フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 実に微妙なタイトルである | トップページ | 今日はちょっとダメですね »

2012年1月14日 (土)

世田谷区用賀周辺

 世田谷区用賀といえば、環八と東名高速の交点でいつも渋滞している「道」というイメージであまり印象はよろしくはない。

 しかし、考えてみれば首都圏の大動脈である環状八号線と、日本の大動脈である東名高速道路の交点が渋滞するのは当たり前であるし、それに文句を言うすべはない。

Dsc_8332_2_2

 この用賀のメルクマールは「世田谷ビジネス・スクエア」という28階建ての超特大ビルであります。日本オラクル(元サン・マイクロシステム)や、キャタピラージャパンが入っているビルであり、東急田園都市線の用賀駅から、そのままビルに入れる便利な「駅+ビル」ではある。

 しかし、世田谷区には三軒茶屋キャロットタワーというランドマークがもうひとつある。こちらは26階建て。練馬区で言ってしまうと、練馬のランドマークは結局、練馬区役所だったりする訳で、それは高崎市では高崎市役所だったり、前橋市では群馬県庁だったり、結局はお役人が自分の満足感を味あうための自己満足的な、今では意味のないお城の天守閣みたいな発想なのだ。

Dsc_8325_2_2

 で、結局、用賀というのは、元々大山街道の宿場町だったんだよな。当然、東海道とかの大きな街道の宿場町ではなくて、大山参りという丹沢山へのお参りの途中駅というわけだ。でも、当然宿場町である以上、そこでの飯盛女なんてのはいたんだろう。特に、信仰の後のお宿では当然のように「女買い」はあったはずだから、そこはそれ賑わっていたはずである。

Dsc_8317_2_2

 そんな、町の雰囲気は今はまったくない用賀の町ではあるけれども、かろうじて下町的な町の造りなんかは残っていたりもするのだ。

Dsc_8321_2_2

Dsc_8323_2_2

 まあ、一生懸命探さないと、殆どないけどね。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105 @用賀 (c)tsunoken

« 実に微妙なタイトルである | トップページ | 今日はちょっとダメですね »

カメラ・写真」カテゴリの記事

コメント

なるほどねえ。
大山街道というのは俗称だったんですね。

宿場とは五街道や脇往還などの公道において駅逓事務を取扱う為に設定された町場です。
大山街道や矢倉沢往還とは俗称で、実は街道でも脇往還でもない、ただの大山道という道にすぎません。 
宿場町はないけれど、幕府公用のため伝馬・人足御用を賄う継立村が開かれ、休泊施設など宿場類似の機能はありました。 
継立村は幕府御用の人馬提供など負担も多く、そのため宿泊客の独占などの保護を受けました。
 逆に、継立村以外の場所では、宿泊施設を経営するなどは許されなかったのです。 
大山道のもっとも江戸に近い継立村は、川崎の二子村と溝の口村で、賑わいを見せました。 
しかし世田谷領20ヶ村に継立村は一つも許されていません。 ですから用賀には宿も飯盛女もまったく存在しませんでした。
同様に二子玉川の渡しの利権も川向こうの継立村である二子村が独占していました。
世田谷20ヶ村は彦根藩領地の寒村に過ぎなかったのです。
用賀の地名もヨガとは関係ありません。仏教を離れた単独のヨガ道場なんてありえません。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/53729797

この記事へのトラックバック一覧です: 世田谷区用賀周辺:

« 実に微妙なタイトルである | トップページ | 今日はちょっとダメですね »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?