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« 『知的生産の技術』と読書の記憶 | トップページ | 『タブーの正体!』だけじゃなくて、メディア評論をしたいんでしょうが »

2012年1月25日 (水)

『ニッポンのサイズ』だけじゃない、こんなことも

『ニッポンのサイズ 身体ではかる尺貫法』(石川英輔著/講談社文庫/2012年1月17日刊)

 しかし、さすがに「江戸文化研究家」で「江戸時代はエコロジー」を提唱する石川氏であるだけに、その度量衡に対する興味も、江戸までの日本文化を大事にしようという発想から書かれているのだ。

 例えば、本書の構成も;

第一章 一メートルとは?

第二章 二〇〇〇年前に決まった曲尺

第三章 鯨尺の歴史

第四章 一升という量

第五章 米一石という量

第六章 銭と泉と匁

第七章 重さをはかる

第八章 手拭いの幅

第九章 畳という単位

第一〇章 一坪という面積

第十一章 一里という距離

 まではこれまでの日本人が自らの体の大きさなどから作ってきた尺貫法と、世界中で通用するメートル法との比較が行われているのであるが、ここから少しずつ変わってくる。

第十二章 風呂敷の規格

第十三章 一町歩と一ヘクタール

第十四章 さまざまな一斤

第十五章 一刻という時間

第十六章 一ヵ月とは?

第十七章 一年とは?

 ときて最後の章にいたって、

第十八章 伝統と生きる

 として、『精密さという点では、「ニッポンのサイズ」や旧暦はとてもメートル法やグレゴリオ暦にかなわないが、何でも精密でありさえすればいいのではない。メートル法とグレゴリオ暦以外の世界にも、案外面白い世界が広がっているのだ。』と結論付けるのである。

 そのためには;

『風呂敷には大きな長所が二つある。

 第一は、同じ風呂敷を長期間使えるため、無駄のない省資源型という点だ。

 第二は、風呂敷でものを包む習慣をつければ、手と同時に頭を使うようになる。

 袋に放り込むのと違って、いちいち包み方を考えるし、複雑な形のものなら、そのたびに工夫しなくてはならない。人間は、できるだけ身をもって経験することが大切なのだ。手を使わなければ、人間は次第に退化していくだろう。

 古い伝統的な方法の短所ばかり見つけるのはほどほどにして、古いやりかたにも長所があったことを思い出してもいい頃ではなかろうか。』(第十二章)

 として、古いものの良さを強調したり;

『日付と季節が最大で一ヵ月もずれるのは、旧暦の欠点といえば欠点だが、考えようによっては長所でもある。たとえば、旧暦三月三日は、平成一一年(1999)がグレゴリオ暦四月一八日、一二年が四月七日、一三年が三月二七日、一四年が四月一五日、一五年が四月四日、一六年が四月二一日というように、このわずかな期間でも最大二五日のずれがある。

 三月二七日なら、南関東ではまだソメイヨシノが咲くか咲かないかの季節だが、四月二一日「なら、ヤマザクラも咲いて散っている。この頃が三月三日なら、もっと北の国でも自然に咲いた桃や桜の下で雛祭りができる。つまり、旧暦を使えば、日本全国の広い範囲で、何年かに一度は本当の桃の季節に桃の節句を祝えるのだ。

    <中略>

 三月三日は、一ヵ月ずれても大した影響はないが、グレゴリオ暦ともっとも相性が悪いのが七月七日の七夕だ。この頃は梅雨の最中で晴れる日は四年に一度ぐらいしかない。ところが、旧暦七月七日は、平成一一年がグレゴリオ暦八月一七日、一二年が八月六日、一三年が八月二五日、一四年が八月一五日、一五年が八月四日という具合に、台風が来なければあまり雨が降らない季節だから、空を見上げるのにふさわしい。』(第十七章)

 と旧暦の、日本の季節に相応しい使い方を提案する。

 いずれにせよ、度量衡はまだメートル法で端数は出るけれども対照法は作れるが、グレゴリオ暦になってしまうと、その対照法はせいぜい旧正月くらいで、ほとんど旧暦を顧みることはなく、季節感のない季節ばかりになってしまうのだ。最近の日本は季節感がないといわれているけれども、それの理由の一つはこうした「グレゴリオ暦と旧暦の対比」表のない季節の表し方があるのではないだろうか。1月~3月が春、4月~6月が夏、7月~9月が秋、10月~12月が冬という、俳句の四季はグレゴリオ暦ではまったく季節感がないが、旧暦だと実に腑に落ちるのである。『赤穂義士の討ち入りは、元禄一五年一二月一四日の大雪の日だった。グレゴリオ暦一二月一四日では、よほどの天変地異でも起きない限り東京に大雪が降ることはないが、この日は、グレゴリオ暦では一月三〇日に相当する。』ということである。

 そんなところから、石川氏はマスコミに提案する;

『度量衡に関しては、計量法という法律があるためできることは限られているが、法律には関係がなく、個人的あるいはジャーナリズムの編集者やテレビのディレクターさえその気になればすぐにでもできるのは、旧暦をつかうことだ。

 旧暦の使いかたには二種類ある。

 ①節句などを旧暦で祝う。

 ②歴史上の有名な事件のあった旧暦の日付に相当するグレゴリオ暦の日付を使う。』(第十八章)

 ということだ。

 こんなことなら、すぐにできそうだ。別に、法律を改正せよとか言っているわけではなくて、われわれの方の考え方だけの問題であるからね。ついでに、旧正月も中国人みたいにやりたいな。

 しかし、世界中に広まってると思われているメートル法なのであるが、実はアメリカとイギリスはいまだにヤード・ポンド法なのである。まあ、これなんかは「自分たちの常識が世界の常識だと思っている英米人の、世界的な非常識」に過ぎないのだが、車に乗っているとこの「常識の違い」が結構面倒くさい。それまでヨーロッパ車や日本車に乗っていた人が、アメリカやイギリスの車に乗ると、使う工具がまったく違ってしまうのだ。ミリゲージの工具とインチゲージの工具という具合。そこでヨーロッパ車に乗っている人はずっとヨーロッパ車に乗り続けることになり、アメ車に乗っている人もやっぱりアメ車に乗り続けるしかないということになってしまう。要は、米英と欧州の、これも覇権争いの一つなのだけれども、私に言わせれば、いい加減にアメリカもヨーロッパの軍門に下ってミリゲージを導入したらと言いたくなる。ボルボ、ベンツ、ランチアBMWとヨーロッパ車を乗りついで来た私も、別にアメリカ車が嫌いなのではない。○○○ー・○○○とか○ー〇・〇〇〇〇〇とか乗りたい車はあるんだがなあ………と、自分の趣味の話になったところで、今日はおしまい。

2010_09_12_075_2

 こんな祭りもね。

EPSON RD1s Summicron 35mm/F2 @駒込 (c)tsunoken

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