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« 『日本のマイクロファイナンス』は日本を本来の中小・零細企業の国にしようという発想なのだった | トップページ | 『婚活したらすごかった』のだ、キャッ »

2011年10月 4日 (火)

『一命』と文庫のタイトルを変えてもいいのだけれども、映画が当たらなかったらねえ

『一命』という小説はない。『異聞浪人記』という小説はある。この『異聞浪人記』を元にして『切腹』という映画を作った小林正樹と橋本忍と仲代達哉はいたが。

『一命』(滝口康彦/講談社文庫/2011年6月15日刊)

 そしてその『異聞浪人記』を元に再び映画を作った男たちがいる。三池崇史と脚本家・山岸きくみと、主演の市川海老蔵である。同じ松竹だからできたことなのかもしれないが、何で、同じ『異聞浪人記』なのかは分からない。小林正樹・橋本忍・仲代達哉のトライアングルに勝てると思って挑戦したのだろうか。その意気や良し。そうやって、日本映画も順々と、過去の名作を葬り去って新しい名作を作っていくものだから。

 ということで、「シナリオ」誌11月号を読んでみたのだが、井伊家の老職・斎藤勘解由という人物を、原作のちょっと意地悪なキャラクターから「正しい武士」と言う風に変えているようだ。勘解由が何故足を負傷していてその後もびっこをひいたままなのか、サザエを焼いて食べているシーンで、なぜひとつだけ蓋があかないものがあって、それを食べないのか。そうした場面から勘解由という人物をどういう人物かを描いていく。見事である。

 ヒチコックの例をまたなくても、あるいは山田洋次の藤沢周平作品の映画化の例を見ても、要は、短編小説を映画化するというのは一番の方法なのだ。長編原作を映画化する際は、結局その部分を割愛するのかという事が重要な課題になってしまって、その映画がシリーズ化するとなってしまった場合のことも考えなくてはいけない。じゃあ、このエピソードはシリーズのために取っておこうかなんてね。しかし、そうやってとっておいたエピソードは大体使われないことになるのだ。つまり、シリーズ化はなかったということでね。

 しかし、問題はなんで『異聞浪人記』じゃなければいけなかったのか、ということなのだ。滝口氏の作品だって、もっと面白そうな短編時代小説はいっぱいある。それが何故、以前映画化したこともある『異聞浪人記』? ということなのだ。

 結局、それは松竹と言う会社の企画力のなさ、というところにいってしまうのだろうな。勿論、この映画の企画はセディックから持ち込まれたものだろう。しかし、松竹側からは「それは以前やった企画だから」という普通の判断があるはずだ。それがなかった(あったのかもしれないが、社内の圧力で消えたのであろう)というところに松竹の企画力の無さが見えてとれる。

 まあ、映画は市川海老蔵の主演だし、そこそこヒットはするだろうが、それ以上のメガヒットにはならないだろう。残念ながら。

 元々、『異聞浪人記』自体がそんなにこれだけで当たる要素を持った小説ではないし、そこそこの人気が獲得できればいいというアベレージ作品である。山田洋次マジックがないこの作品がそんなに大当たりできる要素はあまりないと思うのだがなあ。

 いや、本当は当たって欲しいのですよ。本当は。そうやって日本映画が行けて欲しいのだがなあ。

 

 

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