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2011年12月 1日 (木)

『写真の秘密』じゃなくて、写真家の秘密だな

 なんつったって、カバーのブラッサイの自写像がいいよね。三脚に乗せた6×6か6×9サイズの蛇腹式のカメラをくわえタバコで眠そうな目で覗いているのである。いまどき、こんなスタイルで写真をとる写真家なんていません。「お前、もっと真面目に仕事をしろよ」ってなもんですな。

 この写真の如く、素敵な写真を巡るエッセイ集なのだ。

『写真の秘密』(ロジェ・グルニエ著/宮下志朗訳/みすず書房/2011年10月28日刊)

 この素敵なエッセイ集からカメラの名前が題名についているものを取り出すと;

ベビー・ボックス/A・G・F・A/ライカのせいで/新しいアグファ/貧乏人のローライフレックス/「フォクトレンダー」の呪い/女性とライカについてもう一度/オリンパスの白鳥の歌

 ということになる。「フォクトレンダー」といったって日本立憲君主国長野県で作られている「フォクトレンダー」ではない、この「フォクトレンダー」は当然元祖「フォクトレンダー」たるドイツのカメラである。で、このドイツのカメラ群の中で唯一日本のカメラとして上げられているのが「オリンパス」なのである。

『新聞記者をしていたせいで、長年にわたって控えてきた写真の世界に戻ってから、ずっと手元にあったカメラのひとつが、かなり大きな「オリンパス」だった。』というから、オリンパスといっても、オリンパス・ペンやオリンパス35ではなく、6×6や6×4.5のスプリングカメラなのだろう。それにしても、ニコンやキャノンじゃなくてオリンパスというところに、ロジェ・グルニエの趣味のよさが窺える。

 カメラが好き、写真が好きといっても写真家のそれではない。子どものときから写真と付き合ってきたロジェ・グルニエだ。それはフランスの組合制度なのかも知れないが、新聞記者はカメラを持ってはいけないという決まりの中で、カメラマンと一緒に仕事をしながらも写真を撮っていなかったグルニエにとって、新聞記者をやめて作家になったときに、再び自ら撮影をし、文章を書くという作業を再開したときの喜びは想像に難くない。

 そんな時に、普通ならライカかローライフレックス、新しもの好きならニコンかキャノンというところなのだろうが、その時にオリンパスのスプリングカメラというのが可笑しい。というか、この選択に嬉しくなってしまうのは私だけだろうか。作家として当然の収入はあるはずなのに、当時の最高峰のライカやニコンじゃなくて、(多分)中古のオリンパスというところに、この作家の奥ゆかしさというものが感じられる。

 もひとつ、面白いのは19世紀の肖像写真家として知られたナダールの文章を引いた「ひとつの源泉」という章。

『ナダールの場合は、風刺画家としての仕事の助けとして写真技術を習得したことは知られているのだろうか? プロになった連中については、彼は痛烈な皮肉を書き連ねている。

「どいつもこいつも、落伍者や、見限られた連中が、写真家商売を始めたのだ。集金日に時間通りに戻ることを怠ってしまった書記見習い、正しい声が出なくなったカフェ・コンセールのテナー歌手、芸術への懐旧の情におそわれた管理人、こういった連中がみんな芸術家を称しているとは! 落ちこぼれの画家、失敗した彫刻家たちが殺到し、料理人が燦然と輝いているさまも見受けられる。」

 ナダールは、だれでもがそんなふうに「芸術家」になどなれるはずがないと、はっきりわかっていたのだ。

「写真の理論など、一時間で覚えられる。写真の基礎知識も、一日もあれば学ぶことができる。学ぶことができないのは、光の感覚であり、さまざまに組み合わされた光によって生み出される効果を、芸術的に判断することなのだ。またもっと習うのがむずかしいのは、対象を精神的に理解することであり、モデルと一体になるための機転や気働きなのである。そうしたものを学んではじめて、暗室の最低の奉仕者にも手が届くような、乱暴かつ行き当たりばったりに撮った、無頓着そのものの造形的な複製(ルプロデュクシオン)などではなく、もっとも親しみにあふれ、好意にもみちた、親密なる似姿(ルサンプランス)が得られるのである。」』

 そう、私なんかはまさに『乱暴かつ行き当たりばったりに撮った、無頓着そのものの造形的な複製(ルプロデュクシオン)』を撮っている。しかし、それが写真というものなのだ。別に、写真が芸術であるなんてことは考えてはいない。取り敢えず、そこに自分がいたという証明でしかない写真を、多分、私は撮り続けるだろう。

 写真は誰でも撮れる、しかし、芸術写真は誰も撮れない。何故なら、現実社会の一片を剥ぎ取ってくるだけの「写真」が芸術のわけはないだろう。単に、それは現実社会の一片の連鎖であるにすぎない。勿論、その量の多さが芸術に匹敵する人はいるのかも知れないが、多分、それはとてつもない写真の「量」による「重さ」が必要になるはずだ。

 つまり、写真家は沢山の写真を撮ることでしか芸術家たりえないということ。

Dsc_7085_2

 取り敢えず、モノクロにして“芸術写真”っぽくしてみました。じゃあ、これが“芸術”かといえば、そうは言えないですね。単なる“写真”。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105 @新宿 (c)tsunoken

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