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2011年7月24日 (日)

『江成常夫写真展 昭和史のかたち』

 あまりにもしつこいのでもう辞めようと思うが、石原慎太郎都政における唯一の善政である東京都写真美術館で『江成常夫写真展 昭和史のかたち」を見てきた。

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 考えてみれば「昭和」という時代はまさに戦争だけの時代だった。1918年に第一次世界大戦が終結したというものの、1927年(昭和2年)には既に山東出兵があって中国への侵略が始まり、1928年には張作霖爆殺事件があり、1931年の満州事変を経て1932年には満州国という植民地が建国されるという、その後の日中戦争、太平洋戦争に至る重要な時期ではあった。その後、1945年に太平洋戦争に負けていわゆる「戦後」となったわけではあるけれども、その後も朝鮮戦争、ベトナム戦争とその後の南アジアの戦争。アフガン戦争、中東戦争と戦乱が収まるときはなかった。

 今でも、世界中を見回せば必ずどこかで戦争・戦乱が行われているわけだが、とりあえず日本という場所からだけ見ていれば、戦争はない。ただし、日本国内では戦争以上の混乱が起きているけれどもね。

 とまあ、その前の明治、大正から今の平成になるにいたるまで、日本が世界の国々と関わる以上、そこには「戦争」というものが必ず控えているのである。

 江成氏はそんな昭和と戦争のかかわりについて、写真家として問い詰めるのである。写真展は『鬼哭の島』としてハワイ、ガダルカナル、ラバウル、マダン、ビアク、ペリリュー、レイテ、サイパン、テニアン、硫黄島を訪れた後、最後に沖縄へ行く。沖縄では軍人だけではない軍属や一般人も含め大量の死者を出したのだが、その大半は米軍に殺されたのではなく、むしろ日本軍の「死して虜囚の辱めを受けることなかれ」という指示のもと、自死や無謀な米軍に対する突撃でもって殺された人たちなのである。

 また、その他の島での戦死者にしても本当に米軍や豪軍と戦って死んだ兵士よりは、餓死や病死が多かったという事実は、まさしく日本軍が「兵站=ロジスティック」という発想がまったくなく、「食料は現地調達」というそれこそ400年も前の戦国時代の兵糧作戦と同じ発想によって戦争をしていたという証拠に他ならない。実はそんなロジスティック無視という発想は、さすがに今の自衛隊ではないのであるが、多くの企業の海外進出に関しては今でも同じなのである。勿論、食料代を出さずに現地調達せよという企業はないが、食料代は出すから基本的に現地調達が基本である。海外に自社の出先を作るからといって、そこに食堂要員まで派遣する会社はない。でも、海外派遣された社員が「日本食を食べる権利」なんてことを言い出したらどうするんだろう。まあ、今のところそんなことを言い出す社員は一人もいなかったということですね。でも、これからは「海外(アジアや南米、アフリカ)に行けば贅沢暮らしができる」という保証はなくなってしまうのだから、これからの日本企業はそんなことも考えながら海外進出を考えなければいけない時代になっていくのだろうな。

 で、次は『偽満州国』『シャオハイの満州』であるが、「シャオハイ」とは中国語で「子ども」のことだそうだ。つまり、小さな子供の頃に満州に捨て置かれたしまった、いわゆる「残留孤児」のこと。つまり日本政府による「棄民政策」によって捨て去られた人たちなのだ。数千人いるとされるこうした人たちに対するケアもまだなされていない。

 そして『ヒロシマ』『ナガサキ』である。もう言をまたない。非戦闘員である彼らが何故被爆・被曝しなければならなかったのか。戦争が壮大な実験場であることは認めよう。しかし、広島・長崎合わせて数十万の非戦闘員を実験材料にしていいのだろうか? その結果、アメリカは原子力開発において圧倒的な有利な立場に立った。だからこその、チェルノブイリにおけるソ連政府の迷走ぶりと、スリーマイル島におけるアメリカ政府の冷静な判断との差がでたのであろう。しかし、その理由としてヒロシマ、ナガサキの実例をアメリカは持っているからというのでは、あまりにも日本をバカにしている発想ではないだろうか。それでは、その教訓は今回のフクシマで生かされているのであろうか? それにしても、「溶けた茶碗の塊」という写真の中の、その茶碗にある「楽」という文字は何なのだろう。何か、妙な皮肉にも思えてしまう。

 とまあ、いろいろ考えさせられた写真展ではあった。

『江成常夫写真展 昭和史のかたち』は9月25日まで開催中。

 で、外に出てみれば「ハワイアン&タヒチアン・フェスティバル」とかで、タヒチアン・ダンスを踊っているお嬢さんがいた(ただし、皆日本人)。やっぱり、現今の日本は「平和」なのかな。しかし、そのタヒチにしても、今やフランス政府がゴリ押ししている原発(ムルロア環礁における原爆実験)政策に反撥したポリネシア人たちがフランスからの独立を目指して頑張っていることも事実である。

 21世紀は、最早他国の人間が他国の民族を支配する時代ではないのかもしれない。・・・それを言ってしまえば、ハワイもそうか。そうだよな。

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