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2011年8月24日 (水)

『英語のできない人は仕事ができる』という命題にはちょっと問題はあるけれども、書いてあることはごく普通のことだ

 勿論、こんなタイトルは書籍を売るためのタイトル付けであり、極論であることは百も承知であるが、それはそれで面白い。なにしろタイトルを逆読みしてしまえば「英語ができる人は仕事ができない」ということなのだ。

『英語の出来ない人は仕事ができる』(小林一郎著/PHP研究所/2010年4月6日刊・電子版2011年5月16日刊)

 しかし、書いてあることはごくマトモなことだけであって、要は「英語ができるからといって、海外で仕事ができるわけではない。英語ができないからといって、海外で仕事ができないわけではない。問題は、仕事をするときのマインドであって、スキルではない」ということ。そんなことは当たり前であって、海外で仕事をするときの一番大きな問題は、いかにして赴任先の現地の人とよりよい関係を作りながら、一方、日本の本社とも良好な関係を作るのか、と言う事なのだろう。

 少なくとも、1990年の頃までの海外赴任・長期出張は、大体ヨーロッパやアメリカなどの「日本よりは経済的・政治的・財政的に優れていた(とされる)」国々へ行っていたわけだ。その場では、「日本は海外に学ぶ」という姿勢で行けばよかったわけで、その際の海外赴任・長期出張・短期出張のスタイルは、明治初期の海外出張と同じスタンスでよかった。つまり、如何に海外の出先国に合わせて、その国の方法論やら考え方、発想法などを身につけるかが大事なのであって、その国において自らのプレゼンスを示さなければならないというような、パフォーマンスは必要なかった。つまり、この時代はまさに「英語(あるいは現地語)のスキルの時代」であったわけだ。英語(や現地語)を如何にうまく喋って、相手の言うことを理解して、相手の言うことを如何にうまく日本にいる同胞に伝えるかと言う事なのである。

 ところが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」となってしまった頃から、このスタンスは変わってくるわけである。つまり、「日本は海外に学ぶ」必要はなくなってきたかわりに、逆に海外に対して「教える立場」を持ちつつも、同時に日本とは文化の違う国々において仕事をしなければならないという立場で、「教えながら教わる」という状況に変わってきたのだ。個的には「海外で仕事をしながら、現地の人とうまく付き合っていく」と同時に、社会的には「海外での仕事の成果をいかに日本本社へ還流するのか」という二面性・二重性を帯びた仕事を、今の海外赴任者は背負い込んでいるのだ。となると「英語ができる(現地語ができる)」というのは、仕事上のなんらのメリットでもなくなって来てしまって、つまり「英語(現地語)のスキル」は、なんら仕事上での役割もなくなってしまったのである。つまり「英語(現地語)ができるからといっても、仕事ができるわけではない」という風に。

 むしろ、こうなると英語ができるというよりも、日本語が、というか日本文化についての深い知識のほうが重要になるのではないか。そんな、日本文化についてのより深い知識が、それをつたない英語であっても、なんとか相手に伝えることによって、日本と現地の文化理解に繋がって、日本とその現地とのよりよい関係が出来上がるのではないのだろうか。

 英語のスキルなんてものは、例えばアメリカに2~3週間もいればいやでも身についてしまうものだ。日本で中・高・大学と10年間も英語教育を受けた日本人は、最低限の英語教育は十分に受けた状態、少なくとも現在形・過去形・現在完了・過去完了の文法を知っているだけでもスゴイことなのだが、それこそ本当に2~3週間で十分英語は喋れるようになる。例えば、インド人なんで「I go to New York, Yesterday」なんて時制を完全に無視したトンでもない英語を喋って、それでもOKなんて考えている連中なのだ。それでもアメリカなら通じる、ということを知っているのですね。したがって、問題は、それから先、如何に日本人の考え方、日本文化というものを、例えば難しいと思うけれどもアメリカ人に伝えるかと言うことなのだ。

 まあ、あとはとにかく喋ることでしかないですよ。相手に通じようが通じまいが、とにかく喋ること、語学の上達の方法はそれしかない。で、問題は語学力が上だからといっても、それが自分の考えていることがうまく伝わるのかと言えば、そうではない。その辺が、語学の難しいところだけれども、まあ、そうやって昔の辞書なんてものがなかった頃の人達は、何とかそれでもコミュニケーションを図ってきたのだ。

 そう、つまりは人と人のコミュニケーションなんてものは、相互の「繋がりたい」という意思の反映なのだ。それさえあれば問題はない。

 前にもブログで書いたけれども、私の英語の学校は赤坂のバーだったという話。つまり基本は「酔っ払い英語」だったということ。「通じたか通じないか」なんてことは関係ない。とりあえず喋っちまえば勝ち、みたいな英語力。まあ、語学なんてそんなもんですよ。当たって砕けろ、砕けたって問題はない、というくらいの発想で行けばなんの問題もない。

 したがって『英語のできない人は仕事ができる』という命題のおき方は、まあ、問題はないわけではないけれども、そのくらいに考えていた方がよい、ということでしょうな。「英語ができるorできない」ということは、仕事をする上では何の関係もない。要は「仕事をする上でのマインド」の問題なのだ。

 Sony Readerで読んだのだけれども、どうもこうした、前に言ったり、元に戻ったりしながら読む本にはこうしたデバイスはあまり向いていないようだ。感覚的にこの辺に戻るというような読み方はデジタル・デバイスでは出来ないわけで、戻り方がちょっと面倒くさい。小説のように、一気に読んでしまうものならば問題はないのだが・・・。

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コメント

tsunoken様、はじめまして。
海外赴任について調べていましたところ、こちらのブログへたどり着きました。
海外(タイ)で仕事をしようと思っていまして、いやしかし英語が出来ないぞと悩んでいましたところ、tsunokenさんの記事が参考になりました。私はタイ語をタイ料理屋で辛さに耐えながら覚えましたので、赤坂のバーで酔っ払い英語を学んだというお話がとても共感できました。(バーの方がオシャレですね、女性もいますし(笑))
うまくなるにはどうするべきかと考え込んで盲目になっていました。大事なのは「マインド」ですね。やる気がでました。ありがとうございます。

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