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2012年1月24日 (火)

『知的生産の技術』と読書の記憶

 1月21日のエントリー『ウメサオタダオ展を見る』のミュージアム・ショップで久々に買ったのが………。

『知的生産の技術』(梅棹忠夫著/岩波新書/1969年7月21日刊)

 書いてあることは、大体覚えていることである。

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 京大式カードのことや。

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 ローマ字タイプライター(って、英文タイプライターのことだよね)とかかなタイプライターのこととか。

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「こざね」を使った発想法とかの考え方は、よく知っている。KJ法(川喜多二郎)と言うやつに近い方法論だ。

 結局それらの発想を持ってくるとパソコンのデータベースの考え方になるわけだ。つまり、一回アウトプットして知識を忘れる。そうしてアウトプットされた知識をつなげて新しい発想に繋げるというやり方だ。

 読みながら「そうそう」と昔読んだときのイメージが再び沸いてくる………。ところが、その「昔読んだとき」がいつの頃のことなのかが思い出せない。

 1969年の初版なので、初版時に読んでいれば高校三年の頃かとも思うのだが、高三の頃には教師の言うことなんか聞かない生徒だったんだから、教師が薦めても読まなかっただろう。大学生かサラリーマンになってからなのだろうか。サラリーマンになって最初の研修でKJ法を「やらされ」川喜多二郎氏の本は読んだような記憶はあるが、そこでも梅棹忠夫氏の本を読んだ記憶がないんだよな。

 昔、見たことがあるような風景に出会うという「デジャブ」の逆転状況があるのだろうか、本の中身は全部知っているので、多分どこかで読んだはずだけど、でもいつ読んだかはまったく覚えてない………という。

 しかし、読んでみて、その古さを感じるよりも、まさしく「情報化時代」を予見したひとらしい斬新さを感じるとともに、データベースの元になる考え方であるカード式や、まあこれは時代のテクノロジーからしてやむをえなかったローマ字タイプライターやかなタイプライターなどなど、まさに先進的な発想法を持っていた人だというのはよく分かる。

 面白いのは『知識はおしえるけれど、知識の獲得のしかたは、あまりおしえてくれないのである。そのことは、中学・高校ばかりか、ざんねんながら学問の府であるところの大学においても、おなじである。しばしば、「大学は学問をおしえるところではない。学問のしかたをおしえるところだ」ということがいわれる。しかし、じっさいはやはり、大学においても、学問の方法をおしえるよりも、学問の成果をおしえるほうに熱心である』という日本の学校教育のありかたから、『知的生産の技術』を発想したということ。『くりかえしていうことだが、わたしたちの社会の、制度化された教育体系では、達成された成果を次代につたえることには、なかなか熱心であったが、その達成までの技術を開発し、発展させようという気もちは、あまりなかったようにおもわれる。技術の開発と発展のためには、成果よりも、それにいたるまでの経過の記録と、その分析がたいせつである。ところが、そのほうは、信じられないくらいおそまつなのである。』

 その結果、梅棹氏は「情報工学」という学問分野を提案する。『国文学の授業は、国文学専攻の人がうけもてばいい。しかし、国語の問題、ひいては文章の問題は、むしろ、情報工学の問題としてかんがえたほうがいいのではないか。』というのだ。なるほど、国語学の問題は国文学とは切り離したほうがいいという考え方。たしかに、いまの大学には「情報工学」的なタイトルをつけた学問分野が増えてきている。

 しかし、今回この本を読んでみて、またまた新しい発見をしたのだった。『日本人には、自分のしとげた仕事の記録をのこすという習慣が、あまり身についていないようである。どんな仕事でも、日本人のやったことを、すこししらべてみるとわかるが、たいてい、まことに貧弱な記録しかないものである。 <中略> 日本人は、記録軽視、成果第一主義で、実質的で、たいへんけっこうなのだが、社会的蓄積がきかないという大欠点がある。やはり、どうしてこうしてこうなった、ということを、かきのこしておいてくれないと、あとのもののためにならない。』という言葉は、まさしく1月23日に入ってきた「原子力安全・保安院は23日、東京電力福島第1原子力発電所の事故を受けて設置された原子力災害対策本部の議事録を全く残していなかったことを明らかにした。」というニュースそのものの問題なのだった。

 大体、役人が議事録を残さないというのは「自分の失策を隠蔽したい」から訳なのだろうけれども、今回の「議事録残さない事件」はそんな失策の隠蔽どころか、今後同じような事故が起きたときに、前例として参考にならないようにしたとしか言えない、結果としては重罪になってしまう。

 まあ、自分の事しか考えてない官僚って、やっぱりなんかなあ………、という感じなのであった。

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chikirinさんではないが「自分で考えよう」という方法論としての「こざね」なのであります。

Fujifilm X10 @お台場 (c)tsunoken

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