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2011年7月14日 (木)

『「たられば」の日本戦争史』っていうよりは今の政治家の姿を見るようである

「歴史にIFはない」というのが基本的な立場だろう。つまり歴史というのは、積み重ねられた事実の集積なのだから、そこに「もしそうでなかったら」という問いかけは無意味だということなのだ。しかし、特に第二次世界大戦(太平洋戦争)については、「もし、あの時そうした判断をしなかったら」「もし、あの時そうした行動をとらなかったら」というような「IF話」が多く、書店の戦記物の棚を見るとそんな本がいっぱい並んでいる。まあ、日本が負けたからね。

『「たられば」の日本戦争史 もし真珠湾攻撃がなかったら』(黒野耐著/講談社文庫/2011年7月15日刊)

 ということで、戦史の研究家である黒野氏があげた「たられば」は以下の通りだ;

第一章 日清戦争―北京を攻略していたら

第二章 日清戦争後―三国干渉を拒否していたら

第三章 日露戦争―ハルビンまで攻撃していたら

第四章 日露戦争後―日米共同の満鉄経営が実現していれば

第五章 第一次世界大戦―日本軍欧州派遣のラブコール

第六章 第一次世界大戦―欧州戦場に本格参戦していれば

第七章 満州事変―塘沽停戦協定を厳守していれば

第八章 日中戦争―「たられば」もない構図

第九章 太平洋戦争前―三国同盟を破棄していたら

第十章 太平洋戦争前―初期の日米交渉で妥協していたら

第十一章 太平洋戦争―真珠湾を攻撃していなかったら

という11の「たられば」があるのだが、残念ながら基本的な「たられば」が使えるのは第三章の日露戦争までなのだそうだ。つまり「たられば」の結果;

『1905年8月10日から開催されたアメリカのポーツマスにおける講和会議で、韓国における日本の優先権を認めさせ、旅順・大連の租借権と南満州鉄道の権利・財産を日本に譲渡させるだけで、賠償金もとらず、樺太の南半分だけを領有するという条件で講和を成立させた小村外相の判断も適切であった。

 こうした現実を冷静かつ客観的に判断して講和を成立させた当時の政軍の首脳の判断は、政戦略を一致させて戦争を指導した典型的な成功例となったのである。』

 と、評価するのだが、その後、第五章、第一次世界大戦あたりから雰囲気が変わってくる。

『開戦して間もない1914年9月2日、イギリスは日本海軍艦艇の地中海派遣を要請してきた。そして11月4日になると、イギリスは露仏両国と相談したうえで、日本陸軍約15個師団の派兵も要請してきた。

 <中略>

 これらの要請にたいして、日本陸海軍はともに拒否した。海軍は、外敵から日本を防衛するために建設したものであり、遠い欧州まで派遣することは困難であるから、東アジアの海域においてイギリス軍を支援し、同盟国の利益の保護に当たるというのである。

 陸軍は、国防の目的に合わない派兵はできないし、決定的効果をあげるためには40個師団以上の兵力が必要であるが、これは陸軍全力を派兵することに等しく、日本の国防が空白となるし、輸送には200万トンの船舶が必要であるから派兵は不可能だというのである。』

 まあ、それはよい。しかし、そうやって英仏の要請を拒否しながら東アジア太平洋での自国権益の拡大に日本は奔走していたのである。当然、日本が拒否した欧州への派兵要請を唯々諾々と受けたアメリカのヨーロッパにおける発言権は強まるわけで、それがその後の国際連盟における日本の窮地につながり、第二次世界大戦における日本の窮地につながるのである。

 という対外的な場における「島国根性」みたいな日本人らしさの(妙な)発露はあるにしても、もう一方では国内において「統帥権の独立」と「幕僚統制」があったようだ。つまり『統帥権の独立は、成立して間もない明治政府が反政府勢力と軍隊がむすびついて政権を奪取することを防止するために、軍の統帥を政治から切り離して天皇に直結するという国家の根底を流れる基本的な制度であった』ということだが、『この統帥権の独立と幕僚統制という制度と組織の弊害は、明治期には伊藤博文、山県有朋、大山巌、桂太郎、児玉源次郎といった優れた政軍の指導者の能力によってカバーされていたが、彼らが亡くなっていく大正、昭和と時を経るにしたがって、制度・組織の欠陥を覆うことができなくなったのである』という具合に、その時その時の状況に合わせた制度・組織を作り上げるべきところ、それを結局昭和20年までまったくやってこなかったのが、今の状況を作り上げた一番の理由なようだ。

 で、結局日本は破局へ向って突き進むわけなのであるけれども、結局、それはそんな旧制度を残したままにきた日本政府が、軍の下剋上を許してしまったからなのだ。しかし、軍は「作戦」は立てられるかもしれないが、その後の国家の設計までは考えていない。その国家の設計というものが「戦略」であるのだが、どうも日本の旧軍には「戦略的思考」というものはなかったたようだ。

 戦争を始める以上、その戦争をどうやって終わらせるのか、勝ち戦の場合はどうやって相手国を生かそうかと考え、負け戦の場合はどうやって自分の国を生かそうかと考えるのが政治家の役割なのだが、政治家が頼りにならないから軍人が頑張るのだ、というのであれば軍人が考えればいい筈であるけれども、そんなことを考えている軍人はひとりもいない。まあ、ひとり位はいるかもしれないが。

 ところが、この本を読んでみると、そんな「戦争の終わらせ方」を考えていた軍人も、政治家も第二次世界大戦時にはだれもいなかったようだ。要は「作戦思考」しかない軍人に政治家は単純にのってしまった、というわけなのだ。問題は「戦争の終らせ方(つまり終らない戦争はない、ということ)」であり、「戦後処理(勝利しても敗北であっても)」であり、それらは本来は政治家が考えなければならないことなのだ。

 しかし、戦略的にモノを考えないテクノクラートの発想にのって勝手なことを言っているだけの政治家って、それこそ現代の日本政治家の姿ではないか。今の政治家が劣化しているのだと思っていたのだが、そうじゃなくて、最早、明治末期から大正・昭和にかけて既に日本の政治家は劣化していたのだ。その劣化が最大限になったのが今の状態、と考えてみると、なんとなく戦前からつながっている日本の歴史が見えてくる。

 そう、歴史は「繰り返す」のではなくて、分断されることなくつながっているのだった。

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