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2011年7月 4日 (月)

2100年、人口3分の1の日本

 過去の人口動態を調べるのが本来の仕事である「歴史人口学」の学者が90年先の人口を予測し、そのための考え方を示したのが本書である。

『2100年、人口3分の1の日本』(鬼頭宏著/メディアファクトリー新書/2011年4月30日刊)

 そもそも日本において「人口問題」が大きな話題となったのは、1972年にローマクラブの委託によって調査・発表された『成長の限界』がベストセラーとなり、翌1973年にはローマクラブ東京大会が開かれたことがきっかけである。その前年に中央大学経済学部の岡田ゼミというものに入った私たち(私やY川氏他のこと)は、突然次の年の岡田ゼミの入ゼミ試験を受けにくる人たちの多さに吃驚し、「おお、こんなにいっぱいの入ゼミ希望者がいて、その中から選抜されてきた人たちがゼミ員になるなんて、こりゃあ、我々の次の世代からは、頭が良すぎて話ができないね」なんてことを話しながら、入ゼミ試験の監督をしていた覚えがある。で、その中央大学経済学部岡田實ゼミのテーマがまさに「人口論」なのであった。私は、マルクスとマルサスって一字違いでしかないし、ちょっとユルそうだな、というのが入ゼミの理由だったのだが(実はもう一つあってそれは「外書購読」という講座が・・・というのはいずれまた)、まあ、その頃から「人口論」というものは注目されたのであった。

 ただし、その頃の注目のされ方というのは、今とは違って、まだ日本人口も増える一方で、マルサスの言う『人口は幾何級数(等比数的)的、つまりペースを数倍していく勢いで増大し続け、食糧生産は等差級数(等差数列)的に斬増する』ということで、いずれ増大する日本人口も含めて世界人口が膨らんで、それが食糧や資源(石油などの化石資源)が枯渇する時代が近々やってくるぞ、という脅かしによって進められたのだった。

 ところが、いまや日本人口も減少の時代に入ってしまった(世界的には未だに増えているが)。食料も農業改良なども含めて増産はしている。化石資源に関しては、当時、今後30~35年位しか残っていないとされた石油(原油)も、その後の調査や採掘技術の進歩などによって2011年には45年(つまり2056年頃)以上になっている。その他、石炭242年(2253年)、天然ガス62年(2073年)、ウランは何年かは知らないが、プルサーマルなどの核融合を使えばかなりの年数は大丈夫だろう。まあ、今のところ原発の安全問題はあるだろうけれども、それは今後の技術でもって実現するということでもって。

 その後はどうなるかは知らないが、多分その後(数百年後)も人間が存在していれば、地球外の惑星やら、他の天体系の惑星までいって資源を持ちかえることになるのだろう。その時に、その惑星の住民(というのがいればの話だが)との闘争になるだろうということは良くわかるのだが、つまりそれはハリウッド製SF映画のように「地球が外界から攻められる」というタイプではなくて、逆に「地球人が外界の世界を攻める」という話になるのだ。そんな時に、「それでいいのか地球人!」なんてことが言えるのであろうか。地球人存亡の危機である。でも、それを許してしまうと外界人の存亡の危機なんだよね。

 まさに「骨肉の争い」ですね。そんな時代に生まれなくてよかった。せいぜい地球内の問題だけなんで。

 と、ちょっと回り道してしまったけれども、要は日本の国民の数の問題なのである。

 一人の女性が一生の間に産む子どもの平均数を表すのが「合計特殊出生率」というが、それが1970年には2.13だったものが、2005年には1.26まで、35年の間に4割も減少している。つまりそれこそ「少子化」の問題でもあるのだけれども、もはやそれはしょうがない。子どもをつくということことは女だけの問題じゃないしね。男性の収入が減り、その収入減を女性に頼りという事になれば、そこで子どもを作れということにもならないだろう。

 で、あとは日本国内の問題。ひとつは「限界集落」からの脱出という問題だろう。『集落単位での住民の移住を進め、集落を集約化すべきである。鹿児島県と秋田県のいくつかの地区では、将来的に高齢者だけで生活困難な状況になることが予想される集落について、総世帯の移転を実行している』ということなんだけれども。

『過去に日本列島で人口が増加していった時代――それは例外なく、外部の文明を取り込み、国の姿が大きく変わった時代だった。言い換えれば、海外との人的交流が活発だった時代だ。弥生時代には稲作伝来をもたらす大陸・半島からの人口移動があった。7世紀までに存在した倭人は東シナ海や黄海を共通の生活基盤とする民族交流を図り、7~9世紀には遣隋使・遣唐使に代表されるような国家間の交通が行われた。室町から江戸時代初期にかけては日明貿易を行い、東南アジアへも進出した。人口を2倍以上に増加させた4度目の人口変動の背景にあったのは、幕末に始まる欧米諸国との技術交流や交易である』というように、日本でも、過去、人口の増加期と減退期があったようで。

 まあ、そんな増加期と減退期の状況を踏まえて、日本自体の生き延びる施策を考えるのが現在の政府の仕事でしょ。当然、そういうことは考えているに決まっているのだが、まだ決定ではないですよ、ということで我々が問い合わせても答えてくれないのが政府である。官僚、ひとりひとりは良い人だし、すごい頭も優秀な人たちなんだけれども、やはり仕事というのは、仕事が人を以て語らしむるのであろう。で、結局、福島第一原発事故に際しても、まあ、自分を守るための発言しかしていない。

 ええっと、問題は本書に書かれた「2100年(いまから90年後)に日本は確実に4,000万人位の規模になっているし、その時の「都市」VS.「農村」の形はかわざるを得ないし、「都市自身」がどうなっているか分からんし、とうことなのであります。

 今でも、群馬県の大泉町とか伊勢崎市、浜松市とか、大半は日本から海外に移住した人たちとその人たちの子どもが多いのだが、そんな人たちが多い町だ。例えば人口4,000万人の日本人口になってしまったら、その時に例えば本書のように日本人4,000万人、外国人5,000万人が同じ国で仕事をしている、というそれこそ大泉町のような状況になってしまうのだろうな。といっても、それはみんな日系人なので一見外国人という風には見えないんだけれども。

 まあ、そんな外国人の移民も受け入れつつ、同時に国内の<中小・零細>企業をどうやって<守っていくか>大きい問題だと思いますが、私が結論を出す問題じゃないだろう。

 それは・・・。

 

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