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2012年3月 2日 (金)

『小商いのすすめ』と今更いわなくても、沢山ある小商い

 内田樹氏の小学生の同級生で、内田氏とともに翻訳会社アーバン・トランスレーションを設立したり、『東京ファイティングキッズ』という本を出して、いまは株式会社リナックスカフェというまさしく「小商い」会社の代表取締役を務める平川克美氏の新著である。

『小商いのすすめ「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ』(平川克美著/ミシマ社/2012年2月2日刊)

 人口減少に移行した日本は、大量生産大量消費の時代は終わり、大企業病は様々な部分で綻びをみせ、トヨタ、パナソニック、東京電力などの巨大企業は最早終焉の時代に向かって突き進んでいるようである。

 しかし、だからといって昭和三十年代の東京都大田区に思いを寄せるのはどんなもんだろうか。著者自身も語っているではないか;

『わたしの実家はほとんどこの隣組の中心的な存在であり、わたし自身はこの隣組的なしがらみや、価値観といったものからいかにして逃れるのかといったことが青年期のテーマのひとつになりました。

 ひとことでいえば、この隣組的価値観が嫌で嫌でたまらなかったのです。』

 と。

 しかし、その返す刀で;

『ここでは、昭和三十年代の日本の光景に、わたしが嫌ったこの隣組的な価値観や風景がひとつの輝きを与えており、それは将来への可能性でもあったとおうことをこれから見ていこうと思っています。』

 というようでは、心もとない。

 確かに、今となっては皆同様に貧しかった、昭和三十年代を懐かしむ気持ちを否定するつもりはない。『ALWAYS 三丁目の夕日』をありがたがる気持ちも分からないではない。しかし、そんな昭和三十年代の日本あるいは東京とはどんな時代だったのか。

 映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の画面からは見えてこない部分を見ると、例えば「汲み取り式トイレ」とか「毎月1回ある共同どぶ掃除」「氷屋さんから毎日氷を買って入れなきゃならない氷式冷蔵庫」「それまでの手洗い式から多少は便利にはなったけれども、まだまだ効率の悪かったガッコンガッコンいう洗濯機」「毎日いけなかった銭湯」「舗装していない信号もない道路」などなど、決して画面からは見えない「汚い」「臭い」「危険」という、まさに「3K」そのものの日本および東京なのである。

 そんな時代をなぜ今更懐かしがるのだろう。多分それは、例えば高収入の親の子どもは小さいときから塾などに行き、結果、高偏差値の高校、大学に行き、結果として高収入を約束されている企業に就職するのに反して、低収入の親に育てられた子どもは、そのまま低偏差値の高校、大学や専門学校にしか行けないので、それこそ低収入の企業に就職できればいいほうで、派遣労働者やフリーターなど非正規労働にしかつけず、結果、一生低収入で終わるしかない、という「格差固定社会」に対する思いがある。それに比較して、国民全体が貧乏であったが、しかし、その分だけ将来に対する希望に溢れていた時代のほうが、皆幸せだったのではないか、という思い込みでしかない。

 しかし、そんな時代であっても格差はあった。皇族・華族は別にしても、やはり金持ちの家に育ったこどもと、あまり金持ちではない家、貧乏な家に育った子ども達とは別の人生を送っていたのだ。ヨーロッパほどではないが、やはり日本だってそんな格差社会ではあったのだ。ただし、裕福な階級に比べて貧乏な階級が圧倒的に多かったから、貧乏階級の考え方が割りと社会の主流になって、社会的にも力をつけてきたということなのだろう。その結果としての、高度経済成長であり、一億総中流社会なのである。

 しかし、1970年代にいわれたこの「一億総中流」という言い方にも、私なんかはかなり反撥を感じたものだ。アメリカのホームドラマに出てくるような典型的な中流家庭、毎週末には芝刈りをしなければならないような庭もないし、エレベーターから直接玄関に入るマンションにも暮らしていない、「ウサギ小屋」に住んでる我々のどこが中流なんだ、というところである。中流だったら高校生運動なんかしてないよ、ってなもんである(ちょっと、昨日とカブった)。

 しかし、その昭和三十年代回帰という部分を除けば、平川氏のいう「小商いのすすめ」には賛成だ。つまり「ヒューマン・スケールの復興」という言い方をしているのだが、別にそれは「身の丈にあった商売をしようよ」だって「身の程を知った商売をしようよ」という言い方だって、何の問題もない。昔の下町の「帽子屋さんのおやじ」とか「駄菓子屋さんのおばあちゃん」という具体例があるのだから、何故それが商売として成り立っていたのかを考えればいいのである。

 それは「自分の家」で開業しており、「従業員は家族のみ」であり、「仕入れは現金仕入れ」であるということなのだ。自分の家であれば家賃は考えなくてもいいし、従業員は家族のみであれば下手をすれば給料は払わなくてもいいし、現金仕入れであれば仕入れた時点でお金はすべて払ってしまっているので、売上は気にしなくてもいい、ということなのだ。

 実は今でもそんな感じでやっている店は実は多いのだ。「〇〇商店街」なんていって、いまでも活気のある商店街が東京の下町にも多くあるが、そんな商店街でも元気に商売をやっているお店は、だいたい上記の条件にあった店なのだ。

 平川さんが、今どこにお住みなのかは存じ上げないが、今でも元気にやっている下町の商店街にいくと、結構こうした「小商い」の参考例がいっぱいある。まあ、仕事をやっているとあまりこうした下町の商店街に行く機会もないだろうが、平川氏ももういい歳である。一度、会社の仕事から離れて下町商店街巡りをオススメしたい。

 結構、いい発見があるのではないだろうか。

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