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2011年6月29日 (水)

『重信房子がいた時代』はいい時代だったよな・・・と遠い目

 筆者は明治大学の文学研究会で重信房子の2年下にあたり、一緒に『一揆』という個人誌を作った仲間である。そんな身近にいた人から見た、重信房子像とはいかなるのであるか、というのが本書への興味である。

『重信房子がいた時代』(由井りょう子著/情況新書/2011年6月10日刊)

 由井りょう子氏自信はブントとは係わりを持っていなかったようで、どちらかというと政治活動や左翼活動にはニュートラルな立場からの重信像である。したがって、ブントの活動家としてよりは、なんとなく左翼活動に巻き込まれてしまった救対の女子学生がいつのまにかアラブまで行ってしまった、という捉え方をしている。

 事実、我々が重信房子の名前を知ったのもアラブに行って「アラブ赤軍」を名乗った頃からである。それ以前の共産同赤軍派が初めて登場した全国全共闘設立集会の際には、私も会場にはいたのだが、まだ重信なんて名前は知らなかったし、「よど号ハイジャック」の時にも重信房子なんて名前は指導者として出てきていない。まだ塩見孝也が最高指導者だったはずである。そういう意味では「重信房子は日本赤軍(アラブ赤軍)のリーダー」という言い方は間違っており、せいぜい「PFLP(パレスチナ人民解放戦線)との連絡・交渉役」兼「対日本へ向けたスポークスマン(スポークスパーソン?)」という立場に過ぎなかったんだと思う。

『赤軍-PFLP世界戦争宣言』という映画でもって、我々は初めて重信房子を知ることになるのだけれども、まあ、美人でもないし普通の女の子という、そんなイメージだった。けれども、何故か日本では「日本赤軍(アラブ赤軍)のリーダー」と呼ばれている。まあ、マスコミ的には「美女が過激派テロ組織のリーダー」というイメージの方が「面白い」ということなのだろう。

 そういう意味では、由井りょう子氏の見るとおり「救対の女の子がいつのまにかアラブに行っちゃった」という見方の方がより実態には近いのではないだろうか。勿論、その後共産同赤軍派幹部が次々と逮捕されたり、死亡したりしたことの結果、重信房子がいつの間にやら「リーダー的立場」になってしまったというのが実態だろう。

 ということで、実態として赤軍派のリーダーになってしまった重信房子である。しかし、変な話、重信房子にそんなリーダーになりうべきカリスマ性とか、実態としての指導性とかがあったのかどうかといえば、それはかなり怪しいというしかないだろう。

 むしろ、重信メイの母親としての存在感の方がいまや強い。ああ、あのメイちゃんのお母さんなのねということであり、あのメイちゃんのお母さんがそんなにすごい革命家(別名、テロリスト)なのかという意識はみんなないのではないか。

 結局、由井りょう子氏にとっての重信房子は、同じ文学研究会にいた先輩学生というだけの存在でしかない。別に、重信が赤軍派であってもそうじゃなくてもどうでもいいのである。それがいいのである。そんな付き合いの中から、実際の人間対人間の付き合いができるのである。

 そんな「場」を提供できる日本の大学っていいじゃないか。

 そこには、主義・主張を越えた付き合いがあるのである。それがいい。

 

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書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントありがとうございます。
まあ、確かにあの当時の学生運動は、と言うよりはブントの運動は組織論的にはかなりイイ加減で、一揆主義的に「やっちまえっ」てな感じが強かったのかなと思います。
私は中大で叛旗派との付き合いがあったので、その「評論家主義」的なあり方を面白く見ていました。
私自身は、高校生運動でなんか、もうやり切っちゃったのかな、結局その敗北の象徴として大学入学があったのだ、という捉え方でしたので、大学に入ってからは、一切学生運動とは関わらずにいたのですが、いろいろ気になる集会とかは出ていました。
赤軍派はそんなブントからの正統進化として見ていたので、まあ、そんなに否定的ではなかったのですが、連合赤軍になってしまうと、それはスターリニスト=毛沢東主義者との野合としか言えなくて、心は離れましたね。

はじめてコメントします。
「重信房子がいた時代」の本の中に出てくる「土曜会」の関係者です。
私は69年明大入学なので重信さんとは面識はありません。同じ大学という共通項だけです。

>そこには、主義・主張を越えた付き合いがあるのである。それがいい。

明大は「おおらか」というか「いいかげん」というか、理論より人との「つながり」が基本です。
「土曜会」は、今は「明大土曜会」として日大全共闘の方や芝工大全学闘の方も交えた「ゆるいつながりの場」となっています。

全国全共闘結成大会に参加されていたようですが、私もその場に居ました。
同じ場を共有していたようですね。


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