後、雨後の筍のように州立大学がどんどん出来て、その中にはカリフォルニア大学のように一流私立を肩を並べる州立大学が出来てきた。

 という、そもそもの大学のあり方がまったく違うのだ。ところが、この辺からおかしくなってくるのは、そんな出自のまったく違う大学のあり方を、何故かアメリカ風に変えてしまおうという考え方があるということである。

 その結果、日本の国立大学は「経営面においては私立大学の方向に向かい」ながらも、「運営面では今まで以上に文部科学省の支配下に置かれる」という奇妙な「国立大学法人」という形での運営を余儀なくさせている。「私立大学の方向に向かう」ならば、余計な文部科学省の支配は逃れてしかるべきだろうし、「文部科学省の支配下に置かれる」ならば、もっと「国立大学」であるべきだ。

 ということをわきまえてみれば、アメリカにおける教育改革(改悪?)の方法論を日本に持ち込むこと自体に無理があるということが分かっていただけるだろう。

 ジョージ・バカ・ブッシュ・ジュニアが名門イェール大学に入れたのだって、別に裏口入学じゃなくてごく当たり前の「縁故入学」だったわけだし、『ジョージア大学ではアシスタント・コーチがCoaching Principles and Strategies of Basketball なる科目を開講し、バスケットボールの選手が受講した。試験問題は「スリーポイントシュートは何点得点できるか」といった問題で、全員が「A」だったそうである』って当たり前のスポーツ選手学生向けのことをやったっていいわけである。

 そんなアメリカの大学のあとを何故日本が追いかけなければいけないのか、と考えるのだが、結局それは、今の日本には自らイメージできるロールモデルがないからなのだろう。アメリカの場合は「大学はサービス産業である」という考え方があるから単純なのだ。サービス産業であるから、労働集約的で人件費が大きな財政負担になる。じゃあ、その人件費負担をいかに下げるかという問いに答えようというのが、営利大学なのであろう。

 しかし、この営利大学の経営方針、「実学中心」「できれば教養課程的な授業をしない」という方針は、日本の専門学校の方針と同じなのだ。アニメ学校とか、デザイナー学校とか、犬のトリートメント学校とか……。アニメ学校で何を学べるというのだろうか。スクリーントーンの貼り方やベタの塗り方なんて、漫画家のアシスタントをやってれば数日で出来てしまう技術にすぎない。でも、そんなことを教えていることで成り立ってしまっている学校って何なのだろう。

 結局、4年制の大学に入れなかった人が、でも少しはモラトリアム期間が欲しいということで、こうした専門学校にはいるのだ。たぶん、アメリカの営利大学の発想もそれに近いのだろう。卒業率の低さもそれを物語っている。日本でも、専門学校の卒業生は実業につかなくて、結局またべつの専門学校に行くそうだ。

 それは、結局モラトリアムの延長に過ぎないんだけれども、それを許してしまうくらいには親の財力が日本ではあるということ。それはとってもいいことなんだけれども、その分、子どもの親離れは出来なくなってしまうということなんだよな。

 ということはさておき、『米国キャンパス「拝金」報告 これは日本のモデルなのか?』ということで言えば、日本のモデルではないということだ。しかし、一部にはモデルになる部分もあるかもしれない。産学連携(昔は産学協同と言った)とかランキング狂想曲とかはね。

 しかし、日本ではまだまだ教育は「サービス産業」であるという意識は低い、というか今のところは「ない」。これがアメリカ属国意識が今以上に進んでしまうと、そんな感じになるのかな。

 教育を「産業感覚」で捉えてはいけないんだけれどもなあ。

 

 

« 押井守『コミュニケーションは、要らない』に見る反語(アイロニー) | トップページ | 『鈴木宗男が考える日本』は、実は佐藤優の本? »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/54352124

この記事へのトラックバック一覧です: 『米国キャンパス「拝金」報告』は日本のロールモデルになるのか? なりそうだな:

« 押井守『コミュニケーションは、要らない』に見る反語(アイロニー) | トップページ | 『鈴木宗男が考える日本』は、実は佐藤優の本? »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?