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2011年9月29日 (木)

『覇王の番人』的歴史解釈もアリってことだよね

 歴史というのは当事者の一方による記述でしかないのだから、他方の事実を調べるとまったく別の側面が現れてくる。では、そのどちらが真実なのかと言えば、その両方とも真実だと言えるわけで、つまり真実はひとつじゃないということなのだ。

 従って、歴史小説家もそのどちらの真実によって書くかということであり、それによってその作家のシンパシー、その作家の真実が出て来るわけだ。

『覇王の番人』(真保裕一著/講談社文庫/2011年9月15日刊)

 戦国の三英傑といえば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ということになってしまうが、その秀吉、家康と同等に信長の重臣であり、外様でありながらも皇室への対応を考えると重視せざるを得なかった人、明智光秀の存在を忘れちゃ困る、というのが真保裕一氏の考え方だ。

『秀吉の手による墨俣一夜城と同じく、後世になって記された「太閤記」などの軍記物によって事実がねじ曲げられ、今に伝わっているのである。近代の歴史小説家も、そのうえに則って自分なりの物語を書いてきたといえよう。

 さらには、本能寺の変の後、光秀が細川藤孝に送った手紙にも、今では研究家の幾人もから疑問が出されているという事実には驚かされた。

 歴史は勝者によって描かれていく。山崎の合戦で敗者となった明智光秀は、その勝者である秀吉を賞賛するためだけの人物へと貶められていったのである。しかも、本能寺の変には、どうも謀略の匂いがしてならない。

 この物語を書き終えた今、私は確信している。明智光秀こそが、実は戦国時代を終らせた真の武将なのだ、と。』

 明智光秀が「戦国時代を終わらせた真の武将」かどうかは分からないが、一般的な光秀像というと、融通の利かない堅物で信長の不興を買うことの多かった武将で、それ故に信長に対しての恨みつらみが多く、それ故に本能寺の変が起こったということなのであるが、しかしそれは秀吉側からの記述にすぎない。それが本当なのか。あるいは本書が書くように、光秀は元足利幕府の幕臣という立場から、京の作法などにも通じており、戦うことしか知らない田舎物の尾張武士とは一線を画していた。が、ために外様でありながら、京に上り官位を求めた信長に重宝され、殆ど同格の譜代の秀吉などからは怨嗟の目で見られていた。その為に、秀吉の謀略によって光秀は本能寺の変を起こし、が為に滅ぼされたのだと。

 どちらが本当なのかは知らないし、今を生きる我々には関係ないことだ。そのようなかこのようなかは知らないが、そんな歴史の結果として、今の時代を生きているのだから。

 問題は、それを描いた小説が面白いものになっているのかいないのか、である。所詮、時代小説、歴史小説はエンターテインメントである。そのエンターテインメント性を裏付ける「歴史的事実」がいかにもありそうな形で、「これが歴史的事実である」として提供されていればいいのである。

 で、この小説のバックボーンを支えているのは、作品には登場しない春日の局の存在だろうか。三代将軍徳川家光の乳母だった春日の局は、元々は美濃の斎藤氏の一族で明智光秀の重臣であり、光秀の甥とも従弟とも言われた斎藤利三の娘として生まれた。この春日の局を江戸に招いたのは言うまでもなく徳川家康である。つまり家康は、本能寺の変の際に京都にいた家康とその少ない一党を伊賀越えから海路三河まで守ってくれた光秀に恩義を感じているわけだ。それは当然、光秀が信長を倒した後に頼りにしたのが三河から東に大量の領地を持つ家康に期待したからに他ならないが、それでも命を助けてもらった恩義と言うのはあるのだろう。結果、秀吉の世になってしまったが、その後、関東に転封させられてしまった家康が頼りにしたのが光秀の後裔たちだったというのは面白い展開だ。

 ついでに、川越喜多院の住持にして、上野寛永寺の創建者である天海僧正が、実は山崎の合戦でもって死んだはずの光秀その人だというところまで行ってしまうと、もうサイエンス・フィクションの世界である。勿論、天海僧正については出自の曖昧さもあり、山崎の戦の後土民の落ち武者狩りに遭い自刃したとされる光秀は実は影武者であったという説もあると言うとおりの光秀説の他にも、足利将軍家12代足利義春の子という説や、光秀の従弟とされる明智光春、あるいは娘婿の明智秀満もあるそうな。

 まあ、時代ミステリーとまでいかなくても、結局時代劇ってどこかミステリーじみていて面白い。たしかに、「これが史実だっ」って言ってしまえば、それはそれで成立する世界なのである。ウソでも。

 それが面白いものになるか、ならないか、というのは筆者の筆力の問題だけである。

 

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