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2012年3月 1日 (木)

『高校紛争 1969-1970』は「温故知新」なんてものじゃない。しかし、もう40年もたってしまったんだなあ

 著者及び中公新書編集部からの献本ありがとうございました。

 しかし、やはり「紛争」という言い方には当事者としてはなんか引っかかりが今でもあるのだ。なんか「紛争」というとどこか関係ないところでやっている闘いみたいじゃないですか。せめてサブタイトルで「闘争」という言葉を使ってくれたことで、少しは気持ちも収まるのだが、やはり1960年生まれの小林氏にとっては「紛争」なんだろうな。やっぱり当事者じゃないのだから、仕方のないことなのかも知れない。

 勿論、当事者じゃないから書けることもある。

『高校紛争 1696-1970 「闘争」の歴史と証言』(小林哲夫著/中公新書/2012年2月25日刊)

 小林哲夫氏と会ったのは2年ほど前のことである。どこかで私のブログを読んだようで、どうもコヤツは高校生運動をやっていたようだ、ということの興味で私のメール・アドレスに連絡をしてきた。

 残念ながら、すでに40年近く過ぎたことを私もよく覚えておらず、確かに私が通学していた東京都立足立高校という場末の高校でもバリケード封鎖もあったのだけれども、既に街頭闘争に参加していた私が、バリ封した連中と話し合った結果、そんな「制服廃止」とか低次元の理由でバリ封したって意味ないじゃん、とバリ封には参加せずに、分かったからお前たちに「処分するな」という運動だけはやってやる、といって勝手にやらせておきながら、バリケードの内側には入ったりしていたというオソマツさまで、あまり小林氏の取材意図には応えられなかった思いだけがある。

 そう、私にとっては、私が入学試験を受けた年から始まった学校群制度というものと、高校生運動がつながっているような気がするのだ。小尾乕雄東京都教育長の指示で突然採用された学校群制度で「自分の行きたい高校にいけない」というのが、ひとつの理由にはなっていたのではないか。行きたくもない高校に無理やり入れさせれてしまった高校生は、やっぱり面白くないよね。で、なんでこんな制度が出来てしまったのか、ということを考えるわけなのだけれども、その結果が「後期中等教育の帝国主義的再編」「支配者としての高等教育受益者と労働者としての中等教育卒業者を分けて育てる」ということに結びつくのは簡単だ。要は、支配者からしてみれば「(上も下も)飼いならしやすい市民」を育てる為の施策なのである。

 だから、高校生は反乱した。

 勿論、政治党派からの働きかけはあった。本書にも書かれている、「2.11紀元節復活粉砕全都統一行動」という清水谷公園で行われた集会とデモには、私は反帝高評の要請で参加したわけなのであるけれども、それは同じ高校に学んでいる×××の要請に応じたものだった。各党派が、その枠を超えて集まるというのはとても良いと考えたからだ。ただし、私は青ヘルはかぶらなかった。中核と革マルのいつもの小競り合いがあったな。

 反帝学評からのオルグもたくさんあったけれども、なぜかそうしたセクトのオルグには「窮屈さ」が感じられて、なんかノレなかたんだよね。なんで、皆こんな指導部の言い方に盲従するの、って感じで。気分的にはブントだったし。基本的にはノンセクト・ラジカルだった。

 だから、高校生は反乱した。

 セクトの指導はあった。しかし、それ以上に高校生たちの「窮屈感」はあったのだ。「お前らはまだ高校生だから社会に対する判断力はない」という教師からの圧力。その教師が「日教組」のストには参加することによって、授業がなくなってしまう不可思議。なんで? ということを高校生が感じてもおかしくはない。

 なんだ、教師ってのは我々にとっては反面教師でしかないのか。「日教組」の教師だって、結局は自分の立場を守るための活動しかしていないわけで、自分の教え子のことを考えているわけではないのだ。とりあえず「日教組」「都高教」なんてとこに属していたって、本人の自覚次第では、我々から見れば「反動」でしかないのだった。

 だから、高校生は反乱した。

 本当は、高校生は自ら発した疑問に対して、真摯に向き合って、一緒に考えてくれる教師を求めていたのではないのだろうか。しかし、多くの教師はそこで「管理者」の立場で生徒に接したのであった。それは「日教組」の組合員であろうがそうじゃない人であろうがである。この時期、日教組も「体制側」として高校生運動に向かっていたと言うことなのである。

 だから、高校生は反乱した。

 つまり、高校生の反乱は、反乱なのであった。革命ではない「反乱」。所詮、高校生には革命はできない。革命後の政治展望なんてのはないし、革命政政府の運用は難しいだろうからね。

 しかし、1969年から70年にかけてこうした高校生運動があったことは事実だし、これは歴史からは無くされてはいけない問題だと、当事者だからかな、考える。高校生だっていろいろ考えているのだ、ということで。

 私も、それまで理系クラスにいたにもかかわらず、何故か文転してしまい、大学は(一浪の後)経済学部に入って、いまは出版社にいるという具合。まあ、確かに高校生運動に参加してからは、民青の奴のと論争に勝たなければいけないので、マルクスやサルトルなんかの本ばっかり読んで、経済学や哲学には詳しくなりましたがね。今から考えてみると、そのまま理系でいて政治なんかに興味を持たなければ、そのまま企業の開発部門で人生を終えてたかもしれない。というか、それこそ東電あたりで原発推進の旗振りをしていたかもしれないのだ。人生って、本当にどうなるか予測はできないものですね。

 そんな意味で、小林氏が当事者でもないのに、その事実の証言を集めたということには頭を垂れるだけである。というか、当事者じゃそれは出来ないか。お互いの党派の立場があるからね。

 小林氏が当事者じゃないからこそ、できた偉業なのかも知れない。

 ところで小林氏からのメールによれば、取材をした元新左翼の連中で「出版祝い」をしようという話があるそうである。全党派集まってしまうので、小林氏は戦々恐々としているようだが、うふふ……、ジジイの内ゲバってのも面白いかもしれない。

 見に行きたいな。

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