フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 『公安は誰をマークしているか』って、大体は理解しているつもりだが・承前 | トップページ | 『実存と構造』といったって、タイトル自体が構造主義じゃないもんね »

2011年10月12日 (水)

『ゴーストタウン』は結局日本における核処理をどうすべきかという問題なのだ

 そこにあるのは廃墟である。まさに「死の町」なのである。

『ゴーストタウン チェルノブイリを走る』(エレナ・ウラジミーロヴナ・フィラトワ著/池田紫訳/集英社新書/2011年9月21日刊)

 まさに「死の町」である。キエフ在住の筆者はカワサキのバイクを駆ってチェルノブイリ周辺まで行く。それが彼女の使命なのか、あるいは単なる趣味なのかは分からない。しかし、彼女はチェルノブイリ「周辺」に行く。そこが「死の町」であっても。

 そんな彼女の写真と短文とそしてガイガーカウンター=インスペクターだけが友達だ。そして見える風景に人の姿はまったくない。

『空っぽになった街で、一番高いビルの屋上に立っていると、この世界で完全にひとりぼっちになってしまった気がする――この街のように。』

 というとおり、まさにその写真を見ると、いかにもふつうなら人々のざわめきが聞こえてきそうな街並みが残されている街で、しかしそこには「誰もいない」という不条理。まさしく、そこにあるのは「現代のゴーストタウン」である。アメリカ西部のゴーストタウンのような生易しいゴーストタウンではない、まさに、もしそこに住んでいる人がいるのなら「幽霊」しかいないだろうという「ゴーストタウン」である。

「WOLVES KAND」と呼ばれる、地図に穴のあいた場所、チェルノブイリから南北に300キロメートル、東西に100キロメートルの地域だ。原子炉からの距離60キロメートルなんてもんじゃない。それよりずっと広い地域なのだ。

 そこにいくと、『まるで動物園にいるような感じがする。ただ、動物園では私が自由に動物を見る側だけれど、ここでは自由に動けるのは動物たちで、私がじろじろ見られる側』という具合。それこそ動物たちだけの世界に初めて足を踏み入れた古代人のような立場に、現代人がおかれているのだ。長い歴史の、長さというのは、所詮人間の世界での長さでしかなく、地球規模の歴史で言えば、ホンの一瞬にすぎないという事実。そこにあるのは、地球規模の歴史の中で人間の果たしてきた、愚かな歴史なんてものは、単に一部にしかすぎないという事実だ。プルトニウムの半減期が2万年とか3万年とか言われているが(そんなものを確かめた人はいない、実験結果から言っているだけ)それをしも、地球のこれまでの数億年の歴史からみれば「ホンのちょっとのこと」でしかない。というか、人間の歴史の何と儚いものか。

 所詮、人間の歴史なんてものはその程度のものなのだ。そんな中で、一神教同士の虚しい戦いが繰り広げられているし、一神教が生み出した「外界」からのエネルギーである「原子力」が、「原子爆弾」として「戦争を早く終わらせて、犠牲者を少なくするために(20万人を殺しても)」使われたり、「原子力発電」として、その事故の度に周囲の街をゴーストタウンにしながら進められているのだ。

 まあ、これが人間が「自然を支配しながら成長してきた」歴史の実相なのだ。問題は、人間が自然を支配出来るのか、ということなのだ。

 他の動物は「自然を支配」なんかはしないで、結局「自然律」の中で生きる他はないという生き方を選んできた、というか選ばざるを得ないという立場で生きてきた。しかし、人間だけは、あるいは西欧キリスト教徒たちだけは「自然を如何に支配するか」ということを命題に生きてきたのである。

 しかし、面白いのはその西欧キリスト教徒の世界ではなく、東方ギリシャ正教会の地であるウクライナや、もっと東方の仏教徒の世界である筈の日本で、原子炉の「メルトダウン」が起こってしまった。

 とすると、西欧キリスト教文明なら「原子力」を抑えることが可能であるという考え方もあるだろうし、多分、西欧カトリックの中心的な国家であるフランスなんかはそういう考え方なのだろう。したがって、フランスはいまだに原子力発電がメインのエネルギー源だし、それを変える考え方はない。まあ、他のEU諸国に対する電力輸出もあるしね。

 とまあ、いずれにせよ、原子力発電所がメルトダウンをしてしまったら、その半径30km以内は当然、風向きによっては100km圏内は「ゴーストタウン」になってしまうのだ。

 経産省や東電が本当に真面目に福島第一原発対策を考えているのならば、それこそ福島第一原発から半径100km位を「ゴーストタウン」と指定して、そこに住んでいる人は全員退去。他の土地に同じような場所を与えて(多分、それは難しいと考えるが)移住を勧めるしか方法はないだろう。

 で、ゴーストタウンは最早ゴーストタウンとしてしか生きられないのだ。そこに「核廃棄物を捨てる場所」としてしか、ないのだろうな。

 

 

 

« 『公安は誰をマークしているか』って、大体は理解しているつもりだが・承前 | トップページ | 『実存と構造』といったって、タイトル自体が構造主義じゃないもんね »

写真・本」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/52959879

この記事へのトラックバック一覧です: 『ゴーストタウン』は結局日本における核処理をどうすべきかという問題なのだ:

« 『公安は誰をマークしているか』って、大体は理解しているつもりだが・承前 | トップページ | 『実存と構造』といったって、タイトル自体が構造主義じゃないもんね »

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?