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2012年4月

2012年4月30日 (月)

AprilやMaiでもOktoberとはこれいかに

 昨日は汗ばむほどの天気のよさで、こりゃビールが美味いだろうな、ということでお台場に行ってきた。えっ、何でお台場なの? というところだが、実はお台場のダイバーシティ(そのあまりにもベタな駄洒落ぶりに、これを書いたり喋ったりする度に恥ずかしくなるのだが)のそばで『オクトーバーフェスト2012』というのが開催されているのである。

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 ということで、ガンダムのお出迎え付きのお台場まで行ってきた。ダイバーシティに行くお客さんと、オクトーバーフェストに行くお客さんで、りんかい線東京テレポート駅は満員だった。

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 勿論、オクトーバーフェストというのはビールの本場ミュンヘンで毎年10月に行われている世界最大規模のお祭りで、毎年600万人以上の観光客を集め、700間万ミリリットル以上のビールを飲み込んじゃうビール祭りである。単独のお祭りでは世界最大規模ということなのだ。

 10月にやるからオクトーバーフェストなわけだが、ドイツ以外の国で行われる場合は、あまりこの「オクトーバー」にこだわらないようだ。というか各主催者が勝手にオクトーバーフェストを名乗っていいようなのだ。

 まあ、単なる酔っ払いイベントだからね。

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 ということで、アプリル(4月:April)やマイ(5月:Mai)なのにオクトーバー(Oktober)なわけである。別の主催者による横浜オクトーバーフェストも、ここお台場と同じスケジュール、4月27日から5月6日までの予定で開催されているし、日比谷では5月18日から5月27日、仙台では6月10日から6月17日、芝で8月17日から8月26日、豊洲で8月31日から9月9日、神戸と長崎で9月14日から9月23日までという日程で同じ主催者が開催予定だ。それ以外のいろいろな主催者が勝手にオクトーバーフェストをやってもいいと言う事は、オクトーバーフェストには登録商標はないということなのだろう。

 ということで、4月だけどオクトーバーフェストinお台場に行ってきたというわけなのだ。

 本場のオクトーバーフェストも、所詮単なる酔っ払いイベントである。こちらだって、天気が良くてビールが美味けりゃ別に構わないのである。

 要は、「日本全国酒飲み音頭」(唄:バラクーダ) だからね。

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 隣の駐車場ではホットロッドカーのイベントをやっていた。まあ、とにかくイベント花盛りのゴールデンウィークのお台場なのでした。

EPSON RD1s ELMARIT 28mm/F2.8 @Odaiba (c)tsunoken

2012年4月29日 (日)

『勝つための経営』というよりも、これは勝つための基本ですね

 何で「失敗学」の畑村洋太郎氏が著者なんだろうと考えたのだが、『従来のやり方に慣れ親しんでいると、「前と同じ」という状態が非常に心地よく感じられます。しかし周辺環境が激変している中でこのような思考を放置すると、組織にとってはマイナスにしかなりません』とか、『人間には困ったことに、「見たくないことは見ない」「聞きたくないことは聞かない」「考えたくないことは考えない」「あって困ることはないことにしてしまう」「発生頻度が低いことは起こらないことにしてしまう」というところがあります』という文章を読むと、それはさすがに畑村氏だなと思えてくるのである。

『勝つための経営 グローバル時代の日本企業生き残り戦略』(畑村洋太郎・吉川良三著/講談社現代新書/2012年4月20日刊)

『かつて、サムスンにいる社員みんなが本当の意味で「変わらないとまずい」と危機感を覚え行動に移したのは、IMF危機で会社が本当に潰れるかもしれないという状況になったからです。それは組織のトップの李会長が危機感を覚えてから五年も経ってのことです。このままでは自分たちも明日から路頭に迷うかもしれないという事態になって、はじめて本気になったのです。』

 という、元サムソンの吉川氏が書くとおり、もしかすると日本企業の状態というのは、パナソニックやソニーが起業以来最大の赤字を出してもまだ会社が潰れるような事態にはなっていない。ということは、それまでの従業員は、取り敢えずそれまでやっていた状況から変えなくてもまだ会社は持っている状態なのだから、まだ生き方を変える必要はない、という判断をするのだろう。まあ、今期は赤字だけれども、取り敢えずはまだ会社は持っているし、来期は持ち直すかも知れないし、これまでの仕事のやり方をそのまま続けていくだけさ、という判断停止状態に陥っているわけだ。

 IMF危機とは、1997年の韓宝鉄工や起亜自動車の倒産を機に起こった問題だが、基本的にはアメリカのヘッジファンドが通貨の空売りを行ったことがきっかけで起こった問題だ。勿論、そのバックグラウンドには、韓国のミニバブルがあったわけで、そのなかでぬか喜びをしていた韓国経済を突然襲ったわけだ。

 その後、金大中政権の下で財閥解体を行った韓国経済は、いまや日本経済を凌ぐような立場に変わったわけだ。ということは、つまり日本の経済や企業の状態はまだまだ韓国のIMF危機の状況にまでは陥っていないわけなので、当分、日本および日本人の働き方は変わらないということなのだろう。取り敢えず、今のまま日本人は働き続け、何も考えずに今のまま普通に仕事をして、取り敢えず今のまま生きていくわけだ。そして、自分のいる会社が潰れそうになった時に初めて日本人も「このままじゃいかん」と考えて、行動に移すんだろうな。

 リストラったって、指名解雇じゃなくて早期優遇退職なんて形をとると(というか会社側としては「解雇」をしたくはないから)、当然、会社としては一番辞めて欲しくない人間から最初に辞めていくというのが普通である。当然、それは会社を辞めても自分にはそれだけの価値があるという人が、その価値を求めて辞めていくわけなのであるから、その後に残った社員は「会社に残らないと生きて行く価値がない」人たちばかりなのだろう。

 まあ、つまりは日本の「社会」や「会社」で生き残る人たちというのは、今後の変化する社会・経済状況の中で、しっかり「個人でも」生きていける人たちなのだ。会社に従属しないと生きていけない人は、もはや会社の中でも生きていける道はないのだろう。そう、もはや日本人も世界中の人たちと同じように、「個人で生きいけるような人」にならなければいけないのだ。

「会社」の肩書きがなければいけないような人には、最早、生きる場所はない。そんな、会社員の時代の肩書きなんかは、世の中では全く通じないのだ。

 ということは、私の『アキラ』とか『ああっ 女神さまっ』とかのプロデュース経験も、サラリーマンとしてのプロデューサー経験でしかないわけで、それはそれでサラリーマン生活を終えてしまえばおしまい、ということなのだろう。

 まあ、それはそれでいい、次に私が何かに挑戦するかも知れないんだから、これは面白い。

 さて、どうなるんでしょうか……。

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 こういう生き方もあるということです。川崎市麻生区のソーセージ屋さん“ハタ”です。たまたま昨日の日テレ『途中下車の旅』でもって紹介されて、その後すぐに来て見たんだけれども、既に近いところにお客さんが来ていたいだなあ。

 つまり、誰にも負けないないモノを持ってればどこにいっても強い、ということなのだろう。

Fujifilm X10 @Shinyurigaoka (c)tsunoken

 

 

2012年4月28日 (土)

世田谷文学館に手塚治虫を見に行く

 世田谷文学館に企画展『地上最大の手塚治虫』内覧会を見に行った。

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 手塚治虫と世田谷区と何か関係があるのかなとも思ってみたのだが、全然接点が見えない。むしろ練馬区との縁が深いはずの手塚治虫なんだけれども、練馬区には文学館なんてないから、まあ取り敢えずの世田谷区なんだろうな。

 ということでの『地上最大の手塚治虫』なわけだけれども、要は手塚治虫氏の直筆原稿のオンパレードである。勿論、直筆原稿を見られることなんかは普通はないから、それはそれでいい経験なんだけれども、じゃあそれでなんなの? というところだ。

 たとえば、前に書いた『大友克洋GENGA展』のように『アキラ』の直筆原画全展示なんてのは、「量で見せる」という、それなりに意味があるとは思えるのだが、そうじゃなくて細切れ細切れの直筆原画展示になにか意味があるのだろうか、と考えてみれば……、あまり積極的な意味は見出せない。ちょっと総花的という感じで……。

 漫画の原稿というものは、基本的に印刷されたときのサイズよりも少し大きめのサイズの原稿で描かれる。そこで、印刷された作品ではみられなかった作画の秘密みたいなものが原画で発見されたりすることはあるけれども、だからといってネームが貼られた原稿を見せられてもねえ、というのは出版社にいることによる思い上がりなのだろうか。実際のファンはそれだけでも楽しい、心ワクワクする体験なのかも知れない。

 ということで、申し訳ない、私にとってはそんなに心が躍る体験でなかった『地上最大の手塚治虫』展なのであったが、出版社のマンガ部門にいなかった人たちにとっては面白いのかもしれない。

 もう少し、手塚治虫のマンガやアニメと違った分野での秘密が明かされると面白かった、というのが私たちなんかの希望だったのだが、そこは手塚プロダクションが協賛している以上は無理なんだろうな。

 ということで、ご興味のある方は、世田谷文学館までどうぞ。

『地上最大の手塚治虫』展は7月1日まで開催中。

世田谷文学館のサイトはコチラ→ http://www.setabun.or.jp/

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Fujifilm X10 @Rokakouen (c)tsunoken

2012年4月27日 (金)

小沢一郎のルサンチマン始まる

 ご存じの通り、小沢一郎氏に対する東京地裁の判断が下された。

 ここから小沢一郎のルサンチマンが始まらないと収まらないというのが、小沢シンパの考えただろう。

 当然の無罪ではあるが、これも薄氷の勝利というべきで、下手をすると検察・司法の一体感からすると有罪という予想もあった。まあ、ぎりぎり裁判所にも「良心」が残っていたというところなのだろう。

 何しろ、「物証」は何もないし、検察審議会に渡った資料も「ねつ造」されたものだったというのも情けない。「推定無罪」というのは裁判の常識だが、その常識さえ疑われる最近の刑事裁判事情を考えると、かなり「危ない橋」だったわけだ。

 勿論、私は小沢一郎氏が「真っ白」だとは思わない。何しろ故・金丸信の懐刀である。集金の手際もかなり強引だったという話もある。しかし、逆にそう人だからこそ、そこは抜かりなく証拠隠滅を図っているだろうし、物証を掴まれるようなヘマはしないはずだと、考えていた。結果は、「状況証拠」だけしかなく、その通りになったというだけのことである。「怪しい」ということだけでは、誰も「有罪」には持ち込めないのだ。

 復活した小沢一郎氏である。

 で、問題は消費増税だろう。とにかく、選挙戦で不利になる消費増税には反対ししている小沢氏である。今、一番の政治課題であるが、もはやそれは風前の灯火であろう。野田政権としてはとにかく谷垣自民と公明党を巻き込んで法案成立を願いたいところなのだのだけれども、多分、それはそうはいかず、廃案になるだろう。

 じゃあ、消費増税に代わる増税収案はあるのかといえば、小沢氏としては「宗教法人」として守らている法人のからの税収を当てればいいという発想なのだ。多分これは公明党あたりが絶対に反対する法案なのだけれども、国民は皆、創価学会からの税収を期待するのだから、全然問題ない。

 更に、国連主義を掲げる小沢氏である、これまでのような「従米嫌中」路線での沖縄政策ではなく、「国連主義」に基づく沖縄政策が出てくるかもしれない。

 だとしたら、それはそれでいいじゃないか。

 消費税上げない、宗教税上げる、という方向で、なおかつ沖縄は国連主義で、という方向に日本が進んでくれればそれはいいことだ。

 もう、それしかないんじゃない?

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2012年4月26日 (木)

『スカイラインを超えて』は幸せな時代の話。これからはもっとシビアに「スカイラインを超える」のだ

 ニッサン(元プリンス)の櫻井眞一郎氏と言えば、ホンダの中村良夫氏と並んで、日本のモータースポーツファンには懐かしい名前だ。

 そんな櫻井眞一郎氏の評伝である。

『スカイラインを超えて “伝説のクルマ屋”櫻井眞一郎の見た夢』(片岡英明著/PHP研究所/2012年3月19日刊)

 ホンダの中村良夫といえば世界標準であるフォーミュラ・ワンであり、そのエッセイの面白さでもって多くの著作もある人であるのに対し、プリンスの櫻井眞一郎といえばスカイラインGTとかR380~R383という国内専門のスポーツカー、スポーティーカーであり、大企業のエンジニアという立場からまったく著作はなく、PMC・S(プリンスモーターリストクラブ・オブ・スポーツ)のメンバー位しかその謦咳に接したことがないという、まさに同じくモータースポーツファンからは神格化された人物ではあるけれども、実に対照的な人物でもある。

 2代目(1963年)S5型、3代目(1968年)ハコスカ、4代目(1972年)ケンメリ、5代目(1977年)ジャパン、6代目(1981年)鉄仮面、7代目(1985年)7th、という6代の歴代スカイラインの設計主査(7代目は途中まで)であった櫻井氏にとってはスカイラインこそは、氏の30代から50代にかけての、自分の人生そのものということになるのだろう。だからこその、ニッサン→オーテック・ジャパンに次ぐ自分自身の会社の名前が「エス・アンド・エスエンジニアリング(櫻井&スカイライン・エンジニアリング)」なんだろうな。言ってみれば、実に幸せなエンジニア人生だったという他はない。

 幸せといえば、1965年の日産とプリンスの合併も櫻井氏には幸せなことだったのかも知れない。日産とプリンスの合併とは、日産によるプリンスの吸収合併であり、下手をすればプリンスの開発部門は閉鎖され、日産の開発部門の下に置かれていずれはなくなってもおかしくはないはずだ。しかし、モータースポーツに関して言えば、当時日産は1963年から参加しているサファリ・ラリーなどの国際ラリーに傾注しており、国内レース部門はすでにプリンスR380を持っていたプリンスにそのまま残されたのである。更に、そうしたレース活動を宣伝材料としてスカイラインは売れたので、ニッサンのラインナップの中での独自の地位を持ち続けたのである。実際、スカイラインは国内販売用車種としてその後も生き続けたのである。

 しかし、そんなスカイラインGT-Rも2007年には「スカイライン」の名前を外され、海外向けにも販売される「ニッサンGT-R」となってしまった。別にそれはそれで構わないけれども、本来のスカイラインの考え方「ベースになるセダン型があって、それの発展系としてのスポーティー車(GT)があって、更にその上の改造すればレースに出られるGT-Rがある」が全く無視され、最初からレース出場をイメージしたハイソカーとしてのニッサンGT-Rにはちょっとした違和感がある。

 とは言うものの、最初のスカイラインGT-Bだって似たようなものだったのかもしれない。もともと、第2回日本GPに間に合わせるためにギリギリの(当時の)GT基準100台を無理やり作り、そのスカイライン1500のシャーシーを伸ばしてグロリア2000の6気筒エンジンを無理やり載せて、ウェーバー2連キャブ3連装して、かなりバランスの悪い車を作って走らせたそのままの(ではないけれども)クルマをスカイラインGT-Bとして売ったのが、基本的にはスカイライン連想の始まりなのだから、まあ、何かいわんやというところである。とにかく超アンバランス・強アンダーステアのスカイライン2000GT-Bは、ちょっとスピードを出してコーナリングするとソーイングというテクニックが必要となるという、結構なトンデモ車だった。まあ、当時はそんなものまでドライバーにとっては楽しみでもあったりする時代ではあったのだが……。

 最終的に、電気自動車という究極のエコカー路線を目指すエス・アンド・エスエンジニアリングではあるが、結局スカイラインに戻ってくるのだな。3代目の再来といわれる8代目のスカイラインR32GT-Rをベースとした「スカイラインGT-R S&Sリミッテッドバージョン1」を2000年に発表した。R32の発売から10年以上経った時点での「中古改造車」であるにも関わらず、それは15分で完売してしまったそうだ。

 それだけ「櫻井眞一郎信者」が多いと言う事なのだろうけれども、同時にそれは最近しばしば言われる「日本のものづくり神話の崩壊」を恐れる人たちがいかに多いかということなのだろう。要は「開発コストのことなんて考えなくてもいい」「いいものさえ作っていれば商品は売れる」という神話である。

 しかし、そんな神話ももうなくなってしまった。「いいものさえ作っていれば商品は売れる」という時代ではなくなってしまった時代に生きている我々はどうすればいいのだろうか。要は、開発した商品が如何にユーザーフレンドリーなのかということなのだろう。ユーザーの立場に立って、ユーザーと同じ視線を持って開発した商品なのかが、売れるのか売れないのかの境目になっているのだろう。

 超ハイスペックなるが故のガラパゴス化という、携帯電話と同じ道を歩んでいたスカイライン。しかし、そんなスカイラインも国際化という波に飲み込まれなければ生きていけないのだ。そんな思いを強めさせる「ニッサンGT-R」であるが、自動車という基本的には国際商品では当たり前のことなのだろう。そういう意味では、そんな国際化時代を知らずに逝ってしまった櫻井眞一郎氏は、もうひとつの意味での「幸せ」な人生だったのかも知れない。

 日本の「ものづくり」を支えた人たちがだんだんと往ってしまって、寂しくなるのは仕方のないことだが、その後の新しい時代の「ものづくり」をする人たちが出てきているはずだ。そういう人たちは、もはや企業の中に埋没してしまってはいけない時代になっていることに気づいて欲しい。もっと自分の属する企業の外に出て、産業全体の役に立つ人材にならなければいけないのだ。

 それが、日本の産業の再生の契機だ。

2012年4月25日 (水)

『股間若衆』ったって、そんなに見つめられちゃあ、硬くなっちゃいますよ。アソコが……

『古今和歌集』≒『股間若衆』、『新古今和歌集』≒『新股間若衆』、『和漢朗詠集』≒『股間漏洩集』という三題噺か? これは。

 しかし、著者の木下直之氏はいたって真面目で同時に不真面目でもある。まあ、こうした本の場合には、そんな態度が一番いいのかもね。だって、あの「もっこり」についての考察なのだから。

『股間若衆 男の裸は芸術か』(木下直之著/新潮社/2012年3月30日刊)

 つまり、あの「もっこり」とは男性器の普通の姿である、勃起していない状態である。朝倉文夫の作品なんて、ほとんど包茎状態の男子の生殖器の「普段の」状態である。本当は、それが「勃起」して「屹立」したときの状態も見てみたいものだ、と思うのだがどうだろうか。

 ギリシアの古代彫刻では堂々と見せられていた男の男根であるし、女の陰裂(これはないかもしれないが)であるのだが、それが禁じられて、男根はイチジクの葉っぱに隠されてしまったり、陰裂はなくてツルンツルンの女性陰部になってしまったのは、キリスト教の弾圧によるものだ。だいたい、あんなちっぽけな葉っぱでもって隠されてしまうほど、ギリシア人の男根は小っちゃかたのかな、なんて思うけれども、そんな小っちゃいチンポでもちゃんと子どもは作れるんだということもギリシアの歴史は示している。

 そう、男根の大きさが男の価値を決めるという人もいるが、別に包茎・短小だって子どもを作って幸せに生きている男もいるんだ、ということを考えてみれば、別に男根の大きさが問題ではない。機能が問題なのだ、ということ。

 でも、この本ではやはりあの「もっこり」に集中せざるを得ないのだ。要は、女性裸体像では「ツルンツルン」に描かれてしまう女性外陰部なのだが、男性裸体像ではどうしても「もっこり」を作らなければけないんだろうか、という問題である。男性裸体像で局所を「ツルンツルン」に描いた彫像はないようだ。とすると、やはり、彫塑家・彫像家・彫刻家には、やはり男のその部分にはちゃんと「もっこり」を作らなければいけないという強迫観念なんかがあるんだろうか。別に、「ちゃんとおチンチン」を彫刻しなければいけないんじゃないのだけれども、でも、まんま作っちゃうのはなあ、なんか気が引けるなあなんてことで、いわゆる「もっこり」になってしまうのである。当然、「勃起して屹立した」ペニスなんてのは彫像ではありえない。

  なんで「もっこり」という形で「誤魔化さなければいけないんだ」というのが木下直之氏のスタンスなのだけれども、「別にいいじゃない、どのみち、勃起した男根は描かれないのだから」というのが私のスタンスだ。

 むしろ、そこに自らの想いを込めて立派な男根を想うほうが、面白いんじゃない?

 なんて、「ノンケ」の私は思うのだ。

 木下氏は自ら明らかにしていないけれども、どこか「そんな雰囲気を」感じてしまうのだ。

 違いますかねぇ。

 

2012年4月24日 (火)

『妄想かもしれない日本の歴史』というけれども、「歴史」というものは基本的には妄想の賜物、「共同幻想」にすぎないのだ

 関西性欲研究会の井上章一氏の新著である。といっても刊行されたのは一年前。ウーム、知らなかったなあ。

『妄想かもしれない日本の歴史』(井上章一著/角川選書/2011年2月25日刊)

 しかし、基本的に「歴史」に「完璧な正史」なるものは存在しない。所詮、それは時の権力者が自分に都合の良いように、解釈、歪曲を重ねた「共同幻想」にすぎない以上、その反対側にこうしたロマンともいえる「妄想による歴史」があってもおかしくはないわけだ。ただし、それが過ぎて<世界の謎と不思議に挑戦する雑誌『ムー』>のようになってしまうと、「トンデモ話」になってしまうということであるけれども。

 本書で語られている、将門の首塚の話とか、義経北海道延命説は有名な話だし、公家の一条家土佐土着説はまだしも、西郷隆盛ロシア延命説、空海キリスト教帰依説、楊貴妃日本人説、淀君利根川入水説までいたってしまうと、ちょっとなあという感が強くなってくる。ただし、これも歴史の可能性という名のロマンとして受け止めるなら、それはそれでよい。つまり、正史じゃないからといって、それはトンデモ論であるという理由にはならないわけで、可能性として歴史をみることは充分ありうるわけだ。

 井上氏は言う、『古代などというはなやかな区分は、日本には似あわない。古代漢帝国の時代に日本は、まだ国らしい組織をととのえていなかった。都市もなければ、文字もない。くりかえすが、辺境の野蛮地である。古代とよべるような文明の時代をむかえていたとは、とうてい思えない。その点では、五世紀なかばまでのゲルマニアと同じである』として、ヨーロッパで、古代史があったと言ってもいいのは地中海世界のギリシア、イタリアであって、ドイツ、フランス、イギリスなんてのは五世紀の中世から浮かび上がる存在であって、それまでは辺境の野蛮地でしかなかったとする。

 たしかに、ゲルマン諸族が、西ローマ帝国の跡地に続々民族大移動でもって流れ込み、中世ヨーロッパ諸国の歴史を作ってきたように、大陸の東の果てでも同じように、それまで強大な力をもっていた古代漢帝国が三世紀に崩壊し、そこに鮮卑や匈奴が漢帝国の跡地に続々入り込み、魏・呉・蜀の三国時代、五胡十六国時代に突入した、その時代を持ってアジアの中世と名付け、そのころに卑弥呼の邪馬台国、初期大和政権が成立して日本の中世化が始まったとする井上説には納得できるものがある。

 ただし、日本史(正史)では、日本の歴史叙述を古代史から始めている。しかし、本当に日本という国がそんな古代から存在していたのだろうか、というのが井上氏の古代史観である。

 ただし、これをもって内田樹氏の『日本辺境論』を否定することはできないのではないか。井上氏は内田氏の『日本辺境論』は、辺境民族である日本人の描き方がマトモすぎるというのである。内田氏の『日本辺境論』で描かれる日本人の姿は、あくまでも辺境の民として慎ましやかである。しかし、本当の日本人はもっと図々しく、我が国の出自を偽って自己中心的に古代を作り上げているというのである。

 まあ、これはいささか感情的な書き方であって、畢竟、井上氏も内田氏も同じ事を言っているに過ぎない。

『古代漢帝国の辺境に位置し、古代などあったと思えない日本に、古代を幻視する。原のこしらえたそんな歴史は、民族のそれなりにおおせた。日本だけが、アジアにあって、ヨーロッパになっていく。そういう原の夢想が、民族的にわかちあえていたせいだろう。
 未来への思惑が、歴史へ投影された時、過去のあゆみはねじまげてえがかれる。専門の歴史研究者なら、誰もがそのことをわきまえているはずである。そして、今日の時代区分は、そういう幻想でゆがめられた事例のひとつにほかならない。
 私は、もういちど見なおされ、あらためられるべきだと思ってるが、どうだろう。』

 というのが本書の大テーマであるが、しかし、それは関東史観とかいう問題ではない。結局、日本人という民族は常にそうやって日本人にしか理解できない歴史を作ってきたのだ。

 まさしく、歴史観のガラパゴス化ですな。

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 高田馬場には中山(堀部)安兵衛の決闘で有名な「高田の馬場」はない。たまたま国鉄(現JR)の駅を高田馬場と名付けてしまったために、高田馬場が「高田の馬場」のように思われているだけで、実際の「高田の馬場」は現在の西早稲田にある。まあ、たとえばこんな形でも歴史は書き換えられてくるのである。

Fujifilm X10 @Tkadanobaba (c)tsunoken

2012年4月23日 (月)

College Football 2012 Spring is Open!

 大学フットボールの春シーズンが始まった。といっても、実は4月15日の慶應大対日体大戦で既にスタートしているのだが、先週は土日一試合ずつという感じで、一昨日昨日からは関西での試合も含めて週末毎日一日3試合以上という感じで、本格的にスタートしたという感じだ。

 ということで、昨日は東京大学本郷御殿下グラウンドで東大ウォリアーズ対学習院大ジェネラルズの試合を観戦してきた。

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 試合結果は55対21という、関東1部常連校である東京大学と、昨年の入替戦で1部に上がってきた学習院大学の差? という感じではあるのだが、しかし、学習院大のレシーブで始まった試合開始早々、学習院大の2プレイ目でのタッチダウンに見てる者皆何があったの? という感じで見ていた。

 その後は、順当に学習院大を4thダウン・パントに追い込み、攻守交替でタッチダウンを奪うという攻め方で、東大の後半はセカンド・ユニットを使うという余裕の見せ方だった。一見、余裕の勝ちパターンだが、学習院大あたりに21点を献上するようでは、これからの試合の見え方もどうか。

 特に再来週は京都大学との定期戦である。11勝36敗1引き分けという感じで完璧に京大に負けている東大だ。一方、京大は甲子園ボウルやらライスボウルでも優勝した事のある強豪チームである。なんとか、この京大に一矢を報いて欲しいというのがファンの立場であるが、今年はどうなるのだろうか。昨日の試合を見る限りでは「ちょっとね」というところ。

 まあ、取り敢えず東大ウォリアーズには頑張ってもらいましょう。一回くらいは京大に勝って欲しい。開成でて京大ギャングスターズにいる番矢(ったって誰も知らないよね)をぶっ潰せよ、と思わず応援にも力が入ってしまうのでありました。

 ということで、再来週は(多分)東大ウォリアーズvs.京都大ギャングスターズの結果をお知らせするブログになるんだろうな。う~ん、勝てるかな。どうなんだろうかな。

 Wi Max環境にもなって、どこからでも発信できるような状況になってしまったし……。

2012年4月22日 (日)

千駄ヶ谷の富士登山

 4月13日のブログに書いた「千駄ヶ谷富士」(「お江戸超低山さんぽ)に登ってきた。

 JR中央線の千駄ヶ谷駅を降りて、駅前正面の商店街をまっすぐ行くと、鳩森八幡宮の裏門に至る。そうか、六義園と同じ、駅に近いほうは裏門で、江戸城に近いほうが表門、という大原則はここでも有効なんだよな。

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 こちらは表門。なかなか由緒のありそうな神社ではある。

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 取り敢えず参詣。そして右手を見ると……。

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 富士山があるわけです。八重桜だろうか、まだ花をつけているし、写ってはいないけれども、画面左手の方には枝垂れ桜がやはりまだ花をつけている。桜の木の下ではお弁当を食べている人もいて、なんか雰囲気あるなあ。

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 登山口である。

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 山頂まであと僅か。かなり峻険な山道ではあるけれども、所詮高さ7メートルの山である。実は登頂まではあっという間なのだ。

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 山頂の祠。

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 取り敢えず、富士塚の全景であります。結構いい加減だけれどもね。まあ、これで遭難する人はいないでしょう。

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 で、富士塚から下山すると、かなたから聞こえてくる応援団の声。なにかと思ってみたら、神宮第二球場で堀越高校と日大鶴ヶ丘高校の東京都春季選手権の準々決勝、神宮球場では立教大学と法政大学の春季六大学野球の試合をやっている最中なのだった。

Fujifilm X10 @Sendagaya (c)tsunoken

2012年4月21日 (土)

『動員の革命』で重要なのは、「マイクロペイメント」と「クラウドファンディング」だ

 Tsudaる津田大介氏の新刊である。もしかしたら、3.11の後の最初の本かなあ。

『動員の革命』(津田大介著/中公新書ラクレ/2012年4月10日刊)

「動員の革命」とは、Twitterなんかでいろいろつぶやいていても、それだけじゃ社会的な力にはならない。TwitterやFacebookなんかのソーシャル・メディアを通じて、それが人間たちが「動く」動機になり、そんな集合が動くことによって初めて社会的・政治的な結果をもたらすということなのだ。

 ま、そりゃ当然。どんなにFacebookで「いいね」をポチッとしたって、TwitterでRTしたって、それだけじゃ政治家は「まあ、こんな意見もありますね」という認識しかしないわけで、それが実際の「運動」となって、初めて政治家や官僚、財界人は「ん? なにか違うぞ」という認識をするものなのだ。そうした実例がジャスミン革命でありエジプト革命でありロンドン暴動でありオキュパイ・ウォールストリートなのであり、残念な対フジテレビ・デモだったりするわけだ。

 しかし、ジャスミン革命やエジプト革命は「革命」という名前では呼ばれているものの、実態は革命とは程遠い、一種の民衆蜂起というものにすぎない。今後、これをイスラム原理主義のほうに取られないようにしながら、新たなきっちりとした政権を作り上げることには時間がかかるだろう。ロンドン暴動なんてもっとプリミティブで、まさしく「暴動」でしかないその運動は、結局鎮圧されてお終いになってしまう。とは言うものの、何もしないよりは少しはましというもので、イギリス政府だってその暴動の裏側には若年層の失業率なんてことがあるのは、分かっているのだ。オキュパイ・ウォールストリートになると、かなり意識的にコアがあって、それへ向けての改革運動の一種であるというくらいに、運動の質は上がっている。

 こうした数々のソーシャル・メディアを通じた運動の中で一番残念なのが、対フジテレビ・デモだろう。フジテレビが、特にBSやCSでもって韓流ドラマばっかりやっているのは事実である。そこで、日本の言論が韓国寄りになってしまうというのは、あきらかにそのバックボーンに「嫌韓意識」があるからなのである。もうちょっと言ってしまうと、別にフジテレビだけが韓流ドラマを放送しているわけではなくて、『冬のソナタ』以降、オバサマたちの韓流スター&ドラマ贔屓に乗っかって、フジ以外の民放、NHKも含めてBS、CS放送は韓流ドラマが花盛りなのである。だったら、かれらはフジばかりでなく、韓流ドラマを放送している総ての放送会社にデモを仕掛けなければならない。

 それなのに何故フジテレビ? という疑問がわくのであるが、多分それは産経新聞という右派メディアをバックにしているフジテレビだけは、そんな韓国や中国に擦り寄った政策はとらないだろうと思ったのにも関わらず、そんなフジテレビが実は一番韓流ドラマの本数が群を抜いて多いというのは、ホント裏切られた、という思いなのだろう。これがTBSやテレ朝だったら、まあどうでもいいや、というところなんでしょうけれどもね。

 つまり、そこには何故フジテレビが(その他の民放各会社やNHKも含めて)韓流ドラマが多いのか、という視点が決定的に欠けているのだ。

 要は、単純に「番組購入費が安いにも関わらず、結構視聴者が多い」という、経済的理由に過ぎない。そのポイントを押さえずに単純に「韓流ドラマばっかり放送してけしからん」なんて言っても、相手には通じないでしょ。「じゃあ、お前らがフジテレビにどんどん金払って、いい番組を作るように運動するのかよ」と言われてしまっては、多分、返す言葉はないだろう。「えっ? テレビ見るのに金払わなきゃいけないの?」なんて奴を相手にはできないのだ。

 対フジテレビ・デモの残念なところはここなのだ。基本的にデモを仕掛けるという以上は、デモの代表者はデモを仕掛けた相手との「交渉」をしなければならない。勝手に外側からモノを言っても始まらないのだ。相手と交渉をすることになれば、そこは相手との共通のテーブルについて話をしなければならない。ところが、対フジテレビ・デモを組織した人たちは、そんな発想はまったくなく、結局、自己満足的にデモを「やっただけ」に終わってしまった。本来であれば、デモの代表者とフジテレビの代表者(別に社長じゃなくてもいい)が同じテーブルについて、「フジテレビは何故韓流ドラマばっかり放送するのか」という点について徹底的に話をするべきなのだが、そのためのデモンストレーションなのだが、デモを仕掛けた連中にまったくそんな意識もないので、これじゃあデモでもなんでもない、たんなる歩行会でしかない、という結果に終わってしまったのだ。それも他からは「あの人たちバカなんじゃないの」という嘲笑だけをいただいて……。

 まあ、これが今の日本の民主主義の現状なのだろうな。デモ、示威行動、政治活動の原則も知らない連中が殆どという。右翼も左翼も、こうした「とりあえず動いてみました」という連中を、自らの陣営に取り込む努力をしたほうがいいんじゃないか。昔、ベトナム戦争反対デモなんかに出ていた高校生なんかも、思想的には右もあり左もありだった。それを左翼がうまく取り込んでいったという歴史もある(もう歴史か)。とりあえず、「どうにかならないか」と考えて体を動かした人たちをうまく取り込んでいかないと、もはやこの国の政治はにっちもさっちもいかない状態になりそうだ。

 そんな理論的指導者って、もう出てこないのかな……。

 あ、最後に一つだけ。本書でも語られている「マイクロペイメント」とか「クラウドファンディング」という発想には大賛成である。前にも書いたことがあるけれども、多分、これから先の我が社会では「小さな会社」「身の丈にあった会社」が社会の主流になると考えられる。そんな、社会にマッチする、資本参加・社会参加の方法論である。

 これはいいなあ。

 

 

2012年4月20日 (金)

『「ガード下」の誕生』はもっと奥深いものである筈なのだ

 やはり1952年生まれの人にとっては「ガード下」という町には何処となく郷愁を誘われるものがあるのだろうか。神田や新橋、有楽町あたりのガード下の「飲み屋」への、幼い頃の憧れはあった。今となっては、特別そんな場所で飲んで、他から比べて安いというわけではないけれども、何となくその喧騒の中にいると気持ちが安らぐというのは事実である。

『「ガード下」の誕生』(小林一郎著/祥伝社新書/2012年4月10日刊)

 とりあえず、どんな駅のガード下が取り上げられているのか、目次に従って書き出してみる。

『生命力あふれるウラ町・ガード下の誕生』

昭和のアーチ駅舎とブリキ住宅――JR鶴見線国道駅
ドイツの香り漂う、有楽町のガード下――JR山手線などの新橋駅~有楽町駅
辰野金吾の万世橋駅とガード下
ヤミ市から町を興したアメヤ横丁――JR山手線などの上野駅~御徒町駅
理念の旗を振り、ガード下から立ち上げた秋葉原電気街――JR総武線秋葉原駅下
流行の先端を演出する場所――JR山手線御徒町駅~秋葉原駅
巨大なキャンティレバーは歴史の回廊――JR総武線浅草橋駅下
ガード下にカモメが舞う隅田川――JR総武線両国駅
ガード下から生まれ変わる町――京成本線・JR常磐線日暮里駅周辺
ミヤコ蝶々も暮した大阪・美章園ガード下――JR阪和線美章園駅
ヤミ市を起源に一キロ続く商店街――JR神戸線元町駅~神戸駅
泉も神社もある阪神・御影ガード下――阪神本線御影駅

『高度経済成長に誕生したガード下――その再生とオモテ化』

光が眩しい洞窟の魅力――東京メトロ千代田線綾瀬駅
住んでみたい街No.1。自己完結型をめざす吉祥寺――JR中央線吉祥寺駅

『新時代に挑むガード下――ホテル・保育園……』

パリのパサージュが21世紀東京・赤羽のガード下に誕生――JR京浜東北線赤羽駅
机上で進めるガード下環境――小田急線経堂駅~祖師ヶ谷大蔵駅
夢の国のガード下は、リゾートホテル――JR京葉線舞浜駅
人身売買バイバイ作戦と黄金町コンバージョン――京浜急行日ノ出町駅~黄金町駅

 これら18箇所のガード下から見えてくるのは、結局は「昭和」へのノスタルジーなのか。勿論、『新時代に挑むガード下――ホテル・保育園……』にまとめられたガード下は既に21世紀型のいわゆる「明るいガード下」であり、そこにはあまり「昭和ノスタルジー」は感じられないけれども、それ以外は何故か感じられるノスタルジーとは何だろうか。

 つまりそれは、遥かなる「戦後」へのノスタルジーであるのだろう。当然、昭和20年代後半の生まれとしては私も小林氏もいわゆる「闇市」の実際は知らない。しかし、そんな闇市の貧乏臭さと同時にあるアナーキーな明るさというものに魅かれたりするのだ。21世紀型のガード下は、上を走る電車の音もしないし振動もない、結構快適空間だったりする。しかし、そんな快適空間の「コントロール」された佇まいよりも、むしろ「アン・コントローラブル」な猥雑さというものが都市には必要じゃないのか、というのが昭和20年代生まれのテーマなのだ。

 つまり昭和のガード下空間はそんな闇市的アナーキーさを多少は残していて、そこにあるアン・コントローラブルな自由さ(実際は不自由さ)を感じることができるということなのだろう。

 こうやっていわゆる「昭和ノスタルジー」が『三丁目の夕陽』みたいにのしてくるのだけれども、どうもこれは居心地が悪い。『三丁目の夕陽』は昭和30年代の「古き良さ」もあるけれども、それと同時にあった「古き悪さ」を徹底的に排除した「ノスタルジー」でしかない。つまり、この本の「ガード下ノスタルジー」も、そんな「ネガティブな部分のガード下」を排除しているのではないか。目をつぶっているのではないだろか。

 当然、不法占拠もあっただろうし、占拠住民もいただろう。そうしたマイナス部分にも触れて欲しかった。そんなマイナス部分も含めて、ガード下の魅力はある筈なのだ。

 そう、毎晩そこに寄って、飲む必要があるほどの……。

 

2012年4月19日 (木)

『ルポ 賃金差別』

『たとえ架空のカテゴリーであっても、差別は心地がいい。自身の賃金を下げられても、賃下げに怒るより、その下がいるということで人は妙な安心を感じることができる。こうして、賃金差別と向き合うことを避けてきた私たちは、その結果、多くのツケを抱え込むようになった。』というのが、つまりは差別の基本構造なのだろう。

『ルポ 賃金差別』(竹信三恵子著/ちくま新書/2012年4月10日刊)

 しかし、和光大学の学生のおバカっぷりも大したもんで、労働問題・ジェンダー論などを教える竹信教授の授業を受けている学生が、『賃金は会社が決めるものでしょう。働き手がいろいろいうのは変です。会社は慈善事業じゃないんですから』なんてことを、平然とレポートしてくるというのだ。うーん、こういう学生は即入社内定だな。なんて冗談は後にして、今の若者のこれは当たり前の賃金論なのだろうか。そこまで、ニュー・リベラリズムは徹底しているということなのだろうか。こうなってしまうと、正社員・契約社員・派遣労働、親会社(あるいは発注元)・子会社・孫会社・元請け・下請け・孫請け・ひ孫請けなどの間にある「賃金差別」なんてのは当たり前ということなのかもしれない。要は、自分はその流れの中のなるべく上流にいればいい、「だって、会社の従業員の賃金なんかには興味はないモンね」という。

 しかし、ものはそうはいかない。本書には広島電鉄の事例が書かれている。契約社員の正社員化を実現させた労働運動についてだ。つまり『まず、労組への加入対象を契約社員にも広げ、そのうえで、賃金交渉で、正社員と契約社員に同等の賃上げ率を求める要求を掲げる。会社側は、正社員化には同意したものの、雇用契約に期限がない無期雇用にすることだけは飲み、賃金に差のある新しい正社員制度を作ろうとした。これに対し広電支部(私鉄中国労働組合広島電鉄支部:引用者注)は、高齢者の昇給を抑制するという痛みを引き受けることと引き換えに、同一価値労働同一賃金による正社員化を求めた』というもの。会社にとっても、交通業界には死活問題の「安全の確保」という観点から、最終的には組合の要求を飲んだものだ。 

 この中の論点は、「高齢者の昇給を抑制するという痛みを引き受ける」という点だろう。終身雇用・年功序列賃金制度の場合、当然高齢者になればなるほど高給取りになるわけで、そこを65歳までの定年延長によって年金支給年までの職場を確保し、生涯賃金では従来通りの収入を確保するという説得をしたそうだ。

『ドイツでは、派遣社員が仕事を失ったら次の派遣先が見つかるまで派遣会社が引き取って面倒を見る常用型派遣が原則とされていた。フランスの場合は、「派遣社員は、穴埋めした前任者と均等待遇」と決まっているので、正社員との賃金差は開きにくい原則ができていた』というのだが、そうした労組側の認識がない日本では、『容易に、派遣会社をりようした「かごぬけ」的な賃下げが起きる』というのである。

『グローバル化と少子高齢化で外国からの労働者を受け入れる必要も生まれているのに、透明な賃金決定のルールなしで、こうした働き手の納得を得られるのか。また、男性が多く従事していた製造業が海外へ脱出し、女性が多いサービス産業化が進むなかで、性別を超えた客観的な賃金評価ができなければ、働き手の賃金は下がり続けるのではないか。』という竹信氏の危惧はまったくそのとおりだ。

 賃金交渉のできない派遣社員の増大は、当然、いずれ正社員まで巡ってくるだろう。もし派遣社員と同じ仕事をしている正社員なんてものがいて、じゃあ正社員だって派遣社員と同じ賃金でいいじゃないかとなって、その時になって賃下げ反対なんて叫んでも、もう遅いのだ。同一価値労働同一賃金という発想は産別組合の強いヨーロッパでは、当たり前のような考え方ではあるけれども、日本でもそろそろそうした発想、あるいは産業最低賃金について考えなければならない時期だろう。

 だいたい、セーフティー・ネットもない国で、最低賃金も生活保護以下のレベルに抑えられているおかしさを考えなければいけない。

『人が働くことは、生活の基盤だ。だから、働く人に保障されている労働権は、どんな働き方の人も行使できなければならない。派遣労働はその意味で、本来はかなり厳しい働き方と受け止められていた。その認識が社会にあるから、人々は、さまざまな規制をかけて、なんとか派遣労働を人間らしい労働にしようと工夫する』ヨーロッパには、まだまだ学ばなければならないことがいっぱいある。

 残念ながら。

 

2012年4月18日 (水)

『マージナル・オペレーション』は今のところかなり真面目な戦争ゲームだ

 今日も戦争の話なんだよね。ただし、今の、軍隊がやる戦争じゃないところでの……。

 マージナル=Marginalとは、日本語にした場合「限界」という意味と「周縁」というふたつの意味がある。つまり「限界」というところが、どちらかというと地理的な捉え方をしているので、一方の意味が「周縁」ということになるのであろう。

『マージナル・オペレーション 01』(芝村裕吏著/星海社FICTIONS/2012年2月15日刊)

 ということで、『マージナル・オペレーション』というタイトルの意味はハッキリしてくる。限界ギリギリの作戦行動という意味と、同時に世界の周縁部分で行われるギリギリの作戦という意味と。そう、戦争はいつでも「周縁地域」で行われている。日本だって、第二次世界大戦の終わりまでは、日本が戦場になることはなかった。つまり、戦争を行っている大国は、自分の国では戦争を行わないという矛盾がそこにはあるのだ。

 主人公アラタは30歳のニート。アニメやマンガ、フィギュア、ラノベが好きなオタクである。高校から専門学校に行って、ゲーム業界を目指す、といってもそんなに真剣にではなく、すべてが中途半端な人間であり、結局、ゲーム業界に入ろうとした時は、既にパッケージ系のゲームは下火になってしまい、ゲーム業界には入れず、結果、ニートになってしまって30歳、というテイタラクである。

 そんな、オタク・ニートが入ろうとしたのが民間軍事会社。

『給料が三倍以上になる。年収で六百万円になるという。それでいて、肉体労働ではなかった。経験も必要なかった。PCの知識が必要で三十五歳までという、条件だった。
 給料があがる秘密はリスクだった。命を失う危険。このリスクをとれば、給料があがるというのは、盲点だった。当たり前だが確かにこれなら報酬はあがる。軍人で外資となればこの国では後ろめたい事だから、それも給料を引き上げているのかもしれなかった。
 僕はネットで調べ始めた。仕事の実態、勤務地、会社の評判。
 賭けるのは自分の命だ。結構本気で、頑張った。
 結論としては、結構うまい所を突いた絶妙の給料設定という感じだった。
 死ぬ危険は、現代戦では少なかった。どちらかというと、過度のストレスからくる神経症が、問題になっていた。こっちも技術革新で随分、よくなっているそうだが。
 うますぎる話、というものでもなかった。今の常識からいえば、給料は命や精神の危険の割に安かった。生涯年収おちう面では、定年が早い分、どっこいどっこいだ。
 それでも僕は、納得してこの企業の求人案内に、応募した。自殺志願者というほどではなかったが、生にこだわりがあるわけでもなかった。
 テストも何もなく、少しの契約金をもらって最初にしたことは部屋の更新だった。ラノベとPCとマンガと少しのフィギュア、それを帰ってくるまでの間、維持する契約。
 死んだら家賃の支払いが止まり、自動で契約は切れる。生きていれば、少しの貯金をもって帰ってくる。数年働けば、国内の警備会社でも雇ってくれる"ハク"というのがつくという話だった。似合わない話だが、利用できるなら、なんでも利用したい。』

 って、結構クールに観察しているじゃないか、ニートの割に。

 アラタの仕事は基地(といってもベースじゃなくてキャンプなので前線基地みたいなものだろう)バックオフィスで前線の兵士に作戦を伝える仕事。とは言うものの、別に指揮官じゃなくて、前線の兵士の配置データがオンラインで伝わってきて、敵の配置データ(これはどうやって入手するんだろう)と合わせて、キーボードかコマンド・ボタンか何かで伝える仕事。と言えば、これは完全に「戦争シミュレーション・ゲーム」の世界だな。

 アメリカの「砂漠の嵐」作戦なんかの映像をみていると、完璧にシミュレーション・ゲームのような映像で、まああんな感じの作戦司令室なんだろう。これはリアルの戦争じゃない。しかし、前線ではリアルな戦闘を行っているのだ。その乖離。

 その乖離した状態が打ち破られるのが、アラタが元民間軍事会社に雇われていた村落の住民により虜囚となった時だった。その時、初めてアラタは民間軍事貨車との「本物の戦争」を目の当たりにする。果たしてアラタはその地域での戦争を終結させて、当然、民間軍事会社はクビになるわけであるから、日本に帰って自分で民間軍事会社を作るという目標に向かって歩き始めるところで、第1話は終わる。

 今後のアラタの活動はどうなるのか、楽しみではある。

 そして、一つも決着がついていない、登場する女性たち、民間軍機会社の先輩で、エルフみたいな尖った耳を持ったソフィア、アラタに英語修業をする娼婦シャウィー、元民間軍事会社の兵士だった村落の少女ジブリールたちだ。とりあえず日本に連れ帰ったジブリールではあるが……。

 最後にオタクのニートの割には、結構マトモなことを言っているアラタの言葉から……

『想像力の不足が無意識の悪意になり、悪意が連鎖して世界が出来ているように感じる。』

 ジブリールというのはアラビア語で聖天使ガブリエルのことだそうだ。この作品のジブリールがそのような女の子になるのかな。

 ゲームの世界ではこんな感じの女の子のようです。私は知らなかったけれども。これから見ると、ちょっと堕天使風(?)。

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2012年4月17日 (火)

笹川繁蔵と平手造酒

 飯岡の後は銚子っぱずれで、笹川に。

「天保水滸伝遺品館」を訪ねたのだが、丁度お昼時でお休みとのことなので、取り敢えず裏の延命寺へ。笹川繁蔵之碑、勢力富五郎之碑、平手造酒之墓が三つ並んだ、豪華な「天保水滸伝発祥之地」というお墓がある。笹川繁蔵乃勝負石というのが面白い。つまり、サイコロってこと。博徒ですからね。

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 今回は平手造酒がメイン。天保15年の出入りの際に、飯岡側は沢山の死者を出しているのに、笹川側の死者は平手造酒ひとりだけなのだ。飯岡側としては平手造酒が相当の使い手だということは承知の上だから、平手造酒と闘うことは避けて雑魚どもと闘うと思いきや、むしろ皆でよってたかって平手造酒を嬲り殺しにしているのだ。

 多分、平手造酒としては自分が大活躍をして敵を引きつけておいて、その間に味方を逃れさせようという考え方なのではなかったのではないだろうか。飯岡の笹川攻めは基本的には奇襲であった(十手を持った飯岡助五郎の「御用召捕り」という攻撃)から、そうやって味方を逃れさせて、一度退却してから、再び飯岡攻めを考えようという作戦なのだろう。

 つまり、平手造酒は自ら囮になって飯岡側を引きつけておくという、犠牲的精神の戦いだったのではないだろうか。結核で自らの余命の長くないことを知っていた平手造酒の武士らしい戦いざまと言えば言えなくもない。あっぱれ、用心棒の「らしい」死に様ではあったということだ。
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 大きいことは大きいが、その割にはあっさりとした平手造酒の墓にも、何となくそんな憂愁が漂うといっては、大袈裟か。

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 繁蔵が国定忠治や清水次郎長、大前田栄五郎なんかを招いて盛大な花会(つまり大博打大会ですな)を開いたという、料亭旅館「十一屋」。現在は不動産業を営んでるそうだ。しかし、当時からの直系かどうかは聞き忘れた。以前は蕎麦屋だったそうだ。


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 繁蔵最期の地の碑が建っている。ここで飯岡の手の者に切り殺されて、胴体は銚子に、そして首は飯岡に運ばれたという。

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 天保水滸伝遺品館の外観。中は繁蔵やその子分たちの三度傘や旅合羽、弁当籠。食器などの遺品が飾られているが、やはり目につくのはサイコロや、壺振りの壺、博打のルールを書いた本(丁半博打ばかりでなく、手本引きなんかもあるけれども、そんなのが昔にもあったんだ)、賭札なんかは当時のものだし、「利根の川風袂に入れて 月に棹差す高瀬舟」という浪曲「天保水滸伝」の謳い出しを書いた田中角栄氏直筆もある。まあ8畳程度の小さな遺品館ではあるけれども、解説のおじいさんの時折何を言ってるか分からない感じの解説もいい。

 先の、十一屋の話もそのじいさんから聞いたものだ(だからちょっと怪しい?)。

 で、最後は笹川名物「しじみ丼」を食べて帰ってきた。

 しかし、このしじみ丼、つくづくすごいものだと思えてくる。なんたって、あの小さいしじみをひとつひとつ殻から取り出して、醤油だれで煮て卵でとじたものなのだが、問題はあのしじみひとつひとつを殻から取り出している、ということ。私なんか朝、しじみ汁なんかが出たらとりあえず汁だけ飲んでおしまい。ひとつひとつ殻から出すなんて面倒なことはしない。それをひとつひとつ殻からだして作るんですよ。

 すごいね、この辺が日本人の細やかなところなのかな。

 あ、味は勿論いいですよ。深川丼の卵とじ風・実はしじみだよね、というところで深川丼がOKな人なら充分満足できます。私も車じゃなかったら、この上の卵とじだけで日本酒をいただいたところなんですけれどもね……、残念!

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 浪曲といえば広沢虎造が有名だが、「利根の川風袂に入れて」という名調子は玉川勝太郎である。ここに入れてあるのは初代だが、別に二代目でもいい。一度、聞いてみてください。

 小説版『巷説 天保水滸伝』は、山口瞳氏が飯岡の助っ人の子孫だというのは初耳だが、実は読んでいない。今度、読んでみよう。

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2012年4月16日 (月)

飯岡助五郎と座頭市

『天保水滸伝』には「座頭市」は出てこないが、『座頭市』には「天保水滸伝」がでてくる。

 なんてことを書くと判じ物みたいだが、史実としての天保水滸伝には、架空の人物である座頭市は出てこないが、小説としての座頭市には史実の天保水滸伝が出てくるということなのだ。

 浪曲『天保水滸伝』ではどちらかというと笹川繁蔵が「善い者」で、飯岡助五郎は「悪者」という描き方をされている。両方とも「賭場運営」を仕事にしているヤクザなんだから、どっちもどっちとも思われるのだが、どうもこれは飯岡助五郎がヤクザ稼業のかたわら「十手持ち」だったというところが嫌われているらしい。つまり、「二足の草鞋」ってやつね。

 それについては、子母沢寛の『座頭市』では;

『人間はな、慾には際限のねえもんだ。親分も、金も出来、子分も出来、役人達もすっかり手に入ったとなると、その上の慾が出た。出たから人の道をはずした。おれはな、親分の兄弟分松岸の半次が、八州さんの桑山盛助の旦那のお妾のお古を下げ渡されて大よろこびをしているときいた時から、これはもういけねえと思ったよ。な、やくざあな、御法度の裏街道を行く渡世だ。言わば天下の悪党だ。こ奴がお役人方と結托するようになっては、もう渡世の筋目は通らねえものだ。おれ達あ、いつもいつも御法というものに追われつづけ、堅気さんのお情けでお袖のうらに隠して貰ってやっと生きて行く、それが本当だ。それをお役人と結托して、お天道様へ、大きな顔を向けて歩くような根性になってはいけねえもんだよ。え、悪い事をして生きて行く野郎に、大手をふって天下を通行されて堪るか』

 と座頭市に言わせて、そんな座頭市は天保15年の飯岡・笹川の出入りから3年後、繁蔵暗殺の報を聞いた助五郎の喜びようをみて、飯岡に盃を返すのであった。

 ただし、これは子母沢寛氏の小説版『座頭市』全9ヘページ(しかない)のお話し。映画版では天保15年の出入りに参加した座頭市は、繁蔵の用心棒・平手造酒と切り結んで、座頭市の居合いが勝つ(そりゃあ、座頭市=勝新太郎が主役だからね)ということになるのだけれども、それはないようだ。

 子母沢氏の『座頭市』では、座頭市は本来は凄い居合い切りの名人なのだが、『目の見えねえ片輪までつてれ来たと言われては、後々、飯岡一家の名折れになる』ということで、天保15年の出入りには参加していない。

 実際に、飯岡一家には座頭市のモデルになったような食客がいたようで、要は「盲目の渡世人」で、酒食を禁じた飯岡一家の賭場でちょっとした揉め事が起きるとこの人が上手くまとめた、というようなことはあったようだ。ただし、かれが居合い切りができたという証言はないそうだ。

 この辺は、いずれ会津若松の『座頭市の墓』を訪ねたときにあきらかにしようと思う。乞、御期待。

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 飯岡助五郎の墓がある光台寺の山門。

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 で、これが飯岡助五郎の墓なのだが、なんか新しく作った囲いがチグハグだ。


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 が、墓石に近づいてみれば、ちゃんと本名の「石渡助五郎」の名が読める。ついでに言ったしまうと、戒名は「発信院釈断居士」、屋号は「三浦屋」である。屋号は三浦出身だからだろう。戒名の意味は、よく分からん。
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 光台寺のすぐそばにある定願寺にあるのが、笹川繁蔵の首塚。ヤクザの出入りで大将首もないもんだ、とも思うが、やっぱり敵方の大将の首なのだ。そこは「しっかり殺りました」という証拠に首を持ってきたのだろう。

 ついでに言ってしまうと、胴体の方は銚子に捨ててきたそうだ。それは昭和7年に見つかって、次は首だということになったのだが、これは殺害当時、公表を禁じられたためにどこにあるのかも分からなくなってしまったようだが、笹川からの要請で調べたところ、定願寺だということが分かって、そこから発掘して笹川に返されたそうだ。で、飯岡で首が埋められていた場所がこの場所。首塚の裏側に書かれている文書を読むとそう書かれていた。年号は昭和8年。亡くなってから随分後だ。

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 飯岡漁港をメインにした飯岡町全体の姿。昨年の3.11地震では、合計4波の津波に襲われ、漁港はかなり被害にあったようだ。

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 これが、JR総武本線の飯岡駅なのであるが、飯岡町とは全然違う海上町というところにある。東京でも、目黒駅が品川区にあったり、品川駅が港区にあったり、とかはあるんだけれども、そんなモンとは全然違って、だって飯岡駅から飯岡町まで行くバスもないのだ。あるのはタクシーだけ。

 前回、飯岡に行ったときは何も調べずに行ってしまって、飯岡駅で降りたはいいが、どうやって飯岡町まで行けばいいのかまったく分からず、やむなくそのまま笹川までいく電車を待っていた、というテイタラクを演じてしまった。というオソマツ。

 ということで、今回はちゃんと調べてから行きました。ハイ。

 子母沢寛の『座頭市』だが、中公文庫でもなかなか再版はしていないようで、私もアマゾンのマーケット・プレイスでしか買えなかった。たった9ページの原作が、あれだけ膨大な映画・テレビ作品の原作だったなんてねえ。まさしく、「映画の原作は短中篇に限る」という好例であります。

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2012年4月15日 (日)

『朝日新聞記者のネット情報活用術』っていうけれども、新聞記者がネットなんか使うなよ!

 昨日のPVは1500を越えました。いやあ、皆さん閲覧ありがとうございます。なんで急にこんなにアクセスが増えたのかはよく分からないけれども、とりあえず沢山の人に読まれたというのは、書き手としてはうれしい。

 ということで、今日の書き込みだ。

  しかし、最近は新聞記者もネットで情報収集かよ。

 というか、そもそも本書自体が、朝日新聞が発行している雑誌『月刊ジャーナリズム』に掲載した『新人記者のためのネット取材講座』がもとになっているという。ええ、それじゃダメでしょう。新聞記者がネットに頼っちゃ、とも考えるんですがね。

『朝日新聞記者のネット情報活用術』(平和博著/朝日新書/2012年3月30日刊)

 そういうことをやっているから、『ガーディアン』のようにウィキペディアの書き込みを真に受けて、まんま引き写した結果、モーリス・ジャールが言ってもいないことを、あたかも言っていたように記事を書いてしまうというような間違いを犯したり、やはり『ガーディアン』(まただ)や『ワシントンポスト』『AFP通信』が『レズビアンのブロガー、拘束。シリア』なる記事をでっち上げることになってしまっている。だいたい、ネットの世界はウソばかりとは言わないが、かなりの確度でウソが盛り込まれていることは常識であり、ネットの情報ほど、一次情報源に当たってウラをとる必要があるのは、当然のことなのである。

 しかしまあ、『ガーディアン』ってそんなに劣化したメディアだったのね。

 大体、ウィキペディアというものは書き込みをおこなう人たちの善意を元に出来上がったメディアであるのだ。こうした善意のメディアには、当然それを装って「悪さ」を仕掛ける人間がいるということだ。つまり、CIAやローマ法王庁やら、日本語版に関しては複数の省庁から、自らの立場は隠して、役所に都合のいいように書き込み修正が行われているのである。

 そういう意味では、まず一次情報に当たるというのが、新聞記者の方法論だろう。それでなくとも一次情報に一番近いところにいるのが新聞・テレビの報道記者たちである。記者クラブなんて一情報独占組織なんかまで作ってね。そんな立場にいながら、ウィキペディアやらサイトやらTwitter、Facebookのようなネットメディアに頼っているようじゃ、出来上がった記事に対する信頼感なんてのもなくなってしまう。やはり、ここは『その3』で平氏が通り、信憑性を辿っていくという作業が必要になるわけで、その過程で『ウィキペディアを疑う』『“匿名”を可視化する』『発信元を確かめる』その為には「直接会う」それがダメなら「代替の手段を探す」でもダメなら「関係者に聞く」でもダメなら「ネットの足跡を辿る」という作業が必要になってくるし、大体がその「ホームページは本物か」という疑いの目を基本にもつと言う事が大事なことになる。

 面白いのは「クリエイティブ・コモンズ・ライセンス」という考え方だろう。

『これは、著作権者が一定の条件を提示し、そのライセンスのもとでなら共有や2次利用を自由にできる、とあらかじめ許諾しておく仕組みです。
 著作権者が提示する条件は、「表示(クレジットの表示義務)」「非営利(営利目的での利用をしないこと)」「改変禁止(もとの作品に手を加えない)」「継承(もとの作品と同じライセンスで公開すること)」の4つから選んで、組み合わせることになります。』

 ということ。

 つまり、ネット上ではもともと旧来の著作権を主張してもあまり意味のあることではないので、であるならいっそその著作権についての考え方を緩やかにしてしまおうという考え方だ。どうせなら著作権なんかは放棄してしまったほうがよい、というのが私なんかの考え方だが、そこまでは思い切れない人たちには、この考え方の方がまだ緩やかで良いというところなのだろう。

 まあ、漸進的な考え方ということですね。

 私は過激すぎるのだろうか。それも出版社にいながら……。

 

 

2012年4月14日 (土)

『サムライと愚か者』ったって、結局会社は残るじゃん。なら、いいのかな?

 結局、戦前からあり第二次世界大戦にも協力した老舗企業と、最近のITバブルでのし上がったポッと出の企業との違いなんだよな。まさに「エスタブリッシュメント=既成勢力」の強さなのだ。

『サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件』(山口義正著/講談社/2012年3月28日刊)

『堀江貴文が率いた旧ライブドアの粉飾決算が一期で50億円の経常利益水増しで上場廃止となり、堀江が獄中生活を送っているのに対し、オリンパスは約20年もの間、1000億円を超える自己資本の水増しを行っていたこととバランスが取れないのは明らかだった。長年にわたって財務内容を偽っていたのだから、その間の株価形成を歪め、国内外の多くの投資家の判断を誤らせて大損させたのは言うまでもないが、東証は「投資家の判断が著しく歪められていたとは認められなかった」と無理のある結論を導いた。
   <中略>
 オリンパス事件が暴きたててしまった問題は多い。コーポレート・ガバナンス(企業統治)や情報開示の問題だけでなく、日本の経済社会が水面下でいかがわしい金融のプロの存在を許してしまっている点、会計問題や監査法人の能力とそのあり方、営業ツールに堕したアナリストレポートの問題、マスメディアのチェック機能喪失、企業の内部通報制度の不備、株式持ち合いの悪弊……など、数え上げれば切りがない。
 ジェイ・ブリッジの問題もその一つだ。オリンパスが損失の穴埋めに捻出した資金は、ジェイ・ブリッジの子会社が立ち上げた海外ファンドを通じて飛ばし先に流れた。不法行為のお先棒を担いだのが東証二部上場のジェイ・ブリッジであることが判明しているのに、東証はこれについて何の言及もしていない。これでは東証の当事者能力ややる気が疑われても仕方あるまい。』

 ということになれば、当然これはホリエモンとしても何か言いたくなるわけで、『オリンパスの粉飾はすごい規模だ。特捜部は立件したがっているがSESCは及び腰のようである。ま、どー考えてもライブドアとの件と比較すればオリンパスはケタ違いに額もデカいし、粉飾決算の期間も長い。これで上場廃止にならず、刑事処分も無しでは法の下の平等なんてないも同然。
 刑事処分となれば上場廃止、損害賠償で債務超過、バラバラにして身売りということになるだろう。市場のインパクトを考えれば上場維持が正解だろうが、ライブドアの場合はキャッシュリッチ、本業が好調でも刑事処分、上場廃止となった。まぁ、オリンパスに有利な屁理屈をこねて、上場維持を狙いたい人はそれなりにいるのだろう。』と『刑務所なう』に書く。

 結局、オリンパス事件は、オリンパス(旧・高千穂光学)という歴史ある企業が、それまでの「損失計上先送り」の前例をどうにかしようとして、野村證券OBのいかがわしい企業と組んで、おかしげなM&Aを重ね実質それで大損をしたにも関わらず、それをいかにもなかったように粉飾したということにすぎない。結局、シロウトのモノ作りしか知らない企業が、じゃあそれだけで生きていけばいいものを、無理して「ファイナンス」で稼ごうとして、結局は金融屋に踊らせられて、いつものとおり損をするという、よくある光景に過ぎないのである。

 そう、モノ作りの会社は黙々とモノ作りに励めばいいのである。オリンパスはカメラ事業では赤字かも知れないが、いいもの、ユニークなものを作っている企業だし、内視鏡部門では世界のマーケット・シェア7割を持っている一大企業なのだ。そんな会社が何で財テクに走らなければならないのか、というところが現在の「金融資本主義」の時代の情け容赦のないところなのだ。しかし、金融資本主義とは言ってみればギャンブル資本主義のことである。当たるも八卦、負けるも八卦、とは言うけれども、基本的にはプロには絶対勝てないのがギャンブルである。ということで、シロウト企業はどんどん深みに嵌まって金を巻き上げられるのだ。

 まあ、オリンパスの場合は戦前からの戦争協力企業であったというところで東証上場廃止にはならなかったのだから、それを奇貨として本来の業務に戻ることだろう。まあ、当然企業価値は落ちているので、いずれどこかの企業の傘下に入ることになるんだろけれども。

 まあ、オリンパスという会社は残る(しかし、企業名が変わる可能性はあるよね)のだから、良しとしますか。

 って、やはりカメラ・メーカーには優しい目になってしまうのか?

2012年4月13日 (金)

『お江戸超低山さんぽ』は超ユル山岳本だ!

 中村みつを氏は基本的には「ちゃんとした登山家でありイラストレーター」なのだ。これまでに出版してきた本も、『のんびり山に陽はのぼる』(山と渓谷社/1998年5月1日刊)、『山旅の絵本』(JTBパブリッシング/2002年10月1日刊)、『森のくらし 森のおじさんとゆかいな仲間たち』(二見書房/2008年4月18日刊)など、普通の山の本を出しているのだが……。

 その中村氏の「お江戸超低山」なのだから面白い。究極の「ユルい本」なのだ。

 たまにはこういう「ユル本」を読んでみるってのもいいもんだ。本当に気落ちがゆるくなる。いいなあ。

『お江戸超低山さんぽ』(中村みつを著/書肆侃侃房/2007年12月23日刊)

 で、登った「お江戸超低山」は以下の通り。

愛宕山(標高26m)
摺鉢山(標高24.5m)
富士見坂(道灌山標高22m)
待乳山(標高9.5m)
飛鳥山(標高24.5m)
藤代峠(標高35m)+駒込富士(高さ約7m)
箱根山(標高44.6m)
千駄ヶ谷富士(高さ約7m)
品川富士(高さ約6m)
池田山(標高29m)
西郷山(標高36m)

 本当にユルいでしょ。もう、どうでもいい山の数々。それも、ほとんど「人工山」なのだ。富士見坂とか、池田山とか、西郷山なんてのは自然の山なんだけれども、それはそれで「上から行っちゃえば山に登る必要のない山」でもあるんだよな。

 で、この中で私が登ったことがないのが、待乳山、千駄ヶ谷富士、品川富士、池田山くらいなもので、それ以外は全部登っているし、品川富士もその麓である旧東海道品川宿なんかは何度も行っている。品川神社にだけ行っていないということでしかない。待乳山なんて私の実家の菩提寺のすぐそばにあり、いつも墓参りの際にはその前を通っているのだが、一度も行ったことはない。なんか、東京人の東京タワー知らず(これも、これからは東京スカイツリー知らずになるのかな)みたいなもので、意外と身近にあるとその存在は忘れてはいないんだけれども、無視されてしまう、という典型のようなものだろう。

 よし、今度の墓参りの際には、待乳山を登っていこう。品川宿を訪ねる時には品川神社に行こう。ということで、それはそれなりに行く目的というものが出来るじゃないですか。

 東京の富士塚の中ではもっとも富士山の形に近いという千駄ヶ谷富士は、その存在すら知らなかった。これは近いうちに行かなくちゃな。すぐ近所のビクター青山スタジオなんかはしょっちゅう仕事で行ってた場所なんだけれども、ビクターの人たちも知らない場所だったんだろうな。仙寿院というお寺の事はよく聞いていた。その仙寿院の下を掘ってトンネルにして道を作ったんだけれども、そのトンネル脇にあるビクター青山スタジオには、ときどき「霊」の声が録音されるという都市伝説があったりするのである。

 この手の都市伝説は、ビクターだけじゃなくて、飯倉の東京タワーのすぐ下にあったスタジオもスタジオ脇のドアを開けると墓場がすぐ目の前にあって、そこでも「変な声が録音される」というバカな話があった。まあ、こうした都市伝説というものが、実は一番テクノロジーが進んでいると自称する業界で言われているのが面白い。

 要は、一番都市伝説なんかは信じないような連中が実は一番それを信じているという、不思議。

 とりあえず駒込富士は6月下旬、品川富士は7月1日には山開きがあるそうなので、その辺から行ってみるかな。

 しかし、この書肆侃侃房って博多の出版社なんだけれども、なんでそこが「お江戸」なんだろう。こうした地方出版社が意外とユニークな出版活動を行っているという例は多く、大阪のプレイガイドジャーナル社なんかがいしいひさいち氏を発掘したことなんかは有名だが、基本的にはその地域に関連した本が多い。それが全国的に、あるいは東京限定みたいな本を出すってことは?

 う~む、謎だ。

2012年4月12日 (木)

大友克洋GENGA展を(やっと)見に行く

 秋葉原のART CHIYODA 3331に『大友克洋GENGA展』を見に行った。

 本当は初日の4月9日に行きたかったんだけれども、4月9日10日は仕事で行けなくて、11日になってやっと行けたという感じか。

 会場のART CHIYODA 3331は、もともと千代田区立錬成中学校があったところで、その廃校になった跡地利用ということで、こうしたアート・ギャラリーになったのだ。こうした、廃校後のアート・ギャラリーというのは東京ではかなりいろいろな場所で見られ、一種のブームにもなっている。まあ、教室でうまく分けられている空間というのは、こうしたアート・ギャラリーには適しているのかも知れない。

 で、「3331」は何かというと、ご当地、神田明神のお神輿の締め「チョン・チョン・チョン、チョン・チョン・チョン、チョン・チョン・チョン、チョッ」という3本締めにちなんだ言い方だそうだ。まあ、いかにも「場所柄」ですな。

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 で、肝心の「GENGA展」なのであるが、ここは当然撮影禁止なので、写真で紹介はできないけれども、まず入り口を入ると、そこはカラー原画の部屋ということで、これまで大友氏が描いてきた、漫画のカラー原稿から、イラスト的な一枚絵、『MEMORIES』から『大砲の街』の全編ワンカットで作るための長い長い背景画なんかが展示されていて、『MEMORIES』には、ちょっと、いろいろと、忸怩たる、思い出(それこそMemories)がある私としては、いろいろ思うところがあった。まあ、勿論といってはいけないが、やはり『AKIRA』関係のカラー原画が、漫画の原画から、ポスター、ジャケットなどなどいろいろあって(すみません大友さん、いろいろ無理を言って描かしちゃって)一番多かったんだけれどもね。

 私にとって一番面白かったのは、谷岡ヤズジ氏や、鉄腕アトム、ウナギイヌ、鉄人28号は当然としても、ロボット三等兵なんかのパロディ作品の原画であった。実はこれは知らなかった。

 で、次の部屋からがコミック『アキラ』の部屋で、『VOL.1 鉄雄』から始まる、コミック版(って、当然それがあってのアニメ版なんだけれどもね)『アキラ』の全原画がこれでもか、これでもかという位展示されている。

 ゴメンなさい。私は出版社特権でかなりのその原画を見ているので、今はただその数の多さに圧倒されるだけで、絵の内容にはあまり触れられません。

 で、最後の部屋が撮影OKの部屋になります。

 とりあえず、ここは落書き部屋かな。でも、描いてある落書きのレベルの高さに、やはり一般人は落書きしちゃあいけないんじゃないかな、という気分にさせるのだ。
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 アニメ『AKIRA』の作監のひとり、森本晃司の落書き。右の方です。なんて、クダラナイ絵を描いているんだ。

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 これは大友氏のご子息、昇平氏の落書き。

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 みんな上手いなあ。まあ、絵描きなんだから当たり前といってしまえばその通りなんだけれども。

 その他、『童夢』の凹んだ壁とか、博多の人が作った大友克洋&講談社公認「金田のバイク」なんかも展示されています。

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 いかにも学校の校舎という感じのART CHIYODA 3331でした。
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Fujifilm X10 @Soto-Kanda (c)tsunoken

2012年4月11日 (水)

『ツール・ド・ランス』ってダジャレですか

 まあ「強いものは疎まれる」というひそみに倣えば、まさしくその通りである。しかし、強すぎた。1999年から2005年まで、ツール・ド・フランス7連勝というバックグラウンドがあれば、当然そこにはドーピング疑惑があって当然であり、常にそうした疑惑の中心にいざるを得ないのだ。

『ツール・ド・ランス』(ビル・ストリックランド著/安達眞弓訳/白戸太朗監修/アメリカン・ブック&シネマ/2010年9月25日刊)

 そんなランス・アームストロングがよせばいのに2009年に復帰して、それもツール・ド・フランスに参加するというのだ。ランスの後にアスタナに参加して、ランスの次のアスタナのエースと目されていて、事実2007年のツールで総合優勝したアルベルト・コンタドールにしてみれば、当然ランスの復帰は面白くないはずだ。アスタナのチーム・ディレクターであるヨハン・ブリュイネールはどちらをチームのエースに決めるんだろうか。4年ものブランクがある選手である。当然、今チャンピオンである自分がエースであるのは間違いない。しかし、ヨハン・ブリュイネールとランス・アームストロングの関係である。つまり、ヨハンとランスのこれまでの業績は、この二人じゃなくては出来なかった業績である。ランスがレースに復帰するということになれば、当然昔のヨハンとランスの関係論になってしまうだろうというのは、素人目にも分かることである。当然、ランスはヨハンを頼って復帰したわけであるのだから。

 というところで、2009年のツール・ド・フランスが俄然面白くなってくるのだ。同じチームの中でのエース争いといえば、ベルナール・イノーとグレッグ・レモンの1985年と86年の確執が有名であるけれども、しかし、それはまだ現役継続中であったイノーとの関係論なのである。一度引退したランスを迎え入れるコンタドールの気もちは如何ばかりであろうかと考えてみればすぐ分かる。

 これまで自分をランスの後のチームのエースだと捉えていた監督が、ランスが帰ってきたことでなんか揺らいでいる。でも、じゃあランスをエースにするのならば自分を斬首にすればいいじゃないか。ところがそれもしないで、なおかつランスをエースとして迎えるヨハンってなんなのだ。という気分にコンタドールが陥っても当たり前であろう。

 本当は、そんなコンタドールの側にたった証言が欲しかった。結局、本書のようにランス側にたった諸証言では、結局コンタドールはチームの指示に従わない自分勝手な(でも強い)エースだというものにすぎない。

 しかし、コンタドール側にたった証言があれば、実はそうじゃなくて、いかにヨハン・ブリュイネールとランス・アームストロングが言うことが無茶なことばかり言っているのか、ということになるだろう。だって、コンタドールが勝っていいステージで、勝たなくてもいいなんて指示をだすのだ。

 ランスに関するドーピング疑惑だって、最後はこうしたアメリカ人が書いた本によって、何となく「ランス・アームストロングはドーピングしてないんじゃないの」という日本人の結論になってしまうのだ。しかし、ヨーロッパ人中ではランスのドーピングは当たり前という考え方もあるように、これだけの業績を上げた選手がドーピング位したっていいじゃないか、という考え方もあるのだ。

 とにかく、「ガンからの生還を遂げ、なおかつツール・ド・フランスで7連勝した」ということで、半ば神格化されているランス・アームストロングなんだけれども、その神格化は間違っているね。単なる「ビッグ・ランス=尊大なランス」であるだけだ。

 ランス・アームストロングは神様なのか? それは違うね。

 だったら、アルベルト・コンタドールは阿弥陀様なのか、という問いぐらいにおかしな問いだ。

 ランスは、結局復帰したけれども、アメリカのローカル・レースで勝っただけである。グラン・ツールはももどかは、ワンデーレースでも勝てない。ツァー・ダウン・アンダーでも勝てなかったじゃないか。そういう意味では「過去のレーサー」なのだ。

 まあ、それでいいじゃないか。

 所詮、一回引退したレーサーが、ちょっと気になって、一回復帰してみようかなと思っただけ。

 本当は、そのために本を書くほどじゃなかったのだ。

 が、本を書かせてしまうだけの魅力がまだあるんだ、ランスには、ということなのだろう。

 できれば、英語の翻訳者だけじゃなくて、イタリア語とかフランス語とかドイツ語の翻訳者たちにも、こうしたツールだけじゃなくて自転車本の翻訳をお願いしたい。多分、イバン・バッソやヤン・ウルリヒやパンターニなんかの伝記もあるんだろうから、そんな本を読んでみたい。

 そうすれば、こうしたランス=アメリカ側からだけじゃない、自転車世界が見えてくるかも知れないのだ。

2012年4月10日 (火)

『就職に強い大学・学部』って、もう飽きたね。だって就職差別なんて当たり前じゃない

 うーん、最近しょっと食傷気味なのがこうした「アホ大学・バカ学部」系の本なのである。結局それは就活に夢を持たせてしまう「就活産業」と「大学の就職方針」なのであり、やはりそれに対してはきちんと修正しておかなければいけないという、こうした新書群なのである。ところが、その状況がまったく変わっていないから、いつまでたっても「就活産業と大学」を批判・否定する新書が出版されるわけなのであるが、もうちょっとそれにも飽きたね。

 だって、結局、いくら新書で批判・否定しても、状況はまったく変わらないのだから。

 つまり、「就職差別なんて当たり前」っていうこと。

『偏差値・知名度ではわからない 就職に強い大学・学部』(海老原嗣生著/朝日新書/2012年3月30日刊)

 要は単純な話なのである。「いい就職」を「大会社」「有名会社」に入るということだと考えるなら、大学受験を頑張って「旧帝大」か「早稲田・慶應・上智」、せめて「MARCH」「関関同立」に入りなさい、ということなのだ。それでおしまい。チャンチャン。

 だって、企業だって選考コストとか労力を考えれば、そうやって大学で差別することは当然なのだ。企業はこの「コスト」にことさらうるさいのである。当然、新人採用セクションにもそのコスト意識は徹底している。というか、だいたい、総務・人事セクションに属する新人採用セクション、営業や開発といったような「お金を稼ぐセクション」ではないのだから、ことさら「無駄な費用は抑えよう」ということになり、大量に送られてくるエントリーシートなんていちいち読んでいる時間もないし、それを読む人を雇うゆとりもない。としたら、取り敢えず大学の名前でまず落とすやつを決めてしまうほうがラクチンなわけだ。

 一人ぐらい、新人採用セクションに挑戦的な人間がいて、「いやいや低偏差値大学にも面白いヤツはいるかもしれません」なんていって頑張ってみることはあるかもしれない。しかし、そんなことをして採用した新人が、もしかして「使えるようなヤツ」になった場合は、それはそいつが配属された部署のトップのお手柄になって、「お前、面白いヤツを育てたな」てなことで上司が褒められるだけで、新人採用担当者のお手柄にはならない。逆に、その新人が「箸棒」だったとるすと、それは配属部署の問題じゃなくて、採用担当者が「何でお前はこんな使えないヤツを採ったんだ」と責められるわけである。

 だとしたら、新人採用セクションが「名前のある大学」からしか採用しない理由は明白じゃないか。

 ということは;

『ブランド大学に入るにもツボを押さえた上で、努力が必要であり、それは人気企業に入るにも同様に必要となる。ここを押さえずして、安易に大学を選び、安易に企業に応募した学生が、「学歴差別だ」という資格はない。』

 ということであり;

『「偏差値で入れるところ」や「知名度がいい大学の入りやすい学部」という観点で選んだとしたら、就職活動のときに試練を迎え、そういう安易な選択をした自分と、再び向き合うということになる。』

 ということなのだ。

 人は、人生の中で何度か試練の時を迎える。人によって、それは中学受験のときかも知れないし、高校受験の時かもしれないし、大学受験の時かもしれないし、就活の時かもしれない。しかし、そこで就活でうまくいっても、その後の人生生活の中では、もっともっと多くの、大きな試練が待ち構えているのだ。

 つまり、就活がその時点では学生にとっては大きな試練だと思えるかもしれないが、それ以上の試練がもっと先の人生には待ち構えている。多分、それはどんな企業、大企業であっても中小企業であっても、同じように試練は待ち構えているはずだ。

 問題は、そんな試練に持ちこたえる肉体的・精神的な体力を、学生のときから持っているのかどうかだろう。問題はそこなのだ。で、そのためには、安全パイとして有名大学の『「①地頭がいい」「②要領がいい」「③継続性がある」「④体力がある」「⑤ストレスに強い」「⑥人に嫌われない、人を嫌わない」』という学生を求めるわけなのだ。

 最後に、就活に関するウソを著者は上げているので、それを紹介;

①新卒偏重の日本では正社員には大学卒業時点の1回しかなるチャンスがない
②既卒3年も新卒扱いにすれば、若者は救われる
③内定解禁を半年後ろ倒しにして4年秋にすべき
④採用広報を12月1日に後ろ倒しにすることで学業阻害が和らぐ
⑤採用を通年化させるべき
⑥日本式の新卒一括採用が、若者を苦しめる諸悪の根源

 まあ、これを見てしまうと、「本当に企業って悪ですね」ってことになってしまうんだけれども、実はそうじゃなくて、就職活動の実態を見せないようにしている大学と、その大学の思惑にのって、就職活動の実態をみないようにしている学生が問題なのだ。

 皆、実態を見ようよ。いくらでもその方法論はある。少なくとも、世の中の実態から外れて生きている大学職員の目を通した就活の実態からは離れよう。

 要は、大学なんてものは、就職予備校ではないのだ。っていうよりは、就職予備校にすらなれないのだ。

 という、単純な話。

2012年4月 9日 (月)

大友克洋GENGA展

 今日から秋葉原で『大友克洋GENGA展』が開催される。

 その関係から『芸術新潮』と『BRUTUS』で大友克洋特集をやっている。昨日の朝はNHKのニュースでもやっていたしね。

『芸術新潮』は、『大友克洋の衝撃』というタイトルで、学習院大学教授にしてフランス文学者で、映画・ジャズ・漫画評論をモノする中条省平氏によるロングインタビュー『大友克洋を作ったものと大友克洋が作ったもの』を中心とし、村上知彦の大友克洋論『マンガ史を呑み込む「空白」』、日本映画研究家のアメリカ人、パトリック・マシアス『海を越える「AKIRA」ショック』を周辺に、描きおろしSF短編『DJ TECKのMORNING ATTACK』を加えた83ページの特集で、最後は美術評論家、椹木野衣による『近代美術史を包括する絵画性』という論考でおさえるという、いかにも『芸術新潮』ふうの特集。

一方『BRUTUS』は、『大友克洋、再起動。』というタイトルで、『再起動1―新連載マンガ』『再起動2―新作アニメ』『再起動3―原画展』という記事を中心にして、『大友克洋の鑑賞講座』として、建築評論家、五十嵐太郎による『第1講 都市と建築論』、マンガ評論家、伊藤剛による『第2講 マンガ的表現論』、美術史家、山下裕二による『第3講 美術と表現論』を配し、井上雄彦氏と大友克洋氏の対談、匿名インタビュー『いま再起動する理由』に特別付録『「大友克洋、再入門。」BOOK』+『AKIRA』シールを付けた、基本的には「大友克洋を知らない『BRUTUS』読者」へ向けた内容になっている。総ページ数は78ページ。

 もうちょっと、『芸術新潮』という<芸術誌>と、『BRUTUS』という<文化情報誌>で扱い方が違うと思ったのだが、意外なくらいコンセプトが似通っているのが面白い。

 確かに、1973年『漫画アクション増刊』に処女作『銃声』が掲載されてから、既に39年、『AKIRA』が『ヤングマガジン』で連載開始されたのが1982年だから、それから30年だし、同じ『AKIRA』のアンメーション映画が公開されたのが1988年なのだから、そこからでも既に24年経っているわけで、大友克洋氏も既に歴史的存在になっているわけだ。しかし、いまだにコミックス『AKIRA』も重版を重ね、アニメ『AKIRA』も映画、VHS、LD、VHD(!)、DVD、Blu-ray Discと、その後のすべてのメディアに転換されて、いまだに生き続けているというのもたいしたもんだ。

 わたし自身は『ショートピース』で読者としてつき合い始め、その後アニメ『AKIRA』からは監督と制作担当者としてのつき合いとなって、現在は単なる大友映画のいちファンとしてのつき合いとなったのであるが、そう思えば随分長いつき合いともなったわけである。

 中でも思い出深いのは『BRUTUS』の中綴じ付録『大友克洋、再入門。』の中の『ヤングマガジン』編集者(当時)の由利耕一氏への取材記事の中にあった『由利さんが残している当時の手帳(p.74・75)は、その様子を生々しく物語っている。土曜日の午前5時に下描きが完成。日曜日の午後7時に人物のペン入れがアップ。そして、月曜日の朝8時に20枚の原稿が上がっている。そしてこのスケジュールを見ると、由利さん自身の1週間のほとんどの予定が『AKIRA』のために割かれてることもわかる。
「ずっと大友さんのところにいて、男ばかりで、梶井基次郎の『檸檬』じゃないですけど、みんなで爆弾作っているみたいなものですよ(笑)。』という一文。

 当時、隔週刊だった『ヤングマガジン』なので、二週間に一回は週末を完全に大友氏と過ごしていた由利氏である。一度、彼と話をしていて、「こうやって、二週間に一回ずつ週末を過ごして歳とっていくんだなあ」と感慨深げに話していた由利氏を思い出した。『ヤンマガ』はその後、週刊誌になるのだが、隔週刊ペースは落とさなかった大友氏であった。

 そんな『大友克洋GENGA展』は4月9日から5月30日まで、秋葉原にある「3331 Arts Chiyoda」にて開催中。

 大友克洋作品を知らない人は是非とも、知っている方も、その圧倒的な原画の力を見てください。『AKIRA』の全原画約2,300点をはじめ、その他の作品や最新カラー作品まで公開されます。

 入場は日時指定の完全予約制なのでご注意を。

大友克洋GENGA展のサイトはコチラ→http://www.otomo-gengaten.jp/

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このバイクも展示している。

 なお『芸術新潮』にはロベール・ドアノーの回顧展についての記事も載っています。

2012年4月 8日 (日)

六義園の枝垂れ桜(2)

 4月1日のブログで大風と雨の中のしょぼい六義園の枝垂れ桜を見せてしまったので、今回は満開の枝垂れ桜を見ていただく。

 桜は満開、天気はいい、ということで個人・団体含めたくさんの人が詰めかけ、六義園の園内は人だかりがしていた。入園するにも並ばなければならない状況で、多分今日はもっと込むのじゃないだろうか。

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 ところで、枝垂れ桜は八重桜なので、ソミヨシノとは違って花が散らない。先週開花宣言が出て、ソメイヨシノは既に散り始めているので、多分、今週いっぱいで花見もおしまいだろう。ただし、枝垂れ桜はまだまだそれから1週間は持つので、ゆっくりお出かけになっても間に合います。ただし、ライトアップは今日までなので、夜になって美しい桜を見たいという人は、今日中にいかないと見られない。

 六義園には藤代峠という峠があって、というよりそれは高さ35mの人工山に過ぎないんだけれども、本来峠というものは、「鞍部」という呼ばれ方もあって、連山のなかで比較的低い場所で山の向こう側とこちら側をつなぐ場所である。ところがこの藤代峠は山の一番高いところにあるのだ。峠としては不思議な呼ばれ方である。本来は「頂上」。

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 藤代峠の賑わいです。っていうか、下からこれだけ見えてしまう峠ってのもスゴイね。

 まあ、確かに人間が作った山である。せいぜい一番高いところを峠と呼ぶしかなかったんだろう。それ以上に高いところを作っても、そこに人が登れなかったら、庭園としての意味はない。でも、作った当時はそれでもかなりの見晴らしであったようで、富士山が見える富士見峠という呼ばれ方もされていたらしい。

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 門の前で呼び込みを行っているのは、六義園の人じゃなくて、すぐ傍にある東洋文庫の人。ここも新しくなって一般の人が入れるようになり、いろいろ企画展示なんかを始めている……。でも桜を見に来た人が東洋文庫には行かないだろうな。こっちは六儀園と違って入館無料なんだけれどもな。

 六義園に行った後は、そのまま歩いて、古河庭園に行くのが定番の駒込観光コースだ。ただし、バラはまだ咲いていない。桜を見たいなら、やはり歩きで染井霊園に行くというテもある。まさしく「ソメイヨシノ」の本場である。

 以上、駒込報告でした。

Fujifilm X10 @Komagome (c)tsunken

 

2012年4月 7日 (土)

『鈴木宗男が考える日本』は、実は佐藤優の本?

 タテマエ上は鈴木宗男・佐藤優・魚住昭の共著なんだけれども、実態は鈴木宗男氏をネタにした佐藤優氏の独壇場である。

『鈴木宗男が考える日本』(鈴木宗男・魚住昭・佐藤優著/洋泉社新書y/2012年4月9日刊)

『第一部【鈴木宗男×佐藤優】鈴木宗男、自らの政治姿勢を語る』なんていっても、この漫才は「鈴木宗男のボケ」に対して「佐藤優のツッコミ」が完全に勝っていて、その喋りのイニシアチブは完全に佐藤優氏が一人で喋っているような印象である。行数比較でいって、多分「5対1」か「6対1」くらいで佐藤優氏なのだ。

『第二部【魚住昭×佐藤優】戦後保守政治と新自由主義、そして官僚制』では、さすがにジャーナリストの魚住氏だけあって、佐藤優氏にばかり喋らせてないで本人も結構喋っていて(紙面からみた予想)、まあ、そこはバランスが取れているんだけれども、結局は佐藤優氏の結論『当面、政管の結びつきによるファシズムをいかに阻止するかということが鈴木さんの課題となるでしょう。私は、ファシズムはファッシオ(イタリア語で束)で制することを鈴木さんに提案しています』にいたっておしまいなのだ。

 結局、「鈴木宗男事件」なるものは、対露(対ソ)外交において大きな力を持ってしまった鈴木代議士に対する、官僚の側からするルサンチマンというかそれ以上の危機感から発した、同じ官僚としての検察の「脅し」でしかない。

 結局、「ムネオハウス事件」「国後島ディーゼル発電施設事件」「やまりん事件」「島田建設事件」「イスラエル学会事件」「政治資金規正法違反事件」「モザンビーク共和国洪水災害国際緊急派遣介入事件」「NGO参加拒否問題」「警察庁ロシアスパイ尾行中止介入問題」「モンゴルODA問題」「タンザニアのスズキホール問題」「コンゴ臨時代理大使人事介入問題」「ケニアのソンドゥ・ミリウ水力発電所問題」などなど、社民党の辻本氏から「疑惑の総合商社」なんていわれながら、結局、起訴され有罪となったのは、やまりん事件と島田建設事件だけという、本筋からは遠く離れた事件だけだったのだ。

 それらの事件に絡んでいたのかどうか、多分、絡んでいたのだと思うけれども、当然そこは注意深くやっていたわけでそんなに簡単に尻尾をつかませられられないところでやっていたわけで、それがまた検察という三流官庁からは怨嗟の元となったのだろう。

 そう考えてみると、田中角栄、竹下登、金丸信、野中広務、小沢一郎、小渕恵三、鈴木宗男という、自民党の党人派というかそうした流れというものは、官僚派=岸信介、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫という流れからは疎まれる存在なのだろう。つまり、官僚が考える「俺たちこそ国家なのだ」という思想から。

 しかし、逆に元外務官僚という国家の中心にいた佐藤優氏は言う;

『国家と社会との関係について、簡単に整理しておきましょう。国家とは具合的には何か。徴税機能を持ち、軍事、警察という暴力装置を独占しているのが国家です。それを実体的に担っているのが官僚です。端的に言えば、国家とは官僚のことなのです。一方、社会というのは、徴税される側の国民であり、経済活動を行い、自律的な共同体を営む潜在力もあります。

 では、政治家はどこに位置しているかというと、社会のなかから選挙によって選ばれ、国家と社会の結節点に立ち、国家機能である内政、外交などに責任を負います。社会と政治家の関係、とくに保守政治家は、国家、つまり官僚が徴税したお金を、再び社会の側に引っ張り、たとえば公共事業という形で還元する役割を担ってきましたね。』

 と、概ねはそういうことだろう。

 今は、その社会から徴税してきたお金を、いかに社会の方へ還元しないかが官僚のテーマになってきていて、政治家もその方へと動いている。それは何故なのか。

 多分、それは「松下政経塾」にあるのではないか。旧来型の「党人派政治家」は基本的に「自分の選挙区の選挙民=地元の人々」に依拠していた。その結果としての「利益誘導型」の政治を行ってきたかもしれないが、同時にその「利益誘導」でもって官僚に対抗してきたのだ。しかし、「松下政経塾」にはそんな「地元」はない。したがって彼らは「官僚に対抗する何か」を持っていない政治家なのだ。で、そんな彼らは「イメージ」だけで政治を行って行こうとする。

 結果、その「イメージ」は官僚のしたたかさには勝てない。

 我々には野田政権が消費増税で何を狙っているのかが見えない。とにかく消費増税だけをすればすべてが解決するようなことを言っているが、それが経済にどのような影響を与えて、日本経済がどのようになるのかを言わない(言えない?)。

 経済人であれば消費増税がもたらす経済に関するマイナス・イメージを持てるのであるが、官僚にはそれはない。当然、官僚は「税収増」しか頭にはないわけで、経済をどうやって伸ばすなんてことは想定外なのだ。したがって、国家の収入を増やすためには「増税」しかないのである。しかし、事業税を上げれば今でも進行している、企業の生産拠点の他国移転がもっと進んでしまうのではないかという、恐れだけは持っているんだな。で、一番皆が同様に関わってくる「消費税」に手を着けようってわけだ。

 ただし、消費増税は絶対に日本経済を貶めることになるだろう。経済がもっと上げ基調になったときに増税はいいかもしれないが、今のよな下げ基調のときになんで「増税」なのだろう。

 もはや、国民の立場に立った政治ではないですね。官僚の、経済にはど素人の官僚の発想です。

 結局、鈴木宗男氏もそんな官僚にツブされたんだろうな。という意味では鈴木氏の復権は応援したい。いろいろ問題はあるかも知れないが……。

 

2012年4月 6日 (金)

『米国キャンパス「拝金」報告』は日本のロールモデルになるのか? なりそうだな

 ポイントはアメリカの大学の報告ではない。むしろサブタイトルの方であろう。『これは日本のモデルなのか?』ということ。

『米国キャンパス「拝金」報告 これは日本のモデルなのか?』(宮田由紀夫著/中公新書ラクレ/2012年3月10日刊)

 まず、目次からポイント拝見;

第1章 州立大学vs.私立大学―「民営化」する州立大学
第2章 ランキング狂想曲―名声をめぐる「軍拡競争」
第3章 入学生獲得競争―エリートの道もカネ次第?
第4章 アメリカ版高学歴ワーキングプア―大学教員市場の政治経済学
第5章 産学連携幻想曲―研究成果の商業化
第6章 腐敗する大学スポーツ―誰が誰を「搾取」しているのか
第7章 キャンパスの商業化―営利大学からの挑戦

 以上である。

 まず押さえてなければいけないのは、日米の大学に対する考え方の違いなのだ。

 つまり日本では明治時代にドイツ流の考え方で、国立大学をまず開学したということで、これらの国立大学(つまり旧帝国大学)を頂点とした大学ヒエラルキーがあって、その下にに一流私立大学が位置し、中堅国立大学(その殆どが元教員養成大学)と中堅私立大学があって、以下は有象無象の私立大学が割拠するという日本の大学のあり方がある。

 一方、アメリカではキリスト教(基本的にはプロテスタント)の牧師養成のためのエリート大学としての私立大学がまずあって、それに付随する形で新興私立大学が出来て、その後、雨後の筍のように州立大学がどんどん出来て、その中にはカリフォルニア大学のように一流私立を肩を並べる州立大学が出来てきた。

 という、そもそもの大学のあり方がまったく違うのだ。ところが、この辺からおかしくなってくるのは、そんな出自のまったく違う大学のあり方を、何故かアメリカ風に変えてしまおうという考え方があるということである。

 その結果、日本の国立大学は「経営面においては私立大学の方向に向かい」ながらも、「運営面では今まで以上に文部科学省の支配下に置かれる」という奇妙な「国立大学法人」という形での運営を余儀なくさせている。「私立大学の方向に向かう」ならば、余計な文部科学省の支配は逃れてしかるべきだろうし、「文部科学省の支配下に置かれる」ならば、もっと「国立大学」であるべきだ。

 ということをわきまえてみれば、アメリカにおける教育改革(改悪?)の方法論を日本に持ち込むこと自体に無理があるということが分かっていただけるだろう。

 ジョージ・バカ・ブッシュ・ジュニアが名門イェール大学に入れたのだって、別に裏口入学じゃなくてごく当たり前の「縁故入学」だったわけだし、『ジョージア大学ではアシスタント・コーチがCoaching Principles and Strategies of Basketball なる科目を開講し、バスケットボールの選手が受講した。試験問題は「スリーポイントシュートは何点得点できるか」といった問題で、全員が「A」だったそうである』って当たり前のスポーツ選手学生向けのことをやったっていいわけである。

 そんなアメリカの大学のあとを何故日本が追いかけなければいけないのか、と考えるのだが、結局それは、今の日本には自らイメージできるロールモデルがないからなのだろう。アメリカの場合は「大学はサービス産業である」という考え方があるから単純なのだ。サービス産業であるから、労働集約的で人件費が大きな財政負担になる。じゃあ、その人件費負担をいかに下げるかという問いに答えようというのが、営利大学なのであろう。

 しかし、この営利大学の経営方針、「実学中心」「できれば教養課程的な授業をしない」という方針は、日本の専門学校の方針と同じなのだ。アニメ学校とか、デザイナー学校とか、犬のトリートメント学校とか……。アニメ学校で何を学べるというのだろうか。スクリーントーンの貼り方やベタの塗り方なんて、漫画家のアシスタントをやってれば数日で出来てしまう技術にすぎない。でも、そんなことを教えていることで成り立ってしまっている学校って何なのだろう。

 結局、4年制の大学に入れなかった人が、でも少しはモラトリアム期間が欲しいということで、こうした専門学校にはいるのだ。たぶん、アメリカの営利大学の発想もそれに近いのだろう。卒業率の低さもそれを物語っている。日本でも、専門学校の卒業生は実業につかなくて、結局またべつの専門学校に行くそうだ。

 それは、結局モラトリアムの延長に過ぎないんだけれども、それを許してしまうくらいには親の財力が日本ではあるということ。それはとってもいいことなんだけれども、その分、子どもの親離れは出来なくなってしまうということなんだよな。

 ということはさておき、『米国キャンパス「拝金」報告 これは日本のモデルなのか?』ということで言えば、日本のモデルではないということだ。しかし、一部にはモデルになる部分もあるかもしれない。産学連携(昔は産学協同と言った)とかランキング狂想曲とかはね。

 しかし、日本ではまだまだ教育は「サービス産業」であるという意識は低い、というか今のところは「ない」。これがアメリカ属国意識が今以上に進んでしまうと、そんな感じになるのかな。

 教育を「産業感覚」で捉えてはいけないんだけれどもなあ。

 

 

2012年4月 5日 (木)

押井守『コミュニケーションは、要らない』に見る反語(アイロニー)

 こうした反語的表現は本のタイトルでよくやる手なのだが。

『コミュニケーションは、要らない』(押井守著/幻冬舎新書/2012年3月30日刊)

 押井氏に言わせればコミュニケーションには二つの側面がある、という。つまり、ひとつは「現状を維持するためのコミュニケーション」で、もうひとつは「異質なものとつきあうためのコミュニケーション」だということだ。

 前者は言ってみれば「身内のコミュニケーション」。「ご近所づきあい」「会社づきあい」「先輩とのつきあい」「友だちとのつきあい」「夫婦関係」「家族関係」「恋愛関係」を維持するためのコミュニケーションであり、それは「馴れ合いのコミュニケーション」とでも言うべきものであり、実は日本人がコミュニケーションという場合の殆どの意味はこちらに収束するという。

 しかし、大事なのは後者たるコミュニケーションではないのか。つまりそれは「議論」、会社や学校での「会議」や国同士の「外交」、企業間での「交渉」などなど、異質な世界や異質な文化といかにつき合い、新たな関係性を生み出すか、ということなのである。

 しかし、日本人は前者のコミュニケーションばかりに注力して、後者の本来のコミュニケーションをほとんど無視する、というか、日本人同士でそうしたコミュニケーションを図ろうとすると、「空気嫁」なんていって攻撃されたりする、気持ちの悪い民族性をもっている、という点に注目して『コミュニケーション(がその程度のものだったら)は、要らない』と言っているのだ。

 本来、コミュニケーションというものは、異質なものとの徹底したロジックによる闘いの筈である。その闘いの結果、新たな次元の了解点に達するというのが、弁証法的なコミュニケーションのあり方だろう。

『なぜこの人はこんなことを言っているのか?

 それを知りたいから、コミュニケーションをとろうとする。

 その根本にあるものが、個人的な好奇心であってもビジネス的な利害であってもいい。この人の言っていることが理解できないと仕事にならないという理由からでもいいし、女の子を口説き落とすためでもいい。この金持ちをたらしこみたいという邪な動機でもいいし、単純に面白そうだなという興味本位でもいい。

 ともかく、本来コミュニケーションとは、そういう異なる者同士の摩擦や抵抗なしにはありえない。ところが今の日本ではありえている。

 むしろ、いかに自分が無抵抗であるかが価値として通用しているのだ。』

 というところが問題なのだろう。つまり、「私はこの社会に異を唱えているのではありません」ということの表明のためにコミュニケーションがあるという、気持ち悪さ。日本中が「絆」とか「頑張ろう東北」「反原発」とか同じことを言って、それがコミュニケーションだと考えている薄気味の悪さ。それに異を唱えると、途端に「空気が読めないアホがいる」とされてしまう、そんなことがコミュニケーションであるならば、そんなコミュニケーションは要らないのだ。

 むしろ、「私は原発推進派である」という人がいたら、なぜそうなのか、なぜそういう考え方をするのかについて、徹底的に「ロジック」で討論することが本来のコミュニケーションなのではないだろか。そうして、そこからお互いに別の次元に至って結論を出す、あるいは出さない。

 日中、日韓、日露の国境問題なんかでも、そこに日本の主権を主張する人たちは沢山いる。政治家もいる。いわゆるネット右翼もいる。勿論、リアル右翼もいる。しかし、彼らの一人として中国、韓国、ロシアの人々と、その国境問題について話し合った人たち、コミュニケーションをとった人たちはいるんだろうか。殆どの人たちは、日本の国内で在日大使館あたりでデモをして、勝手に日本の主張を唱えているだけの人たちなのだ。例えば、ロシア人と国境問題についてまともに話し合ったことがある政治家は鈴木宗男くらいしかいないのではないか。

 そう、お互いに全面的に主張がぶつかり合う状況で会話する、それが本来のコミュニケーションのあり方だ。そこにあるのは「ロジック」だけである。日本人同士が交わすコミュニケーションなるもののような、「雰囲気」とか「空気」とか「お互い分かっているでしょ」的な了解事項はないのだ。それが、本来のコミュニケーションであるし、そうしたコミュニケーションを通した結果として、次の次元の了解点と対立点が見えてくるのである。

 相手との対話のない、勝手なデモだけじゃそれは叶わないことなのだ。

 そうした、本来のコミュニケーションを徹底的に避けてきた戦後(第二次世界大戦)の日本に対して、押井氏の目は厳しい。当たり前である、とにかく真摯な対立を避けてきた67年なのである。

 結果、政治はとにかく劣化し続け、経済も劣化し続け、もはや文化までもが劣化している。アニメ? コミック? カワイイ? ふざけんじゃないよ。そんなものは、すぐに他国に真似されておしまい。もうすぐ、中国や韓国あたりから「アニメ」「コミック」「カワイイ」が出てくるのである。もはや、日本発の文化なんて、他国に凌駕されておしまいになるだろ。現実的に、アニメについては動画マン訓練ができない日本では最早優秀な原画マンが育たなくなっているという状況がある。日本産アニメかと思って見ていたら実は韓国産だった、中国産だったという時代が、もうすぐその先にまできているのだ。

 結局、それもコミュニケーションを通じて外国と関わってこなかった日本人の問題なのだ。まあ、それもしょうがないかな。そうやって、日本はどんどん世界の中で沈没していくのだ。

 さいごに、「第5章 終わりなき日常は終わらない」というタイトルからしてみて、これは『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』について語っていることは見えているのだが、その「終わらない日常」が終わってしまったという言い方があるそうである。要するに;

『震災を契機に、この「終わらない日常」なるものが根底から崩れたという言説がある。

 それが本当なら、僕が「ビューティフル・ドリーマー」を作ったときに込めた目的は震災によってついに叶えられたことになる。

 しかし、残念ながら、この指摘は誤りだ。

 震災から1年以上が経過した今、日本は何か変わっただろうか?

 ものを作っている現場がどうこうという以前に、日本という国が震災前と後でどう変わったか? 変わる兆しがあるか?

 少なくとも僕には何も変わっていないように見える。

 変わらないからこそ、原発がメルトダウンするまでほったらかしだったのだ。』

 核爆弾を二つも落とされた国が、原発という「核(爆弾)の平和利用」というお題目だけで、それを許すという「無思考」に陥ってしまったのは、まさしく戦後日本人の「モノを考えない」生き方の結果なのだ。

 こういう言い方をすると、すぐに「マスコミの言うことを信じるのは情弱だ」というネット人民の発言につながるのだけれども、しかし、「マスコミは嘘ばっかり」というネット住民も「ネット情報」にはすぐ食いつくという、もう一方での「情弱」ぶりを示している。

 そうじゃなくて、取り敢えず、いろいろ入ってくる情報はすぐに信じないで、いろいろウラとかを調べて、自ら納得できる情報を信じればいいのだが……。その調べ方はどうすれば? という問題もあるのかな。

 まあ、取り敢えず、本書第6章の押井氏の言葉から、今回の結論としておこう。

『まず、「信じない」ということによって自分で考える。それが今の世の中を生き抜くために必要なことだと僕は思う。』

2012年4月 4日 (水)

『アホ大学のバカ学生』から『大学の思い出は就活です(苦笑)』に至る道程

「羊頭狗肉」という言葉がある。それからすると前著『アホ大学のバカ学生』は、「羊頭牛肉」くらいの位置にあったのだが、今回の『大学の思い出は就活です(苦笑)』は、「羊頭豚肉」くらいかな。だって、ほとんどネタが被っているんだもん。

『大学の思い出は就活です(苦笑)――大学生活50のお約束』(石渡嶺司著/ちくま新書/2012年3月10日刊)

 挑戦的なタイトルの割には、結構、内容は普通だ、ということはよくある事で珍しくはないが、『アホ大学のバカ学生』では、結局「就活」という言葉に振り回される学生と大学を、多少の揶揄をこめて、しかし、言っていることはごく当たり前の、普通に学生生活を送って、下手な「就活」情報に振り回されないように、という親心から(?)書かれた内容であったのだが、今回の『大学の思い出は就活です(苦笑)』では、各章ごとに下手くそな小説もどきを入れて、少し学生生活方向に話を持っていきながら、結局、普通に学生生活を送って、下手な「就活」情報に振り回されないように、という兄貴心から(?)書かれてのである。って、まったく同じじゃないかよっ。まあ、確かに前著は1月、今回は3月なんだから、そんなに新しいネタが入っているわけはないな。

 石渡氏が「あとがき」に書くとおり;

『おそらく、本書を読んだ社会人の方は、

「要するに『ふつうの学生生活を送れば就活もうまくいく』、言いたいことはそれだけでしょ。なんでこんなにダラダラ書いているの?」

 と疑問に思われるかもしれません。まったくもってその通りです。

「ふつうの学生生活を送れば就活もうまいく」

 書けば1行ですむ話です。

 当初、私も細かい説明は不要と考え、筑摩書房ちくま新書編集部に対して、

「1行だけ書いて、あとはメモ帳代わりに白紙にしておくのはいかがでしょう?」

 と提案しました。今でもいいアイデアと思うのですが1年以上、お返事を頂けなかったことを考えると、どこかに欠陥があったのでしょう。』

 なんてことが、本当に実現したら面白かった。ただし、私は買わないけれどもね、そんな本。

 しかし、人生経験の浅い学生にとっては「何にもしないでいることの、どこともいえない不安」があるからこそ、そこにつけ込んで「就活ビジネス」という業界があるのだ。この「どこともいえない不安」を煽って自らのビジネスに繋げるというのは、フィットネスとか、痩身とか、健康不安とか、新興宗教とかのビジネスの方法論である。あ、「自称、霊能士」なんてのもあるな。大体が「就活」でもって「ビジネス」に繋げるという発想が基本的に怪しいのである。本来、そんなものはビジネスになんかならなくて、大学の就職課あたりが細々とやっていればいいのである。そうすれば、企業のほうも大量に送られてくるエントリーシートに悩まされることもないだろうし、大学にしたって入社できる可能性の超低い企業に就職を希望して、しかし内定はまったく取れずに就職留年をする学生の増加に悩まされることもないのだ。

 で、こういう「学生生活が充実してれば、就活だってうまくいく」という当たり前の本が出版されるのだけれども、しかし、この本を読むのは殆どが既に就職している社会人だろう。わが身を振り返ってみれば……ああ、そうだったよな、というところだ。

 まあ、大体学生は本を読まないし(読むべき本を知らないし、読むべき本が書店のどんなコーナーにあるのかも知らないし、大体書店には行かない:某MARCH大学生の実際あった話)、就活業界によって遮眼帯をはめられている状態の学生たちの目に留まることはないだろう。で、就活業界に搾取され続ける学生さんなのだ。大学も、学生がそんな就活業界の言いなりになることを防ぐべく動かなければならないのに、就活業界と一緒になって「就活不安」を煽り立てることに躍起になっている。

 これっておかしくね? 就活で苦労したって、大学も、学生も、企業も、どこもトクしないのだ。もっとスムーズに就職できないものかねぇ。

 普通に勉強して、部活やサークルもやって、アルバイトもやって、普通に生活してきた大学生が、普通に自分の姿をさらけ出して面接をし、それで就職すればいいのである。ところが、学生は自分の経験を「盛る」ことに一生懸命で、そんな経歴を「盛る」ことを就活産業や大学は進めるのだから、ますます学生は「その気」になってしまう。そんな学生のエントリーを受ける企業側は学生の「盛り」なんてのはすぐに読んでしまうから、「またまた『盛り』かよ」ってなもんでウンザリしてしまい、そんな「盛り」をするやつはまず最初に落とすってなもんだ。

 こりゃ不毛ですね。

 しかし、こんな不毛な就活がいつまで続くんだろう。そんなに長くは続かないだろう、というのが私の考え方なのだけれども、どうだろうか。

 だってさ、いまや日本企業の姿が変わらなければいけない時代になってしまっているのである。昔からの、新入社員一括採用制度、年功序列、終身雇用なんてものが崩れつつある日本企業社会なのだ。企業というものは、今、自分の企業が今の世の中に合わないな、となると実に変わり身は早い。ここ数年で今の「新入社員一括採用制度、年功序列、終身雇用」はなくなると思う。勿論、新人採用はあると思うが、それ以上に中途採用、経験者採用は増えていくだろう。つまり、新人採用はますます狭き門となって、それこそ今以上に就活は厳しくなるのだ。まあ、就活業界の天下ですな。

 当然、就活業界は次なる手を今から準備している。つまり、「転職市場」だ。いまに「転職ナビ」なんてのも出来るかな……えっ、もうあるの?

2012年4月 3日 (火)

堀野正雄

 昨日に引き続き、東京写真美術館のお話。

 今日は『幻のモダニスト 写真家堀野正雄の世界』についてなのだが。

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(c)Masao Horino

 私が堀野正雄を知ったのは、下に掲げた『光画傑作集』によってである。

 驚いたのは、戦前(第二次世界大戦前)に撮られたそれらの写真の、思った以上の現代性であった。えっ、これが戦前に撮られた写真? というくらい、結構素材や撮影の仕方の現代性である。勿論、風景写真などは写されている対象に引っ張られて、かなり「古い」写真の印象を受ける。これは仕方ないだろう。しかし、人や機械物をUPで撮られたものなどを見ていると、時代性を感じさせない写真が多い。

 築地小劇場の舞台を撮影した写真なんかは、低感度のフィルムで薄暗い舞台上を撮ってるので、どうしても若干ボケたような印象になってしまい、いかにも戦前の写真という感じなのだが、大型船舶や女性の写真などは年代を感じさせない。

 といことは、堀野正雄がモダニストだったのではなく、写真という存在そのものがモダニズムそのものだということではないのだろうか。

 とくに、写真にとってはリアリズムが基本にある。である以上は、どうしたってこれはロマン主義とか印象派とかキュービズムなんてのはなくて、結局リアリズムしかないのだ。

 あるフォトグラファーがロマン派だとか、印象派だとか言われるとしたら、それは単に撮影対象の違いでしかない。

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 と、私は思うのだが……。

『幻のモダニスト 写真家堀野雅夫の世界』は、東京写真美術館3階で5月6日まで開催中。

EPSON RD1s Summicron 35mm/F2 @Yebisu (c)tsunoken

2012年4月 2日 (月)

ロベール・ドアノーと演出写真

 東京都写真美術館で開催中の『生誕100年記念写真展ロベール・ドアノー・レトロスペクティブ』を見に行ってきた。

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(c)Robert Doisneau

 ロベール・ドアノーといえば、このチラシにも使っていて、東京都写真美術館の壁面にも使われている『パリ市庁舎前のキス』という作品が有名である。

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(c)Robert Doisneau

 この作品は1950年にアメリカの写真誌『ライフ』が、パリの恋人たちの写真をフランスの通信社に依頼したことがきっかけになって、いくつかの「キス」写真を撮影し、発表したものだ。この写真シリーズはアメリカでもフランスでも(『ス・ソワール』『ポワン・ド・ビュ』などに転載)大成功を収め、その結果1951年にニューヨーク近代美術館でブラッサイなどと並んで紹介されることになり、その後のドアノー写真を決定付けるものとなったのである。

 しかし、この『パリ市庁舎前のキス』ばかりでなく、同シリーズの写真の大半は演出写真なのである。スナップ写真の大家のようなドアノーがまさか演出写真だなんて、とも思うのだが。しかし、じゃあ演出なしの写真が実態であって、演出した写真は実態を捉えていない、というのであろうか。「絶対非演出の絶対スナップ」((c)土門拳) じゃなければリアリズム写真じゃない、という極端な言い方もあるが、じゃあ絶対非演出の絶対スナップ」なら現実の世界を変えることがない、ということもない。

 現実には、写真を撮るという行為をすること自体が、現実社会に対して「足を踏み込む」行為に他ならない以上、そこには何らかの社会への変化要因になってしまうのだ。ということは、そこに演出があるかないかということは大きな問題にはならないだろう。

 というか、ドキュメンタリーなんてものは「ヤラセ」が当たり前のようにあるわけで、それを云々していたら、ドキュメンタリー写真そのものの否定につながってしまうのだ。

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 ということで、私は演出写真万歳です。

『ロベール・ドアノー・レトロスペクティブ』は5月13日まで、東京写真美術館地下1階で開催中。

EPSON RD1s Summicron 35mm/F2 @Yebisu & Daikwanyama (c)tsunoken

2012年4月 1日 (日)

六義園の枝垂れ桜

 枝垂れ桜といえば六義園である。

 昨日、靖国神社でソメイヨシノが5輪咲いたので、気象庁は「桜開花宣言」を行ったわけであるが、六義園の枝垂れ桜はまだまだ2分咲き位で、満開になるのは大分先になりそうだ。

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 六義園といえば、柳沢吉保である。

 五代将軍徳川綱吉に対する徹底したゴマすりで有名な柳沢吉保である。側室の染子は綱吉のお手つきだそうだし、息子の柳沢吉里は綱吉の隠し子だという話もあるようだ。まあ、最早武門で功なり名遂げる時代でもなくなってしまった元禄の時代である。名門公家の正親町(おおぎまち)家から側室を迎えていたり、それはそれなりに柳沢吉保なりの出世の方法論なのであったのだろう。出世に後ろ向きの侍は、単なる敗残者である以上は、それはそれでやむを得ない。

 むしろ、柳沢吉保悪人説の元になっているのは、元禄14年、江戸城松の廊下の浅野長矩の吉良上野介に対する刃傷沙汰に対して、吉良家・上野介双方お咎めなし、内匠頭は切腹・浅野家改易という片手落ち裁断に対して、裏で動き回っていたという話だ。それは悪名高いんだけれども、でもそりゃまあ、権力の中枢にいた人なんだから、何をいわれてもしょうがない。

 ま、取り敢えずは「権力者は悪」というのが日本の昔から現在に至るまでの正論だからな。

 隠居後の吉保が一所懸命手がけたのが、柳沢家下屋敷たる六義園の充実だったようだ。まあ、年寄の楽しみだよな。そう、でっかい盆栽だ。

 ただし、枝垂れ桜は樹齢70年というから、吉保の頃じゃなくて、明治維新後、岩崎弥太郎が六義園を手に入れてからの植林であろう。

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 毎年、3月末から4月初めで終わる六義園のライトアップなんだけれども。毎年「まあ、ライトアップが終わった頃が、一番の見ごろなんだよな」というのが、六義園の前のマンション住民の言なのである。

 まあ、そんなところ。

EPSON RD1s SUMMICRON 35mm/F2 @Rikugien (c)tsunoken

 

 

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