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2012年4月16日 (月)

飯岡助五郎と座頭市

『天保水滸伝』には「座頭市」は出てこないが、『座頭市』には「天保水滸伝」がでてくる。

 なんてことを書くと判じ物みたいだが、史実としての天保水滸伝には、架空の人物である座頭市は出てこないが、小説としての座頭市には史実の天保水滸伝が出てくるということなのだ。

 浪曲『天保水滸伝』ではどちらかというと笹川繁蔵が「善い者」で、飯岡助五郎は「悪者」という描き方をされている。両方とも「賭場運営」を仕事にしているヤクザなんだから、どっちもどっちとも思われるのだが、どうもこれは飯岡助五郎がヤクザ稼業のかたわら「十手持ち」だったというところが嫌われているらしい。つまり、「二足の草鞋」ってやつね。

 それについては、子母沢寛の『座頭市』では;

『人間はな、慾には際限のねえもんだ。親分も、金も出来、子分も出来、役人達もすっかり手に入ったとなると、その上の慾が出た。出たから人の道をはずした。おれはな、親分の兄弟分松岸の半次が、八州さんの桑山盛助の旦那のお妾のお古を下げ渡されて大よろこびをしているときいた時から、これはもういけねえと思ったよ。な、やくざあな、御法度の裏街道を行く渡世だ。言わば天下の悪党だ。こ奴がお役人方と結托するようになっては、もう渡世の筋目は通らねえものだ。おれ達あ、いつもいつも御法というものに追われつづけ、堅気さんのお情けでお袖のうらに隠して貰ってやっと生きて行く、それが本当だ。それをお役人と結托して、お天道様へ、大きな顔を向けて歩くような根性になってはいけねえもんだよ。え、悪い事をして生きて行く野郎に、大手をふって天下を通行されて堪るか』

 と座頭市に言わせて、そんな座頭市は天保15年の飯岡・笹川の出入りから3年後、繁蔵暗殺の報を聞いた助五郎の喜びようをみて、飯岡に盃を返すのであった。

 ただし、これは子母沢寛氏の小説版『座頭市』全9ヘページ(しかない)のお話し。映画版では天保15年の出入りに参加した座頭市は、繁蔵の用心棒・平手造酒と切り結んで、座頭市の居合いが勝つ(そりゃあ、座頭市=勝新太郎が主役だからね)ということになるのだけれども、それはないようだ。

 子母沢氏の『座頭市』では、座頭市は本来は凄い居合い切りの名人なのだが、『目の見えねえ片輪までつてれ来たと言われては、後々、飯岡一家の名折れになる』ということで、天保15年の出入りには参加していない。

 実際に、飯岡一家には座頭市のモデルになったような食客がいたようで、要は「盲目の渡世人」で、酒食を禁じた飯岡一家の賭場でちょっとした揉め事が起きるとこの人が上手くまとめた、というようなことはあったようだ。ただし、かれが居合い切りができたという証言はないそうだ。

 この辺は、いずれ会津若松の『座頭市の墓』を訪ねたときにあきらかにしようと思う。乞、御期待。

Epsn1111_2

 飯岡助五郎の墓がある光台寺の山門。

Epsn1118_2

 で、これが飯岡助五郎の墓なのだが、なんか新しく作った囲いがチグハグだ。


Epsn1133_2

 が、墓石に近づいてみれば、ちゃんと本名の「石渡助五郎」の名が読める。ついでに言ったしまうと、戒名は「発信院釈断居士」、屋号は「三浦屋」である。屋号は三浦出身だからだろう。戒名の意味は、よく分からん。
Epsn1146_2

 光台寺のすぐそばにある定願寺にあるのが、笹川繁蔵の首塚。ヤクザの出入りで大将首もないもんだ、とも思うが、やっぱり敵方の大将の首なのだ。そこは「しっかり殺りました」という証拠に首を持ってきたのだろう。

 ついでに言ってしまうと、胴体の方は銚子に捨ててきたそうだ。それは昭和7年に見つかって、次は首だということになったのだが、これは殺害当時、公表を禁じられたためにどこにあるのかも分からなくなってしまったようだが、笹川からの要請で調べたところ、定願寺だということが分かって、そこから発掘して笹川に返されたそうだ。で、飯岡で首が埋められていた場所がこの場所。首塚の裏側に書かれている文書を読むとそう書かれていた。年号は昭和8年。亡くなってから随分後だ。

Epsn1178_2

 飯岡漁港をメインにした飯岡町全体の姿。昨年の3.11地震では、合計4波の津波に襲われ、漁港はかなり被害にあったようだ。

Epsn1102_2

 これが、JR総武本線の飯岡駅なのであるが、飯岡町とは全然違う海上町というところにある。東京でも、目黒駅が品川区にあったり、品川駅が港区にあったり、とかはあるんだけれども、そんなモンとは全然違って、だって飯岡駅から飯岡町まで行くバスもないのだ。あるのはタクシーだけ。

 前回、飯岡に行ったときは何も調べずに行ってしまって、飯岡駅で降りたはいいが、どうやって飯岡町まで行けばいいのかまったく分からず、やむなくそのまま笹川までいく電車を待っていた、というテイタラクを演じてしまった。というオソマツ。

 ということで、今回はちゃんと調べてから行きました。ハイ。

 子母沢寛の『座頭市』だが、中公文庫でもなかなか再版はしていないようで、私もアマゾンのマーケット・プレイスでしか買えなかった。たった9ページの原作が、あれだけ膨大な映画・テレビ作品の原作だったなんてねえ。まさしく、「映画の原作は短中篇に限る」という好例であります。

EPSON RD1s Elmarit 28mm/F2.8 @Iioka, Asahi (c)tsunoken

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