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2011年11月13日 (日)

『自分のアタマで考えよう』というのは当たり前のようであって、実は考えてない人が多いというお話

『自分のアタマで考えよう』(ちきりん著/ダイヤモンド社/2011年10月27日刊)

 ということなので、自分のアタマでゆるく考えた。

 要はちきりんさんの言っていることは、知識の量をいくら増やしたところで、それを如何に使って実際の生活や仕事などに使わなければ意味がないということ。情報をいくら増やしても、それを意思決定のプロセスに従って処理していって、実際の意思決定を行っていかないと、意味がないということ。

『なんとなく、「こんなビジネス、儲かるかな? 競合との差別化も考えないといけないな。中国の市場が大きそうだね」くらいの詰めのレベルで情報を集めはじめると、止めどなく膨大な情報を集めることになってしまいます。

 調べ事をしていると、どんな情報も貴重で重要に思えます。あれもこれも調べたくなります。優秀な人ほど「知らないことを知る」ことに興奮するし、熱中するものです。

 しかし、情報が重要かどうかは、「今、求められている意思決定プロセスに必要かどうか」によって決まるはずなのです。「どんな情報があの意思決定に必要で、どんな情報は不要なのか」という基準が明確になっていないと、いくらでも情報収集を続けられるのが「優秀なスタッフ」の哀しい性です。

 迅速な意思決定が求められるビジネスでは、「このビジネスをやるなら、こういう方法でやらないと我が社は勝てない。そのためには、これとこれとこれを事前に確認しておく必要がある!」と、具体的な意思決定プロセスを明確化し、それらに必要な情報もリストアップしてから調査をはじめるべきです。そすれば圧倒的に効率よく結論をだすことができます。』

 ということは分かっているのだが、何故それが出来ないのだろう。それは多分、それを命じる方、例えば経営者自身がその辺の自分のビジネスの未来像が見えていないからなのだろう。

 同じことが政治の世界にも言えて、選挙の際にはマニフェストだかアジェンダだかで個別政策についての言及はしているのだが、根本の「日本は今後、どんな国を目指すのか」という目標を示さないものだから、優秀な官僚がいながら、そんな官僚が集めてきた情報をどのように処理して、どのように取捨選択するのかという基準が見えてこない。そんな状況の中で政策を進めるめるものだから、「沖縄の米軍基地はこうします」「消費税はこうします」「年金問題はこうします」「国債についてはこうします」「少子高齢化はこうします」「地方分権化はこうします」なんていくら政策を述べたところで、それらすべてバラバラで全体像がみえてこない、不毛の政策論議にしかならないのだ。

 実はリーダーというのはそういうことを考える立場の人たちなのであり、個別案件は下の優秀な人に任せて、「国のあるべき姿」「会社のあるべき姿」を日夜考えていなければならない。その為には個別案件ではなく、その全体像を考える教養(リベラル・アーツ)が如何に大切かということなのだけれども、残念ながらそうしたことを教えるエリート教育機関が戦後はなくなってしまった。多分、旧制高校がそんな立場、旧制中学を出て帝国大学に入るまでのモラトリアムであり、その間に様々な教養(知識・情報)をインプットする時間だったのではないだろうか。帝国大学ではその後の社会に出てすぐリーダーとなるべく勉強をしてきている。つまりそれはインプットした教養(知識・情報)をどうやってアウトプットするのか、という勉強である。同時に、戦後に大学となった多くの専門学校では実学を勉強していたわけだ。

 そんな感じで、リーダーになるべくした人間と、それに使われる人間という分けられた勉学を戦前日本ではやっていたわけなのだが、戦後は統一した学制になってしまい、みんなが同じ学問を受けるようになってしまった。つまり、それは教養(知識・情報)をひたすら詰め込む勉学である。それを如何にアウトプットするのかは、本人次第ということになってしまった。

 そろそろそうした学制も見直して、日本もエリート教育を考えてもいいのじゃないか、とも思うがそれは本稿のテーマではないので、いずれまた。

 ポイントは知識や情報を集めることは面白いのだが、その知識や情報を集めるだけで終わってしまっては意味がない。問題はそうした知識や情報のインプットだけではなく、それを如何にアウトプットをするかということなのだろう。そう、アウトプットして初めてインプットした知識や情報の意味が出てくる、ということだ。

 例えばこのブログ。本を読んで新しい知識や情報に触れることは楽しいことだ。しかし、同時にその本をから何を学んで、何を感じたのかをブログに書くことも、実は楽しいことなのだ。勿論、面白いばかりでなく、かなり書くのに苦労することも多い。どこを拠りどころにして書けばいいのかをつかめない本もある。しかし、書いているうちに、何か書くことが見つかったりすることもある。そうなると、どんどん筆が(キーボードが)進んで勝手にブログが進んでいく。まるでシュールレアリスムのオートマティスム(自動書記)のように、いつの間にか書き込みが終わっていることもある。

 読書家という人たちがいる、というか仕事柄そんな人たちが実に多い。彼らにもブログを書くことをお薦めしたい。そうすると如何に自分がその本に向かい合ったのかが、よく分かるのである。

Dsc_0018_2

 ところで、昨日は神宮球場で東都大学野球の1部2部入替戦の第1戦が行われた。1部6位の中央大学と、2部1位の拓殖大学の戦いである。

 試合結果は中央大学の13回サヨナラ負け。何せ、スクイズ・ミスしてランナーが三本間で討ち死にしたり、1番西銘は全然出塁しないわ、4番井上もまったく打てずじゃあ勝つわけないよね。シクシク……。今日はアメフトの中央法政戦だ@横浜スタジアム。こちらは1部Bブロックの代表を無敗同士で争うガチ試合。まあ、アメフトの方に期待しましょう。

Nikon D50 AF-S Nikkor 18-105 @神宮 (c)tsunoken

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