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2011年12月17日 (土)

『大学キャリアセンターのぶっちゃけ話』だが、もっとぶちゃけちゃった方がいいんでないの?

 まあ、いくつかの大学のキャリアセンターで仕事をした事のある筆者の「ぶっちゃけ本音話」であるわけなのだが。

『大学キャリアセンターのぶっちゃけ話 知的現場主義の就職活動』(沢田健太著/ソフトバンンク新書/2011年10月25日刊)

 私が就職活動をしていた30数年前はキャリアセンターなんてものはなくて、地味~いな就職部というものがあった訳であるが、私自身の就職に関していってしまうと、実は私自身は一般公募があるところしか受けていない、というか学内選考があるような会社には、基本的に学内選考で落ちてしまうことが分かっていた(つまり成績が最低ということ)ので、一般公募で一発勝負というという会社しか受けられないという状況だったので、大学の就職部のお世話にはまったくなっていなかったのである。

 昔はそんな学生が多かった。というか、大学に入っても、殆ど学校に来なかった学生の多かった時代の、まさにそんな学生は、そうした方法でしか社会人になることは出来なかった。逆に、今は学生も結構ちゃんと授業に出席しているようだし、そんな学生には、学校側もキチンと対応しなければならない時代になったのだということだろう。

 まあ、それでも就職できたということは、まだまだ高度成長経済の名残が残っていた1970年代だったということなのだろう。今じゃあ、とってもダメですね。

 で、そんな会社の人事マンが言いがちなセリフというのが第2章に載っている。いわく「どんな方でもいらしてください」だし、いわく「みなさんに来てもらいたいと思います」だし、いわく「いろいろな人に来てもらいたいと思っています」だし、いわく「就職活動に学校名は関係ありません」だし、いわく「ありのままの自分を出してくださいね」だし、いわく「出る杭を求めています!」だし、いわく「オレも学生時代は勉強してなくて」だということ。つまり、そこで学生が学ばなければならないのは「本音と建前は違う」という「大人の社会の常識」なのだということである。つまり、ここに上げられた言葉のすべては「人事サラリーマン」としての建前の発言であり、本音は其の裏側にあるということ。

 つまり、『現実は、ここまで幾たびも指摘してきたように、企業階層を大学階層との間には明らかな相関性がある。入試偏差値の高い大学の学生は希望通りの会社に入りやすいし、低い大学の学生は正規社員として採用されることが簡単ではない』ということ。基本的には学歴格差・大学格差というものは明らかに存在するし、事実、高偏差値大学を出てきた奴は問題処理能力は確かに高い。

 しかし、会社というものは問題処理能力がいくら高くても、新規事業に関する企画力がなければダメだ。その辺になると、大学の偏差値は関係なくなってしまい、あとは個人の能力の問題だけになってしまう。そこで、企業側は先の人事マンの言うような建前の台詞を吐くことになるのであるが、でも、低偏差値大学からは人は採らない。

 12月8日の「『危機の大学論』なんて、そんなに危機なんですか?」に書いたとおり、むしろキャリアセンターの方から学生に対し「そんな会社にウチの大学から受かるわけないじゃないか。それを承知なら受けてもいいけど、結果は知らないよ」というメッセージをキチンと伝えるべきである。

 じゃあ、何故人事マンが低偏差値大学から人を採らないのかと言えば、実に簡単である。要は高偏差値大学から採用した人が実はダメ社員だったとしても、それは採用担当者じゃなくて、その人間が配属された職場の上長の責任になるのに対して、低偏差値大学からさ移用された人が、結局やっぱりダメじゃないかよ、と言う場合は採用担当者のチャレンジはやっぱりダメだった、ということで採用担当者の罰点になるという単純な理由からなのだ。そう、人事マンも所詮はサラリーマンな訳ですからね。

 いずれにせよ、大学キャリアセンターなんてものが「学生の面倒を見る」ために作られたのが間違いじゃないのか? 大学生というのはもう大人だ。そんな大人をまるで子どもみたいに扱って、何から何まで面倒を見ると言う風な大学環境を作ってしまい、その中で「安心して学べますよ」「安心して就職活動ができますよ」なんてことを当たり前のようにしてきてしまった大学側がおかしい。

 だって、大学生って言ったら、2年生になれば20歳を過ぎて選挙権だって得られるのである。そんな、人間をなんで子ども扱いして面倒を見なければいけないのだろうか。「さあさあ、君達は選挙権があるのだから、投票に行こうね。投票用紙の書き方はこう。え? 誰に投票したらいいのか分からない? じゃあ、この人の名を書いときなさい」なんて言うのと、就職活動における過剰な面倒のみかたは、実質的に同じものだ。だって「君は何をしたいの? フムフム、じゃあこんな会社があるし、この位の会社ならウチの大学でも採ってくれそうだから、受けてみないか?」というのと、上記の投票における指導と、実質はまったく同じでしょう。

 これじゃあ、学生は一生乳離れできないままに人生を終えてしまうのではないか、という危惧を抱く。

 もはや、大学生は大人である。大人なら大人らしく、自分の人生は自分で選びなさい。以上、終わり。ということで、学生を突き放しなさい。キャリアセンターなんてものはやめて、昔ながらの地味~な「就職部」に戻すべきだ。

Dscf2030_2

 特に意味はありません。「歌川国芳展」か。ちょっと見てみたいな、ということであります。

Fujifilm X10 @有楽町 (c)tsunoken

 

 

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