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2011年7月25日 (月)

『泥まみれの死』ばかりじゃない

『泥まみれの死 沢田教一ベトナム写真集』(沢田サタ著/講談社文庫/1999年11月15日刊)

 1965年、第9回ハーグ世界報道写真展グランプリ、第23回USカメラ賞、1966年、ピューリッツァー賞、アメリカ海外記者クラブ賞、第24回USカメラ賞、第10回ハーグ世界報道写真展第1位、第2位、1967年、アメリカ海外記者クラブ賞、1968年、第26回USカメラ賞、1971年、ローバート・キャパ賞、講談社文化賞、アサヒカメラ賞。以上が、沢田教一が受賞した数々の写真による賞である。

『泥まみれの死』というのが本のタイトルだが、表紙に使われている写真は「泥まみれの死」ではなく、ピューリッツァー賞に輝いた「安全への逃避」という砲弾飛び交う中、川を渡って避難してくる2家族の有名な写真である。勿論、「泥まみれの死」という第10回ハーグ世界報道写真展ニュース写真部門第1位になった、解放戦線兵士の死体を、その足に縄を引っ掛けて兵員輸送車で引っぱっている写真も掲載されているし、同じくニュース部門第2位になった「敵をつれて」という写真も掲載されているし、ロバート・キャパ賞を受賞した、年老いたカンボジア難民が戦火を逃れるために助けられながら堤防を下る写真も掲載されている。ただし、ロバート・キャパ賞は沢田氏の死後受賞したために沢田氏本人は受賞を知らない。

 35mmと50mmレンズを付けたライカM3、50mmレンズ付きの方にはライカ・メーターが付いており、35mmレンズ付きの方には外付けファインダー、そして多分135mmか200mmの望遠レンズ付きのニコンFというベトナム戦争取材の標準装備。そして黒く塗られたジュラルミン製のカメラバッグ。カッコイイ。当時は35mmが広角レンズの一番広いレンズであり、ズームレンズは使い物にはならないレンズだった。つまり、今の戦争取材では24-50mmか16-35mm位の標準・広角ズームと70-200mm位の望遠ズームを備えたデジタルカメラで全ての被写体にむかって準備するわけであるけれども、そんな優柔不断な撮影方法ではなく固定焦点レンズでフィルム撮影という割り切り方(というかそれしか方法がなかった)をして取材にあたるのである。フィルムにしてもモノクロはトライXはあったが、カラーはまだかなりISO(当時はASA)感度も低いフィルムしかなかった。

 つまりそんないさぎの良さが当時の戦争フォトグラファーなのである。そんな戦争フォトグラファーたちはカメラを持っていると、どんなところにも行けてしまうという蛮勇が売り物だった。つまり、兵士たちがM16ライフルを所持しヘルメットを被っていればどんなところにも行けたように、戦闘が激しくてもカメラさえ持っていれば大丈夫。ということで、どんどん危険な場所に行ってしまう。しかし、それは自らの命を弄ぶことになるのだが・・・。

 石川文洋氏の写真では、勿論、米軍兵士に弄ばれた解放戦線兵士の死体などのような壮絶な写真もあるが、一方でつかの間の平和な時間にペーパーバックスを読む兵士のような、静かな時間を写し取った写真が有名だが、沢田氏の写真はどうも危険な戦闘場面が多いような気がする。つかの間の平和な写真も結局は次の戦闘に備えて眠る兵士のような、あまり「平和な」写真ではない。自ら望んでそんな風になったわけではないだろうが、そんな危険な場所を求めていくような沢田氏の姿勢が、1970年10月28日のカンボジアでの殉職につながったのではないだろうか。沢田氏と親しい友だちの記者が「そんな危険を冒すのはやめたほうがいい。望遠レンズを使え。吹き飛んだ兵士のクローズアップを撮るのはよせ――とな。だが彼にはいっても無駄だった」というように、あるいは当時のUPIバンコク支局長だったレオン・ダニエルが言うように「沢田は勇気の人だった。つまり、われわれ大半のものよりも恐怖を押隠すのが巧みであった。しかしそうだからといって、彼がまったく計り難い人間だったのではない。私はある一夜を思い起こす。その夜、われわれが迫撃砲の猛撃の間、浅い窪みに伏せていると、そんの1秒前に海兵隊の若い中尉がいたと思しきあたりから、その肉片をもろに浴びせられたのだ。あの夜、われわれは震えていた。震えない人間こそ計り難いのだ。」とは言いながら、かれが計り難い人間になっていったのだった。

 その結果の死。それはある意味ではやむを得ない死なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。だれも死の真相なんて知るものはいないのだ。ただ、そこには死があるのみであり。石川氏のように同じような体験をしながら、生還する人間と、死ぬ人間がるだけなのだ。

 つまり、それが戦場だということで・・・。

 

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