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2012年2月 9日 (木)

『屋根裏プラハ』を読んで江戸っ子の口調に親しむ

 1947年生まれの田中長徳氏にとっては、「革命」という二文字は常に青春とともにあった文字である。同時に「革命」は「敗北」につながるタームでもあったのだが………。

『屋根裏プラハ』(田中長徳著/新潮社/2012年1月30日刊)

 そんな田中長徳氏が夫人のオーストリア留学に付き合ってウィーンに在住したのが田中氏の「東欧」との付き合いの初めだった。しかし、「東欧」とは言っても本来はチェコスロバキアのプラハは、ウィーンと同じく「中欧」なのである。西側資本主義諸国のオーストリアのウィーンから北に300kmほど行ったところにあるのがプラハであるといえば、それは東京から仙台か、名古屋に行く距離でしかない。

 たまたま、チェコスロバキアが東欧のワルシャワ条約国になってしまったから、何となく我々にとっては「東欧」という遠く離れた国というイメージになってしまった。

 ついでに言ってしまうと、私が以前フランスのニースからブルガリアのソフィアまで行ったことがあるんだが、それもスイスのチューリッヒでのトランジットを含めてたいした時間がかかってという意識はない。とはいうものの、ソフィア国際空港のありさまといってしまえば、まだまだ共産主義からの完全解放は出来ていない状況というか、あるいはとりあえず全部OKになってしまった状況なのか、とにかく日本の田舎の駅みたいな「国際空港ターミナルビル」を出ると、タクシーの運ちゃんがいっぱいいて、俺のほうが安い、俺なら観光案内ができるといったような感じ群がってきて、はてさてどうしようということなのだけれども、まあ、そこは運を天に任せるというお金持ちの日本人のスタイルでいくしかないので、それに任せれば、まあどうにかなるもんで、ソフィア中央部のホテルまで行き着けたということがあった。

 それはいいとして、ヨーロッパの都市と都市、というのはそれだけ近いのだということなのだろう。それが一方で「鉄のカーテン」の強さ、もう一方で元々あった都市同士のつながりということもあるのだろうけれども、それは同時に境界領域においては、意外と自由に行き来していたということもあるんじゃないだろうか。

 チェコのビロード革命の際にも、チェコ国民は西ドイツのテレビ番組をみんな見ていて、いわゆる「自由社会」ではこうなんだ、ということを知って立ち上がったのである。まあ、その後の「自由社会」とか「資本主義社会」の状況がどうなったかのかは、別ですがね。

 そんな「共産主義チェコ」を知る田中氏の、言ってみれば「資本主義チェコ」に対する無念なのだけれども、それはちょっとひん曲がっている。つまりスターリン体制のソ連主導の「共産主義体制」を批判するのは、まあ、反帝反スタの時代に育った田中氏ならまあ、普通のことだろう。しかし、いまやそんな共産プラハはないわけで、そこで共産プラハのイメージを捜し求めるということはどうしたもんだろう。結局、チェコはビロード革命の結果、共産主義を捨てて資本主義の社会に加わったわけなのであるが、同時に資本主義社会の「軽薄さ」も一緒に飲み込んでしまったわけで、それはやむをえないことなのであるけれども、しかしなあ、ということなのだろう。

 多分、それが田中長徳氏が求める、田中氏の側に出来上がってしまっている、プラハの街のイメージなんだろうな。そんな「滅びゆく街」がプラハの街のことなのだ。そんな風に田中氏はプラハをとらえているのではないか。

 ところで、田中氏は本書を「純エッセイ集」としてこ、これまで書いてきたカメラ・エッセイとは一線を画しているわけなのであるのだけれども、しかしそこは「写真家」「写真機家」の田中氏である、結局は写真のことばかりを書いているのである。ただし、普段のエッセイに比べると「写真」のことは書いているが「写真機」についての薀蓄は意外なくらい少ない。その辺が若干「純エッセイ集」に近寄っている点であるだろう。

『カフェでのワインの小グラスは時間つぶしの為の砂時計である。ただし、飲み干したら立ち上がる必要がある。一方でカフェで長い文章を書くという予定があるのなら。朝からカフェに一人で行って居心地の良い場に座を占めて、ウェイターに一本のワインを注文する。ウェイターはプロ中のプロだから、あたしのようにコルクの木くずを瓶の中に落下させるようなヘマはしない。これがカフェでワインを一本頼む最大の理由だ。時間と快適を買うのである。それをちびちびやりつつ、メモの整理などをして、気が向けば原稿書きもし、ついでに持参のライカを磨いたりすると、自分が何か大写真家になった気分が味わえる。そういう場所はウィーンならグラーペンのカフェ・ハベルカとか、プラハならモルダウ沿いのカフェ・スラビアあたりがいい。ただし、これは七十年代の話だ。』

 なんて文章を読んでしまうと、途端に「田中長徳的世界」に入り込んでしまう。

 とくに田中氏の「あたし」という一人称使いには、「江戸っ子の粋」というようなものを感じさせて、「江戸っ子好き」の私にはタマらない。

 ところで、本書には田中自身による「第三信号系」のネタばらしが出ている。つまり;

『第三信号系視神経。これは思いつきの造語である。視神経には第一から第三までの信号系がある。こんなことはどんな眼科の本にも書いてない。だからちょっと補足説明すれば第一信号系の視神経が捉える写真とは「その画像自体が意味を指し示す写真」のことだ。パスポート写真とか新聞の顔写真などがこれにあたる。第二信号系の視神経が捉える写真とは、日常のすべての実用的な画像を意味する。報道写真も広告写真もオンラインのポルノグラフィもこれの範疇だ。第三信号系の写真とはある意味、扮装をしていない写真、実用の範疇から逸脱した写真のことを言う。写真が衣服を着けずに、意味合いを捨ててそこかしこを自由に歩行している状態と言ってもいい。ヨセフ・スデクの作品は数少ない第三信号系写真に属する。』

 って、これじゃあ「第三信号系」という言葉に異様に反応して、それについてのエッセイをものしてしまった島尾伸三氏の立場はどうなるんでしょうねえ。

 まあ、私の知ったことではないが………。

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