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2011年10月17日 (月)

人間は猿以上に浅知恵だってことか『猿の惑星』

『猿の惑星』の新作を見に行った。

『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』(脚本・製作:リック・ジャッファ、アマンダ・シルヴァー/監督:ルパート・ワイアット/チャーニンエンタテインメント製作/20世紀フォックス配給)

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 もともとの『猿の惑星』(フランクリン・J・シャフナー監督)は、当時の脳天気なハリウッド製SFと違った批評性があって好きだった。あ、超難しい『2001年 宇宙の旅』なんてのもあったけどね。

 ベトナム戦争やブラック・パワー問題なんかがバックにあって、閉塞状態にあったアメリカ。そんな社会的バックボーンをベースに、まさしく「黒人vs白人」のアナロジーである「猿vs人間」という構図、つまり黒人が白人を支配する社会の到来を描いた、初めてのアメリカ映画。核開発が米ソで繰り広げられ、そんな社会の行く末の結果、人類がほとんど滅んでしまい、高度な知能を持つ猿が支配し、人間がその奴隷になってしまっている社会。そんな現代世界に対する批評性を持った映画というのは、ハリウッドであっても1960年代の特徴であったのかもしれない。1950年代のマッカーシズムから解放されて、アメリカを批判する健全さがまだハリウッドにあったのだろう。

 で、今回の『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』であるが、実はご存知の通り、これは2011年頃のサンフランシスコが舞台と言う「前編=prequel」作品なのだ。ある作品があってそれの続編を作ると言う時「続編=sequel」といって、それを作る権利を「続編権=sequel rights」というのだが、その「sequel rght」には実は「前編権=orequel rights」が含まれているのだという。えっ? そんな権利なんてあるの? ってなところだが、まあ、「本編」がなければその続編も前編もないわけだから、ま、あそうか。つまり、『スターウォーズ』クラシック三部作に対するprequelがアナキン・スカイウォーカーがダースベイダーになる、最初の三部作ということになるのだが、言ってみればそんな感じ。大うそつきのジョージ・ルーカスは、最初の三部作を作った後には『スターウォーズ』サーガは全九部作だとかぬかしていたが、結局前編三部作を作って終わりにしてしまったがね。

 しかし、今回の『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』は、アルツハイマーを防ぐ新薬の研究が、実験体のチンパンジーの知能を異常に高めてしまうところからの、悲劇の始まりなのであった。

 たしかに、現在世界の製薬会社の一番の研究課題はアルツハイマー新薬の開発にあるのだろう。マスメディアを賑わす話題が出ることもある。しかし、未だ決定的な新薬の発明はされていない。そんな訳だからアルツハイマー新薬の発明が「make money」という、研究所の所長ジェイコブスお得意の台詞が出てくるわけなのであるけれども、問題はその問題だけなのろうか。もっと奥の深い倫理的な問題がありそうである。

 ある種、たとえばアルツハイマーが元で死んでしまうよな問題があったとして、それを防ぐ新薬を開発することは、個別の人間にとっては重要な、そして必要な問題であるのかも知れないが、それが人類全体に及ぼす影響とかを考えてみれば、徒に人間の寿命を延ばすことがいいことなのか、あるいは悪いことなのか、そういう視点でものを考えてみる必要があるのではないか。

 たとえば、現在、厚生年金の支払い開始年齢を60歳から65歳に引き揚げる途中で、さらに68歳に引き揚げる論議をしているが、それは60歳からの支払いを決めた時代の定年は55歳であり、その頃の平均余命が10年くらいしかないことから試算したわけだけれども、もはや80歳まで人々が生きる時代になってしまっては、最早、60歳(あるいは65歳であっても)からの支払いが現実的でなくなってしまったことによるものだ。これと同様、そうやって人の寿命を延ばすことの人倫的な問題もあるかもしれない。

 そういった部分まで踏み込まないと、このアルツハイマー新薬の研究開発が人類にとってどういう意味なのかを考えたことにはならないのではないだろうか。でも、勿論そんな部分にまで踏み込んだ発想は、この映画にはない。

 実験体であるチンパンジー、シーザーの時として人間のような表情を見せる演技や、順々に理性をもった「ヒト」に近づいてくるような、SFXの技術には目を見張るものがあるが、問題はそれを裏付けるテーマ性やら、問題への深い関わり方ではないのだろうか。どうもそういう部分への「こだわり」が見えないのだな。

 ウォシャウスキー兄弟とかジム・キャメロンとかティム・バートンとか、映像作りにはオタク的才能を発揮するのだけれども、映画のテーマ性とか、映画が提示する問題とかについての自覚が低い監督ばっかり出てくるのは何故だろうか。「パルプ・フィクション」というのは「くだらない話ばっかりの小説」というような意味なのだが、結局、壮大なSFXを使って、やっているのはパルプ・フィクションじゃないかよ、というハリウッド製SF映画の常道に、この『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』も陥っていないか?

 SFXの出来がとてつもなく良い出来なので、やはりそうじゃないフィロソフィーの欠如が目立ってしまうのであった。

 多分この「prequel」は今後その「sequel」が作られるのであろう。じゃなきゃあ、この1匹のシーザーだけに起こった突然変異が、ひとつの「種」としての成立までには「相当の」時間がかかるはずである、それこそ数万年? だとすると『猿の惑星』第1作の西暦4000年なんて簡単に突破しちゃうんだけれどもなあ。そうだいっそのこと、クェンティン・タランティーノあたりに監督をやらせて『猿の惑星』を作ったらどうだろうか。まさしく『パルプ・フィクション』な『猿の惑星』を作ってくれるかも知れない。

 なんてね。

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(c)2011 TWENTIETH CENTURY FOX, ALL RIGHTS RESERVED

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