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2012年3月13日 (火)

『猫語の教科書』を読んだからって、猫語は喋れません

「猫文学」と言えば、我々は『我輩は猫である』という名作を持っている。しかし……。

『猫語の教科書』(ポール・ギャリコ著/灰島かり訳/ちくま文庫/1998年12月3日刊)

 まあ、私のように猫を飼ったことがない人間にはあまり分からないことであるが、しかし、我が家の庭を、あたかも我が通り道だと考えて、毎日通っている二匹の飼い猫(野良猫?)を見といると、何となく理解できるところもある。ある種、猫は自由人だなというところとか。

 要は、人間は猫を飼っていると思っているのであるが、実はそうじゃなくて、猫が人間の家を乗っ取って、猫のために人間が存在する家になっているのだ、という本なのである。何しろ、タテマエ上の著者はポール・ギャリコというニューヨークの作家ではあるけれども、本来の作家は名も知られない「猫」なのだ。ポール・ギャリコはサンボという名の猫を飼っていたようだし、この本の「猫写真」を撮ったスザンヌ・サースという女流写真家の家にはツィツァという猫がいたようだが、どうもそうした猫たちの中にはこの本の著者はいないようだ。

 しかし、この本の翻訳権は猫にあるのだろうか、あるいはポール・ギャリコなのだろうか、いずれ猫が著者だということになってしまったら、それは当然、猫にあるわけですよねぇ。印税も猫に入るだろうし。ウーム、こういう「稼ぐ猫」だったら乗っ取られてもいいかな、なんてね。

 しかしながら、結構本質的なことも書かれているわけで、たとえば『根本的なところで、人間は猫よりずっと弱いのよ。猫はここ五千万年の間、変わることなく生きのびてきたことを思い出してね。人間が現れるずっと以前から私たちは猫だったし、最後の人間がこの地上から消えた後も、猫は生き続けるのです』なんてのは、事実だろう。

 まあ、「猫の視点を使った人間社会の風刺」という言い方をしてしまうと、それは『我輩は猫である』とおなじ結論になってしまうのだけれども、でも結局はそこに終結してしまうんだろうな。

 つまり;

『人間と暮らしてしまうといやでも学ばざるをえないことですが、人間はほんの少しのいいところを除くと、愚かだし、虚栄心は強いし、強情な上に忘れっぽく、ときにはずるくて不誠実でさえあります。平気で嘘をついたり、表と裏があったり、破るとわかっている約束をしたりもします。わがままで、欲張りで、考えが浅く、所有欲が強いくせに気まぐれで、おくびょうで、嫉妬深く、無責任で、ひとりよがりで、狭量で、忍耐心に欠け、偽善的で、だらしない。』

 という卓見は、その通りだろう。夏目漱石先生も同じことを書いていたような気がする。ただし、そうした嫌な部分も含めて、だからこそ人間というものは愛すべきものなのだ。その辺も、この猫は分かっているみたいだ。つまり、先の言葉を言ったすぐそのあとで『でもこういう悪いこと全部にもかかわらず、人間には愛と呼ばれる、強くてすばらしいものがあって、彼らがあなたを愛し、あなたも彼らを愛するとき、他のことはいっさいどうでもよくなります』というフォローが入るわけです。って、完全に猫に乗っ取られてるジャン。

 ひとつだけわからないのが、「第12章上手な話し方」にある「声を出さないニャーオ」である。この辺は猫を飼っていない人間だから分からないのか、その辺のしぐさをするのはアメリカの猫だけなのかは分からないのか、どうなのかわまったく分からない。まあ、要はこの「声を出さないニャーオ」をすると、人間は『男も女も心を揺さぶられて、まずどんなことでもしてくれまう』ということなのだそうだ。ウ~ム、猫の戦略恐るべしではありますな。

 

 最後に『じゃまをするとすごくおもしろいものを忘れていました。手紙を書いたり仕事をしたりするのに、ペンとかえんぴつでなく「タイプライター」という機械を使う人がいます。もしお宅の人間がこの機械を使う作家だったりしたら、とても幸運。タイプのじゃまはすてきにおもしろいし、そのうえ、感謝されます。だって、私の知っているかぎり、作家はみんな、書く仕事をやめる口実なら、およそどんなものでも大歓迎なの』ということで、ポール・ギャリコ自身を語っているのだが、まあ、この辺で馬脚を現したということなのだろうな。あまり、ここでは作家の本音を言ってしまってはいけないんじゃないか。

 ただし、ここではっきりとこの本を書いてた猫がタイプライターで書いたことがわかったわけだ。あの「暗号」の意味もね。

 ということになると、その辺、最後まで「猫視点」を変えなかった、我が漱石先生は偉かった、ということがいえるのかな。

 取り敢えず、猫を三匹だか四匹だか飼っている(飼われている?)という、一緒に北茨城に行ったH坂氏に聞いてみようかな。

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コメント

我が家では、10才になるオス猫を飼っていることもあり、『猫語の教科書』は、書評で採り上げられるや、すぐに購入しました。
第3章(猫の持ち物、猫の居場所)、第4章(獣医にかかるとき)、第16章(これはしちゃダメ)等々、内容に共感大です。挿入写真(猫の白黒写真)も魅力的でした。

唯一つ、書名に違和感が・・・
「猫語の教科書」とは、「猫語で書かれた、猫が生きてゆく為の教科書」という意味なのですね。「猫と意思疎通する為の、猫語に関する教科書」かと期待して購入したのは私だけでしょうか。

なあるほど。
やっぱり君の家も「猫に乗っ取られた家」なんだね。
しかし、乗っ取られた本人が幸せそうなのは、何でだろうね。
まあ、格差があることに何ら嫌な感じを感じない、無自覚なプロレタリアートみたいなもんか。

確かに猫は飼い主を召使いと思っているそぶりを見せます。私が帰ると直ぐにメシをよこせ!ブラッシングしろ!
と、しつこく言います。抱いてやってもその気が無いと直ぐに足蹴りを食わせます。そのくせ抱かれたい時は、こちらの都合はお構いなし。抱いてやるまでしつこくせがみます。
後『声を出さないニャーオ』は、本を読んで無いので私が想像する猫の表現(ヒソヒソ声で鳴く)の事を差していれば猫の究極のおねだりの方法です。

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