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2011年7月15日 (金)

『化合』とは段々ひとつになること・・・かな

 事件が起きたのは1990年6月14日。つまり、まだ携帯電話はそんなに普及していない時期であり、どちらかというとポケットベルの時代なのだな。『年に一度、の二人』じゃないけど、やはり今の携帯当然時代では描けない話もあるわけだ。しかし、そんなことは気にしない小説ってものが書けないものか。

『化合』(今野敏著/講談社/2011年7月7日刊)

 最初の被疑者にこだわり、彼を起訴しようとして、現場の刑事のあげる被疑者に対する、もしかしたら彼は違うんじゃないかという危険性や、別の被疑者がいる可能性を一切捨て去って突っ走ろうとする、事件捜査の指揮者である検事と、そうした検事の姿勢が冤罪を生むことになるのではないかという疑義から、別の可能性を徹底して調べようという刑事の対立はだいたい現場の勝利という、まあいつもの刑事物のスタイルなのではあるけれども、そのきっかけになっているのがいろいろあったバブル経済の後の日本社会である。

 何故、検事はそんなに起訴を急ぐのか? かれの先輩検事でその後弁護士に移った人がガンでもう僅かな命しかないという。その人の死の前に自らの存在を示しておきたかったというだけの理由である。おまけに日本では刑事事件で起訴された場合、その99パーセント以上の確率で有罪になってしまうという、検事と判事(裁判所)の癒着と言ってしまってはいけないのかもしれないが、まあ、近親関係があるのですね。つまり、かの検事が最初の被疑者にこだわり、なおかつ、どういう手を使ったかは分からないがその最初の被疑者が「おちた=自供した」とあっては、もはや検事としては最大限の喜びである。

 まあ、つまり司法試験という法律関係者をいっしょくたに採用する試験があり、研修期間があり、その後、検察官、判事、弁護士になるという、本来は別の立場で「法律」を見なければいけない三者が、実は同じ試験で選ばれた人間であり、そこには微妙な「先輩・後輩」関係やら、「同期」関係が出てきてしまう、という問題があるのだ。

 検察官がそのように動き、判断するというのは、先の厚生労働省の村木事件でも良くわかるように、証拠を捏造してもよいからとにかく被疑者に認めさせろ、というのが検察の基本的な動きなのだ。そして、「自白」があって起訴してしまえば99パーセントは有罪という、あきれ果てた裁判所事情があるのである。

 ということで、警察の上部と現場刑事の対立という構造の話はいくらでもあるが、検察と刑事との対決は、もしかしたら少ないかもしれない。しかし、こうした小説がもっともっと出てきて、検察対警察の関係論が変わってくるようになれば面白い。

 まあ、小説くらいではかわりようもないか。

 ただしかし、検察の「起訴主義」には疑問をもっている私だ。確かに日本の起訴率(事件が起こってそれの犯人が起訴される率)が64パーセント位であるので、検察の公平性はそこで保たれているという発想もある。つまり、警察から送られてきた被疑者の34パーセントは、事件の犯人ではないということで却下されているという事実。しかし、起訴からの有罪率99パーセントってどう考えても異常でしょう。おまけにその最大の証拠が「本人の自白」なのである。有力な物的証拠があれば別ではあるけれども、そんなもの何にもなくても「自白」さえあればOKなんである。

 つまり検事が検察庁のなかでどういった質問を被疑者に投げかけているか、どういった状況で尋問が行われたのかは問題にされずに、結果として「自白」があればいい、というのは基本的におかしい。それこそ「拷問」による「「自白」だってあるかもしれないのだ。勿論、江戸時代のような露骨な拷問は行われていないのだろうが、その分、ちょっとソフトにみえる、言葉による暴力はいっぱいあるはずだ。

 まあ、それが実態だろうな。その実態と、そのあまりにも勝手な進み方に対する刑事の抵抗というのが本書のテーマだ。

 一気に読ませる本ではあるけれども、その時代錯誤のあり方には、ちょっと残念といっておこう。筆者としては「バブル直後の日本人」のあり方と、その中でも生きていかなければいけない女、そしてそんな女を巡る「今だバブルの男たち」を描きたかったのかもしれないが。

 しかし、いまこの作品を読む読者のなかで、どれだけ1990年の日本および東京を知っている人たちがいるんだろう。

 それが、不思議だ。

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