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2011年6月10日 (金)

『禁煙の愉しみ』とはいうものの、本当に禁煙が愉しみなのだろうか

 そうか、禁煙というものを苦しい戦いだとは思ってはいけないということなのだな。

『禁煙の愉しみ』(山村修著/朝日文庫/2011年6月30日刊)

『禁煙というものは、ミルクのように白い、いい匂いのするクリーム状のものである。

 そのクリーム状のやわらかい固まりが、知らないうちに目の奥あたりに生まれ、わだかまる。ときには温かくとろりと溶け出し、快い眠気をともないながら両のこめかみに広がり、さらには首から両肩にかけて沁みわたる。ときにはまた冷たく固まって、涼しいばかりの覚醒感を呼びながら額や背筋や両腕の皮膚に張りをもたせる。

 クリームはやがて、ふと気づいたときには失せている。そしていつかまた、ほんのかすかに匂い立つように思わせながらよみがえる。

 禁煙はふしぎだ。愉快だ。もちろんクリーム状の物質というのは喩えである。禁煙によって身体が帯びた感覚を言葉にしようとすれば、たとえばそのようにいえるということだ。そのような身体感覚は、おそらく非喫煙者には分からないし、喫煙者にも分からない。さんざん煙草を吸ってきて、あるときを境に一本も吸わなくなった者、すなわち禁煙者になってみないと分からない。

 また禁煙者であっても、禁煙というものが忍耐であり、抑制であり、断念であり、克己である、すなわち禁欲であると思っているという人は、右の感覚を信じることはないだろう。しかし、そうした感覚を図らずも手に入れたこと、またそれによって暮らしを仕切る呼吸のようなものをつかんだことは、私にとって現実である。』

 これは本書の書き出しの文章である。ここだけでほとんど本書の中身は言ってしまっているようなものだが、はたしてエッセイスト山村氏は禁煙というものを、忍耐でもなく、抑制でもなく、断念でもなく、すなわち禁欲でもないと思って禁煙に成功したのである。いや、成功といってしまうとそれはやはり「忍耐、抑制、断念、禁欲」ということになってしまうのかな。つまり、山村氏はそんな「達成感」とは全く別のところで禁煙をしてきたのだ。

 しかし、禁煙というものは喫煙者にしてみれば、やはり「忍耐、抑制、断念、禁欲」の象徴のように映るし、事実、何度も禁煙を試みた喫煙者にしてみれば、やはり禁煙とは「忍耐、抑制、断念、禁欲」でしかないのだ。山村氏が何故自分が禁煙できたのかということを、自己の「優柔不断」に求めているのだが、そんな「優柔不断」は喫煙者すべてがその通りである。多分、喫煙者のほとんどすべてが過去に禁煙を試みて、そして失敗してきた者たちばかりであるとことから考えてみれば、そんな「禁煙挑戦経験者」の全てが自らの「優柔不断」さに禁煙断念の理由をあげるだろうことは間違いない。

 では、そんな「失敗した禁煙挑戦経験者」と「禁煙実現者」の違いってなんだろう。普通はやはり忍耐に優れ、抑制ができて、断念することに強く、禁欲的な人が禁煙できると思うのだが、そんなこともなくて禁煙できる人がいるのだろうか。

 本書の『Ⅳ 禁煙の本棚』では、まさにそんな「失敗した禁煙挑戦経験者」の集まりのようである。南方熊楠と西田幾太郎は度々禁煙に挑戦し、敗北した話で一杯だし、一方、吉野秀雄の禁煙については禁煙者の吉野秀雄がたまたまちょっとしたきっかけで喫煙してしまう話だし、『シェイクスピア物語』のチャールズ・ラムの禁煙にまつわるエピソードだって友人と煙草とやめようという話をした次の日に煙草を吸ってしまうという話だし、安田操一の本についても実は安田本人はそんなこと言っても煙草を吸っていたような雰囲気だし、イタロ・ズヴェーヴォに至っては『私の真の病はタバコにあるのではなくて、禁煙の決意にあるのだ・・・・・・。』と言わしめている。

 つまり、そんなに禁煙というものは難しいものだということ。昔、15世紀の頃、コロンブスの後継者がアメリカ大陸からヨーロッパに持ち込んだ煙草はたちまち世界中を席巻することになった。まあ、同じころ梅毒もアメリカ大陸からヨーロッパに持ちこまれ、こちらもたちまち世界を席巻してしまったのだけれどもね。梅毒は病気だからそれに対する薬なんかも出来ているのだが、煙草に関しては喫煙は病気ではないのだから薬はない。でも、例えば禁煙できる薬なんかがあれば結構それを買う人はいるかもしれない。ただし、それは専売公社時代は無理だったでしょうね。国の収入になるのだから。でも、今なら出来るのではないでしょうか。もっとも、国がたばこ税の収入をあきらめればということなんだけれども。でも、それがなされないということは、それなりに国(実際は地方税だそうだが)の税収にとっては大事なものなのだろうということだ。

 うーむ、煙草についてはいろいろ奥深い問題がありそうだな。

 とはいうものの、こういう面白い本を「煙草を吸いながら読んでいる私」ってどうなんでしょうね。冒涜? 

 うーん、懺悔!

 

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