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2011年9月27日 (火)

『絶望の国の幸福な若者たち』は、なんかオヤジ世代がかいた若者世代論みたいだぞ

 しかし、こうした「世代論」なにか意味があるのだろうか、と言う気にはなってくる。というか、なんでこんな若い人が「世代論」なの、というところだよね。

『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿著/講談社/2011年9月5日刊)

『もう日本に経済成長は期待できないかも知れない。だけど、この国には日々の生活を彩り、楽しませてくれるものがたくさん揃っている。それほどお金がなくても、工夫次第で僕たちは、それなりの日々を送ることができる。

 たとえば、ユニクロとZARAでベーシックなアイテムを揃え、H&Mで流行を押さえた服を着て、マクドナルドでランチとコーヒー、友達とくだらない話を三時間、家ではYouTubeを見ながらSkypeで友達とおしゃべり、家具はニトリとIKEA。夜は友達の家に集まって鍋。お金をあまりかけなくても、そこそこ楽しい日常を送ることができる』から、『日本の若者は幸せだからです』と、不遇な状況に置かれている日本の若者が立ち上がらないことを不審に思ったアメリカのジャーナリストに対して答えるのであった。

 って、でもそんな「ごく一般の若者論」に乗って、考えてもいいものだろうか。上記の「若者論」は、今まさに若者(26歳)である古市氏自身が書いた文章なのだけれども、いま「若者」世代にいる筆者が、何で「そんな世代論的な輪切りにした考え方はおかしい」と言う風に、反撥されるようなものをかくのかな。

 戦後世代とか焼け跡闇市世代とか、いわゆる団塊の世代とか、バブル世代とか、ロズジェネ世代とか、そんなものは結局、その世代をずっと前に通り過ぎた年代層の人、つまり「大人」が、自分より下位の年齢の人たちを都合よくまとめようとしていっているだけの「世代論」でしかないはずだ。当の、その世代の人間にしてみれば、そんな「世代」でもって輪切りにできるはずのない、もっと多様な人たちがいる同じ「世代」ではあるのだけれども、何故そのように「世代」として輪切りにしなければならないのか、ということに憤ることになる。

 今「若者論」を語って、例えば上記のような「若者論」を語ったとしても、しかし若者すべてがそのように「くだらない話を三時間」も語ったり、「YouTubeを見ながらおしゃべり」ををしたり、「鍋をつつきあえる」友達がいるわけではないだろう。それこそ「便所飯」を食べたりするような連中もいるのである。逆に、そんな「友達」なんかとは付き合わないで、学生起業をしたりする人たちもいるし……。つまり、それだけ「世代論」というものは、その世代のことを語っているようには見えながらも、実は、それは単に世代と言うものを、時代状況を入れながら、ひとくくりに輪切りにして「分かり易いように」提供するだけで、実は何の意味も無いのだ。

 本来、古市氏が向かうべき方向はそのような「世代論なんて意味無いよ」という方向では無かったのではないか。とりあえず「今の若者」としてはね。

 古市氏が今後歳をとってきてそのときの「若者」を下に見るようになったら、そうした「若者論」もあるかもしれない。しかし、今まさに「若者」の中にいる古市氏が、このように「若者論」を語るのは不思議である。変である。

 とまあ、「世代論」に毒づくの訳であるけれども、仮にその世代論に載るとしても、格差社会とか言われ、派遣労働、非正規労働やフリーターとかはまだいいほうで、それこそニートみたいな人が蔓延している時代だ。その意味では「今の若者達は不幸だ」ということになるのだろうが、しかし、「今の若者達」の「今」だけを考えてしまえば、決して不幸ではないし、むしろ、未だ親達の庇護の元にある若者達は「幸せ」であるはずなのだ。だって、親元にいる限り、食事や生活の問題はないわけだ。しかし、彼あるいは彼女の親が死んでしまった場合はどうなのだろうか。その瞬間、彼あるいは彼女は、誰も彼および彼女を庇護してくれるひとはいなくなってしまうのだ。その時に本当の不幸がやってくるんだろうな。

 いずれにしても、今後の若者、ということはこれからの中年、壮年、老年なのだが、その人たちが一様でないことは当たり前であるし、それらの一様でない人たち(多分、それは私達のような団塊〔のちょと下〕の世代よりはもっと多様な世代だろう)の作る日本あるいは世界の中でどういう風に形作られていくかは、とても興味のある問題である。

 はてさて『絶望の国の幸福な若者たち』が、どうやってこの国をこれから運営していくのだろうか、だって、いまは幸福かも知れないけれども、その後は絶対に不幸な時代が来て、その時代を運営するのが今の「若者たち」なのだ。今は、それを考えてないから幸福っていうだけでね。

 いやいや、その前に若者達が皆日本から逃げてしまって、日本崩壊かという考え方もあるのだけれども、多分そうはならなくて、そうなったらそうなたったで、とても劣化した日本があるのだろう。そこに俺たちはいるのかな……。

 多分……。

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