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2012年2月14日 (火)

石原莞爾『最終戦争論』は読んでみるとなかなか深みのある本だ

 石原莞爾という人は、もしかして現代に生まれていたら思想家か哲学者になっていたかもしれない。やはり明治22年に山形県で生まれたという事実が、結局は軍人になるしか出世の道がなかったということなのかも知れない。

『最終戦争論』(石原莞爾著/中公文庫/1993年7月10日初版・2001年9月25日改版)

 この『最終戦争論』のほとんどの部分は「戦争史の大観」としてまとめられた。

 人類の歴史から(主に西洋史だが)みた戦争の歴史である。そしてそしてその最終段階の戦争に関しては『忠君愛国の精神で死を決心している軍隊などは有利な目標ではありません。最も弱い人々、最も大事な国家の施設が攻撃目標となります。工業都市や政治の中心を徹底的にやるのです。でありますから老若男女、山川草木、豚も鶏も同じにやられるのです。かくて空軍による徹底した殲滅戦争となります』として『破壊の兵器も今度の欧州大戦(ナチス・ドイツによる第二次世界大戦前半戦:引用者注)で使っているようなものでは、まだ問題になりません。もっと徹底的な、一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力のものができねばなりません』と予想するところまでは良かった。しかし、その「最終戦争」なるもの。つまり、その戦争で覇者が決まれば、あとはとにかく平和な時代が続くという最終戦争の時期が、この講演があった昭和5年から30年後くらいということで、50年後には世界が統一されていることになるのだそうだけれども、結局は、この講演から15年後には、『一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力の』原子力爆弾が広島と長崎に落とされて、日本はアメリカ(政治的には連合国だが)に降伏してしまったわけだ。

 石原氏は、最終戦争に至る前に世界は四極に分かれると言っている。つまり、第一はソビエト連邦と社会主義国家の連合体。第二が米州。つまりは南北アメリカである。第三は、ヨーロッパ。ナチス・ドイツによる『「運命共同体」によるヨーロッパ連盟』である。そして、第四極が東亜である。基本的には日本、中国、韓国を中心としたアジア圏ということなのである。勿論、大英帝国というブロックが当時はまだまだ力を持っていた時期ではあったのだけれども、これは最早19世紀で終わっている政経ブロックであるというのが石原氏の見立てである。

 そして、その最終戦争、というか決勝戦は「東亜」と「米州」で争われるというのが、これまた石原氏の見立てなのだけれども、果たしてその前に「最終戦争」になるはるか前に、日本はアメリカに敗れてしまったわけだ。

 で、最後には「東洋文明は王道であり、西洋文明は覇道である」、ということで「王道は覇道に勝つ」という論理なのだが、それは『西洋文明は既に覇道に徹底して、みずから行き詰りつつある。王道文明は東亜諸民族の自覚復興と西洋科学文明の摂取活用により、日本国体を中心として勃興しつつある。人類が心から現人神の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。

 最終戦争即ち王道・覇道の決勝戦は結局、天皇を信仰するものと然らざるものの決勝戦であり、具体的には天皇が世界の天皇とならせられるか、西洋の大統領が世界の指導者となるかを決定するところの、人類歴史の中で空前絶後の大事件である。』というところなのだけれども、じゃあ結局、太平洋戦争ってのは「最終戦争」だったのか、あるいはそうじゃなかたのか? 戦争の様相からしてみれば「最終戦争」のようだが、国際関係論的にはまだまだ「最終戦争」じゃないんだよな。

 まあ、その後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争とあって、中東ではずっと戦争が続いているわけだし、東ヨーロッパのソ連崩壊以降の民族紛争も戦争ではある訳でいってしまえば、まだまだ戦争はずっと続いているのである。

 それはいいとして、本書の質問コーナーで『日本が最終戦争に於て必勝を期し得るという客観的条件が十分に説明されていない。単なる信仰では安心できないと思う』という質問や『最終戦争の必然性を宗教的に説明されているが、科学的に説明されない限り現代人には了解できない』といった質問には『科学的とみずから誇るマルクス主義に於てすら、資本主義時代の後に無産階級独裁の時代が来るとの判断は結局、一つの推断であって、決して科学的に正確なものとは言えない。この見地に立てば、不完全な私の最終戦争必至の推断も相当に科学的であるとも言い得るではなかろうか』という、まさしく「推断」を述べているわけなのであるけれども、結局それは日蓮上人が言った『日本を中心に世界に未曾有の大戦争が必ず起る。そのときに本化上行が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界統一が実現するのだ』という予言に集中するのだ。

 それは、単に日本に都合のいいことだけを言っているに過ぎない。だって、別に仏教は日本土着の宗教じゃないのです。遠くインドから東南アジア・中国を通じて日本にやってきただけの、外来宗教でしかない。そんな意味では、キリスト教やイスラム教となんら変わらないのだけれども、何故か仏教だけは日本古来の宗教のような扱いを受けている。私の家も曹洞宗だし、カミサンの実家の宗教は浄土真宗だし、「結局、仏教?」ということになってしまうのだけ れども、それだけ仏教が日本に定着してしまったんだろうな。

 一方で、『最終戦争即ち王道・覇道の決勝戦は結局、天皇を信仰するものと然らざるものの決勝戦であり』と言っているのは、先の日蓮上人を信仰する立場と矛盾はしないのだろうか。天皇は言うまでもなく我が国の「八百万の神々」の頂点にいる人なわけだ。こうした「神仏習合」のような融通無碍な態度は日本人だけの特質なんだけれども、こんなイイ加減な国民が「最終戦争」で勝てるのかどうかは………、まず無理でしょうね。

 ともあれ石原氏の予言によると昭和45年頃には最終戦争の時代が来るし、平成2年頃に世界が一つになるそうだが、実際にはいまだに世界は統一どころか、EU(石原氏が言うところの「ヨーロッパ連合」だが)は下手をすると崩壊しそうになっているし、東ヨーロッパ経済圏はいまや完全に崩壊して、社会主義国なんて跡形もない、南アメリカ州はアメリカ合衆国の支配下に入っている国はいまやほとんどないし、東アジア経済圏だけが、上手くすると上手くなる、という状況か? だとすると、石原莞爾氏が考えていた「東アジアを中心とする世界国家」がもしかすると成立するかも知れない(まあ、多分無理ですけれどもね)。そのときの中心は、残念ながら石原氏が想起していたのと違って、中国になってしまうのだろうけれどもね。

 でも、取り敢えずは世界統一国家が出来る。で、その後はどうなるのかといえば、要は世界統一国家からの分離独立運動が起きるだけなのだ。

 結局、人種、文化、宗教が異なる(生物学的には同じDNAなんだけれどもね)人々を、まったく一緒には扱えないってことで、分離独立運動は必ず起きる。問題は、それに対して、「世界政府」が「規制」あるいは「弾圧」をするのかどうかなんだけれども、それは絶対「規制」するでしょうし、「弾圧」的に動くことだろう。だって、それは世界政府の存在を否定する動きなのだからね。で、そんな分離独立勢力が結局は「革命勢力」になっていくのである。

 結局、人間の歴史って、こうした「革命の歴史」なのである。どんな政体が社会を支配しようが、かならずその政体は「革命」によって滅ぼされるのだ。

 そうやって、人間てのは「革命」を繰り返しながら生きていく存在なのだろうな。

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