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2011年10月23日 (日)

『ねじれの国、日本』じゃなくて「ウソの国、ニッポン」でしょ

 堀井憲一郎氏といえば『週刊文春』の『ホリイのずんずん調査』か、講談社現代新書の落語本かなと思うのだが。

『ねじれの国、日本』(堀井憲一郎著/新潮新書/2011年10月20日刊)

 その堀井氏の「日本論」なのである。すごいね「日本論」。  なんたって、『このポイントを深めると、天皇という存在は、リアルな人である必要はない、ということになる。そこを少し横に飛躍して「天皇(オオキミ)は神にし増せば」ととらえてしまうと、残念ながらちょっと間違った飛躍だということがわかる』なんてハードなことを入ったばかりのその後に、第3章で『三遊亭円生の弟子に、三遊亭さん生という落語家がいた』なんて話が出てくる。まあ、さすがに堀井憲一郎氏ではあるな、という面目躍如であります。

 さらに『「戦前と戦後は昭和二十年八月十五日で断裂などしていない」ということをいつ自力で気がつくか、という問題でもある』なんて、キチンとしたことを言っている。

『近代を、超克できるものだし、また超克したいとおもっている。米英に対して戦争を始め、それに勝っていることによって近代は超克できるんではないか、とおもっている知識人が一定数はいた。ここのところが大きい。戦争に勝ってるとは言え、それは米英本国に進攻することを目指しているわけではなく、アジアにおける米英の権益を奪取ないしは解放することを目指しているだけなのだが、それでも戦争に勝つことの意味は限りなく大きかったのだ』と、昭和十七年夏の知識人たちの心情を代弁する堀井氏の指摘は、まったく正しい。勿論、この昭和十七年夏の時点では、実は既に日本の負け戦は始まっていたのだけれどもね。それは国民には発表されていなかっただけのことで、そんなことは初めから知っていた帝国海軍は、とにかく早期停戦を狙って、初期電撃作戦を繰り広げたのであるが、なんとなく停戦時期を逃してしまった日本は、「いまここで停戦を言えない空気」に呑まれて、だれも停戦を言わないうちに、結局、広島、長崎に原爆を落とされてしまうところまでいって、やっと停戦(敗戦)を連合国側から言われて受け入れるということになってしまった。

 そう、日本はそんな「空気読め」の国であって、「議論」の国ではないのだな。お互い「目と目を見合せば分かるじゃないか」という、暗黙の了解というか、ようは「空気」の国なのだ。ということが、この本には書いてある。分かっているじゃないか堀井さん。と改めて言わなくても、そんなことはこれまでの堀井氏の本を読んでいれば分かることなのであるけれども、なんでまた改めてそんなことを書く気になったのであろうか。

 まあ、いままで自分の書いていたものが、どこか「軟派」なものばかりという気がしていたのであろうか。しかし、「落語論」や「馬鹿本」を書いていたって、それを読む読者は、その筆者のバックボーンまで実は読み込んでいるわけで、「いやあこの人は軟派なものばかり書いているが、実は結構「ホネ」があるんじゃないか」なんてことを考えていながら読んでいるのです。私たちが読んでいるのは「字面(じづら)」だけでしかないが、しかし、読みながらその裏側にあるものまでを読んでいたりするのだ(勿論、ジヅラしか読まない人もいますがね)。

 そういう意味で、堀井氏が突然「日本論」を書いても別にびっくりはしないが、なんで突然? という違和感はある。で、違和感を持ちながらも読んでいくと、結構マトモなことを言ってるジャンこのオッサン(私より年下だけれども)、というところなのであります。もっと、ハチャメチャなことを期待したんだけれどもなあ。でも、そうはならなかったのであります。結構、真面目なのねホリイ氏って。早稲田大学もチャンと卒業してるし。

 早稲田出身でフリーで仕事をしてる人って、みんな中退だって思っていたのは、最近ではかなり偏見だというのがわかった。数日前に取り上げた「マチヤマクン」も卒業してるみたいだし、結局、早稲田漫研出身で中退なのは、それこそスタジオ・ハードで「マチヤマクン」を安月給でこき使っていた高橋クンあたりが最後なのかな。

 あ、「スタジオ・ハードの高橋クン」ったって皆さん知りませんよね。「スタジオ・ハードの高橋クン」とは、西の「ゼネラル・プロダクツ(ガイナックス)の岡田斗司夫」と並び称される、日本最大の「オタク」の代表者にして、岡田クンと同じように会社を経営している(していた)人なのです。そういえばホリイ氏も早稲田の漫研出身だし、まあ、そう、いう、ひと、だったのね。ゼネプロ、ハードについては面倒なのでWikipediaあたりで調べてください。まあ、そんなには間違ったことは載っていないみたいなので。

 本書の腰巻に書かれてあるのは「この国の始まりは“ウソ”だった――。」という言葉。まさに、7世紀ころの「(日本)国家発動プロジェクト」が、みんなわかっている「ウソ」によって作られたという事実だけでも、もし、これまで知らなかった人がいるのなら、この本を読んで初めて知ったということだけでも、いいことかもしれない。

 要は「神話」を「ウソ」ととるか「真実」ととるか。そんなことは分かっているよね。「ウソ」に決まっているのです。そんな「ウソを皆で共有しようよ」というものが「国家」という「共同幻想」なのだ。

 そう、国家と言うもの自体が「共同幻想」なのです。我々は何故「日本人」なのか、ってだれも答えられないでしょう。

 そんなもんです。

2010_08_29_042_2

EPSON RD1s Summicron 35mm/F2 @銀座  (c)tsunoken

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