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2011年12月11日 (日)

『絶頂美術館』って、結局はエロオヤジの満足を満たすものでしかないんだよな

「椿事」というのは大体春に起こりモノとばかり思っていてのだが、ここにきて「冬の椿事」が起こってしまった。

 というのも、一昨日のブログのページュー(PV)数が21時を過ぎて突然増えて、21時台462、22時台393、23時台155という具合で、結局一日のPVが1,439というこれまで前代未聞の数になってしまったのだ。それまでの最高PVだって500位だったのがね、突然。

 しかし、一昨日のエントリーは「『なんでコンテンツにカネを払うのさ?』って当然の疑問だと思うけれども、それ以上に「国家論」になってしまうのだな、この結論は」っていう岡田斗司夫さんに関わる文章だから何の関係もないはずだ。ネットでサーチしても分からないで、もう一度過去エントリーを見ると、12月4日に小説版「『インシデント 悪女たちのメス』の本当の悪女は……」という文章を書いていて、その『悪女たちのメス』のテレビ放送が12月9日21時から23時までというのがあったのだ。つまり、テレビ放送を見て、「へ~何これ」と思った人たちが、パソコンを叩いて「おっ、『インシデント 悪女たちのメス』について書いているバカなブロガーがいるぜ」ってなもんで、皆とりあえず読んでみた。しかし、そこに何のコメントもついていないところを見ると、皆ブログは読んだけど、あまりのクダラなさに、そのまま閉じちゃったんだろうな。

 ということなので、本日は別の内容のブログを書こうと思ったんだけれども、とりあえず、本に関する文章でいこうかな、というところで、昨日の分を取り返せるかな。まあ、無理でしょう。

『絶頂美術館―名画に隠されたエロス』(西岡文彦著/新潮文庫/2011年11月1日刊)

 である。要は「名画に隠された、描き手と注文主(パトロンともいう)のエロ(ス)志向」ということでしょ。

 そう、昔からギリシャ神話や聖書から「とってきた」と言う事を理由にヴィーナスとか、ギリシャの神々とか、クレオパトラ(これはちょっと違うが)を脱がせて彫刻にしたり絵画にしたりをやっていた西欧人。しかし、そんな西欧人の「暗い欲望」を白日のものとに西岡氏は晒すのである。つまり『生理的にも、エクスタシーのさなかにある女性の下半身の筋肉が極度に緊張しているのは当然のことで、そり返った足指は、その代名詞ということになる。』ということで、なんで神々がそんなエクスタシーの状況になるのかといえば、それは「神」ではないからだろう。

 つまり、エクスタシーとは普通の女たちが感じる状態であり、情感でもある。それを神々たちが感じてはいけないんだろう、というのが当時の普通の人の感覚ではあるけれども、実際の女たちはエクスタシーを感じるところでは感じるわけであるし、神様であっても「女」である以上、そんな瞬間があってもいいじゃないか、というのが「普通の男」の感覚でもある。

 で、よく見るとこれらのヴィーナスの足指の形は微妙だな。それが西岡氏の言う「エクスタシー」です。

Photo

Images

 で、足指の形でエクスタシーを表現した画家や彫刻家たちの行く末はどうなのか、といえば、それはいずれ神々や聖書に書かれたものじゃない「市井の女のヌード」というところに行き着くわけで、画家はそちらの方にいくようになるのは、しかし、19世紀まで待たなければいけないのだった。

 でも、基本的に絶対必見はこのクールベの『世界の起源』という作品になるのでしょう。

 いまや、こんな程度の写真は当たり前になってしまっていて、ネットにもいくらでもUPされているようなものなのだが、この作品が公開された当時(1883年)は「本当に公開されていれば」凄い反響になっただろう。

 実際には、クールベ自身のコレクションとして描かれたようで、それもクールベの家の隠れ部屋に置かれていたようだ。

Kurbe640200506240002

 まあ、そりゃそうだよな。実は世界中の誰もが知っている(童貞のひと以外は)こんな場所の絵を、実は皆見たいと思っているのだが、それを見たいといってはいけない女性の部分ではあるのだ。しかし、やはりそれを見たいと思っている男性はいっぱいいるわけで、そんなところがこの作品を、実は男が皆見たいと思っている感覚なのだ。

 すごいなクールベとだけは言っておこう。

 しかし、本当は人間(女性)というものは、顔がなければどうにもならない存在なのであるから、クールベのこの作品も、やはり顔まで描いて欲しかった、というのが私の結論なのであるけれども、どうだろうか。別に美しい女性でなくてもいい。「身体」には、やはり「顔」が欲しいのだということだけである。顔を見て、初めてその女を好きになれるかどうか、とい事を決めてはいけないのだろうか。女なんてものは、所詮子どもを生む機械なのだという考え方の人がいるそうだが、そう考えている私とは大いに違う考え方で、やはり女は「顔」」だと考えているところなのです。勿論、その場合の「顔」というのは、別に「美しい顔」とか言ってません。言ってみれば「顔の存在感」かな。美しくなくてもいい、「そこにいていい存在である」ということが大事なんでしょう。

Dscf2120_2

 結局、男って女には「エロ」しか求めないのかな。

Fujifilm X10 @日暮里 (c)tsunoken

 

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