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2012年1月17日 (火)

北鎌倉逍遥

 NHKで大河ドラマ『平清盛』が始まったからという訳ではないが、その平家を壇ノ浦の戦いで滅ぼした源氏の総本山、鎌倉の裏の北鎌倉に行った。

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 北鎌倉と言えば、戦いの神様「八幡宮」の裏手にある鎌倉五山で有名なところ。取り敢えずは、五山の第一「建長寺」だろう。勿論、隣には元々は1253年(建長5年)に鎌倉幕府五代執権北条時頼が日本最初の禅道場として開いた建長寺に従い、1886年(明治19年)に宗学林として設立されたのがその前身である(昨日のブログでも触れた)鎌倉学園があるわけだ。

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 しかし、鎌倉学園といえばいまや境正章や桑田圭祐の卒業校というイメージで、あんまり強くないアメフト部(ファイティング・スターズ)もあるし、なんか仏教校というイメージはないんだが、しっかり仏教校。ただし、あんまり宗教教育はないんだそうだ。まあ、だから桑田圭祐みたいに仏教校からメソジスト派ミッション系大学の青山学院にいっても、何の抵抗もなく平気なんだよな。

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 それにしても、なんとなく徳川家康のイメージが強いからなのだろうか、なにか武士というと真言宗のようなイメージが強いのだが、鎌倉五山はすべて臨済宗なのである。それも、当時は天台宗的な密教文化が中心にあった武家の宗教環境の中、中国からの輸入宗教的な臨済宗をバックボーンに据えた鎌倉幕府ってどんな存在だったんだろうか。

 と、考えてみたけれど、当時は神仏習合の時代であり、鎌倉幕府は臨済宗とともに八幡様(鶴岡八幡宮)も信仰していたわけだ。まさに「南無八幡大菩薩」って、あんたどっちの宗教なの、ってな感じであります。

 考えてみれば当時の武士なんて自分の力しか信じていない人間、つまりプラグマチストだけが力を持ったわけで、神仏に頼るようなやつは二級の武士だったわけなんですね。だから、宗教なんてものは、少しは自分を安心させる目的もあるのかも知れないが、基本的には下級の人々を支配・管理するために使っていただけなのである。

 まあ、もともと自分の力だけで出世していた武士という階級にとっては、宗教は利用するものであって、自らがそれに帰依するものではなかったのであろう。

 そんな意味では、鎌倉五山が臨済宗ってのは、当時は中国からの輸入宗教ということでの目新しさとかがあって、とりあえずわけが分からないうちにそれを庶民に広めて言うこときかしちゃおうぜ、な感じがあって面白い。

 昔から、官僚や武士(って今の政治家?)の考えていることは、あまり変わっていないのね、ということであります。

 そう、庶民は「自分で考えないように」「お上が言うことを疑わないように」「先生(学校だったり、お寺だったり、神社だったり、○○教室だったり)の言うことを聞きましょう」という具合に教化することが大事なんだよな。

 でも、そんなこと言っている官僚や政治家の方が、最近では庶民より程度が低いような気もするんですがね。

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 と、こうして北鎌倉を歩いてみたんだが、静かな町ではあるけれども、こりゃ隠居だな、って感じ。

 こんな静かな町に住んでしまったら、忙しい東京には出て行けません。

Fujifilm X10 @北鎌倉 (c)tsunoken

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