フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 『ビジネスマンのための「人物力」養成講座』って、別にビジネスマンだけじゃなくて日本人なら当たり前に持ってましょう、ということでしょ | トップページ | 実に微妙なタイトルである »

2012年1月12日 (木)

『再起動(リブート)せよと雑誌はいう』というけれど、最早それは大出版社では無理かも

 なぜ、「再起動=リスタート」じゃなくてリブートなのか。リスタートのほうが単純じゃんかという気持ちもあるが、そうじゃなくてあえてリ「ブート」という言葉を使いたかったんだろうな。「ブート」というのはアメリカの俗語で「新兵」という言葉、「ビリーズ・ブート・キャンプ」で我が国でも有名になった海兵隊の新兵なのだ。

 つまり、単に新たにスタートせよということではなくて、今迄の人生は捨てて新たにスタートせよ、と言う意味での「リブート」なのだろう。

『再起動(リブート)せよと雑誌はいう』(仲俣暁生著/京阪神エルマガジン社/2011年11月25日刊)

 俎上に上げられた雑誌は、『popeye』『BRUTUS』『WIRED』『pen』『Spectator』『Esquire』『真夜中』『yom yom』『ユリイカ』『群像』『新潮』『考える人』『思想地図β』『文藝春秋』『週刊東洋経済』『週刊ダイヤモンド』『週刊文春』『週刊新潮』『週刊現代』『週刊ポスト』『週刊朝日』『AERA』『COURRIER Japon』『Number』『TV Bros.』『rockin'on』『AXIS』『鉄道ファン』『ランドネ』『Hutte』『sweet』『Mart』『OZ magazin』『Hanako』『GRAPHICATION』『kate paper』『Meets Regional』『Lmagazin』『ぴあ』『CITY ROAD』の40誌と、それらの類誌多数であります。

 それらの雑誌もそれぞれ「ジャーナリズム」として頑張っているのだろうけれども、そんな立場を嫌って「ジャーナリズムじゃない」と言っている雑誌もある。それはそれでいい、何も雑誌がすべてジャーナリズムじゃなくてもいいのだからね。とはいうものの、ジャーナリズム的に読者から思われている雑誌も多いのだ。その辺の作り手と読み手の乖離ってどうなんだろう。そこが雑誌ジャーナリズムの難しいところだろう。新聞やテレビは(本来は)真っ当なジャーナリズムである。それらのメディアがどうにもジャーナリズムとして機能していないんではないだろうか、というのが喫緊の話題なのだが、それはいいとして、雑誌である。

 雑誌はもともといわゆるジャンルわけができないところから「雑な誌面」ということで「雑誌」という命名がされたのであろう。そうもともとは「雑な記事を書いていた」のが雑誌なのである。

 しかし、そんな「雑な情報」がいまやネットで収容されるようになってしまった。というか、雑な情報こそは本来雑誌の基本なのだが、その雑誌性が出版社自身の姿勢からなくなってしまっていることがある。そうジャーナリズムの基本である「ウラ取り取材」というヤツね。「ウラなんて取ってたら記事に出来ないジャン」という本来の雑誌の(ムチャクチャな)やり方が認められなくなってしまって、週刊誌でも新聞みたいに「ウラ」を取れないと記事に出来ないということになってしまったのだ。週刊誌が新聞みたいに「ウラ」を取っていたら確実に週刊誌の生命は途絶えてしまう。週刊誌のいいところはその辺の「いい加減」さなのであります。だから、読者も「ああまた『週刊現代』のトバし記事かなんて読んでくれるわけなのだ。

 まあ、雑誌ジャーナリズムってそんなものよ、と言ってしまっていいのである。

 で、最後にどうこの項をまとめようかと考えてみれば、結局、本書の最後の部分の引用しかないなということで『いま、雑誌を「再起動」させる足場はどこにあるだろう、と考えたとき、それでも私は、あらためて一つの可能性が地域にあると考えたい。ある地域の雰囲気を、そこに住む人やお店の佇まいや、過去から現在にいたる文化や歴史の蓄積をふまえて伝えてくれる雑誌が、どの地域にもあっていい。』ということなのだ。

 これって、要は昔からあるミニコミの発想。それこそ『谷根千』の発想である。それが、もともとの雑誌の発想。『文藝春秋』もそんな発想で創られたわけだし、講談社の元になった『雄弁』もまさにそう。

 ようは、そんな雑誌がこれからも創られるだろうし、ツブれる雑誌も多く見られるであろう。そんな歴史の積み重ねが雑誌を生き生きとさせるのである。

 それでいいのだ。

Dsc_8334_2

 記事とは何の関係もない写真です。昨日行った用賀の風景。女子高生がこうやって気になるのは、やっぱり私が年取ったせいか。自分の娘みたいな気分になるもんね。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105 @用賀 (c)tsunoken

« 『ビジネスマンのための「人物力」養成講座』って、別にビジネスマンだけじゃなくて日本人なら当たり前に持ってましょう、ということでしょ | トップページ | 実に微妙なタイトルである »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

仲俣暁生『再起動せよと雑誌はいう』、雑誌ファンには待望の書でした。『ユリイカ』誌05年8月号特集、「雑誌の黄金時代」以来の読み応えに感激です。

本書の「編集者対談:赤田祐一×仲俣」と『ユリイカ』誌の「三十代編集長座談会」(ラスト・オブ・マガジン)や「雑誌ジャンキー対談」(雑文家渡世)を読み比べ、雑誌メディアを取り巻く環境における年月の経過を実感しました。
本書が「批評するゆえに我あり。長寿の秘訣」と、敬愛する『ユリイカ』誌。「次の時代にも生き残れるかどうかは、創刊時の清水康雄氏らが込めた『詩』への思いを受け継げるかどうかにかかっている気がしてならない」と釘を刺していましたが、確かにそうかも。誌名のサブタイトルが「詩と批評」ですからね。

私の場合、『ユリイカ』誌1978年11月号(特集=植草甚一氏の奇妙な情熱)が忘れられません。篠田一士・池波正太郎・飯島正・田中小実昌・佐伯彰一・淀川長治・・・等々、豪華な執筆陣でした。『現代思想』誌では、77年5月号(特集=現代芸術の思想)かな。これも、大岡信・東野芳明・柄谷行人・蓮実重彦・山口昌男・高階秀爾・中村雄二郎・・・等々、素晴らしい知性の競演でした。

件の『ユリイカ』誌には、仲俣氏が「いま、『雑誌編集者』はどこにいる?」という一文を寄せていて、『シティ・ロード』『ワイアード日本版』『季刊・本とコンピュータ』など、自身が携わった雑誌を回顧していました。そして、フリーペーパー『R25』の成功がもたらした光と影に言及していたのが印象的でした。
そして、7年後の本書「あとがきにかえて」では、「カルチャー」ではなく「ローカル」の視点から「雑誌の再起動」に希望を見出していました。死屍累々の創刊雑誌惨敗を嘆くだけでなく、もう一度『ぴあ』や『シティ・ロード』の初志・精神に立ち戻ることに確信を得たように。7年の歳月は、良い意味での開き直りと展開力を与えてくれたみたいです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/53706546

この記事へのトラックバック一覧です: 『再起動(リブート)せよと雑誌はいう』というけれど、最早それは大出版社では無理かも:

« 『ビジネスマンのための「人物力」養成講座』って、別にビジネスマンだけじゃなくて日本人なら当たり前に持ってましょう、ということでしょ | トップページ | 実に微妙なタイトルである »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?