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2012年2月26日 (日)

『革命論』というタイトルに興味を持って読んでみたら

『政治哲学が流行している。テロや金融危機や経済格差について、さらには原子力災害について、黴の生えた机上の空論であるはずだった哲学がまだなにかを語りうるということを、この政治哲学は実証している。』という語りから始まる本書なのだが、私にはまるで何を言いたいのかがわからない悪文の典型にしか思えないのだ。

『革命論 マルチチュードの政治哲学序説』(市田良彦著/平凡社新書/2012年2月15日刊)

 つまり、アガンベン、アルチュセール、ネグリ、デリダ派、バディウ、スピノザ、フーコーを語りながら現在の政治哲学状況を説こうとするのだが、しかし、本書のほとんどは彼らの言説の引用からなっており、市田氏の言説が読み取れるのは、先の「序章」と「あとがき」だけであり、それ以外の章からは市田氏の独自の言説の展開はみられない。

 結局、市田氏が言いたいのは「あとがき」で;

『政治家はいったいなにをしているのだ、と私たちは毎日思わずにいられない現実を生きていり。瓦礫は片づかず、放射能はもっと始末をつけられない。遠くはない将来に国が破産するかもしれない、と誰もが頭の片隅で思っている。それでも儲けている人々がいて、「貧困」の波がじわじわ日本を浸食する感覚も共有されている。にもかかわらず、政治家には、つまり現状の政治にはでいることがはなはだ少なく、私たちはメディアを通して見る政治の現状に苛立ちを募らせている。政治家も自分の無力さを承知しているから、ひたすら低姿勢に振舞おうとする。誰もがいくぶんか「哲学者」になっている状況であるだろう。なるほかない状況であるだろう――ゼロからの問い直しを強いる志向を「哲学」と呼ぶとするならば、である。現に生起している政治を前にして、あるいは有権者や市民としてその政治のただなかにいて、政治を成り立たせているものをいっさいの前提なしに摑み直せ、思考のリセット地点に戻れと人々に迫る状況は、いわゆる「政治」を軽く越えている。政治への不信につきまとわれ、どうしてこれだけの税金を支払わなければいけないのかと毒づきたくなるとき、人はすでに「哲学者」の領分に足を踏み入れている。キルケゴールをもち出さずとも、不安は哲学的な一歩である』

 と書く。

 つまりそれは、現在の日本の政治状況、あるいは世界の政治状況の中では、だれもが自ら哲学者となり「革命」を考えなければならない状況にある、ということなのだろうか。

 しかしながら、そこで考えられている「革命」とは「国家内での革命」でしかないのではないだろうか、『マルクス主義は「国家と革命」の「と」に翻弄されてきた。革命とは国家を死滅させる国家を建設することだという逆説を実践的に解くことができす、その名を冠した国家をソ連では消滅させ、中国では資本の有能な管理者に変えた』というけれども、だからこそネグリは「マルチチュード」という言葉を復活させ、国家の枠を超えて発展してきたグローバリズムという名の、資本の拡大に対抗させようとしたのではないだろうか。

『マルクスにとって「哲学」は「経済学批判」にまで進まなくてはならなかったのに、つまり「哲学」も「経済学批判」のなかで別の生を与え直されねばならなかったのに、本書はその一歩を踏み出すことを完全に禁欲した。さらに「政治」哲学についても、禁欲せざるをえなかった諸点は多い。ひたすら、ひとまず私に可能なリセット地点への戻り方を探るためである。さらに言えば、今日の「経済学批判」にはなにより前提的「哲学」(イデオロギーと呼んでもかまわないのだが)が欠けているとも考えている。社会的危機の時代に「大学知識人」であることへの焦燥に駆られてメニューを考えたり、政治家のように頭を低くすることをしなくてもよい、と考えたのは、一人の人間がこんな悠長な「原点回帰」をしていても大丈夫なくらいに、「怒れる」人々は強いと安心しているゆえんである。』

『もう一つ、小さな事情がある本書には第一読者として想定された人々がいる。私は今、「ヨーロッパ現代思想と政治」という共同研究(京都大学人文科学研究所)の研究班長という立場にある。そこで喋っていること、いつも喋ろうとしていることの背景を、同僚たちに包み隠さず、かつ系統だてて示しておく必要を、共同研究が滑り出したkの一年で痛感していた。各回ごとに主たる発表者がいる研究会でのかぎられた議論では、どうしても「まどろっこしい」ところがある。そこで同僚たちに、私の発言の背後にある包括的見取り図を整理して提示しておきたいと考えた。本書はつまり一種の仲間内の言説という側面をもっている。』

 というところで、なるほど納得。つまり、学者先生の整理ノートなわけだ。だからこその、本人の主張なしの、他人の言説の「まとめ」みたいな文章だったのだ。

 だったら、そういうものを「新書」という、極めてソーシャルな読み物として出すのはどうなのだろうか。私のように、そのタイトルで興味をもってしまって手を出すようなオッチョコチョイが出てしまうではないか。

 ああ、読んで損した。

 というか、このブログを読んだあなたも、あまりの無内容に、やっぱり損した。あはは、ごめんね。

Epsn0696_2

EPSON RD1s Elmarit 28mm/F2.8 @Ginza (c)tsunoken

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