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2011年12月 8日 (木)

『危機の大学論』なんて、そんなに危機なんですか?

 うーん、諸星氏の前著『大学破綻』を読んだときにも感じたのだけれども、とりあえず日本に780校もの大学が必要なのかということだし、そんな多くの大学の卒業生を受け入れる企業なんかない、ということなのだ。大学出の就職難民が出るのは当たり前だし、「ウチの大学を出たからって就職出来るとは限りません」ということを、大学が学生にアナウンスする必要があるんじゃないか。

『危機の大学論――日本の大学に未来はあるのか?』(尾木直樹・諸星裕著/角川ONEテーマ21/2011年11月10日刊)

 ところで、諸星氏はセンター試験の出来のいいやつを使って、大学入試を簡単にするということについて言及するのだが、なかなかそうはいかないだろう。

 なぜなら、例えば2011年入試で一番の受験生を集めた明治大学の場合、受験生総数は約11万4千人、一般入試が受験料35,000円でセンター入試受験料が18,000円、平均して30,000円とすると34億2千万が入試だけで入ってくるお金なのだ。対して、明治大学の年間予算は2005年で426億円というから、年間予算の8%は入試の収入なのである。これは辞められないよね。いつだか、私の母校、中央大学の職員と話をしたときに、「中央ならまだまだ学生は定員通り入ってくるんだから、まだまだ受験者数の低下なんて関係ないんじゃないの?」と言ったときの答えが、上記の「受験料収入も大学の重要な収入源なのだ」ということだった。中央大学あたりでもそんなことなわけなのだから、それこそ早稲田、明治なんて沢山の受験生を受け入れる大学にとっては、もっと重要なことになるのだろう。試験問題を作る大変さは分からないではないが、しかし、それをしも大学の収入源であればこそ、大事なことなのだ。

 諸星氏のいる桜美林大学あたりは、そんなに受験生が多くないだろうけれども、受験生が多い大学は、逆にそれなりの問題も抱えているのである。まあ、贅沢な問題かもしれないけれどもね。

 さらに、諸星氏は言う『大学はその機能によっておおむね三つのタイプに分けて捉えるのが妥当ではないかと考えています。

 まずひとつめのタイプは、世界レベルの研究を支える大学。二つめのタイプは、リベラルアーツを中心とした教育の中で豊かな教養と人間力を磨いたオールラウンダーを輩出する大学。そして三つめのタイプは、国民としてのきちんとした常識と勤労者としての健全な労働倫理を身につけた善良な社会人を育成する大学、ということになるでしょう。』

 しかし、それでも救えない連中が行く大学なんてもの必要なんじゃないか。例えば「シャブ中のおばさんでもはいれる大学」とか「1+1が出来なくても入れる大学」である。諸星氏がいう「三つめのタイプ」が「掛け算、割り算ができない連中を受け入れる大学」なら、いまやそれにもはいれない「箸にも棒にもひっかかれない」連中が行く大学も必要になるかも知れない。親としては「ヤンキーになって遊びまわっているよりはとりあえず大学生になって、普通の人生を送って欲しい」と考えるだろう。勿論、そんな大学は就職なんかは保証しません。勝手にやってください、ってなもんだ。

 そう、企業だって指定校制度があった方が採用事務量は減るし、学生だって無駄にエントリーシートを書いて、始めっから採用されるはずもない企業を志望してがっかりして就職浪人を増やすよりは良いのではないか。いまや、以前は高卒の人たちがやっていた仕事を大学卒がやっている時代なのだ。そうした大学の多様性を認めていながら、一方で就職難を企業の側だけのせいにするのもおかしな話なのであって、企業の側の採用の自由度ももっと増やすべきである。青田買い結構、早い段階で就職が決まってしまうと勉強をしなくなるというのは完全に杞憂にすぎない。勉強をしない学生は始めからしないし、勉強するヤツは就活の最中だってちゃんと勉強はしているのである。そんなものは企業と学生と大学だけの問題でしかない。日本の社会とは何の関係もない出来事でしかないものを、かってに大げさに問題にしているだけなのだ。

 そう、つまり『危機の大学論』とはいっても、それは大学を経営している側の問題であって、それじゃあ倒産する大学が出てしまうったって、そんな大学は倒産しても仕方がないのであるし、そんな倒産するような大学に就学する学生も学生なわけだから、そしたらやむなく別の大学に入学すればいいだけの話である。単純な企業論理でもって大学を作るんだから、それこそ単純な企業論理でもってツブれる大学が出てもいいのである。

 大体、企業だって別に大学になにも期待はしていないのであるからね。

Dscf2054_2

 立教大学のクリスマスページェントである。さすがに聖公会系の大学である、あまり派手な飾りではない。これが普通の飾り付けである。水平が狂っているのはいつもの通り。まあ、これも大学の姿勢のひとつなんだろうな。

 諸人こぞりて迎えまつれ、であります。

Fujifilm X10 7.1-28.4 @池袋 (c)tsunoken

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