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2011年9月26日 (月)

東京ポートレイト

 東京都写真美術館に鬼海弘雄『東京ポートレイト』展を見に行く。

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『東京ポートレイト』展やその公式図録として刊行されている写真集『東京ポートレイト』に既視感があるのは、すでにそれが『ぺるそな』や『東京夢譚』などの写真集で既に発表している写真が総てであるからだ。つまり、鬼海弘雄は40年にわたって浅草へ来る、何だかよく分からない人たちを撮影してきて、同時に、東京の街をさ迷い歩きながら、町の写真を撮ってきている。しかし、その浅草に集まる人たちの写真と、東京の町の写真はまったく等価に繋がってくるのだ。それぞれが「ポートレイト」として写ってくるというのは何故なのだろう、と言う事を考えながら見ていく。

 鬼海は言う『写真も、誰でもシャッターを押せば写る。でも、ふつうは、「写真がいかに写らないか」に直面する。やはり考えなくてはならない。人に伝えるのは簡単ではない。伝えるものがあるから写真を撮っているわけであり、自分たちの関係者だけに見せるのと、まったく知らない他人を撮って、さらにそれをまったく知らない他人に見せて納得してもらうのは、まったく違う。ですから、なかなか写らない』『表現は、写真が写真を考えるんです。それが自己運動するから表現になる。写真でも何でも、表現は地味な活動で基本的には食えない覚悟がいる』(『週間 読書人』9月9日号)とね。

 つまり、写真そのものは何も語らない。むしろ写真を見た人が、その写真について考えることによって、写真が何ものかを語りだすのだ。つまり、写真を見る人は、その写真について考える人にならなければならない。では、写真家は何を語っているのか。多分、それは見る人が写真について考えることが何なのかを提供するために、自らの写真を提示して、数多くの写真を提示して、見る人に写真について考えることを容易にするように努めるのだ。つまり、大量の写真を提供することが写真家の義務であるというように。そして、写真家も自らの写真を展示し、出版したときには、自らそれを見る人になる。

 つまり、そんな円環構造が写真という行為なのだろう。

『東京ポートレイト』の大量の写真を見ながらそんなことを考えた。

『東京ポートレイト』展は10月2日まで開催中。

 で、写真美術館を出てくると、北海道の「ゆるキャラ」大集合で物産展をやっていた。これが日常。

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EPSON RD1s Elmarit 28mm/F2.8 (c)tsunoken

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