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2011年8月 6日 (土)

『天災と国防』が大正~昭和初期に書かれた本とは思えない

「天災は忘れた頃にやってくる」という格言は寺田寅彦の言葉であるということは有名なことであるが、実は寺田の書いたものにはどこにもみあたらないそうである。実際、この本にも書かれてはいない。

『天災と国防』(寺田寅彦著/講談社学術文庫/2011年6月9日刊)

 寺田寅彦という人は、最初、私は随筆家だと思っていたわけで、彼が物理学者でもある、というかそちらが本職でるということは、後から知ったことなのだった。

 しかし、この大正から昭和初期に書かれた文章が、これほどまでに今の状況に当てはまるということは、人間の進化あるいは進歩なんてこの程度のものかよ、と思い知らされるのであった。

『文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである、災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである。』

『それで、文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできないていなのはそういうわけであるか。そのおもなる原因は、畢竟そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顚覆をわすれたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。』

 という、結局人間が力で災害を抑え込もうと思っても、災害はそれ以上の力で人間を襲うものなのだ。今回の北日本大震災だって、三陸地域の港町は、昔の津波の経験から当然津波に対する備えは行ってきたわけである。しかし、その備え自体が「津波を抑え込む」方向だったのか、「津波をいなす」方向だったのかで、結果はかなり違ったようだ。つまり、津波を抑え込む方向の新防潮堤は簡単に津波で壊されたのに比べて、津波をいなす方向の旧防潮堤は、とりあえず被災者を高台に逃げる時間を与えて、勿論低い旧防潮堤であるからそれを超えた津波には町はやられてしまったわけではあるけれども、少なくとも市民は守ったということである。防潮堤が壊れてしまえば、「引き波」で流される人もいるわけで、そういう意味ではやはり「いなす」方向で作られた旧防潮堤の方が優れていたということになってしまう。

『静岡地震被害見学記』『震災日記より』について言えば、それぞれ詳細な地震直後の観察記があって素晴らしいと思うのだが、実はそれだけ「地震」そのものによる被害は大きくないということなのだろう。『静岡地震被害見学記』は7月10日に地震が起きて、7月14日の東京発の東海道線で静岡まで見に行っているわけなのだ。つまり静岡地震ではさほど大きな津波な無かったっていうことね。

『震災日記』は東京にいた寺田寅彦地震が被災者となった関東大震災についての記述なのだが、その日、上野にいて地震を体験した寺田は、物理学者だからなのかは知らないが、かなり冷静に地震には対処して、駒込の自宅まで歩いて帰る。すると、駒込の自宅はさほど壊れていなくて、自宅や隣の家の塀が壊れた程度。まあ、そんなものかと考えていたら、翌日、浅草方面に住んでいた親戚一同が避難してきたという話である。

 つまり、『関東震災に踵を次いで起こった大正十二(一九二三)年九月一日から三日にわたる大火災は明暦の大火に肩を比べるものであった。あの一九二三年の地震によって発生した直後の損害は副産物として生じた火災の損害に比べればむしろ軽少なものであったと言われている。』と言うがごとく、地震というのは「地震そのものによる被害」以上に、「津波」や「火災」などの二次被害が大きいのだろうという事が、ここでもわかる。つまり、それは日頃、災害が起こった時に備えているかどうか、という「人災」なのだということ。結局、地震による災害の大半は「人災」尚だという事を知っている方がよい。

 一次災害たる地震は、これは地球の自律的律動なのだから防ぎようがない、ミクロでは「逃げる」という対処方法もあるかもしれないが、マクロでは対処方法はありえない。ではその二次災害たる「津波」や「火災」を如何に抑えるか、少なくするか、が多分人間に与えられた叡智なのであろう。

『しかし、多くの場合に、責任者に対するとがめ立て、それに対する責任者の一応の弁解、ないしは引責というだけでその問題が完全に落着したような気がして、いちばんたいせつな物的調査による後難の軽減という眼目が忘れられるのが通例のようである。』

 と言う事になってしまって意味のないことなのだけれども、今回の東電福島第一原発事故についても、マスコミはそんな「犯人探し」に終始しているようだ。そんなことでは、原発事故の原因追究は出来ないわけだし、それこそ寺田寅彦のいうようなY教授の出現をお願いしたいところである。

 まあ、結局はこういうことでしょ;

『虐待は繁栄のホルモン、災難は生命の酵母であるとすれば、地震も結構、台風も歓迎、戦争も悪疫も礼賛に値するものかもしれない。<中略>その上に、冬のモンスーンは火事をあおり、春の不連続線は山火事をたきつけ、夏の山水美はまさしく雷雨の醸成に適し、秋の野分は稲の花時刈り入れ時をねらって来るようである。日本人を日本人にしたのは実は学校でも文部省でもなくて、神代から今日まで根気よく続けられてきたこの災難教育であったかもしれない。』

 基本的にはまったくそのとおり、としか言いようのない結論ではあります。

 問題は、その日本人がキチンと災害や、国防について考えているのかよ、ということなのですよ。

 大丈夫かな。

 講談社学術文庫以外にも寺田寅彦の天災本がいろいろ復刻されている。

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