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« 『方丈記』の現代性について――個人的な想い | トップページ | 『「上から目線」の構造』というよりも、「上から目線」を気にするほうが変だよね、という話 »

2011年11月25日 (金)

『マスコミはネットを一体どうしたいのか?』って? どうしていいか分からないんだよ。

 ほんとに一体どうしたいのさ、と問いたいところだけれども、そうか北島氏の感覚では私が属する会社みたいなところも「マスコミ」なのね。ということは、私もそれを問われているわけだ。ウーム、難しいぞ、なんて言っていながら、実はそんなに難しい話ではないのだった。

『マスコミはネットを一体どうしたいのか?』(北島圭著/サイゾー/2011年10月5日刊)

 ということで、北島氏から「マスコミ」の一部と言う事になった私が所属する会社なわけだけれども、たしかに週刊紙なんかは数十万部は出ているわけで、それはそれマスコミともいえるわけではあるけれども、その他のメディア、特に書籍なんかは数万部出れば御の字、十万部越えればいまではベストセラーなんて世界にいると、この会社が「マスコミ」なんかじゃないよな絶対、と言う気分になってくるのである。ましてや「マスゴミ」になんかなりたくてもなれないような体たらくなのであります。そう、一回でもいいから「マスゴミ」なんて言われたいじゃないの。

 でもまあ、北島氏からマスコミと認定されたのであるから、そんなマスコミ企業の内部にいる立場から、少しだけ発言しておこうか。

 つまり、どんどん会社を小さくしていけばいいのである。ネット企業の基本は「会社の小ささ」である。小さい会社は小さいなりに結論を出すまでの経過が短く、速い。そうネット企業の成功の原因はこのように、結論を出すのに「すぐ出る」ということなのだ。そうしなければ、今のネット社会の激しい変化にはついていけない。というか本来はネット社会を領導したものが一番いいところをとる、というのがネット社会の基本である。ということは、未開社会ではそこで最初に発案したものが、あるいはその発案したものを「奪い取ったもの」が、一番の地位にたち、そしてその社会を領導していくのである。その意味では私の会社は「最初に発案」は多分無理だろうけれども、それを「奪い取る」ことは可能な経済的余力はあるようだ。ただし、その為には、結論を速く出すために会社は小さいほうがいい、ということなのだ。まあ、小さいほうが駄目な会社を潰すのもラクだしね。問題は、その会社の決定をしたときにバックにいる「なんとかホールディングス」がちゃんと金を出せるかどうかということなのだが、それがなければ分社化は単に潰すための分社化でしかないっていうこと。

 前にも書いたと思うけれども、基本的に出版社っていうのはベンチャーであったし、今でもベンチャーなんだということ。新聞社とかテレビ会社みたいな巨大な(でもメーカーに較べれば小さいか)装置産業ではない。それこそ机ひとつ電話一台あれば(今ではそれにパソコン1台かな)出来ちゃう会社なのである。だったら、そんな会社が上手くいかなければ、会社を潰したって、残るものは何もない。つまり、興すのも簡単、潰すのも簡単、という典型企業であって、実はそれはネット起業と実に近い世界なのであります。

 北島氏が一番嘆かなければならないのは、やはりマスコミの「マスゴミ」たる一番の企業群、新聞社であろう。新聞社は未だに今のネット社会での課金事業モデルを見つけていないし、広告モデルも確実にそれが収益をもたらす方法も見つけ出していない。同時に、記者連中も、自らのジャーナリストとしての立場しか考えていない奴らばっかりで、経営的観点からみて自分が所属している会社のことを考えていない。

 とにかく、この「ジャーナリスト」っていうのが問題だね。「ジャーナリスト」ってなっちゃえば(自称しちゃえば)経済的な問題は考えなくてもいい、って訳だ。でも、それは日本では無理でしょう。「ジャーナリスト」っていう肩書きだけで会社を離れて仕事を出来る人は、日本の自称「ジャーナリスト」の中の数パーセントだろう。その他大勢は、自称「ジャーナリスト」と言っても所詮「サラリーマン」でしかない。つまり「社蓄」ね。

 そんな「社蓄」が偉そうに「自分はジャーナリスト」だなんて言ったって意味がないよ、というのがネット民の発想だろう。なに言ってんだよ『所詮お前ら「社蓄」でもってモノを言ってるんだろう』ってなもんである。「ナベツネvs.清滝」問題に関して沈黙を守る讀賣新聞記者たちのよなものである。なおかつ、そこをつく朝日新聞記者、毎日新聞記者、産経新聞記者、日経新聞記者もいない、というのはなんでしょうね。まあ、お互い様なので「モノを言わない」という黙契なんでしょうね。

 という、こんなことをやっている以上は、新聞のネット化なんてのはないでしょう。とは言うものの、ネットジャーナリズムが自ら取材力をつけるのは難しい、ということで考えれば、基本的にダメになった新聞社から流れてきた記者がネットジャーナリズムに取材で寄与するという形になるのかな。

 いずれにせよ、日本が再びファシズムになっても、独裁社会になっても、どこかに健全なジャーナリズムとジャーナリストの存在は欠かせないことになる。そんな社会にはなって欲しくはないけれども、その危険性もない社会でもあるし、心配ではある。

 そんな意味では、健全なジャーナリズムというのは、社会の表にあっても、裏にあっても必要であろう。そんな時に「社蓄」にならないジャーナリストを私達は望む。

 そう、ジャーナリストの生きる場所は「マスコミ」だけじゃないのだ。

Dsc_6943_2

 どんどん伸びるD滑走路です。もう殆ど「海」というか「多摩川」はないでしょうか。で、何で唐突に羽田なのかというと、来週の水曜日の午後あたりにこのサイト(http://miraiken-web.com)を見てもらえば分かります。

Nikon D7000 AS-F Nikkor 18-105 @羽田 (c)tsunoken

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