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2011年8月23日 (火)

『選挙』というドキュメンタリーには「何もない」よさがある

 7月22日のエントリーで書いた、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』の著者である想田和弘のドキュメンタリーを始めて見た。本当に始めて「観察映画」って奴を見たのだ。

『選挙 CAMPAIGN』(想田和弘作/ラボラトリーX製作/2007年)

 確かに、ひとつもコメントが入っていない「観察映画」というジャンルのドキュメンタリーは始めてである。なんのコメントも入っていないし、音楽も使われていないし、効果音も入れられていない、とりあえず「撮ってきた素材」だけを使ったドキュメンタリー。

 ただし、そこには編集が加えられている。当然である。撮影素材をそのまま見せられたのでは、何十時間あっても見ることは出来ない。では、その編集作業はどのような方向に向かって行われるのだろうか。やはりその「編集する」という作業の中に、製作者の思いがこもっているわけだ。

 では、その思いとは何なのか? つまり、それは日本特有の(?)いわゆる「どぶ板選挙」のありさまであろう。つまり、選挙で候補者が訴えなければならないのは、政策ではないし、政治公約でもない、要は「候補者の名前」だけなのだ。そんな「日本型選挙」のあり方をカメラはずっと追いかける。それが「おかしい」とか「あたりまえ」だとかは言わない。しかし、とにかく「候補者の名前だけ」を訴える選挙のやり方を見ていると、やっぱりこれはおかしいと(私なんかのオヤジは)考え始めるのだ。勿論、そうではなく、こうした「名前だけ訴える」選挙のやり方を見て「これがいいのだ」と考える人はいるだろう。映画を見て、見た人がどんな結論を持ったとしても、それは映画の責任ではないし、製作者の責任でもない。

 ただし、問題は「製作者が何を考えたのか」ということではないのか? 例えば、そうした「どぶ板選挙」を取材して、製作者がその結果、どんなことを考えたのかは、観客に提示すべきではないのだろうか。あるいは、そんな発想は「古っるーい」オヤジ的な発想なのだろうか。

 うーむ、この辺はどのように判断すればよいのだろうか。「観察」と言っても「観察」する主体はあるわけで、その観察主体がどのように客体を判断するのか、ということは重要ではないのだろうか。あるいは、それが重要ではないとしても、問題は「映画として何を訴えたいのか」と言う事ではないのだろうか。

 これはドキュメンタリーではないが『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』とか『パラノーマル・アクティビティ』なんかの基本は、実は「何もない」ということである。当然、超低予算で作られた「ホラー映画」(実はホラーでもなんでもなく、事前の宣伝で「ホラーですよ」といって話題を煽るだけ)が、「何かある」わけはないのだ。そんな予算はないのだからね。そういった作品と同じ要素のドキュメンタリーなのだろうか。

 つまり、『ブレア・ウィッチ』『やパラノーマル』と同じく「終わってみれば何もない」という作品である。勿論、そんな「何にもない作品」から、見た人が自分なりの結論を得て帰ればいいだけであって、そんな素材をポンと提供するのがドキュメンタリーだといわれてしまえば、ああそうですか、と言わざるを得ないと言うところなのである。

 要は、そういうスタイルのドキュメンタリーが、HDビデオの登場と共に出現したということであり、映画がテクノロジーの進展と関わりを持たざるを得ない表現形式である以上、そうしたテクノロジーの進展に合わせて、新しい表現形式が現れると言うことなのだろう。

 私も、そろそろフィルム・ドキュメンタリーの代わりとしてのスチール(デジタル&アナログ)カメラをやめて、もともと撮りたかったドキュメンタリー・フィルム(デジタル・ビデオだけどね)に移行しようかしら。このスタイルだったらカメラマン一人でもドキュメンタリー作れちゃうもんね。

 しかし、同時にいまだに16mmアリフレックスやボリューの中古カメラ(というか中古しかない)を店頭で見ると、心ときめいてしまう私なのです。100ftで3分半しか撮影できないし、下手をすると現像してくれる場所だってなくなってしまうかも知れないのにね。実は、それが潔いのだが。

 

 

 

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