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2011年7月26日 (火)

『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』って結局日本人はひとつということかよ

 まあ、世界の人類の元である、というかいまでもそのままである「ホモ・サピエンス」が生まれたのはアフリカであるという事は分かっている。問題は、同じ「ホモ・サピエンス」でありながら「縄文人」と「弥生人」が別なのは何故かとか、縄文人は結局弥生人に駆逐されてしまったのか、ということなのだ、興味の行くつく先は。

『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』(溝口優司著/ソフトバンク新書/2011年5月25日刊)

 要は縄文人の元は「スンダランド」という氷期に海水面が下がった、マレー半島とスマトラ、ジャワ、ボルネオなどの島が繋がった場所から来た、オーストラリア原住民(アボリジニ)などの祖先と同じくする人たちだそうだ。まあ、それはいい、そんなもんだろうな。

 問題は、元々いた縄文人の場所を次第に侵略してきた弥生人って何だろう。縄文人よりは背が高く顔が長いのが弥生人だそうだ。しかし、いまの「平たい顔の人種」といわれる日本人の顔は基本的に弥生人の顔なのである。じゃあ、その平たい顔をした弥生人はどこから来たのだろうか。

 本書によれば、一番多かったのは縄文人と弥生人の混血なのだそうだ。確かに、縄文人の祖先が大陸から日本列島に来た時とは違い、今回は途中に海がある。その海を越えてくる弥生人の大半は男だろう。で、その男たちが縄文の女たちとヤッちゃうんだよな(同じ、ホモ・サピエンスだから問題はない。そんなことで弥生人と縄文人との混血がどんどん進んで、結局、縄文人と弥生人の見分けがいつの間にかつかなくなって、まあ、みんな普通の日本人になっていったのだろうな。

 こういうときに、東北縄文文化説を言う赤坂憲男氏あたりはどういうのだろうか。

 この本の著者であるみ溝口氏は、どちらかと言えば「形態」から人類を分類しようという立場の人だ。つまり、文化的な領域から「東北=縄文」と「西国・東国×東北」という連関を考える赤坂憲男氏なんかとは立場が違うのだ。

 まあ、そんなことで、文化人類学者の立場から東北の時代を見るのか、あるいは歴史学者の立場かた言うのか、それここの本の著者である溝口風、人類学でもって答えるのか・・・。特に東北という事だけじゃなくて、日本という島国の中で考えなくちゃいないってことですね。

 まあ、それで決定。

 所詮は「ホモ・サピエンス」なんだもんなあ。

 

 

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