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2011年11月29日 (火)

「内藤新宿」のジオラマの本物

 ってことで、一昨日の『「内藤新宿」のジオラマ』を実際に歩いてみた。

Dsc_7051_2

 いまや「大木戸」も碑が残っているだけ。最早、ここに大木戸があって、内藤新宿という宿場があったなんてことも知らない人が多くなってきているんだろうな。

Dsc_7048_2

 大木戸そばの蕎麦屋のウィンドウに貼ってあった「大木戸」の図。さすがに新宿藪蕎麦の分店である。

Dsc_7062_2

 ジオラマの新宿駅方面からみて右側にあったのが、現在の新宿御苑。昔の、信濃高遠藩内藤家の下屋敷であった。最早、大木戸より外は江戸域内ではなかったのでかなり広い下屋敷が作れたのであろう。

 ただし、内藤家がここに下屋敷を構えたという訳は、当然、豊臣の残党が攻めてくるかも知れない大阪冬の陣の直後、江戸城の守りを命じられたからであろう。このちょっと先の大久保に百人町という場所があるが、それは内藤家の伊賀鉄砲隊百人が住んだ場所だからついた名前なのだ。結局は江戸太平の世になってしまい、その百人町屋敷も仕事はなく、自生していたツツジの栽培をどちらかというと本業のようになってしまった、というのだな。

 いずれにせよ、この大木戸からすぐ数キロ先には半蔵門があるわけで、ここを破られては、最早江戸城はおしまいということで、かなり強力な防衛軍が作られたのが新宿界隈なのだろう。そう、新宿はその昔から戦場となる宿命を負っていた場所なのである。

 つまり、1968年に新宿騒乱事件が起こるのも、やむを得ざること。たまたま、368年後に起こっただけでしょ、というわけなのだ。

Dsc_7067_2

 玉川上水があった場所も、今は遊歩道になっている。

Dsc_7077_2

 で、ここが古刹・太宗寺。内藤家の菩提寺でもあったそうだ。文化財もかなり多く残っている寺であり、内藤家が新宿に来るはるか前、16世紀ころからあった寺であるようだ。

Dsc_7080_2

 これが文化財のひとつ。江戸六地蔵のひとつである、銅製地蔵である。画面を大きくすると、そんな銅のつなぎ目がみえます。

 そのほか、閻魔様とか、葬頭河の婆さんとか、いろいろな文化財がいっぱいある寺である。

Dsc_7055_2

 左の人は決して葬頭河の婆さんの見立てじゃありません。もっと上品な人です。っへへ。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105 @新宿 (c)tsunoken

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